伝説365日
そんな話があったとさ!
7月1日
童話の日

今日は1984年(昭和59年)に日本童謡協会が定めた「童謡の日」「童話の日」である。それは1918年(大正7年)の著名な作家人によって創刊された童話・童謡誌「赤い鳥」に因む。主宰者は鈴木三重吉。長女 “すず” のために書き始めた童話だったがこの雑誌は以後、童話・童謡の原点ともなった。
「童話」というのは江戸時代からの言葉で、昔話の事を指す。明治頃から幼い幼児向けの昔話はお伽噺」とか、動物ものは「寓話」と区別する場合もあったが、伝説・民話・神話・創作ものなど全般を「童話」または「児童文学」と呼んでいる。童話は最高の情操教育である。そして幼児に語り聞かせる “初めての人” は “両親” であってほしいなと…
7月6日
髪・ピアノ・花

1823年、27歳で長崎にオランダ(…人になりすまして入国したドイツ人…)医師が着任して来た。その5年後、御禁制の地図など(調査のため集めた品物の中に日本地図や将軍家の家紋・葵の紋付きの着物など、当時、国外への持ち出しが禁じられていたもの)を持ち出そうとしたとして、日本を追放になった事件がある。シーボルト事件と呼ばれている。医師のシーボルト…正確には
フィリップ・フランツ・バルタザール・フォン・シーボルト…長い。彼は、日本で共に暮らす “おたき”(楠本瀧)との間に、女児 “おいね”(楠本イネ)を儲けていたが、おいねが二歳八か月の時の国外追放だった。シーボルトに協力したとされる29名が厳しい処分を受けた。シーボルトは、おたき・おいね母子の頭髪を紙に包んでオランダに持ち帰ったという。着任時に持ち込んだシーポルト愛用のピアノは、彼の親しい理解者であった「豪商熊谷」氏に贈られて、現在も山口県萩市に現物が保存されており、今も当時の音色を奏でている。シーボルトが “おたき” をこよなく愛した足跡が残っている。彼が日本から持ち帰った花・紫陽花(アジサイ)には学名“ハイドランジア・オタクサ”と命名されている。“愛するおたきさん”という意味である。1858年(安政5年)に「日蘭通商条約」の締結の翌年、追放から30年後、63歳のシーボルトは娘のおいねと再会。1961年には幕府の “外交顧問”となって再入国から3年間滞在ののち帰国。その4年後、70歳の生涯を閉じた。
7月7日
棚機(たなばた)
中国の織女・牽牛の伝説…天帝の娘・織姫が働き者の夏彦と恋に落ちた。天帝は二人の結婚を認め、めでたく夫婦となった。しかし、織姫は機を織らなくなり、夏彦は牛を追わなくなって夫婦生活が楽しむばかり。天帝は怒り、天の川を隔てて二人を引き離した。そして、年に1度だけに会うことを許した。雨が降って天の川の水かさが増しても、どこからともなく無数のカササギが現れて自分たちの体で橋を架け、織姫と夏彦を会わせてくれたという…天帝の陰の愛でしょうか…
「七夕」という語は日本神話『古事記』の「棚機津女(たなばたつめ)」に由来する。水辺に棚を構えて機(機織り機)を用意した。村で選ばれた穢れ(けがれ)無き乙女が、その棚で織物を織って降臨した神様に捧げるためだ。そして神様の一夜の妻となって仕える事で村の災厄と疫霊をお祓いできると信仰された。その女性の事を“棚機津女”と呼ぶ。
かけまくも かしこきいざなぎのおおかみ。
つくしのひむかのたちばなの をどのあわぎはらに。
みそぎはらいたまいしときに なりませるはらえどの おおかみたち。
もろもろのまがごと つみけがれ あらむをば。
はらえたまい きよめたまえ とまをすことを きこしめせと。
かしこみかしこみ も まをす。
7月17日
ポンチ絵

手塚治虫のご命日“2月9日”と並んで「漫画の日」とされる。「ポンチ絵」とは「漫画」のルーツ語といえる。明治から昭和に活躍した伝説の漫画家・北澤楽天が定着させた語というが、「ポンチ絵」とは、イギリスの雑誌「Punch,or the London Charivari」(1841年刊行)の日本語版「Japan Punch」に由来する。「ジャパン・パンチ」を創刊したのは、特派員画家:チャールズ・ワーグマン。幕末から明治期の日本の様子がポンチ絵によってイギリスに伝えられた。ワーグマンは薩英戦争が勃発した1863年に日本人女性の小沢カネとの間に長男(一郎)を儲けているが、現在、子孫は絶えている。