『へうげもの』の単行本がヒットしているからなのか、山田芳裕『度胸星』が復刊すると聞いてひょっとしたら加筆した完成版なんじゃないかと期待していた・・・ちがったみたい。
山田には一貫して「外側からの想像力」へのこだわりがある。「外側への想像力」ではない。内側の規律や常識や見える風景に立脚したものではない。内と外の周縁で、登場人物たちはそれに出会う。『度胸星』において人類が宇宙で出会う謎の存在「テセラック」はその究極の象徴のようだ。だからこそそれそのものは描きつくせなかったのだろうとも思う。そこを経たからこその『へうげもの』だとも思う。今週のもすばらしかった。古田織部にとって外側からの想像力を体現していたかのような利休は、黒樂茶碗の圧倒的に異質な存在感によってその想像力を具現していたかに見えた。が、今週、利休は物と所作と環境によって、茶そのものを世界になじませ・消すにいたるのだ。
そういえば、『しあわせ』って単行本になってる?前に京都の国際マンガミュージアムで探したけどなかった。
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『文學界』今月号の「映画の頭脳破壊」で中原さんが松浦寿輝と対談・・・クローズアップとクレーンの話にがっかりする。クローズアップが下品かとかクレーンを使う映画は好きになれないとか・・・松浦寿輝が何を言おうと興味ないが、アルトマンを愛するあなたがそんなことを言うとは傷ついた・・・いったいアルトマンにおけるズームインやクレーンショットをどう感じとってきたのか?あげくにはウェルズについてまでくだらないことをあげつらっている。その直後にシネフィルの悪口で盛り上がっているんだけど、アップやクレーンが下品だとかいう感性こそがいかにもインテリ然としたシネフィルの通俗性そのものじゃないのかと僕は思う。
カメラ、という視線が、無色透明な特権的なものだとでも信じているのなら、構図というお道徳を守っていればいい。しかし、ウェルズやアルトマンのクローズアップやクレーンはそもそもそうした信仰へのアンチだ。
ウェルズはこの世界のフェイク性にどこまでも敏感で、その合わせ鏡として映画を作っている。『黒い罠』の冒頭のクレーンショットは、シネフィルどもが上品だ下品だと趣味判断するレベルで撮影されてはいない。「国境」の町で、正義(刑事)/悪(悪党)の「境」にいる男。それをウェルズ自身が演じる。世間へのアリバイとして別に主人公は立てているが、構造は『上海から来た女』や『ストレンジャー』や『Mr.アーカディアン』と同じだ。『上海から来た女』でリタ・ヘイワースが演じた役割をここではウェルズ自身が演じているということだ。世界とその鏡像のはざまに生きている人間を、どのような視線がまなざすのか。それは、上品に撮ればいいという次元ではけっしてありえない。誰が見ているのか?映画が見ているのだ。フェイクそのものの視線なのだ。映画にしかありえない、映画にしかまなざしえないショットなのだ。それをスクリーンで見てしまうあなたの眼は、嘘と真実の無限の合わせ鏡のうちの一枚の被膜にいる。それが『黒い罠』の冒頭の3分18秒であり、それを体感し世界を見ることが、あなたを嘘と真実のはざまにたたきこみ現場に居合わさせてしまうウェルズの問いかけだ。あなたもまたそのような世界にたったいまいるのだ。それが感じられなければ、処女作『市民ケーン』も遺作『フェイク』も観る意味などない。
ロバート・アルトマンは、『黒い罠』から34年後の1992年、『プレイヤー』冒頭において8分6秒のワンシーンワンショットをおこなっている。これも上品だの下品などという”感性”にはいっさい関係がない。『プレイヤー』とはどのような映画か?それは、この世界の現実というフェイクのぺらっぺらな一枚を徹底してその薄さにおいて描いたものだ。60名以上の俳優、監督、プロデューサーが実名おりまぜて登場する。映画は型通りに進む。主人公は型通りに行動する。「プレイヤー」とは俳優であり、ゲームのコマだ。まさに現実と同様に、人は運命から逃れることができず、表面をなぞって生きるしかない。これはその表層性をあえてきわめて型通りに描いているのだ。映画の後半、実は主人公にはある決断の瞬間がもたらされる。ここには現実=フェイクの、ゲーム盤としてのハリウッドの、ちいさな亀裂が露呈している。しかし、主人公はその亀裂を無視し、いわばマトリックスの内部に回帰して映画は終わる。これは無論のこと(ハリウッド)映画へのケンカなのだが、これまたおそろしいことに、この映画は、80年代を通じて呪われた監督としてハリウッドを追放されていたアルトマンのハリウッド復帰作であり、さらにそれに対してカンヌから監督賞が授与されてしまうのだ。・・・で、冒頭のロングショットなのだが、ショット中の会話で『黒い罠』がわざとらしく言及されているように、これはウェルズを踏まえたものだ。まさしく中原×松浦対談が如実に示すように、30年以上を経て異端児ウェルズのワンシーンワンショットも完全に映画の技術として複製化し、シネフィルの趣味判断対象として商品化されている。 アルトマンはその現状の表面性を徹底してなぞっているのだ、以前の倍以上の尺をかけて。そこにはむろんのことウェルズの、アルトマンの、フェイクとしての世界への尽きせぬ戦意がひそんでいる。ところが、映画をハイプにする連中はといえば、クレーンショットがダサいとかカッコいいとかおしゃべりしているだけなのだ。そうしたおしゃべりはすでにこの8分6秒間で轢きつぶされていることに気づきもせず。
あ、本当に映画を愛する人に向けて念のため言うと、アルトマンのクレーンショットもズームインもどれも本気ですばらしいです。というかアルトマンこそが現代の映画でそれらを技術的にも倫理的にも完成させている人だと思います。
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・・・で、そうした心あるどなたか、以下の放送を録画していただけないでしょうか。僕にとっては何度でもくりかえし観たい映画たちなのです。どうかお願いします><
●『わが心のジミー・ディーン』 (1982年アメリカ) 本編 110分
wowow 11月14日(水)深夜2:30
●『ナッシュビル』 (1975年アメリカ)本編 161分
wowow 11月15日(木)深夜0:30
wowow2 11月27日(火)午前10:20
wowow3 12月6日(木)深夜4:30
●『ロバート・アルトマンのヘルス』 (1980年アメリカ) 本編 100分
wowow 11月15日(木)深夜3:15
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コジンスキー『異端の鳥』が復刊との噂。
それよりもアルフレート・デーブリーンの『ポーランド紀行』が出ていることに驚いた。『王倫の三跳躍』も『二人の女と毒殺事件』もとっくに絶版だろうに、さすが鳥影社。買おうかな・・・。『ベルリン・アレクサンダー広場』を復刊すればそこそこ売れると思うけど。あれは日本語で前半読み原書で後半を読むというデタラメな読み方をしてしまい、さらになぜかヨーゼフ・ロートの『果てしなき逃走』と頭の中で混ざってしまっている。『ラデツキー行進曲』についでこれもじっくりと読み直したい。
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アガンベン『例外状態』を読了したので、理解の助けになるかと思い文庫化された市村弘正『敗北の二十世紀』を読んだのだが、目当てのカール・シュミットのパルチザン論についての論考を含め残念ながら触発されるところはすくなかった。公共空間と「土地」や「故郷」についての掘り下げがほしい。アーレントについては、『過去と未来の間』の方がここにおさめられた人々とリンクすることが多いように思った。ただとても感動したのは、『「残された」言葉』章で紹介されていたジョナス・メカスの言葉だ。メカスはリトアニアに生まれ、強制収容所・難民収容所を経て、アメリカ人となった詩人・映画監督だ。
昔の故郷をロマンチックに想い描き、それがどんどん膨らんでいきます。だから、もう一度故郷を見、実際に帰って、すべてを最初からやりなおさないといけない。もう一度自分の故郷から離れなおさなくてはならないのです。そのとき故郷は変りはじめます。
これはまったく驚くべきことだ。想起された故郷を、現実の故郷によってやりなおすことで、故郷から「離れる」。そしてなんと故郷そのものが「変わる」というのだ。この発言は映画『リトアニアへの旅の追憶』についてのものなのだが、僕はあの映画を3回は観ていて、なんとなく感じていたことがようやくすっきりした気がする。これはヘルダーリンが帰郷の詩で実践していること、そしてそれについてハイデッガーが言う「近さ」の概念と通低するのではないか。映画をもう一度観なおしてみよう。さらに引用されている文章がまたすごい。
難民が”旅”を自覚しはじめたとき、この二つのもの、ウィルヘルム・マイスターと難民は一体となるのです。少なくとも私の場合はそうなったのです。ウィルヘルム・マイスターと難民は新しい故郷で出会い、二人とも同じ故郷をもっているのを発見する。それが“文化”という故郷です。/それでも、ウィルヘルム・マイスターの運命と難民の運命が”文化”のなかで出会うことはきわめて稀でしょう。多くの場合、その前に人は死んでしまうからです。難民の第一世代は、彼らの瞳のうちに古きよき故郷のすべての記憶を残しながら死んでいくのでしょう。
故郷をみずから離れ世界に出会おうとする旅人=ウィルヘルム・マイスター(ゲーテ)と、故郷を焼かれ追われて世界を流浪する難民とが、自覚された”旅”において一体となる。そこで発見される「新しい故郷」こそが「文化」である、と。まさしく、ドイツの、アメリカの、そしてリトアニアの、日本の文化はそのようにして生まれている。なんて遠く遠くまでみはるかす認識なのだろう。カレン・カプランは『移動の時代』を書く前にこの言葉に出会うべきだった。
http://www.amy.hi-ho.ne.jp/morikuni/mekas1.htm
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