いままで会った人間のなかで、対面してつい気圧されてしまった例がいくつかある。そのひとりが、野中広務だ。琉球唐手の達人のような硬く締まった存在感があった。
野中広務/辛淑玉『差別と日本人』を読んだ。
http://www.kadokawa.co.jp/book/bk_detail.php?pcd=200810000321
魚住昭『野中広務 差別と権力』がおもしろくて同著者の村上正邦のも読んだがこちらはおもしろくなかったので、やはりあれは野中本人が醸しだすおもしろさだったのだろう。ふるまいはきわめて自民党的でありながら、その信念においてはなぜ自民党にいるのだろうと思わせるどこかアンビヴァレンツで奇妙な政治家だった。だが小沢一郎のようにヌエではない。一貫していた。
野中は被差別部落出身であることを公言し、ある意味ではそのことを政治的に使ってきた。それが良いか悪いか上手に切り分けられるラインなどない。ただ、彼が地元でも東京でも金集めのためのパーティーを一度も開かなかったということなどから、見えてくるものはある。沖縄や、中国や、北朝鮮や、障害者への態度から見えてくるものはある(が。僕は京都に暮らしていたから、京都の被差別部落のことも、同和行政や市役所内の問題のことも多少は知っている。歪みを目の当たりにしている。野中は足下でいったい何をやっていたんだと業腹に感じるところも少なくなかった(伊吹文明なんかに比べたらはるかにマシとはいえ))。
辛淑玉がいい。強い相手に媚びずおもねらず、噛みつくべきところに噛みつく。対談の合間合間に彼女の解説や感想が入るのだが、どれも的を射ている。例えば、
「「野中広務」という政治家は、談合で平和をつくりだそうとする政治家だった。オバマは、演説で平和をつくるのかもしれないけれど、野中氏は、そんなものは信じない。人間の欲望や利権への執着といった行動様式を知り抜いているからこそ、それらをテコに、談合と裏取り引きで、平和も、人権も、守ろうとしたのではないだろうか。それも生涯をかけて必死で。」
野中も、辛も、いわれなき差別にさらされ、それと闘ってきた。
差別する心性は醜悪だが、困ったことに、誰にでもある。クズであればあるほど、自分自身がカラッポであればあるほど、自分がたまたま属している階層に頼るしかない。他の階層を叩くことで自尊心をたもつしかない。そのような心性のありようを利用すれば社会というものは保持しやすいと考えたやつらがいた。嘘を塗り固めるうちに騙している側も嘘を信じこんでいった。差別は再生産されていった。
辛は、阪神淡路大震災のときに神戸の在日朝鮮人の密集地に入り一ヶ月にわたり救助活動をおこなったのだそうだ。そのとき彼女の脳裏にはかつて関東大震災で朝鮮人が虐殺されたことがよぎっていた。神戸では在日朝鮮人の死亡率は日本人の1.35倍以上だったという。地域が差別を受けるのを忌避してあえて補助を受けなかったことで住宅が密集していたのが原因のひとつとみられる。その地を「ふるさと」と呼ぶ在日の先輩に出会ったことに触れ、言う。
「私自身、東京がふるさとだと思ったこともないんですね。まったくないです。日本がふるさとだと思ったこともない。韓国も北朝鮮もふるさとじゃない。ずうっと、朝鮮人だからと居を転々と追い出されているわけですから。でも、ふるさとだと思っている在日がいた。その、彼にとってのふるさとが壊滅的に全部なくなってしまった。その現実に直面した時、なんか少し自分が変わった気がするんですね。」
とてつもなく大切な感覚がここで閃いている。
たとえば姜尚中や、宮台真司や、小林よしのりが、自分たちの「ふるさと」をパトリ(郷土)と誇らしげに言うとき、「浅いよ。」と思う。ネット右翼が「生まれた国を愛して何が悪い!」とすごむとき、「悪かないけど、薄っぺらいよ。」と思う。その程度の実感なんて、百年の昔にさえ届くものか。二つ、三つの国境さえ越えられるものか。20世紀の植民、移民、難民の歴史の実感をすっ飛ばして何が思想かよ。累々たる屍が風化した跡地でガキどもが「ふるさと」ごっこをしているだけではないか。
「ふるさと」に生まれたことで差別されるということ。
「ふるさと」が「まったくない」と感じて生きていくということ。
ここにこそ、20世紀がとらえきれなかった、21世紀のいまも不可視であるところの「ふるさと」=ハイマートの問題への突破口がある。政治も思想もつくづくこの問題に正対してこなかった。ルーマニアに生まれドイツ語で書きパリに死んだユダヤ人、パウル・ツェランの詩は理解されなかった。ここからなのだ。このような感覚を持つ彼らをいかに受けとめるかなのだ。
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