恋人と新宿御苑の芝生に寝転んでぼーっとしたのが今月最高の幸せの瞬間。門限チャイムにせかされて出て、そのまま模索舎をのぞく。アガンベンの『例外状態』もう出てたんだ。
僕の中での彼の頂点はパウロ論の『残りの時』で、すこし前にそれとベンヤミン『歴史哲学テーゼ』、『アウシュビッツの残りのもの』、ユベルマン『残存するイメージ』および『イメージ、それでもなお』、そして小島信夫『残光』についてをメインに膨大なメモを書いてみたのだけど、前のパソコンの中に放ったままだ。『残りの時』はベンヤミンから受け継いだ時間論を(かなりあやうい足取りではあるが)真っ向からとりまとめたもので、アガンベンの論考でももっとも過激でもっとも本気だと思う。『パサージュ論』の「アポロの切断」の指摘とかすごいかっこいい。世間ではそれこそホモサケル〜例外状態のラインでしか読まれないからもったいない。さらに言うと、日本の神学界から大貫隆『イエスの時』というこれまたすばらしいアガンベンのパウロ論への回答が出されていることもあまりにも無視されている。
http://www.iwanami.co.jp/moreinfo/0221540/top.html
大貫は『聖書の言語を超えて』での初期否定神学論もすばらしいので、神学シーンを超えて読まれるべきだ。暇ができたらアガンベンの時間論と併せてしっかり紹介してみたい。
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それとついでではないが、瀬戸一夫という科学史家が中世神学を時間論的に独創的な解釈をしているのももっと注目されてほしい。『時間の民族史 教会改革とノルマン征服の神学』、『時間の政治史 グレゴリウス改革の神学・政治論争』、『神学と科学 アンセルムスの時間論 』など。『時間の民族史』について昔書いたメモを引っ張り出すと、、、
「「時間」について、日本人によるかなり独創的な歴史研究。中世に至る西洋の歴史を、権力がいかに「時間」を奪取し操作することで成立してきたかという観点から問い直す試み。
いかんせん叙述の方法に瑕疵あり。教会/王権の二権力の緊張関係をえんえんと追っていく前半は、西洋史に初めて触れる人間には新鮮かもしれないが、普通の歴史書で事足りる部分がほとんど。あくまで権力の時間論分析というポイントを押さえて軸を通すべきだろう。ただしヘブライの民が荒野ではぐくんだ時間”感”を想像する下りはファンタジックで感動した。
注目すべきは、中盤のローマ教会中枢におけるペトルス=ダミアニによる時間論と、11世紀イギリスのキリスト教世界を掌握したカンタベリー大司教ランフランクスによる摩訶不思議な時間論に集中する後半だ。西洋、そして民族国家、さらに権力そのものが、「時間」を通してその身体を肉付けしていく様が徹底した傍証をたどりながらリアルに描かれ、その醜さだけではなく、さらには突破の可能性までがかすかに示されるのだ。たしかにここまで行かなくては、現在とはまったく異なる時間観を持つ中世に流れる時間と、権力の秘密は理解どころか想像すらできない。
わたしたちは、異なる時代、異なる場所においては、わたしたちがごく当たり前のこととして予め受け入れている時間観とは決定的に断絶する時間観が存在していることを知らねばならない。そしてまた、わたしたちを予め縛るいまここの時間こそが、権力システムにとっての最大の武器であることも。」
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ついでにネグリについても。ちくま文庫から講演集が上下巻で出ていて、マルチチュード』以降について平易に語ってくれているんだけど、楽しみにしていた『実質的時間と搾取の時間』がひどく読みにくいものになっている。『Time for Revolution』について語っているのだけど・・・すごく残念!これだと普通にネグリ入門として読んだ人は何がなんだか分かんないだろうなあ。
前から言っているけど、2003年に英語で出たネグリの『Time for Revolution』はものすごく重要な書物で、『<帝国>』時間論版みたいなもので、つまり<帝国>って概念は非常に形象的なのでみんなあまりにもトポロジカルに受容してしまうところがあって、ネグリにはあくまでベンヤミンを踏まえたカイロス的まなざしが根底にあるんだっていうこと、<帝国>はトポロジーとクロノロジーの両輪でとらえなければならないということが、これを読むと分かるんだ。上のアガンベンなんかとも真の意味で同時代的に呼応するというかむしろリードしていたんだってことも分かる。本当は『マルチチュード』とともに訳されるべきだった。
で、そういう理解がすっぽ抜けた日本だと、ネグリを左翼の最後のロマンチックな残滓として捨て去る反動につながってしまうんだ。911、アフガン、そしてイラクが誤解を加速させたのもあったな。やっぱり<帝国>じゃなくて「帝国」じゃん!という。『<帝国>』邦訳直後に、訳者をまじえた勉強会みたいなのに顔を出したことがあったのだけど、サヨクインテリの典型的な自虐ごっこで学ぶことゼロだった。最近、知り合いの知り合いで5年ほど前はオシャレにネグリをもてはやしていた人がいまや桜井よしこにはまっているという凄惨な実話を聞いたばかり。。。
これなんかはある意味で典型的な反動だよね。サッセンを持ち出して国家に帰るという。
http://www.miyadai.com/index.php?itemid=572
講演集は時間論紹介の他は読みやすいのでおすすめです。最初の『<帝国>とその彼方、アポリアと矛盾』17p〜でも空間・時間的把握について分かりやすく解説してくれているよ。それと、ひさしぶりにネグリを読んでみてやはりドゥルーズの影響の大きさも感じた。この世界がもはや外部を持たないという認識。それはドゥルーズの政治的活用なんだ。
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唐十郎@鬼子母神。雨の中、赤テント前に並んでいて気づいたのだけど、前回来た時も雨だった!芝居はベタですごく楽しかった。言葉がイメージしりとりみたいにどんどん展開していって、そのイメージが舞台で形になっていくさまはひたすら快感。同行した元演劇人のYさんは野田まっぷぽいと言っていたが全然違うと思うなー。しかし細部細部は楽しいのだけど、貫くテーマと軸が弱すぎて泣くことはできない。それと主役級以外のキャラがかかえているドラマも弱い。たとえば院長はなぜ冒頭でレーム(ナチス突撃隊)のコスプレをするのか。メインのレイテ島の話につなげればいいのにー。かかえている悲劇の必然性が描かれないから、細部が寸断されて単に脇役は傍流でしかなくなってしまう。芝居がひけた後、近所にお住いの小説家Iさんの行きつけのお店、そしてご自宅にてコーヒーをごちそうになる。こわもての印象だったけどとても優しくて繊細な人。猫と遊ばせてもらったり、やくざの挨拶状のコレクションを見せていただいたり。
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恋人とその友人と、ゴールデン街へ。森敦の色紙のある店へひさしぶりに。友人もとても個性的でおもしろい。中沢新一のダメなところとかジョン・ウォーターズの『アイラブペッカー』についてなど、とりとめなく。終始笑っていた、いい夜だった。
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