9月11日。あの911テロの日から、9年がたった。
杜甫の「兵車行」を授業で読む。反戦を訴えた格調高い詩だ。
車麟々 馬蕭々 車麟々 馬蕭々
行人弓箭各在腰 行人の弓箭 各々腰に在り
耶嬢妻子走相送 耶嬢妻子 走りて相送る
塵埃不見咸陽橋 塵埃に見えず咸陽橋
牽衣頓足蘭道哭 衣を牽き足を頓し 道を蘭りて哭す
哭声直上干雲霄 哭声 直上し 雲霄を干す
車はごろごろ、馬はひひーん。
最初に擬音語から始まり、そのあと生々しい出征の様子が描かれる。
この兵士たちの進みゆく情景は、何度読んでも胸が痛むところだ。
行く者たちはみな、腰に弓をたずさえている。今で言えば、銃をかついでいる。
彼らを見送る家族の様子が、痛ましい。
老いた父母は衣を引いて、行くな息子よ、年寄りを捨てていくのかと泣く。
新妻は道をさえぎって、私を置いていくの、どうして暮らしたらいいのと泣く。
そして、いたいけな子どもらは地団駄を踏んで、父ちゃん行かないでよと泣く。
その多くの人たちの、何千何万という肉親たちの慟哭の声。
耳を聾するばかりの鳴き声が、都の咸陽の大空へ登り雲を突き破り天に達する。
もうもうたる砂塵と車馬の轟音に、それもかき消されてゆく。
この描写のリアリズム、今読んでも色あせることがなく目に見える。
道旁過者問行人 道旁の過ぐる者 行人に問う
行人但云点行頻 行人但だ云ふ 点行頻りなり
通りすがりの者が、歩いて行く者に、なぜどこに行くのかと問うた。
この過ぎる人とは作者の杜甫のこと、行く者とは兵士のひとりだろう。
彼はただ答えた。「徴兵がひっきりなしなんです」と。
そして、重い口を開くと、語り始める。
或従十五北防河 或は十五より 北河を防ぎ
便至四十西営田 便ち四十に至って 西田を営む
去時里正与裏頭 去る時里正 与に頭を裏む
歸来頭白還戍辺 歸来し頭白く 還た辺を戍る
辺庭流血成海水 辺庭の流血 海水を成すも
武皇開辺意未已 武皇 辺を開く意 未だ已まず
ある者は15歳、まだ中高生のころから、北の黄河地域で防備にあたる。
本来は二十歳過ぎが徴兵だが、学徒出陣のように若い者も引っぱられた。
兵役は数年どころではない。四十になっても、西方で屯田兵をしている。
立つ時は、尊重が頭をなでて包んでくれたのに、帰り来た時はもう白髪。
その年になってもまだ、辺境の防衛に向かわされて休まるひまもない。
辺境で異民族との間で流される血は、海水のようである。
この海の水も血にそまるほどだという表現が凄惨だ。
しかし、武帝はまだ、周辺民族を侵略する意図を捨てることがない。
ここで、漢の武帝になぞらえられているが、実は当時の唐の玄宗を暗に指す。
昔の逸話にかこつけ、現在の軍国主義を批判する、杜甫の風刺精神の高潔さ。
君不聞漢家山東二百州 君聞かずや 漢家山東の二百州
千村万落生荊杞 千村万落 荊杞を生ず
縦有健婦把鋤犂 縦い健婦の 鋤犂を把る有るも
禾生隴畝無東西 禾は隴畝に生じて 東西無からん
況復秦兵耐苦戦 況んや復た 秦兵は苦戦に耐ふと
被駆不異犬與鶏 駆らるること 犬と鶏に異ならず
あなたは聞かないのか。
この呼びかけは、行く兵士から、作者の杜甫に向けてだろう。
しかし、皇帝に対して、君主よ、あなたは、と呼びかけているようにも思える。
漢の王室の山東地域の二百州の、千万の村々の畑には茨の雑草が生えている。
もし、健康な婦人がくわやすきをとって耕そうとしても非力で無理である。
雑草はあぜやうねに生えて、畑は東西もわからないくらいに荒れ果てている。
男手をとられ、食べるものもなく、村人たちは飢えに苦しまねばならない。
まして、もと秦の国のあった西方の兵隊たちは戦に強いと言われている。
そこで、まっ先に徴兵され酷使されているが、犬や鳥のようなひどい扱いだ。
これは、秦がかつて漢の国と敵対していたという歴史的経緯もありそうだ。
そうした、地域的・民族的な差別をも、この詩は訴えているように見える。
長者雖有問 長者問う 有りと雖も
役夫敢伸恨 役夫 敢て恨を伸べんや
且如今年冬 且つ 今年の冬の如きは
未休関西卒 未だ休せず 関西の卒
県官急索祖 県官 祖を索むるに急なり
長者であるあなたが私に問うたとしても、兵士の私は恨みを答えられましょうか。
長者とは作者の杜甫のこと、兵士とは問われた若者のことだろう。
訴えたい恨みつらい、政府や皇帝に対する不平不満は多々あるに違いない。
しかし、それを語れば、自らがしょっぴかれてしまいそうだということか。
そう言いながら、しかし彼はどうしても、恨みを述べずにはいられない。
今年はおそらく寒かったためか、不作の年だったのだろう。
しかしそんな年の冬でも、西の地域の徴兵はやむことがない。
県の官僚たちは、税金を求めることに厳しい。泣き面に蜂、役人はむごい。
信知生男悪 信に知る 男を生むは悪しく
反是生女好 反って是れ 女を生むは好きことを
生女猶得嫁比鄰 女を生めば猶ほ 比鄰に嫁せしむるを得るも
生男埋没随百草 男を生めば 埋没して百草に随う
まことに私は知るのだ、男を生むのはいけない、女を生んだほうがいいと。
これは男尊女卑で、地方では男子が今でも優遇されている中国社会では皮肉だ。
なぜなら、女を生めばまだ隣村に嫁にも行かせられる。
しかし、男を生めば、兵士にとられて、行く末は野末に埋没して白骨となる。
君不見青海頭 君見ずや 青海の頭
古来白骨無人収 古来の白骨 人の収むる無く
新鬼煩冤旧鬼哭 新鬼は煩冤し 旧鬼は哭し
天陰雨湿声啾啾 天陰り雨湿れば 声啾啾
あなたは見ないのか。また、相手に対する問いかけが生々しい。
最後に、詩を読んでいる読者自身にも問いかけているのだろう。
蒼海とは、地図を見ればわかるが、中国の西の西、辺境の果てにある湖だ。
そんな僻地につかわされて、異民族との戦いで兵士たちはばたばた死んでゆく。
もはや、骨を拾いに行くものもいない。野ざらしである。
ふとニューギニアなど南方戦線で死んでいった日本兵たちの遺骨を連想する。
新しい幽霊は憤慨して泣き、古い幽霊はあきらめて泣く。
天が曇り、雨がじとじとと降る陰気な日。ほら、耳を澄ませてごらん。
どこからか、幽霊のしくしくと泣く声が聞こえてこないか。慄然とする言葉だ。
北方のアッツ島で、今も泣く声が聞こえ、幽霊の気配が感じられるという。
古代にこれだけ見事な反戦詩がある。ひるがえって、現代を見てみよう。
イラクに今も、米兵たちが派兵されている。そして、次々に死んでゆく。
米兵の犠牲者は、すでに9・11テロの被害者の数を上回っているという。
復讐は復讐を生む。若い兵士たちは死に、家族たちは嘆く。今も昔も。
今こそ、武器を捨てて、平和を目指そう。本来の聖書の教えに従って。
主は国々の争いを裁き、多くの民を戒められる。
彼らは剣を打ち直して鋤とし、槍を打ち直して鎌とする。
国は国に向かって剣を上げず、もはや戦うことを学ばない。(イザヤ2:4)