この春から私は、テコンドーを含めて、人生で五つ目の道場に入門しました。
五つ目の道着。これは胸の流派名の刺繍が少し明るい青なので、名前もそれに色を合わせて刺繍しました(武道具店に頼みます)
すごく好きな色なので、この道着を死ぬまで着たいと思いました。
そんで、こわい支部長に
「せんせ〜、刺繍の色を合わせてみました〜、ビジュアルを重視して」
と見せてみました。
支部長は、名前も見てくれないで、視線を泳がせていました。
どうリアクションしたらいいかわからないらしい。
稽古のとき、私の上段の蹴り方が気に入らないようで、フィギュアのポーズを直すように膝の位置を「こう」「こう」と折りたたみ
支部長「腰が返ってから蹴っている」
私「押忍」
支部長「腰が返って、膝が先に蹴る位置まできてしまうと、そこで蹴りが終わってしまう」
私「押忍」
支部長はそこで笑い出してしまう。
私の「押忍」が、ワンコが「ワン!」と言ってるように、人語を解さない生き物と話している気になるみたい。
『わかってないわかってない。こいつに口稽古しても無駄』
という感じで、「せいりゃー!」とぶん投げられてしまう。
私は言語能力が乏しいわけではありません〜
いろんな流派の蹴り方を習い、いろんな人のいろんな表現を聞いたので、頭の中で検索しながら聞くので、『それで、それで』とワンコがササミを待ってるような顔になってしまうのです。
支部長は、最初のうち私をボコボコにしたのを反省したようで
『このわかっていない奴にオトナ気のないことをしちまったぜ、フッ』
と照れて、なんだか一人で笑っています。
上段の蹴り方には、おおいに悩みます。
テコンドーでは、一瞬でも早く膝を蹴る目標にもっていき、そこから弾くように蹴る、と習いました。
確かに膝の固定された位置で蹴りは終わりますが、いい音のする蹴りになります。
空手では、さらに振りぬく意識を持つように習いました。
私は、軸足を使って蹴りに高さと速さを加えるように努力しています。
この流派では、たぶん、極小道場で「引き抜くように蹴る」と習ったような、タメのある強い蹴りを求められているのだと思います。
私の目には、ちょっと美的でない蹴り方になりますが。
極小道場は、極真ではないけど極真ルールの試合をする連盟に属していて、館長先生は、生々しく荒々しい時代の空手を伝えてくれました。
たとえば下突きは、競技化した大手道場の指導員は、拳を45度で入れる、と教えてくれました。
しかし館長先生は
「下突きは、相手のアバラの中に拳を突っ込み、拳をかえすことで内臓を引っ掛けて、引き手で引きずり出すのが本当」
というのです。
はああっ。
また、水平の貫手は、
「肋骨の間に指を差し込み、肋骨を一本掴んで引き寄せるのが本当」
なのだそうです。
はうあああっ。
いまどきそんな過激な言葉で基本を教える人はいないでしょう。
でも、それが、空手の初心の姿なのだと思います。
今習っている流派の型を、DVDで自習してますが、「初心の型」とか名はついていても、とても危険な「とどめ」を含んだ殺人技です。
もちろん、危険度はレベルが進むにつれめちゃくちゃ上がります。
それが、空手の本来の姿だということに、私はもう、なんの疑問ももっていません。
でも、まっとうな人間の集団なので、道場の中で殺し合いたいとはだれも思っていない。
思想も、信仰も、格闘技も、人がすること。
そこにいる人の集団の性質が、それを決める。
まあどうやら、私はこの道場の集団では不可なく受け入れられたようで。
私もこの集団に疑問に思うことは何もありません。
自分が身に着けてきたものを、できるだけ早く、ここの空手に変えていきたいと思うだけです。
ただ、この道場の空手になっていない、他流の匂いのする動きに、支部長を含め、みなさん新鮮な興味を持っているようで。
ミット稽古のとき、私の上段を、極端に顔の近くで受ける人がいます。
非常に上級者であるのは間違いないので、どうしてこんな危険な受け方をするのか不思議に思っていました。
先日は、ミットがすべって、その人の顔面に蹴りを入れてしまいました。
サポーターをつけていたのでケガはしなかったと思いますが。
その人は驚いた顔もしなかったので、わざと、そのように自分の顔で受けたのだと思います。
私の蹴りがどんなもんか、味見したのです。
怖っ
さあ。
ここではどんな空手を習うんだろう。
でも、うるさくする人は誰もいないし、コツコツやってればなんとかなるかなあと思うんですが。
でも極小道場も気にかかる。
希少種として保存しなければいけない!と思うし。
そういいながら、明日は、初めてプロレスの興行を見に行きます。
案外『私のやりたかったことはコレよ!』とか言いだしたりして。
それはないか。
でもはじけてきたいなー。
不都合なく行けますように!

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