『1968年の世界史』という論文集がまもなく藤原書店から出、バディウが寄稿している模様。
日本における「1968年」というテーマではここしばらく絓秀実が、そして最近は小熊英二が書いている。この二人の論はくっきり対照的であるが、実は両者ともその当事者ではないという点では変わらない。で、両者とも当事者からの毀誉褒貶が激しい。じゃあ当事者がまず書けばいいのにという話だが、そう簡単なものでもない。書けないのだ。だから次世代の者が作ったジグソーパズルに注釈を付けるしかない。小熊の『1968』はある意味で当事者の”1968”に抗う試みである。この試みを是とするか非とするかは見解が分かれて当然だが、この書への当事者からの批判の典型として証言を集めていない要は当事者への聞き取りを充分にしていないというものがある(たとえばamazonレビュー等を参照のこと)。こうした批判は小熊の試みを正面から受け止めていないのではないか。なぜなら、小熊はハナから当事者に信を置いておらず、生き残った者たちの現在の証言ではなく、当時彼らの言葉がいかに記録されたか=メディアの歴史的分析に重きを置いているからだ。発想としてはフーコーのディスクール論に近い。むろんそれらのメディア史料を史家がどのように恣意的に判断しているかは批判と対象となるべきだが、どうも属人的な恨みつらみに流れがちな気がするし、ましてや”真実の1968”はこうだったんだと当事者が強弁してもありがたがるのはノスタルジストだけだろう。別に、小熊にも信など置かない。問題はそういうことではなくて、”1968”を「歴史」のなかにどう取り返していくか、vita-novaさせていくかだろう。「1968年の世界史」とは何か、その日本史とは何か、ありうべき無数の補助線のひとつとして絓や小熊の研究があり、当事者からのそれらへの反論がある。そのように各論が立ち上がってこなければ、また読まなければ、いま、それを知る意味などないだろう。
だから、これなどは読むのが非常に楽しみである。
『悍』第3号 特集 暴力燦燦(10月20日刊)
http://www.linelabo.com/han/no003index.htm
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Dirty Three "I Offered It Up To The Stars & The Night Sky"
http://listen.grooveshark.com/#/song/I_Offered_It_Up_to_the_Stars_and_the_Night_Sky/14663518
この曲がけっこうな音質で聴けるまさかのサイトがあったので、おすそわけ。13分間、ヘッドホンで目をつむって聴き通してください。
これについては忘れがたい思い出がある(以下、くだらないです)。
当時、京都は木屋町のビルの10階にあるバーに僕は入り浸っていた。マスターはアホな男であったが運動神経と料理と音楽のセンスが抜群で、なぜだかやたらと気が合った。僕らは昼間はカポエイラをしたり保津峡の濁流にダイブしたりして夜はひたすら音楽を聴いた。僕がDJし、彼はそれに合わせてジェンベを叩いた。時には夕方から明け方まで音楽が流れた。それが何日も続くこともあった。
ある日、僕、当時の恋人、マスター、彼の当時の恋人の四人ですっかり○○って、自分たちの気持ちのいい音楽ばかりをかけていた。明け方近く、僕はこの"I Offered It Up To The Stars & The Night Sky"をかけた。すると、しばらくしてマスターがぼそっと「なんやねん、誰かドラムに気づいたれや」とつぶやいた。ドラムが地味なりにコールしているのに他はみんな自分のやりたいようにやってレスしないと言うのだ。これになぜか全員がバカウケしてしまい、コロナビールを床にこぼしながら大笑いした。やがて後半、「おお、やっと気づいた!」「そうや、そっちなんや!」「おれたちもいま行くで!」というよく分からないかけ声のなか、爆音が店を揺らし、曲は終わった。四人とも涙ぐんでいた。窓の外ではカラスが鳴き、高瀬川を蒼い曙光が照らしていた。そして僕はナット・キング・コールだかプロフェッサー・ロングヘアだかをかけた。マスターだった男は石垣島に暮らしている。向こうでは一度捕まったが、いまも気持ちのいい音楽を誰かと共有しようとしているそうだ。
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