2017/4/10

ミュシャ展<スラブ叙事詩>  

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私はその昔、20歳くらいまでマンガを描いていましたので、アールヌーボーポスターのミュシャを見た時には衝撃を受けました。マンガと同じくっきりとした輪郭線で画面構成もマンガの扉絵のようにキラキラしていて、でもヨーロッパ、パリの大人の香りがして日本の少女マンガにはない本物らしさがあったからです。

それでその昔東京で開催されたミュシャ展には行ったし、やがてマンガとは縁遠い人間になったので、今回の企画展にもそれほど期待してませんでした。
1つの点を除いて。

それは「スラブ叙事詩」という巨大なシリーズの本邦初公開(てかチェコ国外初公開)・・・これは初めて見るな?

「スラブ」という言葉が引っ掛かりました。どうやらミュシャの故郷らしい。
パリで成功をおさめた画家が、故郷を、つまりは自分のルーツをテーマに取り組んだもの。

しかし私には「スラブ」の知識は、ロシアの、それも革命あたりからの近代史くらいしかわかりません。

でもだからこそ、東京で見られるこのチャンスに行ってみれば何かがわかるかも・・・と予習もなしに見に行ったのでした。

おそらくスラブを広く世に知らしめたいからこそ、アールヌーボーの大家が晩年に力を尽くしたのでしょうから、遠い極東の地で、その心、受け止めました!

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上は「聖アトス山(正教会のバチカン)」「スラブ民族の讃歌」という華やかで神々しい2枚でした。しかし、バチカンでも光の下にいる人たちは何やら苦しげではありませんか?

しかも上の2枚は叙事詩シリーズ20枚の中でもかなりキラキラした方で、他は戦争画や華やかではないキリスト教の絵がほとんどなのでした。

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そうです。ロシアを含む東欧は、ゲルマンなど他民族に追いやられヨーロッパでは辺境として辛い歴史を歩んだようなのです。

ですから、下3枚は「ロシアの農奴制廃止」という、それ自体は農民が自由を得たという明るいニュースのはずですけれど、遠景のモスクワのモスクの煌びやかさはそれこそ霞のようで、現実には下半分の肩を落として下を向いた人たちの暗さが現実に迫っているのでした。

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スラブ叙事詩は、ほとんどが遠くに美しいもの、近くには貧しくて苦しそうな人が描かれていて、アップの1人か2人が、絵を見る人を向こうから見ているものも幾つかあります。

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個人的なことですが、私は世界史は高校の時好きでしたが、「東ローマ帝国」あたりは苦手でよくわからないまま、近代以降、列強と呼ばれたイギリス、フランス、ドイツくらいしか知らないんだなあと改めて認識しました。

いわば勝者の歴史は、遠い東洋の国の学校の教科書でも詳しく書かれていますが、スラブに関しては、ナポレオンにポーランドを分割されたことくらいしかわかりません。書いてあったのかも知れませんがテストに出なかったからか覚えてません。

だからこそ、自分の国を描いておかねば死ねない!と思ったのではないでしょうか。


この大作シリーズの後に、パリの女優サラ・ベルナールをモデルにした芝居のポスターなどのアールヌーボーの絵も展示されています。

確かに女優の容姿も衣装もタッチも華やかで当時の大都会の華やかさそのものです。

それはそれで改めて美しいものだなとは思ったのですが、ミュシャが都会で成功する前に歩んだ故郷の暗そうな(実際の色彩はパステルカラーで明るく軽いのですが)空気を想像することで、パリの華やかさが世界のほんの一部で、そこにいる人たちもそれとわかりながら都会の喧騒に身を委ねているのかな、彼らの背中にはそれぞれの田舎の重さとか親の苦しみとか地味で単調な生活とかが見えるようだな、と代表的な文化に対してちょっと客観的な気分になったのでした。
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