「信じるだけで救われる 誤解されやすい聖書箇所の開設」(高木慶太 著、いのちの言葉社)を読んでいます。
この本には、タイトルどおり、「信じるだけで救われる」事、信仰とは、救いとは、罪とは、赦しとは、悔い改めとは、という事がとてもわかりやすく説明されています。
また、「信じるだけで救われる」という事を、捻じ曲げ、歪め、確信を揺るがすような、誤った聖書解釈と、その箇所の正しい解釈も載っています。
たとえば、「富める青年」の話。
ここでは、
「イエスは言われた。『もし完全になりたいのなら、行って持ち物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。
そうすれば、天に富を積むことになる。それから、わたしに従いなさい。』」(マタイ19:21)を間違って解釈して、
「財産全てを捧げなさい。その上でついて来る者でなければ救われない。」と教えている牧師の話が出てきます。(そのように教えているカルト化牧師は多いですね。)
この青年は、自分が律法を守って真面目に生活している事に自信を持っていました。
しかし、イエス様はこの青年に、自分が不完全な者である事を気づかせるために、
そして救いは人間的な努力では得られない事を教えるために、
律法の「隣人をあなた自身のように愛せよ」を彼に適用して、
「もし完全になりたいのなら、行って持ち物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それから、わたしに従いなさい。』とおっしゃったのです。
イエス様は彼が多額なお金を捧げる事を要求したのではないのですよね。
彼が自分の力、努力ではどうにもならないという事を認める事ができるように…という事だったのです。
自分の中には完全な儀がないから、それを認めてイエス様を救い主と信じる事。それが「信仰」なのです。
それを「富に執着するのはよくない事だ」とか、「全てを捧げて従ってきなさい。」という「財産」、「お金」の話にすりかえて、
それと「救い」を結びつけて、「捧げないと祝福されない。」「捧げないと救われない」と
信徒に恐怖心や不安を与えて、多額の献金をさせる事。
それは聖書の教えからかけ離れています。
実は、この箇所、私はあまり好きな箇所ではありませんでした。
なぜなら、カルト化教会ではこの箇所が語られる時、「多く捧げる事」、「経済的な事を心配するのは罪」というような、「お金」の話にすりかわっていたからです。
だけど、この箇所は、「多く捧げなさい」というお金の話ではなくて、「永遠の命、救いを受けるにはどうしたらよいのか」という「救い」に関する話だったのですね。
今までも本やセミナー、カウンセリング、リハビリをしている被害者同士の交わりを通して、カルト化教会所属時代、自分がどのようにしてマインドコントロールされてきたのか、
どのようにして恐怖心を植え付けられ、不安をかきたてられ、操作されてきたのか、少しずつ理解できてきてはいたけれど、
こうやって少しずつでも正しい聖書の解釈を学んでいくと、カルト化教会でいかに間違った事、歪められた事を教えられてきたのかをより深く知る事ができます。
そして、本当の福音、正しい聖書の教えは、人を傷つけるものではないという事、
神様はめちゃくちゃな事を私たちに要求なさっているのではないという事がわかってきて、安心感が増してきています。
下にこの箇所を説明した関根先生のメルマガの記事を貼り付けておきます。
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今日の聖句
2011.08.06
マタイによる福音書
◆金持ちの青年
19:16-30
19:16 さて、一人の男がイエスに近寄って来て言った。「先生、永遠の命を得るには、どんな善いことをすればよいのでしょうか。」
19:17 イエスは言われた。「なぜ、善いことについて、わたしに尋ねるのか。善い方はおひとりである。もし命を得たいのなら、掟を守りなさい。」
19:18 男が「どの掟ですか」と尋ねると、イエスは言われた。「『殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証するな、
19:19 父母を敬え、また、隣人を自分のように愛しなさい。』」
19:20 そこで、この青年は言った。「そういうことはみな守ってきました。まだ何か欠けているでしょうか。」
19:21 イエスは言われた。「もし完全になりたいのなら、行って持ち物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それから、わたしに従いなさい。」
19:22 青年はこの言葉を聞き、悲しみながら立ち去った。たくさんの財産を持っていたからである。
19:23 イエスは弟子たちに言われた。「はっきり言っておく。金持ちが天の国に入るのは難しい。
19:24 重ねて言うが、金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい。」
19:25 弟子たちはこれを聞いて非常に驚き、「それでは、だれが救われるのだろうか」と言った。
19:26 イエスは彼らを見つめて、「それは人間にできることではないが、神は何でもできる」と言われた。
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この青年の質問と、3章に出てくるニコデモとのやり取りでの結論は同じです。ニコデモの質問もこれと同じようなものでした。
イエス様は、倫理的な真面目さに自信を持っていたこの人に、自分の持ち物の放棄を訴えました。
それらのものは彼にとって人生の拠り所でした。ですから、彼は悲しみながら去って行きました。
金持ちが天国に入るのは難しいとイエス様は語りましたが、「イエス様、それは難しくて私には無理です。憐れんでください」という自分ではできないことを認めることが重要なポイントなのです。
「金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい。」というコメントは有名ですが、シリヤゴ語訳の聖書では、「らくだ」ではなく、同音語であった「ロープ」と訳されています。私は個人的には、
それが正解なのではないかと感じています。「らくだ」は文脈からしてあまりに無理があるような気がします。
いくらイエス様がユーモアのセンス豊かな人であったとしてもです。
ま、どちらも、「針の穴を通れない」という結論は同じですので、「らくだ」でも良いのかもしれませんが、ロープのほうがわかりやすいです。
人が永遠のいのちを得るには、人間的な決断や努力によってではなく「救いは神様からの賜物」として信頼し、受け止めるしかないのです。
この地上では財産があればどこにでも行けるし、どこにでも入れるでしょう。
しかし、それらのものは永遠のいのちを買えないのです。
「主よ、憐れんでください」と言えると良いですね。神様が期待する信仰がそこに表明されるのです。
祝福がありますように。 関根一夫
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