マンドルの町は毎日射撃され、死傷のない日はなかった。この町に在りし前述のブドウ酒の穴倉から救世軍の一少校が書き送った手紙は興味深いので、次に紹介する。
「フランスの某所にて」
1918年5月15日
「私は引き続き、フランスの古いブドウ酒倉で、忙しく働いております。私の毎日の仕事につき、大体の概念をお与えしたく存じます。
早朝起床して、穴倉に参ります。薪を得て、火を起こし、ストーブの上で湯を沸かします。私の身廻品、ヘルメット帽、ガスマスクおよび杖を手にし、一街区を歩いて、砲兵の炊事場のかたわらにある教会堂の方に行き、必要品を手に入れ、穴倉に帰って来て、朝食を摂ります。火や燃料に注意し、ランプを掃除し、かつ、点火します。水や泥土を排除します。
そのうちに兵卒等がやって来ます。ある者は直接に塹壕から、ある者は塹壕の包囲戦後、休憩時間中に来ます。彼らはやって来て、話したり、立ったり、眠ったりする時、泥塗れになります。そこで私は、ココアやコーヒーの用意をなし、また、キャンデー、イチジク、クルミ、ガム、チョコレート、ひげ剃り石けん、カミソリ、腕時計、ナイフ、銃油、紙、封筒等をも捌きます。
私は大抵はゴム靴を履き続けております。大抵毎夜「歌う会」または集会を催し、日曜には、二、三回の集会を営みます」云々。
om1938-1

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