ライター・エッセイスト Mark kayが綴る【夢】の不思議。 明晰夢・体外離脱・夢診断・夢のメカニズム・過去生・・・
2006/7/8
そこは大きなプールのようだ。
コース毎に仕切られていて、水の中には人や動物がいる。
しかし、ただの人や動物ではない。全てがフリークス、いわゆる奇形なのだ。
そして、その人や動物には、それぞれトレーナーの様な人物が付いている。
どうやら、ここは人と動物を競泳させて、見せ物にしている場所のようだ。
四肢のない人を叱咤する光景
見た事もない、異様な形をした動物を鞭打ちする光景・・・
何ともおぞましい、、、
その中に真っ赤な色をした大蛇がいる。
このプールにいる中ではもっともまともな形をした動物だ。
僕は、その場に立ちすくんで動けなくなっている。
そこに、その真っ赤な大蛇が首をもたげて近付いて来て、何と左足の親指に噛み付いたのだ!
その瞬間、夢の中で卒倒して倒れ込んだ。

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2006/7/2
とある部屋の中。
僕は猫を飼っている。全身が黒い猫だ。
その猫が部屋の中央で突然暴れ出したかと思うと、頭から尻尾の先まで綺麗に縦に引き裂かれる様に分かれた。
それでも猫は絶命することなく、左右に分かれてそれぞれ前足と後ろ足で器用に歩いている。
その断面は臓器が剥き出しのままだが、それが溢れ落ちる事はない。
一匹なのに二匹。
それぞれ何事もなかったかのように歩き回る。
次の瞬間、その分かれた左右の身体が再び部屋の中央で相見えた!お互いが独立した存在であるが如く威嚇の声を上げながら、睨み合う。

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2006/7/1
僕は車の後部座席に座っている。
いや、座らせられているといった方がいい。
運転している奴が問題だ。
運転席が窮屈に思える程の大男で着ている服は泥や埃に塗れて、異臭さえ放っている。
彼の後頭部にはもう一つの口がある。 歯並びが悪く、歯が欠けてさえいる。
ミラー越しに見える正面の顔は精悍で知的な風貌だ。
その異様な風情は気味が悪くも威厳をたたえている。
彼に聞く。「僕をどこへ連れて行くんだ」
「君が行きたいところだよ」と正面の顔
「君が行きたくない場所だよ、御愁傷様」と後ろの顔。
「おい、僕を降ろせ、今すぐ」と僕。
「あぁ、君が望んでいるなら」と正面の顔。
「出来ないね、一心同体だろ俺たち」と後ろの顔。
こいつは僕そのもの?それとも僕以外の何者か?

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2006/7/1
2006.04.01の【夢日記】
オレンジ色の夕陽が窓から差し込み父の顔を照らす。
布団の上に横たわっているが、呼吸をしていれば動くはずの胸も静止したまま、閉じている瞼でさえピクリとも動かない。
父の死の際に立ち会っているという自覚を、時間の経過と共に納得し涙に暮れる僕がそこにいた。
父の安らかな顔を、傍らからじっと見守りながら静かで重厚なその時を胸に刻んでいる。
夢を見ている間中、僕はただ死に際の父をじっと見つめているだけだった。
ずっと父を病院のベッドで一人孤独に死なせた事を悔やんで生きてきた。あれほど一緒に苦楽を共にしてきたのに、、、父の膝の上に座り、髪につけたポマードの匂いに安堵を覚えながら、甘えた幼い頃も、今日食べるご飯に事欠き、不安な放浪生活を共にした時も、ずっと一緒だったのに、肝心な父の今生との別れの際に一人ぼっちにしてしまった罪悪感はずっと消えなかった。
父と対面した死後2日後、もう涙さえ出なかった。
父が死んだ時に鳴った携帯電話。直感が働いたが怖くて出れなかった。認めたくなくて、僕は病院へ行かなかった。
覚悟を決めて、会いに行くとそこには白い顔をした見た事の無い父が横たわっていた。
ここ1年に見て来た【夢】のテーマは間違いなく一つに絞る事が出来る。何もかもが「父」で埋め尽くされている。
昨日、見た夢で僕はあの時に叶わなかった父との別れの儀式をタイムマシーンに乗って、あの時へと戻り、二人っきりの【夢】という場所で改めて体験することが出来た。
辛い体験だけれども、満たされた気がするのは父が僕の罪悪感を必死で解消しようとする、愛情表現に思えてならないからだ。
僕はこの夢で、現実には流す事の無かった涙を流した。
夢で流した涙は、現実にフィードバックされ、全てを洗い流してくれるのだろうか。

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2006/6/1
ある航空機が片翼の損傷からバランスを崩し大きく旋回しながら高度を下げ、山中や海などではなく市街地に墜落して大惨事になるというもので、僕はその光景をとあるビルのバルコニーから見ている。
日付は10日前後。何故その様な認識を持ったかは判然としない。
それが今月なのか、来月なのか、1年後なのかも分からない。
市街地のビル群の中に大きなジャンボジェットが旋回しながら突っ込んで行くと、まるで地獄を垣間見た様な凄まじい惨状が広がります。爆発が起こり辺りは業火に包まれるのです。その顔に当たる火傷しそうな爆風と、人の叫び声や泣き声がとてもリアルでした。
この夢の最も印象的な部分というのは呼吸をするのも苦しいくらいの「業火」
そして人々の「泣き叫ぶ声や怒号」もう一つはとても大きな「振動」。
この「振動」というのは航空機が何かに接触した時のものでしょうか。それとも何か他のものでしょうか。他の災害、特に地震などを暗示していなければいいのですが。。。
予知夢とならないことを祈ります。

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2006/3/6
2006.03.06の【夢日記】
僕は数千メートル上空にいる。小さなセスナ機の中に数人の男達と一緒にいる。扉が開かれ、機内に冷たい風が吹き込む。
その機内の中にいる男二人は僕の目の前に座り、おもむろに懐から紙切れを出して僕に手渡した。
「契約書だ。お前はこれを書いてここから飛立つ運命だ。 さっさと書いて自由になれよ」
ぶっきらぼうにそう言い放ちながら、早く書けと催促する。
僕は渋々、自分の名前をその契約書とやらに書き殴るのだった。
書き終わると、男達は向かい合ってニヤリと笑い僕の肩を抱いた。
と、そこで眠りから覚めた。結局そのセスナ機からスカイダイビングを果たしたのかどうかは分からない。
二人の男は何者か? そして彼等の言い放った台詞
「契約書だ。お前はこれを書いてここから飛立つ運命だ。 さっさと書いて自由になりよ」・・・
とても気になる言葉だ。。。
久し振りの夢日記でした。

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2006/2/5
2006.02.05【夢日記】
荒涼とした土地に延びる一本の線路。
そこに一人の男が仰向けに横たわり頭だけをもたげ、僕に何かを語りかけて来る。
彼の発している言葉は音として僕の耳には入らない。 まるで無声映画を観ているようだ。
しかし、その言葉が懇願や悔い入る様な類いの言葉ではないことは理解が出来た。
「祈ってくれ」 そう言っていることを確信した。
そして僕の左の耳が列車の警笛を聞いた。
彼はもたげた頭を下ろして深い呼吸をした。
・・・そしてそれからそう時を経ずして列車は彼の上を通過した。
彼の無惨に引き裂かれた肉塊が辺り一面に飛散し、僕は落胆と恐怖にうろたえながらその場を立ち去った。。。
生々しい臭気を漂わせるその「肉塊」と彼の顔がだぶり強烈で後を引く夢だった。。。
「死」と「肉」にまつわる夢を以前この日記にも書いていた。
(【夢日記】惨状。を参照下さい )
今回は新たに「線路」そして「自らの意志で死を選ぶ男」というキーワードが出て来た。
そして彼の言った一言「祈ってくれ」・・・
彼は何者なのだろう。僕自身なのか。
自分ではなく他人の「自殺」の夢は何らかの恐怖や不安の対象が消える(解消される)ことを意味しているといわれる。
「線路」はよく「人生」に例えられる。
その「線路」の上で「他人が自殺」するというのは何らかの障壁が取り除かれるという暗示であるとみて良いのだろうか。
だが彼の死に際の一言と、生々しい肉塊が頭に焼き付いて離れない。単純な夢診断以上の意味があるのかどうかは知る由もない。

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2006/2/3
2005.02.03【夢日記】
その壱
気が付くと僕は行列の中に紛れ込んでいた。
並んでいる人は沈痛な面持ちで肩を落としている
それはさながら葬送の行列の様でもあり、食料配給の行列の
ようでもある。
少しずつ歩を進めて行くと前方に巨大な鳥居の様なものが
見えてきた。しかしそれが鳥居なのかどうかは今いち判然と
しない。
その「鳥居のようなもの」の先は眩しくてどのような風景が
広がっているかはこちら側からは見えない。
僕の並んでいるこちら側と言えば「何もない」。。。
前に並んでいる人の「背中」と歩いている「道」しか見えない。
暗闇で見えないとか、霧がかかって見えないのではない。
風景が「存在しない」のだ。文字通りの「無」の世界に
ただ道が「鳥居のようなもの」に向かって延びているだけだ。
僕は誰に強制されるでもなく、自分の意志かどうかも分からぬまま
その行列に黙って加わっている。疑問も抱かぬまま。
しかしその「鳥居のようなもの」が近付いて来るにつれて
異様な恐怖と威圧感に苛まれる。
そこでは何が行われていて、並んでいた人達は何処へ行った
のだろうか。。。次第にそれが分かって来る。。。
「鳥居のようなもの」の下にはそこの番人のような者がいて
順番が回って来た人間に対して太い棒を手渡している。
その棒の長さは2〜3メートルほど。
その棒を手渡された人間は目の前の「鳥居のようなもの」に
向かって走り出し、丁度「棒高跳び」の要領でそれを飛び越そう
と試みる。
成功した人間は光の中に吸い込まれていく。
そして失敗した人間。つまり「鳥居のようなもの」の先には
到達出来ず、その手前に落下した者は身体が黒い靄に包まれて
消えて行くのだ。。。
この光景を見た僕はその場を立ち去りたい思いで一杯になる
しかし反面、それが自分の責務であるかのように冷静な部分も
持ち合わせているのに気付く。
そして僕の前に並んでいた人が番人から棒を渡された。
そして彼は失敗し、靄と共に消え去って行った。。。
そして遂に僕の番。。。
ここで目が覚めてしまった。
目覚めると動悸と荒い呼吸でまるで激しい運動をした直後の
ような状態で横たわっていた。
タイミングが良かったのか悪かったのか。
その棒を受け取って飛んでいたら成功しただろうか。
失敗しただろうか。成功したのならあの「鳥居のようなもの」
の先に何があるか見れただろうに。
また不思議な夢の旅をしてしまった。
その弐
「日曜日までだから・・・」と言い残した父が夢に現れた。
その前に見た夢が印象的過ぎる夢だったからか細部まで覚えて
いないのが悔やまれる。
再び夢に現れたということは夢に現れるのが
「日曜日まで」なのではないということなのか・・・
とするならこの言葉の真意とは?
「日曜日」とはいつの日を指すのだろう?
【夢日記】日曜日。参照>
その参
日々夢について、その意味を理解しようとしているからなのか
ここに書いている【夢日記】について誰かに質問され
それに答えているという夢を見た。
視覚的イメージの夢ではなくて、お互いの声だけが何も無い
空間に響き渡る夢だった。
一度の睡眠で三度訪れるレム睡眠。その時に見る夢三つを全て
記憶することに成功した。父の夢の細部を記憶出来なかったのは
残念。。。


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2006/1/31
2006.01.31【夢日記】
夢の中で目覚めた僕の眼前に広がった光景は視界一杯に広がる空
横たえた身体を起こすと水平線が見えた。どうやらそこは巨大な船の甲板のようだ。
激しく海面は揺らいでいるのに何故か自分の心臓の鼓動が聞こえる程に静寂さを保っている。
僕は自分以外の乗船している人を捜す為に船内を歩き回った。
巨大な船だが時代錯誤な雰囲気だ。近代的な設備はなく、外壁の至る所が錆び付いている。船室には人っ子一人いない。
もう一度甲板に出て歩き回っていると、半開きになった扉を見つけた。そこは食料庫のようで大きな袋がいくつも積み重ねてあった。その袋の間に僅かな隙間があり、覗いてみると帽子を被った外人の男が横たわっていた。彼は目を閉じ、呼吸が荒く、呼びかけても反応がない。服装はとてもレトロチックで1900年代前半といった趣きだ。彼は誰なのだろう。そして何が起こったというのだろう。他の船員はどこに行ったのか・・・
彼の隣で途方に暮れていると、船に大きな衝撃が走った。何かに衝突したようだ。慌てて甲板に出てみると堤防に突っ込んでいるのが分かった。その堤防の先にはいくつかの民家や古びたビル、崩壊した原形を留めない建物が見えた。
僕は甲板からロープをつたい堤防に降り立ち、歩を進めた。明らかにそこは街だったことが分かる。「・・・だった」そう、そこはまるで津波かハリケーンが通り過ぎた後の様に、破壊し尽くされていたのだ。比較的頑丈そうな建物は全壊を免れているものの見るも無惨な状態だ。その建物を一戸一戸人の気配を探して歩き回る。
歩き回るうちにそこがかなりの大都市であったことが分かる。そうこうしているうちに日が暮れて来た。歩き疲れて道に腰を下ろした時、何やら金属的な音が遠くから聞こえて来た。
「人がいるんだ・・・」
その音のする方へ駆け寄って行った。
・・・それは人ではなかった。
黒い甲冑の様なものに全身を包まれた見た事もないような二足歩行の生き物。身の危険を感じた僕はすぐ脇にあった建物の一室に身を隠した。するとそこには船の食料庫で横たわっていた男と同じ様な服装の男女数人が隠れており、僕を手招きしている。。。
僕等はそこで息を潜めてその正体不明の生き物をやり過ごした。
と、そこで目が覚めた。。。
ここしばらく父が登場する夢が多かったり、現実に存在する既知の場所が出て来たりといったことが多かったが、このような映画みたいな夢は久し振りだし、これだけ鮮明に覚えているというのはこれまでにはないこと。さながら聖書に登場する黙示録を連想させる夢で啓示的なものを感じた。
数日前の予告通り、父は日曜日を境にピタリと夢に出なくなった。
あれほど毎日のように出ていたのに。日曜を境に何かが変容しているんだろうか。父は何処へ行ったのだろうか・・・
ネットで夢に見た光景に似た画像を探していたところ、海外のサイトに気持ち悪い程酷似した画像を見つけた。特に中央の画像は僕が夢の中で歩いた街そのもの。そして黒い甲冑の生き物は右の画像にそっくり・・・これはどういうことなのだろう。
『追記』
この夢はどこから来たのか・・・
可能性1:現在の心の状態
夢診断でいうと「戦争」を想起させるこのような夢は「心の闘い」を意味する。葛藤、混乱、不安、戸惑い、状況変化の予兆などの暗示。
可能性2:外部刺激によるもの
睡眠中の外部からの刺激によるもの。REM睡眠時は容易に外部からの情報を取り入れ、それに対する反応も可能。この睡眠中にテレビが付けっ放しになっていた。
可能性3:情報の先取り
ネットで調べた画像と夢で見た光景の一致。目覚めた後に見る光景や情報を夢が先取り出来るとしたら・・・予知夢などもこの範囲に入る。
可能性4:過去の記憶
予知夢とは逆。過去に起きた事の断片的記憶の具象化。または過去世(前世)の記憶。

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2006/1/28
医学博士:モンタギュー・ウルマン
哲学博士:スタンリー・クリップナー
作家:アラン・ヴォーン
の共著「Dream Telepathy」(1987年・絶版)に興味深い一節を見つけたので記します。
『マレイ半島のセノイ族の男は朝、自分の見た夢を、家族とともに分かち合うという習慣を持つ。この習慣は、夢をどんどん思い出させるだけでなく文化面でも大いに寄与しているらしく、この部族には暴力沙汰も精神疾患もみられないということである』
この一節は非常に重要で大いなるヒントを与えてくれます。
古来、私達は「夢」を記憶することは「生きること」そのものでした。未来を予測する啓示的ツールとして、さらには夢で見た世界観は芸術として昇華され多くの人の心を癒しました。
「夢の記憶の欠如」は「現代文化の衰退」をも意味します。決して大袈裟ではありません。さらに「文化の衰退」は「精神性の失墜」でもあります。
現代の私達が夢からイメージするものは
・正確性を欠く・現実には起こりえない・あやふやな
・見果てぬもの・おぼろげ・信頼性の無い・夢想家(実現不可)
などマイナスなものばかりです。
これは睡眠中に見る「夢」と将来のヴィジョンとしての「夢」が
同じ言葉で表されていることが大きな原因ではないかと思います。
だからこそ睡眠中に見る「夢」は上記のイメージが先行し軽視されてしまいがちとなります。
朝起きて子供が楽しげに、いや時には悲しげに「夢」の内容に関して話しをしたとすると大抵の親はそれを心に留める事はありません。しかし子供はとても重要な「何か」を語っているのです。「そんなの夢なんだから」と一笑に付し、バカバカしいと捉えるか、その夢を家族で話し合うかで、その家族の行く末さえも変わるとしたら、もう無視出来ませんね。
夢を「語らう」ことは、夢を「思い出す」ことに繋がり、それは大きな広がりを見せてセノイ族のように暴力も精神疾患さえない社会を生み出す事も可能なのではないでしょうか。
夢を重要に扱う文化を現代社会が取り戻したのなら、私達は一歩理想とする社会に近付ける気がしませんか?そしてそんな社会はきっと子供達にも私達にもよりいい夢を見させてくれるかもしれません。
僕自身「明晰夢」を自覚し、夢に関して知りたい欲求が高まるにつれて夢の記憶は容易になり、ほとんど毎日の夢を記憶出来る様になりました。そしてそこに現れる不可思議な世界を見つめ続ければおのずとそのメッセージの真意に近付ける事を知りました。
夢に意識を向け、語り合い、探求する事で心の病に苦しむ人達の手助けにもなり得ることでしょう。僕の日記を読んで頂く事でこの重要性に一人でも多く気付いて頂ければ嬉しく思います。
2006.01.28【夢日記】
僕は古びたビルのベランダにいる。
そこには賢そうなゴールデン・レトリーバーが一匹。
彼は僕にとても懐いている。
ベランダから見える景色は数百メートル程先に森。
その森の先は海。
僕はその森を指差し、ゴールデン・レトリーバーに合図。
その後、僕と彼はベランダの柵を乗り越え階下へジャンプ。
身体は宙に浮き、指差した森へ向けて進んで行く。
古びたビルは今までの自分を現しているのか。
ゴールデン・レトリーバーは信頼出来るパートナーなのか。
森には何があるのだろう。
父の出て来る神秘的な夢が多い中、空を浮遊するという夢らしい夢
久し振りでした。
[montague ullman博士公式サイト]
http://siivola.org/monte/
[3-1にモンターギュ・ウルマン博士の夢研究の一部が掲載]
http://www.kisc.meiji.ac.jp/〜metapsi/psi/index.htm
[「Dream Telepathy」の紹介]
http://www.espresearch.com/dreamtelepathy/

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2006/1/27
2006.01.27【夢日記】
また父だ。父は異様に何かを訴えかけたいのだろうか。
それとも僕自身が執着しているだけなのだろうか。
どうしても細部までは思い出せないので断片的な記憶を。
視界の左側には道路。そのさらに左横には海岸。
僕と父は二人で道なりに歩いている。
見た様な光景だ。
夢によく出て来る11階建ての団地。
あの中学時代に暮らした場所。
その周辺にそっくりだ。
真っ暗な道。夜中なんだろう。
そこをとぼとぼ二人で歩いている。
ふと父は言葉を発した。
「日曜日までだから・・・」
「一緒にいられるのは日曜日までだから」
どういうことなのだろう。
夢の中に出て来るのは「日曜日まで」なのだろうか。
亡くなってからずっと近くで見守っていたけど
「日曜日」を過ぎると上に上がっていくというのだろうか。
父の表情はちょっと寂しそうだったけれど何だか清々しささえ
漂っていた。
「お前の苦しみも一緒に上に持って行く」とでも言いたげに。
これまで夢に出て来ても一切語らなかった父が
急に雄弁に語り出した訳はそこにあったのかもしれない。
僕は「日曜日」を境に父に会えなくなるのだろうか。
この前後にも夢は続いているのだが記憶に留められなかった。
忘れているということは、単に「記憶の不具合」ではなく
「覚えなくても良い事柄」だったのではないだろうか。
今、僕は確実に「夢」を介して父のメッセージを受け取っている。
「夢」で死者のメッセージを受け取ることが可能だということを
実証しているのかもしれない。
そんな父の命日は来月にやって来る。

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2006/1/25
2006.01.25の【夢日記】
ここはどこだろうか。
巨大な駅のホームか、商業ビルの高層階のエントランスのようだ。
視界のやや右手には下りのエスカレーターがある。
そのエスカレーターを見下ろす様な位置にベンチがある。
そのベンチにはようやく立ち上がれる様になったくらいの
子供と、そのお母さんがいる。
お母さんは、立ち上がりその場を去った。
しばらくしてお母さんは、ベンチへ戻って来ている。
子供のいるベンチから、お母さんまでの距離は50メートル程。
この時、子供はベンチの背もたれに掴まり立ち上がり
下のエスカレーターを見下ろす様な姿勢になった。
近くでこの光景を見ていた僕は「危ないな。。。」と思った。
と、次の瞬間、子供は背もたれを乗り越えて10メートル程の
高さがある下りエスカレーターの到達部分へと落下していく。
僕は咄嗟に子供の落ちて来る真下へと瞬時に移動して
その身体をキャッチした。夢だから出来る早業だ。
夢の中で確かに「夢だから瞬間移動が出来るはずだ」
そう思った。
子供を抱き止めると母親が泣きながら駆け付けて来た。
「・・・・・・」
彼女は確かに言葉を発したのに口だけが微かに動いて声が
聞こえないのだ。
僕に必死でしがみつく、その子供は何だか僕の事を知っている
僕の存在も、僕の身体の温もりも、匂いも、心の内側も
何もかも...そんな気がした。
そしてその母親も...
僕もその子供を抱き止めた瞬間に、愛おしさが身体と心に
充満してくるのが分かった。
何とも言えない「愛の波動」だった。
そして僕は何かに導かれる様に子供を抱き抱えたまま
その場を後にした。。。
あの子供、そして母親は誰なのだろう。
そして子供を助け、抱き締めた時のあの感情は何を意味しているのだろうか。。。
今日の【夢日記】キーワード
「助ける」
助けたり助けることは脱出したりピンチから乗り越えることができるように夢でも今のあなたが抱えている問題の救世主が表れることを暗示している。
「子供(赤ちゃん)」
赤ちゃんというものはまだどのような人間か完成されてない。夢の中でも可能性を意味する。どんどん生命力が強くなっているので何か新しいことを始めるのであれば絶好のチャンス。無理っぽいことでもすんなり成功してしまう。小さい赤ちゃんの夢は、焦らず物事を運べば大丈夫。慎重に進めよう。赤ちゃんを抱いている夢は可能性を今現在持っているということに繋がるので、宝くじなどを買うには絶好のチャンス
「エスカレーター」
時間を要するが成功を暗示する
あの「愛の波動」には夢診断なんかを超越する何かを感じた。
ここのところの夢には共通した何かがある。
待ち受けているものは何ですか?

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2006/1/22
夢の舞台はまたしてもあの小学校5年生から中学まで住んでいた11階建ての団地。あそこは僕にとって現世と冥界の境といってもいい。7割の夢の舞台はここで、そのほとんどが陰鬱なのもだ。
薄明かりの中、部屋の中央には布団が敷かれている。
そこには父の母であるお婆ちゃんが寝ている。
いや、どうやら亡くなっているようだ。
実際には小学校に入学前に亡くなっているので、この団地でお婆ちゃんが暮らしたことはない。
お婆ちゃんの横たわる布団を囲んで、幾人かの人がいる。
その中には父もいた。
父は悲しみに暮れて泣いている。
すると部屋の明かりが消えて、窓から差し込む月明かりだけになってしまった。
その月明かりがお婆ちゃんを照らしたのと同時に、お婆ちゃんは目を見開き、むっくりと起き上がったのだ。
僕は父に詰め寄った。
「お婆ちゃんは生きているの?」
父は
「悲しみと死者への後悔の念は、魂を上に上げる障害になるんだよ。心配で見ていられなくて戻って来る。過ぎたことは受け入れなさい。何にも後悔することなんてないんだよ」
そう言った。
お婆ちゃんが生きているか、の問いに対する答えではなく僕に対する直接的なメッセージだった。お婆ちゃんが起き上がったのは、それを理解させる為の視覚的なイメージで、その真意を父は自ら夢を通して語りかけたんだろう。

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2006/1/22
2006年1月21日【夢日記】
僅か2時間の睡眠で見た印象的な夢を一つ。
街を歩いていると幾人もの人が僕に向かって押し寄せて来る。
「何なんだ、この人達は。。。」
するとその人達はおもむろにあるものを取り出した。
それは何と「亀」!大きな「亀」なのだ。
その取り出した「亀」を一斉に僕の服の中に押し込んで来るのだ。
服の中で蠢く亀を懸命に取り除こうとジタバタしているうちに目が覚めた。本当に変な夢だ。。。
夢に登場する「亀」には二通りの意味が存在する。
「自己を防衛したいという願望。
野心や願望が容易にはかなえられないという感じ」
「吉兆のシンボルとされ金運・長寿等開運の前兆を表す。
体を固い甲羅で覆っている事から、保護や防御、用心深さ
を現している。強力な支援者が登場する暗示も」
さて、この場合は自分の現状を顧みると前者の様な気もするが、是非後者であって欲しいもの。
前者と後者ではその解釈の仕方が明らかに異なるのが分かる。
前者はより心理学的解釈の夢診断で、後者は日本の伝統的な啓示的な側面を持つものだ。どちらも多分に真理を含んでいる気がする。
実際に亀の夢を見た翌日に宝くじを購入して1億円当てた人もいる。実際こうした例は枚挙にいとまがない。だからこそ今日に伝えられているのだ。夢が吉兆を教えてくれるのか(夢と自己が「分離した状態」で未知の領域からの啓示として)、夢の中で集合的無意識の領域にアクセスすることで将来自分の身の上に起こる現実を「既知の情報」としてフィードバックしているだけなのか。いろいろ解釈が分かれるところだ。
そういえば
「 ブルー・タートルの夢
THE DREAM OF THE BLUE TURTLES 」
というSTINGの作品があったっけ。
どんな歌詞だったっけな。
海外では「亀の夢」はどんな解釈がされているんだろう。
国ごとに違うのだろうか。
余談だけど江戸川 乱歩 原作 三島 由紀夫 脚本で美輪明宏さんの舞台でもお馴染みの「黒蜥蜴」に「老家政婦ひな実は青い亀」という登場人物がいる。
「青い亀」にはどんな意味があるのかな。

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2006/1/15
「たまげる」は「驚く」、という意味ですが、これも【夢】に関係がある言葉なんです。
「たまげる」は「魂消る(たまげる)」からきており、睡眠中は魂が抜け出ている為に、急に寝ている人を起こすと魂が肉体に戻れなくなるとの言い伝えがその語源となっています。
先日の日記で書いた
【夢】の語源は【寝目(いめ)】
これは【いぬ】という動詞からきたもので【いぬ】とは
【往ぬ(往く)】【死ぬ】という意味を持っている。
【夢】とは【死ぬ】事と同義として扱われ、それは肉体を出た
【魂】が【魂の目】を通して見るものとされる。
と同様に昔の人は「睡眠」という人間の生物学的機能を「別な世界への移行」「魂の旅」と位置づけていたのが、こうして言葉の語源を辿る事で理解出来ます。
いくら寝ても寝足りない、そんな日が長く続き自分が「疲労しているのか」「病気なのか」「怠惰で自己嫌悪に陥る」と危惧することが人生に何度かあるはずです。それは「魂の旅」がその時期に必要だからで、自分自身が「夢」を見ることで「明確な変容」を遂げようとしているのだと思います。恐らくその後には目まぐるしい変化があるでしょう。人生の善き転機が訪れる前はそうなのです。
「寝目」や「魂消る」などはそれを証明する一つの例だとも言えます。
人生を80年生きるとして、その内約23年間を人間は睡眠にあて、5年間は夢の世界の住人です。その大切な5年間を映画を観る客席に座る一人として傍観者に徹するか、映画の登場人物になってスクリーンの世界を縦横無尽に闊歩し、そこで得たものを現実に取り入れていくかを選ぶ事が出来る訳です。
人には無駄な時間や時期は1秒たりとも存在しません。睡眠中も夢を見ている時も。
それを知ると「魂の旅」に出掛けて生きるヒントを得ようという気分になります。
先日に引き続き【明晰夢】を見る為のヒントを。
(1)
人は約7時間睡眠すると仮定して4度周期的なREM睡眠の状態となります。1度目より2度目、2度目より3度目のREM睡眠が時間的に長くなります。ですから7時間睡眠を取ると4度目のREM期が最も長くなり、多くがこの時に見る夢を覚えています。ですから基本的に長時間寝る程REM睡眠自体を長く出来る事になります。そして回数も増えるので夢を記憶出来る準備が整うことにもなります。
(2)
昼寝を推奨します。昼寝の最中に明晰夢を見るというのではなく、昼間に睡眠を取って夜の睡眠をREM睡眠に近付ける、浅い眠りにするということです。昼寝の時も稀に印象的な夢を見ることがありますが、睡眠時間が極端に短い為に当然REM期も短く、夢を記憶する事は難しいです。
(3)
二度寝。これが一番効果的です。夜中に目が覚めたり、夢の途中で目覚めた時はそれまで見た夢を何度も繰り返しリプレイさせて下さい。そして先程までに見た夢を完全にリプレイ出来たら、すぐにまた眠りについて下さい。二度寝をする為に目覚ましをセットするのも良いですが、なるべく自然に起きた状態にするのが好ましいので、高い音が鳴る目覚ましではなくて携帯電話のバイブレータ機能を使うのがいいかもしれません。
「夢を想起する(思い出す)能力」は
「自身の生きる目的を想起する(思い出す)能力」で
「明晰夢を見る(夢の中で目覚める)能力は
「自身の存在に「目覚め」人生を変容させる」能力
だと思います。それを肝に銘じておくと「明晰夢」に一歩近付きます。
自分自身に「有益」なものは覚醒中に直視出来る形あるものだけだという思考が私達の能力を妨げます。「木を見て森を見ず」に陥らない様に生きたいものです。

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