書店で『関東大震災「朝鮮人虐殺」の真実』という新刊を見かけて、「真実」というからには実態の検証に取り組んでいるのだろうと手にとりぱらぱらと読むに、まったく逆だということが分かった。これはれっきとした歴史修正主義のプロパガンダ本である。
哀しいことに、昨今、
そんなものには慣れきってしまっている。
が、驚いたのは、芥川龍之介を引いている箇所だ。
有名な『大正十二年九月一日の大震に際して』から次の文章が引用されている。
「僕も今度は御多分に洩れず、焼死した死骸を沢山見た。その沢山の死骸のうち最も記憶に残つてゐるのは、浅草仲店の収容所にあつた病人らしい死骸である。この死骸も炎に焼かれた顔は目鼻もわからぬほどまつ黒だつた。が、湯帷子を着た体や痩せ細つた手足などには少しも焼け爛れた痕はなかつた。(略)
僕はこの死骸をもの哀れに感じた。しかし妻にその話をしたら、「それはきつと地震の前に死んでゐた人の焼けたのでせう」と云つた。成程さう云はれて見れば、案外そんなものだつたかも知れない。唯僕は妻の為に小説じみた僕の気もちの破壊されたことを憎むばかりである。」
「僕は善良なる市民である。しかし僕の所見によれば、菊池寛はこの資格に乏しい。
戒厳令の布かれた後、僕は巻煙草を啣へたまま、菊池と雑談を交換してゐた。尤も雑談とは云ふものの、地震以外の話の出た訣ではない。その内に僕は大火の原因は○○○○○○○○さうだと云つた。すると菊池は眉を挙げながら、「嘘だよ、君」と一喝した。僕は勿論さう云はれて見れば、「ぢや嘘だらう」と云ふ外はなかつた。しかし次手にもう一度、何でも○○○○はボルシエヴイツキの手先ださうだと云つた。菊池は今度は眉を挙げると、「さ、君、そんなことは」と叱りつけた。僕は又「へええ、それもか」と忽ち自説(?)を撤回した。
再び僕の所見によれば、善良なる市民と云ふものはボルシエヴイツキと○○○○との陰謀の存在を信ずるものである。もし万一信じられぬ場合は、少くとも信じてゐるらしい顔つきを装はねばならぬものである。けれども野蛮なる菊池寛は信じもしなければ信じる真似もしない。これは完全に善良なる市民の資格を放棄したと見るべきである。善良なる市民たると同時に勇敢なる自警団の一員たる僕は菊池の為に惜まざるを得ない。
尤も善良なる市民になることは、――兎に角苦心を要するものである。」
(芥川龍之介『大正十二年九月一日の大震に際して』より
http://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/3762_27361.html )
そして、著者は言う。
「芥川龍之介は大火の原因を一部朝鮮人の犯行と見ていたようである。 芥川龍之介は菊池寛に対する激憤の行方として、自死を選んだように思えてならない。」
―唖然、である。
ここまで読んでめまいをおぼえて捨てるように書棚に戻し踵を返したから、続きは知らない。もっとおぞましい見解が展開されているにちがいない。
いったい、この著者は、芥川の書く「善良なる市民」をそのまま受け止めてしまっているのだろうか。すこしでもまじめに芥川を読んだことがあるならそんな間違いは犯さない。僕が全集を通読したのは14、5歳のみぎりであるが、そんな読みはけっしてしなかった。
思うに、芥川は震災直後じっさいに夜警に立った。そこでなにごとかを目にし、耳にしただろう。あるいはそれに同調した自分がいたのかもしれぬ。彼は一瞬「善良なる市民」となったかもしれぬ。そして菊池寛に会い、「一喝」されるのである。それがここで述べられている。”世間一般”の「善良」は朝鮮人を殺そうとするものであり、それを「嘘」と断じる菊池は「野蛮」である。ここで芥川は「善良」にとりこまれつつあった己を発見するのだ。そのような発見を経た己は、「善良なる市民」たるに「兎に角苦心を要する」以外にない。発見してしまった「苦心」する芥川はたとえば次のように書く。
「自然は唯冷然と我我の苦痛を眺めている。我我は互に憐まなければならぬ。況や殺戮を喜ぶなどは、――尤も相手を絞め殺すことは議論に勝つよりも手軽である。」
『或自警団員の言葉』より(『侏儒の言葉』所収)
http://tknottet.sakura.ne.jp/shuju/arujikeidan_in_nokotoba.cgi?R=1
芥川は震災を天罰とみなす大実業家・渋沢栄一の言葉にさかんにあらがったことが知られている。たしかに自然は、天は、「冷然と我我の苦痛を眺めている」。だからこそ「我我は互に憐まなければならぬ」。それが抵抗なのだ。それだけが人間の、人間としての、人間にしかできない抵抗なのだ。「況や殺戮を喜ぶなどは」。
人間は愚かだ。
かつて犯した過ちを否定し、
散った命の尊厳を再び殺戮するほどに度しがたく愚かだ。
せめて文学を。読むことの抵抗を。伝えたい。
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