カルト化教会では十1献金が強制されていました。
「十1をしたら何倍にもなって祝福される。」とか、「十1をしないものは神のものを盗んでいる泥棒。」と教えられました。
10分の1どころか、十2、十3捧げた人が、「すごく祝福されました!」と証しをしていました。
私は「十1をするように。」と虐待的牧師から何度も言われ、給与の額を聞かれたこともありました。
カルト化教会で多額の献金をした人は、礼拝の中で名前が呼ばれ、皆から拍手されていました。もちろん多額献金者の献金額も発表されました。
そのようなことがあったので、私は今の教会に移っても、献金について正しいことがわかりませんでした。
ちょうど1年前ぐらいに献金について教えてもらったのですが、その時は思考停止になり、質問もできなくて泣いたことがありました。
献金について理解できていない、わからないということはわかるのですが、質問が出てこない、考えられなくなってしまうのです。
「何がわからないのかがわからない。」
そんな自分がなさけなくて、思考停止になるのが辛くて泣きました。
その時主任牧師は、「スイトピーさんは、質問が出る前の段階で立ち止まっているんですね。このままでいいですよ。
あせらないで、少しずつやっていきましょう。ぼく、付き合うから。」と言ってくれました。
私が献金についての正しい教えが理解できるようになるなんて、いつになるかわからないのに、「ぼく、付き合うから…。」って言ってくれるんだ…、と嬉しかったのを覚えています。
今年の3月になって、先生が月定献金の袋をわたしてくださいましたが、献金について理解できてなかったので、しばらくバッグに入れているだけでした。
十日ぐらい前に先生から献金について説明を聞きました。
1年前は献金の話が出ただけで思考停止になっていたけど、今回はカルト化教会での献金に関しての出来事を話し、そのことについての先生の感想を聞いたり、献金について色々質問できました。
カルト化教会での出来事は普通の教会の牧師から見たら、これほどおかしいって思われ、聖書から反れているって感じられるのか、とあらためてわかって、いかに自分が今まで誤ったことを教え込まれてきたのかとあらためて考えさせられました。
1年前は理解できなかった献金についての正しい教えが今回は理解できました。
そして、昨日初めて、数ヶ月前にもらった献金袋に入れて、献金することができました。
今までは献金袋ってすごく抵抗あって嫌いだったんだけど、献金についてきちんと理解できたことで、献金袋に入れることができるようになりました。
この間、献金について教えてもらった時、「○○円捧げなさい。」とか、「十1捧げなさい。」という指導はありませんでした。第2コリント9:7から教えてもらいました。
「一人一人いやいやながらでなく、強いられてでもなく、心で決めたとおりにしなさい」
それで自分で決めることができました。
十1のことで罪悪感や恐れを感じないで、自分で考えて決めることができるって嬉しいと思います。
「多く捧げたら多く祝福される」というのは間違いですが、だからと言って、「金額なんていくらでもいいんです。」というのでもない。
こういう2元論でない考え方、「〜すべき」というのでない考え方、
それは私にとってとても難しかったけれど、自分で考えて決めることができてよかったです。