韓国の教会はどこも大きく、そして何よりも親切です。
nikkouさんのブログを読んでいたら、韓国の教会で歓迎された話をされていて、それを読んでいるうちに、昔、私が訪れた時のことを思い出しました。
韓国でもクリスマスの時期になると、街が飾られるところは日本と同じです。でも違うのは、書店に行くとどこでも聖書のコーナーがあること。大小さまざまな種類の聖書が並べられ、人々がクリスマスプレゼントに選んでいます。
韓国にはたくさんの教会があります。なにしろ人口の3割はクリスチャンなのですから。建物の特徴として、どこも赤い十字架を掲げていることがあります。しかもそれが、夜になるとネオンサインのように点灯するのですね。
初めて韓国に行ったころ、夜になってソウルの高台から見下ろすと街中、赤く輝く十字架の海となって見える光景が、なかなか壮観でした。街だけではありません。田舎を夜行列車で旅していて、車窓の外を眺めると、どんな田圃の中でも山の中でも、沿線に赤い十字架の絶えることがありません。心励まされる光景です。
「時は満ち、神の国は近づいた」(マルコ1:15)
私が初めて礼拝に参加した韓国の教会は、木浦の教会でした。「木浦中央教会」という名前だったと思います。旅行中の日曜、どこかの教会の礼拝に出たくて、ちょうど目に付いた煉瓦造りの教会に入ってみました。
立派な教会で、千人は入るでしょうか。私が日本で通っている教会は三百人規模でそれでも大きなほうですが、韓国に行くとその何倍も大きな教会がどこにでもあるのです。礼拝が始まると、多くの聖歌隊の讃美歌の合唱に生の演奏がついて、トランペットやホルンまであって、その響きは天使のラッパのように晴れやか。牧師の説教は韓国語でよくわかりませんでしたが力強いものですし、会衆も真剣に聞いています。
けれども私が最も感銘を受けたのは、日本のプロテスタントの教会の礼拝とほとんど全く変わらないということでした。少し順番が違うくらいで、私の通う教会とまるで同じ。
韓国の教会というとよく報道されるのは、憑かれたように激しく祈るシャーマニズムと聖霊信仰の融合したようなペンテコステ系の教会とか、統一協会やMS教のような異端の教会。話題性から取り上げるのでしょうが、実は大部分の教会は、日本の教会と同じオーソドックスな教会だということがわかり、涙が出るほどうれしかったです。
この国なら、日本と違ってクリスチャンでも多数派で、遠慮せずに心おきなく礼拝できるなあと思いました。ここに住みたいと思ったくらい。
しかも、礼拝の終わった後、日本から来たということで温かく歓迎され、牧師先生ともお話しいただき、お食事までご馳走になってしまいました。
彼らは、使徒の教え、相互の交わり、
パンを裂くこと、祈ることに熱心であった。(使徒2:42)
その日の夕方、韓国では「天主教」と言われているカトリックの教会ものぞいてみました。道を歩いていると、どこからか妙なる聖歌が聞こえてきたのです。それは日本のご詠歌のように素朴な響きを持った、女声の合唱でした。
声に魅かれていくと、瀟洒で清爽な聖堂があります。入ると、色とりどりのステンドクラスの聖画が鮮やか。会堂の中をそっとうかがってみると、マリア像の前でベールをかぶって静かに歌い祈る、十数名の地元のおばさんの信者さんたち。邪魔にならないようにそっと辞しましたが、心洗われる思いがしてここもいいなあと思いました。
その後、釜山を訪れた時も、日曜にふらりと宿のそばの「釜山聖潔教会」というところに入って礼拝したのてすが、木浦の時と同じ、オーソドックスなプロテスタントの教会でした。ここでも歓迎されたことは言うまでもありません。
話をしているうちに、懐かしい思いがして、また行きたくなってきました。
いつか日本も、韓国のように多くの教会が建って、人々が導かれますように。