9月15日(土)
9月8日〜11月15日まで浜松が生んだ望郷の作詞家
特別展「清水みのる展」が開催され始めた。
9月9日(日)午後から浜松市中区鹿谷町にある「浜松文芸館」に行ってきた。
霧雨模様の天気でしたが、
今も尚、「清水みのる」を懐かしく偲ぶ人達で盛況でした。
館内からは当時の流行歌謡が流れていて
一層、清水みのるに寄せる思いが盛り上がりました♪
清水みのるは、
1903年(明治意36年)9月11日、現在の西区伊左地町に村医の
次男として生まれた。(本名は實)
幼少時代から、中学・高校時代をつうじて浜名湖畔の恵まれた環境の中で
自由奔放な生活を送りました。
その間、みのるは水泳と柔道で鍛えた頑健なからだと生来の純粋な心を基盤と
して詩人としての豊かな文学的素地を培っていきました。
浜松中学校(現静岡県立浜松北高校)から立教大学に入学し、水泳で活躍
する傍ら詩人佐藤惣之助に私淑し、詩の道を歩き始めました。
昭和6年、ポリドール蓄音機会社に入社。7年間は荷造り発送などの労務に
つきながら、詩の勉強に励みました。
昭和13年歌手田端義夫のデビュー作「島の船歌」を作詞、これが大ヒット
し、その後の「船シリーズ」の成功で作詞家としての地位を固めました。
みのるの作詞した『森の水車』『別れ船』『月がとっても青いから』『星の
流れに』をはじめ、多くの曲がたくさんの人々に歌われました。
数多くの曲を次々と発表するかたわら、晩年には郷土の歌作りに労を惜しまず
協力したり純粋詩の創作に情熱を傾けたりしました。
昭和43年には日本作詞家大賞特別賞を、翌年には日本作詞家協会から功労賞
受賞、昭和46年には歌謡の向上に多年寄与した業績により、紫綬褒章の栄誉
に輝きました。
また、後輩の育成や福祉事業にも功績を挙げるなど幅広い活動をした
清水みのるは、1979(昭和54)年に76歳で惜しくもこの世を去りました。
清水みのるさんの生涯を振り返る特別展会場。
母校の伊佐見小学校の校歌や「浜松まつり唄(うた)」「凧(たこ)揚げ小唄」
など、故郷のために多くの歌を残し、郷土玩具の収集家でもあったことでも
知られるだけに、伊佐見小が遺族から寄贈を受けて展示室に飾っている幼い
頃からの写真や自筆の作詞ノート、手紙、郷土玩具などの珍しい品々も並ぶ
展示場を感慨深げに見つめる人達。
私にとっての「清水みのる」は、やはりラジオから流れたあの軽快な明るい
響きの「森の水車」だ。
清水みのるの生育歴、環境から見ても伸びやかな素直な健康的な明るさに
溢れたあの詩が清水みのるを表現しているように思う。
勿論、田端義夫や菅原都々子の歌も知っているけれど・・・。
清水みのるの生家
現在、ソテツがそのままの姿で残っているようです。

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