こんにちは。
倶テイ(月に氐)という坊さんの話がありますね。「無門関」に納められています。
「仏ってナンですか!? 」とか問われますと、必ず親指を立てて、これを応答としたんだそうです。彼が留守の時に客人があって、「ここの先生はどうやって法を説かれるんですかね?」と、ここにいた小僧さんに聞く。すると普段見ているものですから、まねをして親指を立てたんだそうです。帰ってきた倶テイはですね、これを聞いてすっ飛んで、この小僧を捕まえてその親指をすぱっ!ときってしまう。とそのときに、痛いと泣いてその場を去ろうとする小僧を呼ぶ。小僧が振り返る。と、そこには愚テイが、親指を突き立てている。これを見て小僧はたちどころにそれをそれと知るという・・・。さて、何を知ったものでしょうか。
この親指たては一つには勃起状態を指す符丁であったという話を聞いたことがありますが、さて、とうとつですが今日はぼんやりした話をしましょう。いや、いつものことです。ぼんやりとしているというよりも、話の概要がつかめない話、としたほうがいいのかもしれませんが。
と、言いますのも、これは先の週末の話でして。佐々木君がポーランドから帰ってきたその土産話に端を発しているんですが、これについては僕からはなんとも言いがたい。本当は皆さんに当人の日記を参照していただきたい所ですが、必ずしも万人に開かれた日記でもありませんから、それをとりあげるというのもいくらか考えなくっちゃいけないところもあるけれども、それでも、なんだかよくわからない感覚を受けたというか、何と言うか、ちょっとショックとでも言うのか、いや、それもはっきりと区分できないままで来ているんだけれども。
事件の概要についてはとりあえず置くんですが、ある物事を前にしたときに、それをはっきりと飲み込めない状態にあるときには、人の示す反応は呆然と、というんですかね、とにかく動くことが出来ないという反応ともいえない反応を示すという話からはじめようかと思います。反応ともいえない反応と今言っていますがね、目の前で予期もしないことが突然に起こって、それがはっきりと既知感を持って認識区分が施されうる場合には、とっさにそれを忌避するなり何なり、反応が条件反射とともに起こるんだと思うんですが、そういう反応も引き出されない場合がある、ということなんです。これが何かすでにわかっている何かと結び付けられ得た場合には、目をそむけるなり、その場を離れるなりの反応は可能なんでしょう。実際に彼の語る中には一人その場から目をそむけることの出来た人物が語られてもいました。しかし彼としては、動けもせずにただただその起こっていることを目に焼き付けるだけしか出来なかったのだ・・・と。
で、そういうことが体験的に描かれた一文を、目にしたときには、読んだこっちもなんだか途方にくれてくる。しかもよくわからないんだけれども、それでも目の下のほうにうっすら涙が溜まってくるわけです。もちろんこれをレポートする文筆の冴えはあるんでしょう。ある臨場感を伴って読まれてくるわけですから。事件は事件として不可解なままなんですが、この事件の状況をさらにその目撃者が語るという状況を、一歩引いてみたとき、ふとそこに、語るものの存在が見失われて、聞いている、あるいは読んでいる僕が、事件に直面している気になっていることにも気がつくわけです。それもそのときにはちっとも不自然ではなく、少しあとになってから気がつくんですが。
「週刊 朝日百科」といいましたかね。その中に数ある小論のうちに「平家物語・中世世界の発見」(山本吉左右)というのがあります。その後半「覆面と扇・音声と精霊」というくだり。網野善彦氏の言説を引きつつ、「公界(くがい)」で、突発的に起こった事件に直面した時に行った行動として、扇を開いてその骨の隙間から事件を伺うという行動について語っています。その行動は、「平家」を聞く場でもどうやら行われていたようだ。とすると、「平家」を聞くということは、過去の事件そのものに直面するのと同等の意味を中世の人々は持っていたのではないか。そのときには、名指しされ、語られる祇王などの、ある人物は作中人物とか言うような間接的なものではなく、それそのものとしてタイムトンネルを抜けて現前するのではなかったか・・・というような話になっているわけです。語り手の宗教性も考慮に入れるべきだとはしながらも、ここでは、むしろ「音声の力」を忘れてはならないだろう、と締めくくっております。
僕が佐々木君の話を見聞きした時、ふと、この小論の事が思い出されていました。いや、はじめは、この扇を開いてみるということで、ある種の客観性を保とうというか、先の事件に直面した多くの人々がその場に立ち竦んでしまったという、その判断不能状態を忌避する工夫であったのではなかろうかという思いで繋がり引き出された事柄ではあったんです。しかし、今になって整理してみると、それは、むしろ、僕が話を見聞きするその中でたち現れていた、話を聞くという行為の中ですでに問われてくるような問題であったことに気がつくわけです。そして、それは「平家」などの語り物を聞くことに限って考えた場合には、その意味合いと需給の関係を中世なりの時代状況から探る必要はあるかも知れないけれども、聴覚における情報伝達ということを考えた場合には、必ずしも過去の完了した類の機能ではないということに思い至るわけです。そして、ある話なりを理解するということは、言語が言語のままで行われるというだけでも、図像が図像のままで、音声が音声のままでというだけではなく、互いに関連しあったある複合体のようなものとして個々人が培ってきた「意味態」とでもいうべき整理箱のようなものを、いちいち引っ張り出しながら、それを今ひとつのスクリーンのようなところに投影しなおして、あたかも体感したかのような経過を経るなかで納得していく・・・そんな働きが、必ずしもすべてにおいてとは言わないけれども、ある時間経緯を持った物語を聞き、それへの理解を試みた場合には起こってくるのだろう、と、まぁ、あんまり特別なことでもないんですが、皆さんも思ったことのあるであろう様な類のことを、改めて思うに至ったということでしてね。
しかし、佐々木君の話は、なんだかわけがわからないけれども、なんていっていいかもいまだ分別にいたらないところはあるけれども・・・う〜む、なんだろう。衝撃でもない、もっと静かなもんだし、あぁ、語彙の足りなさは、僕の活字がどうも苦手だということで、どなたかにご教示していただかなくっちゃなりませんね。もっと本を読め、ということかもしれませんが。とにかく、心動く話であったわけです。
週末、イトイカンジ氏の二会場(シンポジウムを入れて三会場)に渡る展覧会が終了しました。僕は非常に展示の難しさを思っていたわけです。いや、特別なことではないんですよ。極単純に、「事」に重点を置いた作業を振り返るのに、「物」でしかやりようがないといいますかね。銀座会場での展示は歴史的概観を試みた面が強かったといえるでしょう。その点で言えば、展示品は山のごとくで、情報過多の感じはしましたが、非常に充実した展示であったことは確かです。オマージュや、本人の切り紙・写真を除いては、雑誌や新聞記事、本人のノートなど。「作品」と言うような展示物の意識を、それらの記録・内容が凌駕してるとも言えなくはなかったと思います。こちらの展示のあり方には、もしかするとイトイカンジという人の作業を単に美術家に引き戻さずに、一人の運動家のような、あり方そのものをふくめて何か開いていけるような可能性があったかもしれません。実際に、僕は、イトイカンジと言う人を美術家とか、何かの文脈に加担することの出来る肩書きをもつ存在というよりも、一人の人として興味を覚えたところがあるもんですから。いえ、もちろん、その大きな概観を助けるための筋として今回のように「アーティスト」という切り口で、「美術家・美術展」という形でとりあげるのは、一番適していたとも言えるわけなんですが。たとえばですね、彼に関する展示を人権博物館で開催するとなるとどうなっただろうか?とかですね、「事」を展示という形でどのように振り返り、検証していけるだろか、という風なこともちょっと考える余地は未だあるだろうな・・・と、まぁ、それはまず、僕が考えるべき課題なのかもしれませんね。アクションとかハプニングとかいうあり方に美術に関わる人(学生)が多く組したという背景はあるにしても、しかし美術の歴史のなかだけで考えるべきことであるか、ということについては誰もが疑問に思いつつも、しかし、学際的という言い方があっているかどうかは置いておいても、ある側面からまず述べるということの利便性に頼るだけではやはり「事」は歪んでしまうわけですね。なかなか簡単ではないですね。ぼくだって、問題はあります・・・と、言うだけはいえるけれども、何か実行に移すというと、なかなかバカな振りだけでは通れない関所もあるわけですしね。それでも、何かに問題を感じたら、一人一人が出来るように、ごかいと悪弊を巻き散らかしつつ・・・というのもまぁ困るけれども・・・やるよりないでしょうね。一元的な歴史は、参考文献としてだけあればいいでしょう・・・って、なんだかわけのわからないところへ飛び始めました。とにかく、今回のイトイカンジ氏の展示。これは布石にして、今後はもう無い展示かもしれません。
主催者および関係者の方々のご苦労とご努力を称えたいと思います。また、高円寺会場では幾分見易さがあった反面、美術展の色がどうしても強くなったかな・・・そこに無理をいって最後の二日間だけ僕も「私信」と名付けたパネルをおいてもらったのも一つの加担ですが・・・と、思った次第です。いや、硬く考えれば「ダダイスト」を「アーティスト」として振り返ってしまうのはどうなのだろうか?とかですね、いろいろ起こっては来るわけですけれども、何よりも「アート」がもつ所の寛容さの皮膜が、イトイ氏の作業をうまく包んで、今回の問題提起における一つの布石としての展示実現への主催の方々へとよいほうに作用したのだろうなぁ・・・と、ぼんやり思っております。何よりよく開催されました。そして、無事展示の終わりましたことお祝い申し上げます。と。
愚テイにしろ臨済という坊さんにしろ、なくなるときに、自分で用いてきた所の親指とか、喝やらを、ついに一度も活用できなかったなぁ・・・というようなことを言ったんだそうです。わかったとしたら、それはわかっていないんだとか何とか言う話でもありますんで、まぁ、わかるかわからないかといえば、僕はわからないほうでしょう。しかしそういう厳密な情報判断力から二択を促すような話でもないわけでしてね。あれだけたくさんの人に切り抜いて送られたイトイカンジ氏の「ペーパーファルス」も、さて、誰かそれをそれと知った方があるのやら。一人ひとりの了解があるのかもしれませんが、僕は、正直わからない、というか決着をつけずにいるので、こないだ展示してもらったものにも、送られたものを一つ張り込んだりしましてね。いや、小僧さんをやろうって言うんでもないんですよ。かといって特別奉るようなこともないわけでして・・・といってしまうと、研究の方に危惧されますが、粗末にもしていないということだけは申し上げておく次第です。
さて、これから、イトイカンジ展はどのような作用をもたらしたものか、僕が何かにつなげられるかも含めて、その反応が気になる所ですね・・・大したこともしていないのだけれど、なんだか疲れてその後二日間ごろごろしていましたとさ。二つの展覧会と、一つの舞台に行きそびれてしまいましてですね。へらへら