2011/3/15
平成23年3月11日 non-genre
平成23年3月11日
午後14:50くらいだったと思う。もしかしたらもっと前かもしれない。時間なんて見る余裕なかった。
金曜日だから、朝から気分がよかった。さっさと仕事を終わらせてか〜えろっとか言ってた。
外国送金で来店した顧客が、当日取り扱いができないことを知ってさんざん文句を言うのをなだめて帰らせてホッとしていた時。
揺れ始めた。
日本人にとって、地震は珍しいものではなくあたしにとっても慣れた揺れだった。
すぐおさまるだろうと自分のパソコンに向かっていたのだが、頭上の空調からホコリが落ちてくるのに気づいた。
おかしいな、まだ地震続くの?こんなに長いのって珍しいなぁ。
そんなことを思った瞬間揺れが激しくなった。
空調の下にいたら危ないと判断し、隣の机の下にもぐった。
机のあしを握り揺れと格闘する。激しい揺れはなかなかおさまらない。そして、バチっという音とともに営業店内がうす暗くなった。
停電。
来店客と、支店の人の叫ぶ声。あたしは机の下で踏ん張るのに必死で来店客の誘導なんかできる余裕なんてない。
何分くらいだろう。5分弱くらい?とにかく揺れていた。
揺れがおさまり、あたりを見渡すと土煙で周りは真っ白。
幸い花粉症のマスクのおかげでせき込むことはなかったが、マスクをしていない人達が激しくせき込んでいるのを聞いた。
何が起こったのか分からない。空調がいくつか天井から抜けて落下。営業室の天井の一部は抜け落ちていた。あたしのパソコンは倒れていた。・・・壊れてないといいけれど、といまさらながらに思う。
とりあえず生きていたことに安堵し、涙が出てきた。
建物から出るが、余震が続く。携帯で家族に連絡を取ろうとするが、全くつながらない。余震がくる。いつまでたっても揺れがおさまらず、建物内に入れない。
支店長の判断で、営業車内へ避難。
携帯のワンセグで情報入手。宮城震度7。茨城は?震度6強。でも、電波が悪く情報が入ってこない。
一番情報を必要としている被災地に情報が入ってこない。なんて皮肉。
支店の周りの住宅の瓦が落ちている。石塀が崩壊。どうすればいいのか分からず、mixiを開くと、続々とつぶやきが更新される。妹、弟は無事。きっと両親も大丈夫だろう。
落ち着いてくると、自分のアパートの状態が気になり始める。
揺れもおさまったので、徒歩でアパートへ。部屋に入って愕然とする。食器棚が倒れ、足の踏み場もない部屋。テレビも倒れ、ティファールも倒れ、水浸し。食器は9割割れていた。手の付けようがなかったので、いったん支店へ戻る。
支店長から、帰っていいと言われたが一人になるのが嫌で男性陣が帰るまで一緒にいた。しかし、うす暗くなる前に帰るべきだったと気づく。
懐中電灯の光のみで部屋を片付ける。ガラスの破片が左手の人差し指に入ってしまったみたい。未だに少し痛い。
ある程度片付けてから着替えて寝る。
何も食べなかった。もとい、食べられなかった。
翌日、化粧を少し直してから支店へ。
支店長に今日は帰っていい。あとは何とかするからと言われ支店を出る。
そこへ同期が。実家がセブンイレブンなので、食べ物・飲み物を持ってきたとのこと。いつまでこの状態が改善されるかわからないから、持って行きな、とパン、おにぎり、2リットルのお茶をたっぷりもらう。本当にありがたい。
祖父母の家に電話をかけると、つながった。
水が出る上に、お湯も沸かせるとのこと。
暗い部屋に今夜も一人、というのには耐えられないと判断し行くことにした。
しかし、停電のせいで信号が意味をなさない。
五叉路の交差点は最悪。抜けるのに結構時間がかかってしまった。
何とか切り抜けて祖父母の家へ。
温かいお茶に、御飯。カレーにてんぷら。その上一人じゃない。
ラジオから情報を入手。東北の津波がとにかくひどかったことを知る。
水を分けてもらい車に積む。その後祖母と出かけガソリンをいれる。一人10リットルまで。1時間弱待った。
お湯で顔を洗い、すっきり。化粧を落とせて一安心。電気がこないので夜になるとやっぱり真っ暗。
湯たんぽであたたまりぐっすり眠る。
翌朝起床して朝ごはん。焼き魚に味噌汁に御飯。
身支度をして、再びアパートにもどる。
帰り道、とてつもなく悲しくなって泣きじゃくりながら運転。あぶないだろ、と思いながらも涙は止まらない。世界が終る、なんて絶望感に襲われたから仕方がない。
五叉路近くのスーパー付近で大渋滞。なかなか進まない。ただ、信号が付いているので電気が復活したかもしれないと希望がわく。
たった100メートルを1時間かけて通過。渋滞の原因はガソリンスタンド。みんな必死なのだ。
アパートにもどり、部屋の掃除。食器の残骸を片付け掃除機をかける。電気が復活したのがありがたい。夜、暗い部屋で一人で過ごさなくていいんだもの。
掃除を終えて、部屋は元通り。食器はほとんどがダメになっていた。ま、いいや。また100均でそろえるから。
その後、再び支店へ。7割方の人が出勤してる。乗り遅れたか?いや、連絡が着てないんだからしょうがないでしょ。と思いながら中に入る。支店長に明日の出勤可否を聞かれる。もちろん出勤できます。徒歩で5分以内だし。(後者は心の中の声。)
週明けの出勤確定。時間は7時。
今夜はここ三日間の出来事を書き終えたら、何もすることがないので明日に備えて寝ることにします。
ちょっと前のNZの地震なんて正直他人事だった。それなのに、自分が地震に巻き込まれるなんて。立場が180度変わった。
ガス・電気は復活。しかし水が出ない。ライフライン=生命線
生活の中で水をどれだけ使っていたことか思い知らされる。。。
一応顔は洗えるけど、お風呂には三日入ってないことになる。当たり前のことができないもどかしさ。
いつも通りの生活にいつになったら戻れるのだろうか。
とは言っても、東北の被災者はもっと大変だろう。
生きてて良かった。
遠方から心配するメールも着た。
涙が出た。
明日から、いろいろ大変だけど頑張ろうと思う。
3
午後14:50くらいだったと思う。もしかしたらもっと前かもしれない。時間なんて見る余裕なかった。
金曜日だから、朝から気分がよかった。さっさと仕事を終わらせてか〜えろっとか言ってた。
外国送金で来店した顧客が、当日取り扱いができないことを知ってさんざん文句を言うのをなだめて帰らせてホッとしていた時。
揺れ始めた。
日本人にとって、地震は珍しいものではなくあたしにとっても慣れた揺れだった。
すぐおさまるだろうと自分のパソコンに向かっていたのだが、頭上の空調からホコリが落ちてくるのに気づいた。
おかしいな、まだ地震続くの?こんなに長いのって珍しいなぁ。
そんなことを思った瞬間揺れが激しくなった。
空調の下にいたら危ないと判断し、隣の机の下にもぐった。
机のあしを握り揺れと格闘する。激しい揺れはなかなかおさまらない。そして、バチっという音とともに営業店内がうす暗くなった。
停電。
来店客と、支店の人の叫ぶ声。あたしは机の下で踏ん張るのに必死で来店客の誘導なんかできる余裕なんてない。
何分くらいだろう。5分弱くらい?とにかく揺れていた。
揺れがおさまり、あたりを見渡すと土煙で周りは真っ白。
幸い花粉症のマスクのおかげでせき込むことはなかったが、マスクをしていない人達が激しくせき込んでいるのを聞いた。
何が起こったのか分からない。空調がいくつか天井から抜けて落下。営業室の天井の一部は抜け落ちていた。あたしのパソコンは倒れていた。・・・壊れてないといいけれど、といまさらながらに思う。
とりあえず生きていたことに安堵し、涙が出てきた。
建物から出るが、余震が続く。携帯で家族に連絡を取ろうとするが、全くつながらない。余震がくる。いつまでたっても揺れがおさまらず、建物内に入れない。
支店長の判断で、営業車内へ避難。
携帯のワンセグで情報入手。宮城震度7。茨城は?震度6強。でも、電波が悪く情報が入ってこない。
一番情報を必要としている被災地に情報が入ってこない。なんて皮肉。
支店の周りの住宅の瓦が落ちている。石塀が崩壊。どうすればいいのか分からず、mixiを開くと、続々とつぶやきが更新される。妹、弟は無事。きっと両親も大丈夫だろう。
落ち着いてくると、自分のアパートの状態が気になり始める。
揺れもおさまったので、徒歩でアパートへ。部屋に入って愕然とする。食器棚が倒れ、足の踏み場もない部屋。テレビも倒れ、ティファールも倒れ、水浸し。食器は9割割れていた。手の付けようがなかったので、いったん支店へ戻る。
支店長から、帰っていいと言われたが一人になるのが嫌で男性陣が帰るまで一緒にいた。しかし、うす暗くなる前に帰るべきだったと気づく。
懐中電灯の光のみで部屋を片付ける。ガラスの破片が左手の人差し指に入ってしまったみたい。未だに少し痛い。
ある程度片付けてから着替えて寝る。
何も食べなかった。もとい、食べられなかった。
翌日、化粧を少し直してから支店へ。
支店長に今日は帰っていい。あとは何とかするからと言われ支店を出る。
そこへ同期が。実家がセブンイレブンなので、食べ物・飲み物を持ってきたとのこと。いつまでこの状態が改善されるかわからないから、持って行きな、とパン、おにぎり、2リットルのお茶をたっぷりもらう。本当にありがたい。
祖父母の家に電話をかけると、つながった。
水が出る上に、お湯も沸かせるとのこと。
暗い部屋に今夜も一人、というのには耐えられないと判断し行くことにした。
しかし、停電のせいで信号が意味をなさない。
五叉路の交差点は最悪。抜けるのに結構時間がかかってしまった。
何とか切り抜けて祖父母の家へ。
温かいお茶に、御飯。カレーにてんぷら。その上一人じゃない。
ラジオから情報を入手。東北の津波がとにかくひどかったことを知る。
水を分けてもらい車に積む。その後祖母と出かけガソリンをいれる。一人10リットルまで。1時間弱待った。
お湯で顔を洗い、すっきり。化粧を落とせて一安心。電気がこないので夜になるとやっぱり真っ暗。
湯たんぽであたたまりぐっすり眠る。
翌朝起床して朝ごはん。焼き魚に味噌汁に御飯。
身支度をして、再びアパートにもどる。
帰り道、とてつもなく悲しくなって泣きじゃくりながら運転。あぶないだろ、と思いながらも涙は止まらない。世界が終る、なんて絶望感に襲われたから仕方がない。
五叉路近くのスーパー付近で大渋滞。なかなか進まない。ただ、信号が付いているので電気が復活したかもしれないと希望がわく。
たった100メートルを1時間かけて通過。渋滞の原因はガソリンスタンド。みんな必死なのだ。
アパートにもどり、部屋の掃除。食器の残骸を片付け掃除機をかける。電気が復活したのがありがたい。夜、暗い部屋で一人で過ごさなくていいんだもの。
掃除を終えて、部屋は元通り。食器はほとんどがダメになっていた。ま、いいや。また100均でそろえるから。
その後、再び支店へ。7割方の人が出勤してる。乗り遅れたか?いや、連絡が着てないんだからしょうがないでしょ。と思いながら中に入る。支店長に明日の出勤可否を聞かれる。もちろん出勤できます。徒歩で5分以内だし。(後者は心の中の声。)
週明けの出勤確定。時間は7時。
今夜はここ三日間の出来事を書き終えたら、何もすることがないので明日に備えて寝ることにします。
ちょっと前のNZの地震なんて正直他人事だった。それなのに、自分が地震に巻き込まれるなんて。立場が180度変わった。
ガス・電気は復活。しかし水が出ない。ライフライン=生命線
生活の中で水をどれだけ使っていたことか思い知らされる。。。
一応顔は洗えるけど、お風呂には三日入ってないことになる。当たり前のことができないもどかしさ。
いつも通りの生活にいつになったら戻れるのだろうか。
とは言っても、東北の被災者はもっと大変だろう。
生きてて良かった。
遠方から心配するメールも着た。
涙が出た。
明日から、いろいろ大変だけど頑張ろうと思う。
3
2011/6/2 1:40
投稿者:紳士28号
2011/3/15 19:31
投稿者:shan
改めて状況聞くと、ほんとに、ほんとに無事でよかった。
こんにちは、こんばんは、紳士28号と申します。
実は私、夢の様な体験をして参りました。
これは是非とも色んな方にお勧めしなければと思いまして紹介させて頂きます。
少しだけ××するだけで…お金も女も、手に入るのです。
http://k8hmkoe.www.feisbook.mobi/k8hmkoe/