聖書の言葉   万物は御子を通て、そして御子に向けて創造されている。(コロサイ人への手紙1章16節)

2009/10/24  7:40

呼吸の 祈りの 行い フィリピ4章  Faith

 あなたがたが私から学んだ事、受容したこと、聞いた事、見たこと、
 それらをあなたがたは行いなさい。そうすれば、平和の神があなた
 がたとともにおられるだろう。
                 フィリピ書 4章9節(岩波訳)



私たちが、それぞれに自分にとっての霊的な幾人かの長老や祈りの友を私たちの成長に合わせて神が送ってくださっていることに感謝します。

実際に生きて今関わって下さっていると人々であれ、新生したときから祈りをもって関わって下さった人々であれ、今までに確かな教えを説いてくださった人々であれ、また聖書のなかの人々であれ、なんと多くのことを私たちはその方々から学んできたことでしょう。そして学んだ事のどれほどを受け取り、聞いた事のどれほどに心刺され、どれほどのことを忘れられない衝撃で見たとまでいえるのかとなると・・・はなはだ疑問ばかりが残ります。

だからエクレシアが必要なのだとここ数日そんなことをまた強く思わされています。

洗礼を受けたばかりの大抵の人々は、当座、霊的な嵐のような日々を送りますが、あの頃の助けられた言葉を今も、似たような状況の時には実践しています。「行い」というと特別な賜物がない私たちは右往左往してしまいますが、どんな時にもどんな時にも誰でも簡単にできる「行い」がありました。

当事大きな圧迫のなかにあった私は一番話しやすそうな優しそうな、そしてひ弱そうな
少し年上の女性に相談しました。苦しくて何もできない事、動くのも苦しいし、聖書も読めないし、祈りもできないと。
私はきっと優しい慰めの言葉を期待していたのでしょう。でも彼女はとても優しいほんとに麗しい真剣な目で、そして蚊の鳴くような消えそうな声ではっきりと言いました。

  でも、あなたは息をする事はできるわ

  何とか、息だけはしているわ

  その息に 乗せて 「ジーザス」と言えるのよ

  「ジーザス」この名にはすべてがあるのよ

  あなたが息を吐くとき 声にならなくてもいいから

  「ジーザス」と息をはくのよ

あまりに確信にみちたその言葉ゆえに、さっそく実行してみました。 そのような圧迫の状態がすぐに改善したわけではありませんでしたが、圧迫に翻弄された不安や恐れがほんとうに潮がひくように消えていくのでした。確かに確かに主がともにいてくださったゆえにそのようになったのだと思います。その圧迫が完全になくなるには3年の月日がかかりましたけれど、その時々の平安は、その時々のエクレシアのなかで与えられた平安でもありました。

私たちは生きているので「息」をしています。息は素晴らしい美辞麗句の祈りを乗せるために与えられているのではなく、私たちの心、屈託のない思いを乗せるだけで「祈り」となります。何を祈っていいのかわからないときには異言が溢れてくるでしょう。
そして「行い」の最も大切でなくてはならないことは、主との唯一の交わりである真実な祈りにちがいありません。


私たちの霊は、聖霊の息によって生きています。私たちの体の息に、私たちの主の名を
乗せることができるなら聖霊が豊かに働いて、今日も主とともに生きることができます。 もしもそれすらできないようであったとしても、必ず何人かの自分の祈りの友が何かの負担を与えられて私のために祈ってくださっているだろうことを知っていますから、安心してそれを主とそのエクレシアに委ねることにしています。

もし私たちが真実に主を求めるならば主の内にいるなら、その体の内にいるのは当たり前のことですものね。人の作為が入り込めない世界を見ていたいものです。














 




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