八王子のクラブで朝まで。風邪をおしていったので終始夢っぽい感じ。というか状況がすでにすべて夢っぽい。僕たち音楽の味方です、な6時間。みんなキュートすぎる。置石弾冗っていう少年兵みたいなルックスのDJはこれから注目です。DJ KAZUMAとかより全然すごいぞ。虹釜さんから長年気になっていた不知火のドラムンベース剣士JIGENの衝撃の正体を知らされ驚愕。えー!?(秘密)
一緒に行った人の純粋さ、天才さに惚れなおす。
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アラスター・グレイが奇跡の2冊邦訳刊行。
『哀れなる者たち』、そして『ラナーク』!!!
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河東碧梧桐の『三千里』『続三千里』ほしい。
道後温泉でぐうぜん書を見て、鴬谷の子規庵向いの書道博物館に見に行ったりして、どちらかというと書家としてなんとなく知っていただけだったのが、がぜん句作に興味がわいてきた。岩波文庫に入っていた子規論も読んでみるか。
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ヴェンダース『リスボン物語』がいつのまにか廉価DVDに。
これは池ノ上でAMEPHONEさんに酔い語りしたことなんだけど、メモしておく。
賈樟柯が初期作品においておのれの故郷(中国の山西省)を舞台としたのは、ヴェンダースの軌跡をフォロウィングしている。ドイツを舞台にした初期作品は、「世界」に対するローカルな故郷を交換不可能なかけがえのない場所として/同時に失われた場所として描いていた。しかし、そこで他者としてのアメリカと出会う。77年の『アメリカの友人』だ。必然的に『ハメット』が、『パリ、テキサス』が撮られる。ここで世界への視線、欲望が生まれる。するとドイツ/ベルリンは、世界都市として『ベルリン 天使の詩』となる。必然的に世界映画としての『夢の涯までも』『時の翼にのって』が撮られる。当然それは無残な失敗となる。同時並行するように世界の隅=ローカルへの愛も噴出する(『東京画』)。ローカルへの反動は世界映画の断念ののちはさらに加速し、それが『ブエナ・ビスタ・ソシアルクラブ』(駄作)であり『リスボン物語』(怪作)だ。この、世界とローカルの対立と往還は「視線」に象徴されていて、『ベルリン』の天使目線やモノクロ/カラーや『東京画』のアングル、『夢の涯までも』の夢を映像化する機械、『リスボン物語』の盗撮、『エンド・オブ・バイオレンス』の監視カメラ、『ランド・オブ・プレンティ』の車内カメラ、などにあらわれている。賈樟柯にとっての『ベルリン』が『世界』に相当するんじゃないか。『長江哀歌』については、もちろんカンヌで審査委員長だったドヌーヴなんかに映画がわかる訳はないんでヨーロッパでの受け取られ方はシンプルなオリエンタリズム、つまりローカルなものとしてウケているんだろうけど、映画自体はもっと複雑で、あれは舞台が四川省で監督にとっては「外」な訳で、それは主人公の男が山西省だってことにこめられていて、賈樟柯は『水没の前に』を撮った現地クルーを雇いあげて撮影を完遂している。つまり、オリエンタリズムは実は映画自体の中にすでに織り込まれていて(山西省→四川省)、あそこでの長江というのは世界最大のプロジェクトが進行する古都、現実と非現実が折り重なる「世界」としての場所であって、つまり世界映画なのであって、ヴェンダースが誠実のあまりに放擲した世界映画への欲望に彼がこれからいかに向き合うかが注目される…あ、ヴェンダースで観る価値が無いのは『ミリオンダラー・ホテル』くらいで、『リスボン物語』はおすすめ。
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明日もありえない出会いが予定された。
すごい人がウチに来ちゃうーーー
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