2005/8/20
3 滅亡の因子を含む 第三章「滅亡の因子を含む」

常に国際情勢は張り詰めていたが、それがわからなくなるほどその状態に慣れ親しんでいた。
日常とは何がしかの事柄をきっかけに一つバランスを崩すと全てがバラバラと解けて、以前とは全く世界が違ってしまうものだ。
狂信者が無数の同胞を迫害の対象へと追い込んでいく。
2001年九月十一日、全世界に君臨して頂点にそびえ立ち各国を睥睨する大国の象徴目掛けて、罪も無い犠牲者を乗せた悲劇の特攻機が青空の中を飛んで来た。
ワールドセンタービルのツインタワーを襲った民間旅客機は、二つのビルの上層階に突っ込んで自らを破壊した。
聖戦を訴える人々は、人がどれほど惨くなれるのかを再び世界に知らしめた。大掛かりなテロ行為がアメリカ都心部を襲ったのだ。
「戦争」とは何かの目的の為に他人を殺す事を正当化するために生まれた言葉だ。
ニューヨークの町に悲鳴と地響きが轟き爆発の炎が巨大なビルを飲み込んで崩し去る。
破壊された建造物の破片を猛スピードで撒き散らす、熱を孕んだ灰色雲がどんどん大地を這い舐めていく。
「神戸のニュースを見た時も映画かと思ったわ。…これも現実なのね?」
センター内で、呆然と誰かの声が呟く。
嘘のようにあっさりと、たった今まで自分の人生を生きていた、生き生きとした生命が消えた。
隣のビルの破壊に一時耐えられるかと思われたもう一つのビルが、旅客機の攻撃に炎を拭くと、「ああ、ああ」と力ない溜息が唇を漏れ、結局衝撃に持たなかった二つの巨大な建物が降り注ぐ灰の固まりになって崩れ去ると、残念なのか、喪失なのか、気が遠くなるような沈黙が見る者の心を殺した。
嘘だろう、と言いたくなる。
まるでSFXだ。
近頃の現実はあっと驚くほどに思い切りがよく、もっと大胆でいいはずの夢想の方がちまちまと遠慮深い。
「当局も目の届かない末端部分に対しては警戒していたが裏をかかれた。頭上の死角だ。
まさかそう来るとは思わなかったようだ」
「馬鹿にしている」
ネットワーク管制塔の中央モニターに映った、三機目の旅客機が突っ込んだペンタゴンの火を見詰めてワルド所長が呟いた。
国際網防衛センターアメリカの責任者だ。
額が禿げ上がって、天辺に僅かに毛の残る汗ばんだ顔は、怒りに血の気を失い、屈辱にうっすら涙の滲む赤い目で、関係者に連絡を取る為に席を立った。
管制塔の所員は、その背中を無言で見送った。
我々が別の敵と戦っている間の出来事だ。
今回の件について、予め高まる緊張を事前に察知していた政府が、各国大使館に警告を出していた事は、勿論知っていたが、自爆テロを行う集団とサイバーテロを行う集団という別々の敵を、同時には追えないのだから、我々は充分にその役目を果たしたと言っていいだろう。
…。
この上出来る事があるとすれば、このままインターネット界の番犬としての任務を全うし、今回のハード面に焦点を当てた自爆テロに便乗する新たなテロ行為が、ソフト面を騒がせる事が無いように、ネット上の警戒を強化する事、犯罪者を増長させない構えが肝心だ。
麗華は、ゼン将軍のコリー犬のような細面で端正な顔を思い浮かべた。
独特のうっとりした青い目は、この事態を利用した新たな悪事の数々を画策している事だろう。
ジャッジメントは通常、インターネット上の情報撹乱や機密の漏洩による犯罪の奨励を得意とするが、その気になれば地上における戦力も保有しているようだ。
ゼン将軍の過去の戦歴は知らないが、以前旧日本支部を無数の兵士で覆い焼き尽くしたヌビル将軍がそれを証明している。
日本を撤退した極東支部は大陸に渡り、今はインドに本拠を構えているらしい。
今回の自爆テロの主犯指導者潜伏地域と近いが、何か関連があるのだろうか?
◇
1991年の湾岸戦争から十年が経っていたが、熾き火は残って燃え続けていた。
アラブ人の東洋と西洋の入り混じったような中高の顔がTVに写っている。
TVの前に座った男はすっかり日に焼けて、日本にいた頃よりも更にそれらの顔に近付いた悪魔のような笑顔で満足げに頷いた。
「何てこった兄貴、よもやこんな風に横から獲物をかっ攫われるとは」
常に自分が中心でなければ気が済まないゼン将軍が、アメリカ政府にとって一時的であれ敵対勢力として、二次的存在に格落ちするこの事態を、苦々しく思っているのは間違いない。
その尻馬に乗って堂々とアメリカ入りするつもりだ。
ライバルを牽制する隙を与えずに次の手を打つ。
横から獲物を奪われるほど頭に来る事はない。
全世界に跨るインターネットは文明先進国の全てを網羅する。
それを東西二つに分轄しているのは、大きく見て東と西では戦いのあり方に相違があるからだ。
西洋諸国の経済戦争とアフリカを含め東洋諸国の流血の武力行使、前者は大量破壊兵器が一瞬にして勝敗を決めるが、後者は果てしなく続く抵抗との持久戦。
アフガニスタンを攻撃する米国率いる多国籍軍を表舞台とすれば、裏舞台は米国本土を襲うジャッジメント西軍と国際網センターアメリカとの戦いだ。
ヌビルはパソコンに向き直ってキーボードに指示を打ち込み始めた。
「ガネーシャ」は、象の鼻を持つインドの神で群集の主という別名を持っている。
ヌビルは呼び出した接続子に「trunk」と入力した。俗に象の鼻と言われる電話回線の事だ。
群衆の主が、電話回線だなんて面白いだろ?
海の底の母体(マザーコンピュータ)にアクセスせずに、東軍独自の集積コンピュータからデータを引っ張って、プログラムを組む。既存の指示系統をチェックして、今後の新しい指示を組む為だ。

宗教戦争は潜伏性の熱病で、過去から積み上げてきた時間は消え去る事無く、人は他人の苦しみには鈍感なものだ。
アメリカは自分の力に自信を持ちすぎてしかも失敗すると、都合のよい解釈で自己弁護する反省のない国だ。
アメリカは、1996年に今回のアルカイダに関する情報を協力国のスーダンから入手する機会を自ら放棄、アメリカが取り合わなかったから、ビンラディンはスーダンからアフガニスタンに出国した。
更に98年、アメリカはスーダンからの協力を活用しきれずに誤解からスーダンを巡航ミサイルで攻撃して、二国は完全に決裂した。
ロシアの場合も同様で、2000年にはアフガニスタンのアルカイダ、およびタリバンの情報を国連に提出していたというから、入ろうと思えば協力体制に入れたはずだが、長く敵対関係にあった情報機関のしがらみからか、地形的にも有用な情報を持ちえたロシアを活用しなかった。
ヌビルは、フィリピンのサナヒとインド洋を回遊しているショー、両将軍に残す指示を「trunk」とは別に組んだ。
この二人は東軍最高司令官にいつでも直接アクセスする権限を持っている。
それは必要とあれば、ヌビルを切り離して次の行動を決定する権限を持つ可能性を示唆する。
二副将軍に権限を付与したのは陛下だ。
次にドイツのサーバからエジプトに入って電話をかけ、接続先のコンピュータがソフトを起動して、自動設定された司令塔を呼び出すのを待つ。
「the5dog7of3death」とキーボード入力して「アヌビス」にアクセスした。
これがアフリカにあるヌビルのボディだ。
間に挟まれた数字は適時変動する。
体は脳の指令によって動く。
この場合、「脳」は生きて今ある俺、「ヌビル」だ。
「trunk」は独自のプログラムを稼動し続ける単純指令系統で構成され、各国東軍のキャラバンと呼ばれる移動指令塔の将軍に指示を連絡するようになっている。
各将軍は「アヌビス」に報告し、「アヌビス」は脳に次のアクションを要求する。
「trunk」は東軍所轄地域に張り巡らされた、「アヌビス」の神経だ。
実に邪魔し甲斐のある混乱した戦いになると思うので、参加できないのが残念だが、後は彼等に任せて自分は西軍支援に行くつもりだ。
東と西に分かれているといったって、管理上の便宜であって、実質完全に切り離せないのは双方承知している。
巨大なアメリカを切り崩すチャンスだから、こちらが支援したいと申し出るのを、西の奴等も断われないだろう。
「おっと、陛下にも報告しとくかな」
上からの駄目押しも必要だ。
焦げ茶の顔は、画面脇にポツンと光るオレンジ色の小さなライトに微笑みかけた。
◇
巨大な植物の鉢のある白壁のホールに、白いシャツに生成りのズボンを穿いた金髪碧眼の男が、真っ赤な顔で立ち尽くしている。
スイスの基地は、彼の趣味で御伽噺に出てくるような森の家がエントランスになっている。
とても地下に広々とした設備があるとは思えないが、彼は今、その小さなお家を帽子のように頭に乗っけた巨大な地下施設の司令部にいた。
高い所が好きなので、彼の基地は、ウラル山脈とか、アンデス山脈とかアルプス連峰とか高い山を繋いでいる。
「どうしたの?ゼン」
勝手に最高司令官にアクセスする窓口が開いて語りかけた。
主の許可もなくだ。
彼は振り返って、モニターに映った顔を睨みつけた。
地球の各地域をモニターした受信機から、真っ白い顔の中で、金色の眉毛も色薄い唇も何もかもがハレーションを起こして白く飛び、ただ真っ青な目だけが彼を見詰めている。 全く化粧をしていない。
ただ極淡い色の柔らかい金髪を短くカットして、ふわっと空気を孕んだようなスタイルにアレンジしている。
猫のような大きな青い目が印象的な、二十代初頭の女だ。
地球地図上に点いたランプ位置からすると、接続場所はベーリング海だ。
「わざとらしく聞くな。陛下の下命は知ってるだろう」
「ヌビルは貴方の手柄を横取りするつもりも無く、邪魔をするつもりも無い。復讐の為に、ある女を追って来るのよ。無駄に煩悶する必要は無いわ」
滑らかなビロードの耳触りの声で笑う。
短く刈り上げた金髪を掻き上げる仕草が妙に色っぽい。
「神凪麗華か」
日本から来た女子高校生だ。
神凪猛の娘だというだけで、後は何をどう判断しようにも情報が不足している。
自分にとっては作戦管理上、電気信号の一周波数帯だとでも言っておこう。
金属ピンみたいな少女で、周波数帯をチューニングして受信するタイプのアンテナだ。
しかも我々と違って、堂々とどこにでも設置されている。
「ルーニヤ、ハワイからアメリカのチャーリーに接続してプログラムを仕掛けてくれない
か。俺はここを動けない。ニューヨークを見張る必要がある」
「分かったわ」
チャーリーは一般的なネットワークとは切り離されている。
軍事的コンピュータネットワークに接続できるコンピュータだ。
俺は、ここを動けない。
一億五千九百万人ともいわれるアメリカのインターネット接続人口を、ニューヨークで監視する情報システムの本体が、スイスにあるとは思わないだろう。
テキサスの石油問題を巡る闘争が、今回の同時自爆テロに必ず付随してくる。
その時にロシア、カスピ海、アフリカの油田と移送パイプラインの先手掌握が勝機の分かれ目になってくる。
ヌビルが目をつけたのもそこだ。

中東・アフリカでの背景に強い弟の力を借りるのがこの際利口だと、正面切って陛下に申し出た。
自己主張をせず、隅っこでコソコソやっているのが常の、奴らしからぬやり方だからこちらも警戒したが…。
世界は常に動いている。
目を凝らしていなければ、見過ごしてしまう速度で眠らない。
テキサスは同時自爆テロを予測していた。
CIAがテロ実行犯の、「明日決行」の通信を傍受していたのでてっきり回避するかと
思っていた。
信じられない結果だが、きっとテキサスの思惑が絡んでいるのだろう。
ここは急展開が想像されるから、どうしても外せない席だ。
後手後手に回る感はあって癪に触るが、弟に任せるしかあるまい。
「あのベイビーフェイスに、ヌビルが復讐?」
「ひどくご執心よ」
「兄貴に尻尾を振ってまで?」
「陛下の点数稼ぎが目的じゃないのよ。それはもう、コテンパンにやられたもんだから、
なりふり構わず、乗り込んでくる逆上ぶりよ」
「それは愉快だな」
「面白いでしょ?」
ゼンは、とりあえず納得した。
彼にとってヌビルは、いつまで経っても、保育器から出てきたばかりのメソメソした弟
なのだ。
◇
ヌビルは下命を受けるとすぐに、ドバイに連絡を取ってアラブ首長国連邦の繋ぎから、
ラスベガス行きのパスポートを入手した。
アラブの王女が結婚して、石油採掘関連の企業を興し、ラスベガスに住んでいるのだが、今回の同時多発テロの首謀者がサウジアラビアの王家とも関係の深い名家の生まれだったので、立場が不安定になる事を見越して出国が検討されていた。
サイバーテロリストといったって、現実の泥臭い部分の関連が一切ないわけじゃないが、繋ぎから協力を取り付ける事はあっても、彼等はスポンサーではない。
電話線あるいは、送電線みたいなインフラが充実していないから、連絡をつけるのに人間を配置して展開する必要があり、そんな時には絶対地域の実力者の協力が不可欠になってくる。
砂漠地帯をジープで移動しなければ目的地につけないのなら通行手形が必要だ。
命令は必ず実行する。
期限までにどこへでも行き、どこからでも連絡を受けられるよう
にしなければならない。
人間が、回線代わりだ。
人間といったって手駒の兵士はバイオ技術で作り上げた、「コピー人間」だから人格を
与えられておらず、思考制御された使い捨て部品だ。
前頭葉に細工を施して、大脳辺縁系の被殻に動作手順がプログラムされている。
バイオ兵士は、円滑な頭脳の活動を維持する為に周期的なメンテナンスを受ける必要がある。
バイオ兵士は、一人では生きられない。
食う、寝るなどの原始的な欲求を持つが、自分の為に自分を生かす計画が立てられない。
例えば作戦が失敗して、下手に生き残ったら、自らの命を絶つようにプログラミングさ
れている。
もし何らかの脳の障害で、上手く死を選択できなかったら、前頭葉が機能せず、凶暴で欲望を抑えられない危険な生き物が野放しとなる。
そうしたリスクを考えて、ある一定期間にメンテナンスを受けないと、免疫力が低下するようにしてある。
うっかり生き残っても、野山をさ迷い歩くうちに、そこいら中にうようよいるウィルスに感染して死んでしまうというわけだ。
ヌビルは一息入れて、「trunk」が集めた通信を分析するコンピュータを点検した。
イギリスは英語圏でインドの宗主国だったから、「trunk」のワード集めも英語で行えるが、他の言語で傍受した通信を専門のコンピュータと解析チームに送る設定にも問題はないだろうか。
心置きなく渡米に没頭できる環境を作りたい。
移動と行動と撤退と、スケジュールに三日間の空きが出来ればそれでいい。
それ以上は頭脳の介入がなければ、東軍の活動が停止してしまう。
思考を段階的に制御された人間が統括している組織ならではの時間制限だ。
陛下の設定したこのプログラムによって最高司令官の行動に縛りが生じる。
全てを自由に選択できる状態でありながら、決して自由を与えない見事な規制だ。
何でここまでやって、あの小娘に再会したいかというとイマイチ自分でもよく分からないが、多分それはゼン将軍への敵対心から来ているんだと思う。
しかしそのゼン将軍への敵愾心が、陛下への反逆を阻止する縛り、「プログラム制御」ではないとは言い切れない。
が、時間がないので疑えば果てしない心の問題は棚上げして、渡米後の侵攻計画を練り上げる。
陛下の下命の鳴り物入りで、西軍の所轄領域に乗り込むのだから手土産の一つも持参するべきだ。
渡米渡米と言ってはいるが、実は復讐と言葉を入れ替えても、意味が通じるなどと言わせないよう、東軍所轄領域から見たヒューストンの次期大統領候補を、まるごとデータベース化する勢いでやる。
とにかくスイスに足止めされてる兄貴からあの女を奪い返し、西軍所轄領域に入ってから何があったか全部調べて、それ以上にひどい目に遭わせてやらなければ汚名は雪げない。
第四章 エスカレーション へつづくhttp://angel.ap.teacup.com/applet/judgement/msgcate20/archive
0

