空手の流派のことは、正直、さっぱりわかりません。
わからないことは、なんでも探検隊よろしく見に行く。
自宅の近所に、いつのまにか、K−1と関係のあるらしい流派の、ちいさな空手道場ができていました。
自転車屋さんの店舗があったところじゃないかな?
サッシ窓をあけたら、そのまま道場のタタミという手狭さ。
看板に書かれた電話番号に電話をかけ、土曜の夜遅くに一般の部の稽古があると聞きました。
今夜はさっそく見学に行って、小学生の「選手クラス」の熱の入ったスパーリングを見ることはできました。
この校区の、みんな友達同士らしい、和気あいあいの子供たちの、激しい蹴り合いと殴り合い。しかし、肉を打つ音がしないので、不思議とうまく力をコントロールしているらしい。
サッシ窓の外で見学していた私は、稽古が終ると、子供たちがあふれかえるように押し寄せて、今度は見学される立場になる。
誰かの母親だと思ったのか?
私が道場の中にはいって、指導員に入門希望者らしい話をすると、こんどは十字を切って、口々に大きな声で「押忍っ!」
条件反射で私も十字を切って「押忍」と言ってしまい、苦笑いする。
経験したことのない感じがした。
私は、ある大きな流派に属して空手を習っていました。
しかし、私の属する小さな支部では、昇級審査も試合もできないので、イベントはいつも遠出で、アウェーで、同じ支部から他の人は来ていても、女は私一人で、寂しかった。
その感じは、空手以前にテコンドーを習っていたときでも同じでした。
でもこの道場は、地域に根差していて、兄弟姉妹の感覚で空手をやっている。
たぶん、この子たちは、空手において、それ以外の関係があるとは思いもよらないんだろう。
だから、入門志望者は、家族志願者を見るように興味シンシンであって、警戒心などない。
やられたぜ。
私は空手に対して、なんて寂しい付き合い方をしてきてしまったんだろう。
っていうか、格闘技とはいつも悲恋のようなつきあいをしてしまう。
テコンドーを習い始めたら、最初の組み手で右手中手骨を男に蹴り折られた。
空手を習い始めたら、ほとんど最初のスパーで男に上段を蹴られて昏倒するところだった。
負けず嫌いだけが取り柄なので、がんばって上達し、強くもなった。
でも、スパーリングに際しては敵意をこそ感じても、和気なんかもてるはずもなかった。
いままた野良犬のように、空手のできる場所を探している。
いま通い始めた小さな道場の女子部では、まだ組み手をできるレベルではないので、組み手をできる場所をここに求めて来た。
明日に大きな試合があるということで、一般部の稽古はありませんでした。
この道場にもう一度見学だか体験だかに来るかどうかわからない。
来るとしたら、何か、ものすごく深いところで、自分を変えてからでなければいけない。
私は、いままで属していた空手の流派を退会しようとしている。
ここは、退会が成立するのにいろんな手続きがあるらしい。
このプロセスの中で、いろんな反省が促されているのだろう。
この流派のなかでも、求められていることは、空手を通して兄弟姉妹のようになることであって、トゲトゲしい警戒心で武装して自分のちっぽけなプライドを守る人間になることではない。
でも、きっと。
私が格闘技と不幸な出会いや別れを重ねてきたことは、きっと、意味があったはずだよ。
そう思いながら、今夜は寝よう。

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