【古都奈良の文化財】は1998年に世界遺産として登録されました。唐などの影響を受けて、仏教建築が盛んに行われた地でもあり、数多くの寺院が世界遺産の一部として登録されています。平城京跡や春日山の原生林など、仏教木造建築とともに、限られた地域で現在でも存在しているというのは、世界の中でも珍しいと言われています。
□東大寺
天平13(741)年、仏教中心の国づくりを進めた聖武天皇の勅願により、総国分寺として建立。国力を注いだ事業である大仏建立は3年をかけ、天平勝宝4(752)年、開眼法要が盛大に営まれた。
治承4(1180)年、平重衡の南都焼き討ちによって大半の堂塔が焼失したが、すぐに重源の勧進で復興。
しかし永禄10(1567)年に松永久秀の兵火にかかり、再焼失した。現在の寺観は、江戸中期になって再現されたもの。境内には「奈良の大仏」として名高い盧舎那仏坐像が安置されている大仏殿(国宝)、東大寺創建当時の遺構を残す転害門(国宝)をはじめ、鎌倉時代復興の代表作である南大門、鐘楼、三月堂、二月堂(いずれも国宝)といった数多くの著名な建造物がたち並ぶ。
また、戒檀院の四天王像、南大門の運慶・快慶合作の金剛力士立像など天平時代や鎌倉時代を代表する優れた仏像の多くを見ることができるのも、東大寺の魅力の一つといえる。
□興福寺
京都山科の藤原鎌足私邸に建立された山階寺が前身。飛鳥を経て、和銅3(710)年平城遷都に伴い、藤原不比等によって現在地に移転され、興福寺と名付けられた。以降、藤原氏の氏寺として大いに繁栄した。
奈良時代初期には四大寺の一つにあげられ、四町四方に170坊あまりの堂舎が立ち並ぶ寺院として隆盛を極めた。
治承4(1180)年の平重衡の南都焼討ちによって焼失した堂塔は、鎌倉時代に復興を遂げたものの、その後の相次ぐ失火や火災によって大半の建物を失った。
境内には光明皇后創建とされる興福寺五重塔(室町時代再建・国宝)、聖武天皇創建とされる興福寺東金堂(室町時代再建・国宝)、三重塔(鎌倉時代再建・国宝)、元明天皇・元正天皇創建とされる興福寺北円堂(鎌倉時代再建・国宝)の国宝建築物をはじめ、興福寺南円堂(江戸時代再建・重要文化財)、興福寺国宝館、中金堂などが立っている法相宗の総本山。また多くの天平時代の仏教彫刻の名品を多く保存している

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