8月最後の土曜日。高校時代の同窓会に出かけてきた。
卒業してからもう三十年、なつかしさにひたる。
雨がちの天気。西荻窪の駅からタクシーで井の頭通りの校門前につけてもらう。
門を入ると正面に通称「愛の泉」と呼ばれる噴水が見える。
この校舎で学び、クラブに行事にいそしんだ日々か思い起こされる。
そして肩を組んで共にいくたびも歌った、あの学友歌の響きが耳によみがえる。
長き世紀の中庸の 茨なす歴史の野辺に我等ぞ立つ
地に落ちよひと粒の麦 実れわが命の枝に
知恵の葡萄の房ひとつ 新しき未知なる時の先がけに
おお おお 栄光よあれ……
目の前をもうひとり、中年の男性が歩いている。
「会館はどちらでしたっけ」「私も捜しているんですよ」
見ると、昔の同級生のひとりだった。文化祭の準備をしている若い高校生に尋ねて、一緒に会館に行く。
会場の畳の広間にはすでに多くの同窓生がいて、久闊を叙していた。それぞれテーブルごとに決められたクラス割になっている。名札をつけていないと誰だかわからない人、あるいは鮮明に昔の記憶のままの容貌を残している者。
けれどもいずれも、三十年の年輪の跡はその面に刻まれている。
「変わらないね、昔のままだな」「でもおじさんになったね」「おまえこそ」
そんな会話を交わしながら、缶ビールやソフトドリンクで乾杯する。
差入れで焼酎が二本あったのだけど、その銘柄が「西の星」「一粒の麦」。後者は学友歌の「地に落ちよひと粒の麦」に由来するのだろう。
一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。
だが、死ねば、多くの実を結ぶ。(ヨハネ12:24)
これに限らず、この学友歌には「よしたとえ死の谷陰を渡るとも」といったふうに、聖書の引用が多い。公立校だけどきっと作詞者がクリスチャンだったのではないか。
高校生の時に、繰り返しこの歌を歌いながら、いつの間にかその精神を心に刻んでいたのかもしれない。そんな導きを感じた。
お互いの近況や旧友の消息などよもやま話をしていると、それぞれがそれぞれの決められた場で用いられて、いわばまかれた麦の種として芽を出して、豊かな実りの穂を結んでいる。この歌の精神は実現されていると感じた。
この学び舎で受けた知恵の葡萄の房を生かして、死の谷陰を渡るような試練をも恐れず前向きに進んでゆきたい。
恩師の方々が招かれていたのも懐かしかった。もう七十、八十の老境だけど、今だにお元気でスピーチにもユーモアがあり頭脳のほうもご健在のようだ。
思えば、先生方の専門的に深く興味を喚起する授業に憧れて私も教職を選んだのだった。この仕事で良かったのかと悩んだこともあるけど、このようにいくつになっても先生が生徒たちから敬われているのを見ると、ありがたいことだと思った。
土曜の昼過ぎから始まった一次会は、百数十名という盛況のうちに終わり、先生方を交えてみなで記念写真を撮った。折からの夕立の豪雨にもめげず。
「次は四年後、ロンドンの年に」と再会を期して。
「君たちの人生はこれからが円熟期」との恩師の言葉を胸に抱いて。
その後、夕刻からは会場を移して、近くの大きなライブハウスで高校時代の民音の復活ライブと、交流会が予定されていた。
けれど私は、そちらは失礼させていただいた。実は時間や費用の問題ではなくて、誘惑を避けたのが主な理由だった。
高校時代に好きだった、あの人……
同窓会というのは、青春の甘酸っぱい想いをよみがえらせてくれるものだ。
そして、そうした誘惑に私はとても弱い人間だと知っているから。四年後にはもっと強い人間になって会えるだろうか。