最近読んだ評論で出色だったのが『SF JAPAN 2008 winter』に掲載された算術級数的次郎冠者によるP・K・ディック論。
これまで日本語で読んだディック論でもっともおもしろい。だいたいディック語りというものはSFマニアか神秘主義マニアかどちらかによってなされ、どちらも退屈なのが相場である。これは、ディックとルイス・ホルヘ・ボルへスを突き合わせてみようというもの(松岡正剛もすこしディック/ボルへスの関連に言及しているが例によって毒にも薬にもならないので無視してよい)で、両者の重複と差異を明晰に嗅ぎ分け、彼らが取り組んだ問題を浮かび上がらせている。ディックにもボルヘスにもしばしば現実とそっくりのニセモノが重要なキー概念として登場し、それが現実を浸食する嘘くさい何かであるととらえるディックと、むしろニセの現実に亀裂を入れ複数の現実への扉ととらえるボルヘスとは、対極にあると分析される。両者は同じく世界のシミュラクル構造を見出していたわけだが、それぞれの選んだベクトルの先にはたして何を賭けていたのか?ということになる。このあたり僕の関心領域ではクロノスを脱してアイオーンかカイロスかということだし、ニーチェの永劫回帰の問題にもつながってくる興味深い問題設定だ。
このふざけたペンネームの論者は実は畏友であり、前々から人間の精神領域のヤバい部分への鋭い分析に敬服していたのだが、いよいよ文筆家としてその実力を発揮しはじめた。お世辞抜きで要注目である。
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文庫クセジュの新刊、ドミニク・ブリケル『エトルリア人』(白水社)の年代表記にモノ申す。
訳注に「とくに明示しない限り、本書の年代表記は紀元前の意味で了解されたい。」とあるように、「○○世紀」「○○年」という表記がことごとく紀元前ということになっている。ややこしいのは1〜5世紀で一瞬BCかADかふと考えてしまい、読みづらい。監修の平田隆一はエトルリアの専門家であり、知りすぎていることが裏目に出た感じだ。煩瑣でも「前」は付けてほしい。
エトルリア人はローマ帝国以前にトスカーナ地方に居住していた民族であり、だいたい紀元前10〜8世紀くらいから当地に都市国家群を成していた。僕はローマ建国神話からさかのぼって彼らに惹かれ、ちょくちょく研究書を読んでおり、本書はフランスにおけるエトルリア学権威の2005年の書で楽しみにしていたのである。おもしろいのは、2005年現在もエトルリア人の「起源」は明らかではない。これは古代から続く論争で、ヘロドトスをはじめさまざまな論が提出されている(小アジア説、ギリシャ先住民族説、イタリア先住民族説、etc)。ブリケルはそれらのいずれもがそれぞれが属する共同体内の政治的イデオロギーを染み込ませたものであることを喝破していく。そしてとうとう「起源」を問うという問いそのものに否を突きつけてしまうのだ。
これは「日本人」にも言えることだ。小林よしのりみたいのがいまも「日本人は単一民族」と吠え、それを信じ込んでしまうひとびとがいる現状、エトルリア人の「謎」の意味をよく考えてみるべきだろう。
それはそれとしてエトルリア人はインド・ヨーロッパ語族でないことは明らかである。この点J・M・ロバーツ『世界の歴史』(創元社)「古代ローマとキリスト教 」篇の記述は彼らを南下したインド・ヨーロッパ語族の一派として読めてしまい、誤解を生む。
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MAGMA来日 5月27日@渋谷 O-EAST
http://smash-jpn.com/band/2009/05_magma/index.php
コルトレーン・ミーツ・ワーグナー、40周年!
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窦唯がBark Psychosisをカヴァーしていた。
この組み合わせは衝撃だった。熱心なファンには常識かもしれないが・・・。僕は窦唯は94年の『黒夢』でファンとなり、98年の『山河水』ではU2やR.E.Mに呼応するフラットなアンビエンスを提示しているのに驚喜し、99年の『幻聴』までは熱心にフォローしていたのだけれど、それ以降の動向は知らなかった。一方のBark Psychosisは知るひとぞ知る孤高の内省ロック。こんなところでクロスオーバーしていたとは!
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