●8/1,祐天寺サマージャズに出演した。会場には、100人を越える満席のお客様。
祐天寺は300年を越える由緒あるお寺さん、東横線にある祐天寺駅から駒沢通りへ向かう祐天寺商店街は新たらしい店と古い店が混在する、何か懐かしい町並みである。
歩いて5分の区の施設に集まったお客様は年輩の方が多かった。ビッグ18ジャズオーケストラ
http://www.geocities.jp/big18jazz/
は横浜で活躍するアマチュァビッグバンド。
昭和の懐かしい歌謡曲の数々、美空ひばりの曲、青い山脈や、闘牛士のマンボなど、私が中学生当時に親しんだ曲も多く、聞いていても楽しめる。コンマスの高橋さんは、リードアルトで、クラリネットの名手である。ブログも面白い。
http://www.geocities.jp/big18jazz/mt.htm
この日は、私のオリジナルビッグバンドスコアで、サンバ東京横浜祐天寺??、テイルズオブカントリーを演奏。パート譜を1ヶ月がかりでPCで写譜した。しんどかったけど、ミスが少なく、バンドも良い演奏をしてくれた。
●8/2,早朝に、秋田市の大館市の弟から、父の訃報が入る。8/5日までの仕事の都合を付けて、新幹線で秋田に駆けつける。
かねてから準備していたとおり、弟は事務方、私が喪主として葬式をやる手はずを整えていく。
父菊地康雄は、大正15年生まれの82歳、秋田県阿仁町生まれ。30歳で公務員を退職、独立して雑貨商からスタート、55歳でディスカウントスーパーマーケットという田舎ではまだ無かった大型店舗事業を始め、10年で7店まで展開する大規模チェーン店を作り上げた起業家、実業家である。
その後事業は次男、私の弟に采配を譲り、その会社も、成績の良い状態で、有利な条件で会社ごと売却に成功、雪深い秋田を脱出して、房総に買った住居で悠々自適の生活を送り始めた矢先であった。癌が見つかり、早速治療に取り掛かったのは・・・。
ところが、時すでに遅く、大腸と肝臓の癌がひどく、大腸は入院して15センチ切り取ったが、肝臓はもうほとんどが癌化していて、死を待つのみの状態であった。医者の見立てでは、余命3〜6ヶ月。
この4ヶ月間、弟夫婦は本当に良くやってくれた。病院には入れず、弟の自宅で、療養。抗ガン剤、放射線治療は、副作用がひどいので一切行わず、機能の落ちた肝臓のために、部分輸血などでしのいだ。通院も途中でやめ、在宅で医師、介護ヘルパーさんに来てもらう生活。
最後の1ヶ月は、医者の勧めで会うべき人に会う。親戚のほとんど全て、そして亡くなる1週前には私も秋田に飛び、父と最後の語らいが出来た。お互いに会うのはこの日が最後と、父は私の顔を見るなり、感涙してくれた。もちろん私も・・・。お互い涙を流しながら、堅く手を握り合ったのだ。
父は天才的な事業家ではあったが、芸術一般が理解できず、人への思いやりという点では、すこし?な人ではあった。母の文化活動(これが多趣味で、文学、絵画、舞踊、書道いろいろ)はあまり理解できなかったようだ。
療養生活に入ってからは、あれだけ強く持っていた自分の考え方への確信から離れ、人には、色々な価値観がある、息子や妻の芸術へのこだわりも、お金儲け以外の色んな価値観があると言うことも、遅ればせながら気が付いてくれたようで、これも癌という病気のお陰である。
そして子供の居ない弟夫婦は、4ヶ月ではあったが、父と暮らせたことにうれしさが隠せなかったようで、皆で癌に感謝しているのである。
病気は、生き方が間違っていますよという神からのメッセージだという。素直に受け止めれば、いろいろな発見があり、人格が向上し、周りに幸せをもたらす有り難いものであると言うことが今回の発見である。
喪主として、主に父の親戚、関係者の弔問を受け、感謝の言葉を述べる。あわただしい葬式の準備、そして、体を清め白装束を付けて、あの世への旅立ちの準備は整う。
父の葬儀は、8/5に北秋田市の浄運寺で営まれた。住職様のおつとめの後、喪主の私による、フルート演奏「ダニーボーイ」、孫代表の私の長男の弔辞が良かった。
「おじいちゃんは、小さい頃から、その哲学人生観をいつも語ってくれました。なるほどなぁと思う反面、そうかなぁ?と思うこともありました。今はもう会えないおじいちゃん。有り難う、そしてさようなら。」
無駄なことは一切言わない、息子らしい挨拶であった。
音楽は演歌専門で、ジャズ、クラシックが理解できない父は、30年以上も私に、ヤクザな稼業から足を洗い、どこかに勤めるか、転職を薦めていた(TT)。
2年前の「My Spanish key」発売記念コンサートでは、父に捧げる「ダニーボーイ」を演奏。100人以上の満席のコンサートを体験して「康正君の仕事もなかなか良いのが解った。だけど採算は取れるのかな?」と生まれて初めて僕の仕事を認めてくれたのが嬉しかった。だけど、企業人らしい見解を付け加えるのも忘れない(笑)。
弟の下にいる妹は嫁いで、高校生二人の子供の母親であるが、帰秋する新幹線の中で、こんな話を聞いた。
「結婚して20数年経っても子供の居ない弟夫婦(彼女にとっては兄夫婦)は可哀相・・。私が赤ちゃんを産んで、兄さんにあげても良いよ。高齢なのと、体調が良くないのでかなわないのだけど、昔から良くそう言うことを考えていたのよ。」
これを聞いた私は、まったく男の私には思いつかないだけではなく、何て優しい兄思いな妹なのだろうと、感動の涙が止まらなかったのだ。こう言うのを思いやりというのだろう。妹に教えてもらった。
幸いにも、私には二人の頼もしい息子と、大阪にいる長男には、二人の娘も居るのである。有り難いことだ。これも、ご先祖、周りの皆さんのお陰であり、感謝の気持ちを忘れないようにしたいものだ。
これを読んだ皆様にも、父の冥福を祈って頂ければ幸いに思います。