待望のイエジー・スコリモフスキ新作公開である。
アンナと過ごした4日間
http://www.anna4.com/
アウトサイド・イン・トーキョー 監督インタビュー
http://www.outsideintokyo.jp/j/interview/jerzyskolimowski/index.html
畏友が目下コンタクトしているそうで、頼もしいかぎり。僕はまともに観たのはわずか3作品、あとはこそこそyoutube等で漁ったにすぎないが、今回新作を観る前に思うところをメモしておく。
僕がスコリモフスキをおもしろいと思うのは、その「根無し草」性である。 彼は一種の故郷喪失者なのだ。スコリモフスキは、映画監督にして役者であるだけでなく、詩人、ボクサー、画家、ジャズドラマーなど、ある種無節操に顔が多い。父親をナチスの強制収容所で亡くし、孤児院で育ったそうだ。長じては映画がスターリン批判を咎められ発禁、国を捨てた。各国を転々として映画を撮ってきた。
新作『アンナ』の前には同郷ポーランドの作家ゴンブローヴィッチの『フェルディドルケ』を映画化している(”30 Door Key”)。ゴンブローヴィッチもまた故郷喪失者であることは言うに及ばず、より重要なのは、この作家のライトモチーフである青二才性、幼児性、軸の無さである。『アンナ』はストーカーの映画らしいが、『フェルディドルケ』にも幼児化した主人公が好きな女性の家に夜忍び込むシーンがある。で、『フェルディドルケ』も発禁になっているのである。あんなヘンタイ的な、感覚的なものが、政治により危険視されたわけだ。
そういえば彼はナボコフの『キング,クィーンそしてジャック』を映画化している。ナボコフもまた流浪、故郷喪失者だ。
今回『アンナ』のテーマとなっているらしい「恥」というのは、いったい何に対する恥なのか。ゴンブローヴィチに引きつければ、普通なら子供時代に置いてきてしまう微小な感覚の非常な増大、つまり自分と世界のサイズがズレてしまっているという未熟な感覚(=根無し草)、「恥」はそこに由来するのだろうか?これはポーランド人の歴史/精神のどこかに伏流するものなのか?そして「根」がないということ。イエージィは日本語で「家路」と書くが、その家路はどこへつながっているのか?故郷喪失者だからこそ故郷があるべき場所に見出す視線は何か? そして「愛」はそこで何ができるのか?
・・・観たい。
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沖縄の戦時「集団自決」についての教科書検定問題について、恥ずかしながら2年遅れで以下の事実を知った。
現職調査官「つくる会」元理事と共著 「集団自決」検定審議会
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-28364-storytopic-1.html
教科書検定:集団自決問題 「不適切」「政府の意向」検定審委員が意見
http://mainichi.jp/select/seiji/news/20071029ddm041010171000c.html
文科省調査官が介入、波多野委員が初明言 教科書検定審議
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-27964-storytopic-1.html
「新しい歴史教科書をつくる会」元理事の伊藤隆(東京大学名誉教授)と文部科学省の教科書調査官だった照沼康孝は共著を執筆、同じく村瀬信一も共同執筆、また教科用図書検定調査審議会・日本史小委の広瀬順皓も伊藤と共編で出版していた。
歴史教育の根幹を揺さぶる事件ではないか。「つくる会」などは低劣な歴史修正主義者の群れにすぎないと思っていたが、認識が甘かった。沖縄からの視線だけがしっかりとその像をとらえていたのか。
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11月1日@京都かぜのね
「末岡友行さんを囲む夕べ メキシコ現地報告会」
http://homepage2.nifty.com/Zapatista-Kansai/
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〜 11月29日@逸翁美術館
「茶人 逸翁 −茶の湯文化と小林一三−」
http://www.itsuo-museum.com/
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ホロヴィッツ70枚組
http://www.amazon.co.jp/Vladimir-Horowitz-Complete-Original-Collection/dp/B002P3J3BW/ref=ntt_mus_ep_dpi_1
国内版は44枚組だそうな。2〜30枚は聴いているんだが。妖刀ホロヴィッツも当たり外れが激しいからなあ。
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Shrinebuilder、アルバム投下。
http://www.myspace.com/shrinebuildergroup
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