救世軍米国総司令官エドワード・J・パーカー中将は、救世軍士官として58年の奉仕を終え、1943年12月に引退を迎えた。パーカー中将は、第一次世界大戦に際して、救世軍の最初の戦時救済部長となり、合衆国や諸外国の陸海軍人に対する奉仕事業を担当し、第二次世界大戦に際しては、従軍奉仕事業団の連合体であるユナイテッド・サービス・オーガニゼーション(USO)の創設者として、理事会や各種委員会の要職を務めた。
パーカー中将は、1869年にイリノイ州エルギンに生まれ、野戦(路傍伝道)を通して救世軍に導かれ、回心し、救世軍兵士(信者)として入隊した。少しでも余暇があれば救世軍に行って、小隊会館(教会堂)を掃除したり、街頭で救世軍の機関誌『ときのこえ』を販売したりして過ごした。
1885年に士官候補生(神学生)となり、最初の任命地はウィスコンシン州ジェーンズビルであった。米国に最初の救世軍士官が上陸してまだ五年目の当時は、激しい迫害が開拓士官に加えられ、パーカーも同じ目に合わされた。猛り狂った暴漢たちが集会を妨害し、救世軍人に腐った卵や野菜くずを投げつけた。パーカーは、福音を説教した科(かど)で投獄されたが、牢にあってなお、囚人たちに神の癒しの力を熱心に説いて止まなかった。
パーカーは、1893年にエヴァ・トンプソン大尉と結婚し、五人の子どもたち、ハロルド、ポール、ウォレス、ミルドレッド、チャールズが生まれた。救世軍のニューイングランド地区総務部長や東部軍国書記長官を歴任した後、エバンゼリン・ブース(救世軍創立者ウイリアム・ブースの長女)の後任として米国総司令官に就任。引退までその任にあった。男子社会事業にも力を注ぎ、毎年救世軍の代表として刑務所教誨年次総会に出席し、米国刑務所教誨協議会の理事として尽力した。
エドワード・パーカー中将は、USOの設立者として、最も名が知られている。救世軍の戦時救済部長に任命されたパーカーは、1918年6月のシャトー・ティエリーの激戦の直後にフランス戦線に派遣され、同年11月の休戦条約締結の直前に帰国した。この任命でパーカーは、趣味の写真が多いに役立ち、合衆国政府の特命写真部員として、最前線の戦場を撮影した。それら千枚以上のネガと数千メートルに及ぶフィルムの大半は、現在ワシントン首都特別区の戦争博物館に収蔵されている。
自叙伝『わが58年間』においてパーカーは、USOの構想がいかに生まれたかを雄弁に描いている。「わたしの心は、第一次世界大戦の戦場の光景で占められていた。当時、米軍の駐屯地や諸外国の軍に奉仕した、もろもろの慈善団体の活動のことも、心を占めていた。いまや二度目の世界大戦が勃発し、これらの慈善団体は、奉仕の機会を逃さず、立ち上がるべきではあるまいか。陸海軍人への奉仕事業を統一した計画で行うために、もろもろの慈善団体の指導者が合同し、協議し、企画を練り、合衆国大統領フランクリン・D・ルーズヴェルトに提案したらどうか」
組織の発足に先立って数週間に渡る会合が行われ、社会事業に多年の経験を持つ六つの慈善団体が、USOを設立した。それらは、救世軍、YMCA、全米カトリック地域奉仕協会、全米旅行者援助協会、全米ユダヤ教福祉協会である。USOは1941年に法人登記され、目的は、陸海軍人に対して、道徳の向上、福利厚生、娯楽を提供することであった。
「救世軍にとって、陸海軍人に娯楽を提供することは、新たなことではなかった。戦争の最前線で最初に奉仕を提供したのは、1899年のボーア戦争にさかのぼる」とパーカーは書いている。USOと、その働きを拡充する救世軍は、合衆国の国防計画にとって、短時日のうちに欠くべからざる部門となった。
「USOは、合衆国陸海空軍の全部隊に対して、最高品質、最高水準の奉仕を提供する。米国の多様な家庭から出身した、あらゆる宗教的背景を持つ兵士たちに対応し、あらゆる必要を満たすために、六つの慈善団体が一致協力して奉仕にあたる」とパーカーは宣言する。
しかし、救世軍がUSOに加わったのは、単に戦争遂行に協力する意図以上のものがあった。パーカーは、こう説明している。「救世軍は、ひとりの人間、ひとつの人格、一個人としての兵士に、関心を注ぐ。一個人としての兵士と知り合いになり、信頼を得ることが、救世軍の持っている顕著な能力である。われわれは、昔ながらの友だちづきあいのスタイルを大いに尊重し、そこに、霊的な要素を加味する。素朴で実直な救世軍人にとって、USOは、多くの人々と関係を築く、途方もない機会を提供している。集団に対して、また、個人に対して、福音の使信を伝え、キリストに導くことが出来るのである」
USOが運営する事業を視察したパーカー中将は、陸海軍人への奉仕にあたっている救世軍士官に、こう謝辞を述べた。「これは、神が諸君に与えたもう機会である。主への奉仕を、主は嘉してくださるであろう。諸君の眼前にある使命に邁進するなら、主は必ずや諸君に祝福を与えてくださると、私は確信する」
今日、USOは世界で121の拠点を運営している。海外の拠点はドイツ、イタリア、フランス、アラブ首長国連邦、バーレーン、アイスランド、ボスニア、日本、韓国、米領ヴァージン諸島に置かれている。設立から六十年、USOはさまざまな課題に直面して来たが、USOと陸海軍人の間の信頼関係は、変わることはなかった。USO国際部では約1万2千人のボランティアが毎年累計で45万時間に及ぶ奉仕を行っており、世界各地に勤務する合衆国陸海軍人に「母国のかおり」を伝えている。
救世軍はUSOの設立時からの参加団体であったが、1979年に退き、現在はUSOの業務には関与していない。しかし、陸海軍人への奉仕活動は、今日も行っている。パーカー中将の夢は、異なる背景を持つ慈善団体が、大きな目的のために協力することであったが、その花は、今なお咲き続けている。
エドワード・パーカー中将は、1961年に、信仰の英雄として、召天した。

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