2008/7/1
「まだ一周リードしている その3」
第二章 理工科学校、高等師範学校と国立行政学院
日本にもボーボワールのような素晴らしい素質を持った女性も多くいるが社会がつぶしてしまうのである。
グラン・ゼコールと大学の比較によって、多人数の大講義で、理論面に重さをおき、実用を軽視する教育内容で、卒業しても高級官僚への道が閉ざされ、高等教育を量的に代表しているフランスの大学に対して、卒業後の需要を予測して入学定員を定めるグラン・ゼコールは特定の職業分野についての高度の専門教育を目的とし、大学より水準の高いものとして評価されている、したがって、大学と違って就職が保証されている。
その中、国家エリートが輩出し、グラン・ゼコールの御三家にといえるのは理工科学校、高等師範学校、国立行政学院の三つの名門グラン・ゼコールである。これら学校の生徒たちは学費はただの上、国から月給をもらって、日本のいかなる学校でも考えられないほどの恵まれた環境で、悠々と勉強できる。それは彼らが祖国の発展と栄光のために奉仕することが求められているから。
ここで、この三つの学校の歴史、現状について紹介しておきたい。
2.1.理工科学校(École polytechnique)
理工科学校の前身は公共事業中央学校である。これまで「公立工事中央学校」とか「中央公共事業学校」などと訳されているが、いずれにしてもこの名称は1794年.1795年の2年間だけしか使われおらず、その後は、現在にいたるまで理工科学校エコールポリテクニックである。
この学校が設立されたのは、フランス革命後、国内的には社会的な混乱が起き、古い教育制度が消滅し、科学者や技術者の不足が深刻な問題となって、さらに、対外的には近隣諸国の革命政府に対する軍事的圧力も大きくなった時期である。このような国内外の諸問題を解決するため、1794年3月、国内各地の土木工事を指導する人材育成のためこの公共事業中央学校が設立されたのである。
当初、公共事業中央学校として開始した理工科学校では、教育内容は、数学と物理学というが具体には建築・土木などに関する実学であった。それに、従来の講義による教育以上に、実習を通じて軍事技術等の知識を確実に習得することが重視された。この学校は、その後200年以上にわたって、フランス国家の支配層を養成しつづけている。
エコール・ポリテクニック、日本では「理工科学校」と訳される場合が多いが、フランスの学生の間では通称リックスと呼ばれている。一学年約350人で、そのうち約50人が外国人であり、一九七二年から女性も入学を許された。修業年限3年間である。この学校の教育目的は、民間及び軍において、科学、技術、経済などに関する高くかつ責任ある地位について働く人材養成することである。理工科学校で行われている教育は“高度の科学文化”を数学と物理を通じて習得させることであり,学科は物理、数学、統計学、経済学などを中心としている。名前は理工科学校であるけど、単なる技術者の養成ではなく、エリートのための教育であることは明らかである。またこの学校は国防省に属しているので、生徒は陸軍の将校として待遇を受け、俸給も学年が進むにつれて上がっていく。
理工科学校に入ること自体は非常に難しいことで、優秀なバカロレア成績を獲得の上、有名準備級で2年間猛烈な試験勉強を課せられている。しかし、理工科学校を入るとしても、これらのエリートたちを待ち受けている最後の試練は卒業試験である。最終試験の結果によって、上位半分だけ高級官僚、上級技術者としてのエリートの道に進むことができる。
理工科学校出身者がフランスのエリート層に占める割合は極めて高い。そして、この理工科学校出身者によって代表される理科系グラン・ゼコール出身者たちは、フランス官財界できわめて強力な一流エリート層を形成している。第5共和制第3代大統領(在任1974年 - 1981年)ジスカール=デスタン元大統領と北米ミシュランのCEOとルノー上級副社長の経歴を持つ日産自動車の社長兼CEOのカルロス・ゴーン氏が理工科学校の卒業生である。
理工科学校出身者と激しくフランス官界で競争しているのは文科系グラン・ゼコールの頂点に立つ国立行政学院(ENA)の出身者である。フランスの官界で行政関係の高級官僚を圧倒的に輩出している。国立科学研究センターのミシュル・ボエールたちの調査によると、フランスの主要企業200社の経営者の27%[1]が理工科学校出身で、23%[2]が国立行政学院(ENA)の卒業生である。
2.2.高等師範学校(École normale supérieure)
高等師範学校は、教育制度そのもの統制をめざして、教員と官僚のエリート集団を形成するために、コンドルセの弟子で公教育委員のドミニク・ガラのリーダーシップのもと、1794年10月30日に設立された超エリート校の一つであった。しかし,このような重要な任務にも関わらず、高等師範学校は、第三共和政以前には、とりわけ理工科学校のような科学的なグラン・ゼコールの威信をもたなかった。高等師範学校が養成することを目ざした教職は、貴族、上層ブルジョアジー、そして中産階級の野心的な分子にさえアピールしなかった。師範学校の学生は,ほとんどが教養ある中産階級、とりわけ学校教師、および子弟のために安定した職業を求める者の家庭出身であった。高等師範学校は、フランスに特有な一般教養に努めたが、第三共和政以前は、教職の道を選ばずに、上級官庁に就職する者はまれであった。彼らは、自分自身の階級内にとどまるエリート層を構成した。
こうした高等師範学校を取りかこむ状況は、第三共和政下において一変する。第三共和政下とその後の教育に対する社会的認識の高まりにともなって、教授養成のための学校という役割ばかりでなく、多様な分野のエリートを輩出することになる。ノルマリアンの社会的地位は向上し、一時は、理工科学校ともその威信において肩を並べるまでに至る。ノルマリアンは、科学研究、文学、大学において重要な地位を得たばかりではなく、政界、官界、ジャーナリズムにも進出していった。
高等師範学校は教授、研究者の養成を目的とし、毎年、文科と理科それぞれ約100人[1]ずつ入学を許される。高等師範学校は学校というよりは、全員を収容する学寮である。寄宿生活を送ることで競争心を燃やして互いに向上し、知的交流を楽しみ、卒業後まで続く友情の輪を育んだ。ノルマリアンのモノは、「無意識のこの相互教育が高等師範の教育の最も豊かな部分であった」と記し、コレージユ・ド・フランスのラテン文学教授ガストン・ボワシエも、「寄宿生こそが高等師範にその特性を付与し力を生み出した」[2]と語っている。このような共同生活高等師範の教育が、高等師範精神を生み出す。高等師範精神とは、しなやかな知性と真理への情熱のことであり、あらゆる教条を拒否し自由と寛容を尊ぶ校風の中で、ノルマリアンは批判精神と討論のマナーを培った。批判精神は、知性・明晰・論理・理性・多様な意見の尊重と、自由検討の精神にもとづく高等師範の教育から養われたのである。
超エリート校のひとつとして、高等師範学校の入学試験を見てみると、国民教育省所管の高等師範学校(パリ校)の2003年度入学者選抜は次のように行われている[3]。
○ 受験資格:23歳以下のバカロレア取得者(実際にはグラン・ゼコール準備級における2年間の準備教育を受けないと合格できない試験内容となっている。)
○ 試験の種類と定員
・一般試験:数学・物理・情報科(定員39名)、情報科(定員8名)、物理・化学科(定員21名)、生物・物理・化学・地学科(定員22名)、文学科(75名)、社会科学科(定員25名)
・この他、大学2年生対象の試験と外国人対象の試験があり、若干名を受け入れている。
○ 試験科目の例(文学科)
・1次試験(筆記):@フランス語作文(6時間)、A哲学作文(6時間)、B現代史作文(6時間)、Cラテン語又はギリシャ語翻訳(4時間)、D外国語翻訳(4時間)、E選択科目(a.ラテン語翻訳(5時間)、b.外国文学解説(6時間)、c.外国語翻訳(6時間)、d.哲学テキスト解説(4時間)、e.仏文学解説(4時間)、f.地理作文(6時間)、g.音楽史作文(6時間)、h.美術作品解説(4時間)から1科目選択)
・2次試験(口頭・実技):@仏文解釈、A哲学、B現代史、Cラテン語又はギリシャ語テキスト解説、D外国文学解説、E選択科目(a.ラテン語又はギリシャ語テキスト解説及び古代史、b.哲学、c.文学、d.地理、e.歴史、f.外国語、g.音楽実技と作品解説、h.美術実技から1科目選択)(以上、「音楽実技と作品解説」を除き準備1時間、面接30分、「音楽実技と作品解説」は音楽実技が準備2時間、実技30分、作品解説が面接45分)
○ 選抜:1次試験合格者を対象に2次試験を行う。
高等師範学校では他の学校のような時間割による授業や試験がなくて、生徒たちは自分の好む学校に登録して通ったり、講師を招いてセミナーを開いたりしながら、教授資格試験または学位論文を準備する。卒業生には大学教授が多いが、教授養成のための学校という役割ばかりでなく,多様な分野のエリートを輩出することになる。有名な卒業生をあげてみると、政治家ではレオン・ブルム、エドワール・エリオ、ジャン・ショーレス、ロラン・ファビウスなどがおり、文学者、思想家には、シヤルル・ペギー、ロマン・ロラン、アラン、ベルグソン、サルトルなど、また科学者ではルイ・バストウールなど、フランスの知的エリートには、この学校の卒業生が多い。
2.3.国立行政学院(École national d’administration)
現代の国家エリート養成で名高い国立行政学院(ENA)の設立は、第2次世界大戦後の1945年である。しかし行政エリート養成の前史はなかなか複雑で紆余曲折である。古くは19世紀初頭の外交官学校や参事会修習生の設置に起源を求められるが、どちらも長続きはしなかった。第2共和制期には、公教育相H・カルノーがポリテクニクに刺激されて行政学校を設置したものの、わずか半年の短命に終わった。第2帝政期に入って公教育相V・デユリュイは、高等研究実習校に行政グラン・コール準備課程としておく経済学科や法学部における経済・行政学科案を検討したが、実現しなかった。しかし普仏戦争の後、ジャーナリストであるE・ブートミ(Boutmy,E.)によって私立政治学校が設立され、ようやく行政官僚の養成が軌道に乗ったのである。ただしこの私立学校も高等研究実習校への統合やまた国営化の対象となり、第3共和政期を通じて決して安定した地位を得られなかった。そして、1945年のド・ゴール政権によって、国立行政学院は創設された。グラン・ゼコールの中では新参者であるが、短い歴史にもかかわらず、その卒業生はたちまちのうちに政官界を席巻し、今では二百年もの歴史をもつような他のグラン・ゼコールを押しのけて、フランス第一の名門校といわれるようになった。
ENAの創立目的は、校名の国立行政学院からもわかるようにエリート行政官の養成である。ENAは程度として大学院クラスで、入学の資格は次の3つの通りである。@部外試験:学士相当の学歴を有する28歳末満の者、A部内試験:公務経験を5年以上有する47歳末満の者、B第3種試験:民間企業、地方議員等として8年以上の経歴を有する40歳末満の者[1]。定員はわずか150名足らず、学生は在学中から公務員としての給与を支給され、卒業後はいきなり中大官庁の管理職や県の副知事に任命されることになっている。原則として十年間は役所で働く義務がある[2]。配属される官庁については、在学中の成績順に、学生が希望のところを選ぶというシステムである。成績優秀者(トップ12〜15人程度)は、通常、グラン・コールと呼ばれる国務院職員群、会計検査院職員群、財務監査官群のいずれかの3つの職員群を選択する。
ENAの入学試験は以下のように
○ 筆記試験(法律、経済、政治、社会、財政、金融、国際問題など)
○ 口述試験(財政、金融、社会、国際問題、外国語など)
○ 面接試験
○ スポーツ実技試験(100メートル走、1500メートル走、50メートル水泳など)
○ 情報処理実技試験
となっている。課目をみると、口頭試験の比重が大きいのが目立つ。フランス人にしてみれば、どんな立派なことを考えていても人にわかりやすいように口で説明できないのでは何にもならない。全国統一のバカロレアにまで口頭試験があるのだから、ENAの入学試験ともなれば比重が高いのは当然である。フランスでは、口頭試験というものは、一種の「知的袋だたき」ともいうべきものであり、受験生の学力だけでなく、より広く、知識、態度、さらには人格まで総合的に問われるものである。
入学試験は、毎年秋から12月にかけて行われる、合格発表はクリスマスも近づいた12月の下旬に行われる。競争倍率は外部試験で10倍程度、部内試験はのちに紹介する準備級との関係もあって6〜7倍といったところである。また、試験による入学者のほかに、理工科学校を上位1/3に入る成績で卒業した者の中から2名[1]が無試験で入学を認められることになっている。
これらの選ばれたエナルクたちの出身学校別にみると52%[2]がシアンスポ(パリ政治学院)の出身である。とくに外部試験について見てみると、78%[3]にもなっている。もっとも、フランスでは同時に複数の学校へ登録できることもあるし、卒業後に別の学校へ入りなおすということも多いので、シアンスポと同時に他の大学等を卒業しているという生徒も多い。この中には、他のグラン・ゼコールを卒業してからENA受験準備のためにシアンスポで勉強しなおしたというのもいるが、最も多いのはパリ大学法学部に登録した学生である。パリのシアンスポ以外の出身者についてみれば、HEC(高等商業学校)のようなビジネス・スクールと、ボルドーなどパリ以外の都市のシアンスポ出身者が主で、普通の大学の出身者は、毎年数人程度である。
ENAの研修期間は2年と5ヶ月である。最初の1ヶ月はオリエンテーションにあてられ、2ヶ月からは県庁や在外の大使館での実習が始まる。研修の教師にあたるのは知事や大使自身で、徹底したマンツーマンの指導が行われる。そして2年目の1ヶ月から3年目の5ヶ月までが本校での研修で、卒業後の6ヶ月から各省庁などに配属されて実務につく。
フランスでは実際的な企業経営についての知識はたいへん重視されている。ENAでもこの方面にカを入れていて、企業会計が重要な課目となっているだけでなく、企業での実務研修までおこなわれている。期間は2ヶ月で、研修先の企業も、広範にわたっている。パリの企業もあれば地方のものもある、普通の民営会社のほか国営会社や公団、さらに外資系の企業もある。業種でみれば、製造業、金融業から、マスコミ、ホテル、各種サービス業、小売業まで及んでいる。生徒たちは、それぞれの好みに従って希望を出し、学校側が最終的に決定する。研修が始まると、最初に会社の概要を把握するために各部局をまわって説明を受ける。次いで特定の部局に配属されてある程度実務をおこなう。そして、最後には、トップ経営者との会談や重要会議への出席も許される。
ENAの卒業生はエナルクと呼ばれるが、ENAの創設の目的にふさわしく、彼らが握っている権力の強さは、フランスはデモクラシーの国でなくエナルシーであるという人さえいるほどである。特にグランコール出身者は、官界のみならず、政財界の要職を占めている。たとえば、シラク大統領、ジョスパン前首相を含む9人の首相のうち5人は、エナ出身。これ以外政権を支える主要な政治家にもエナルクが多い。
第三章 名門グラン・ゼコールへの道
名門グラン・ゼコールはフランスのエリート第一主義教育の産物だといわれている。実際に、このエリート主義教育を最も端的に表現しているのが、中等教育から高等教育にいたるまでの能力差別の教育システムである。
名門グラン・ゼコールに巡る競争は、教育システムの様様な段階で細分化され、選抜のシステムを作り出している。名門グラン・ゼコールの入学は、大学と異なり、それぞれの学校で学力試験を行うだけでなく、バカロレアに加えて、2、3年間のリセ準備級で受験に向けた教育を前提とする。その後厳しい入学試験を経て、有名グラン・ゼコールに合格する、というのは青年たちが憧れる「ロイヤル・ロード」である。フランスの教育はこの王道を中心として成り立っていると言っても過言ではない。
このように、フランスでは15歳頃から、学力成績にあらわれた能力による差別教育が行われ、さらに、バカロレアの制度とグラン・ゼコールの入試と高等教育に二つの関門を設けることで、知的の能力試験に優れた成績を収めた秀才を選び出して、フランス社会をリードするエリートを作り出そうとしている。
そこでは、全てのフランス人は法の前に平等であるが、能力については個人差があることを、これらの試験で明らかにし、こうしてあらわされた能力差に対応するような教育制度を設けているというわけである。
3.1.中等教育
フランスの前期中等教育(コレージュ)では、60年代小学校の学業成績によって三つのコースを分けていた。一つはリセに進学コース、一つは実務学級に進学コース、もう一つはその中間の普通教育コースである。このような複線型学校系は第一次大戦後の統一学校運動によって、漸進的に解消されてきたが、今日のコレ―ジュでは、最終年に生徒の学業成績、適性・能力、興味、関心などによって高等教育に進むか、実務教育に進むかなどの進路指導を行われている。実は、留年や飛び級を除くと、教育システムにおける選抜過程が制度的に現れるのは、コレージュの第四学年級が最初である。この時点でコレージュ入学者の約84%[1]が普通教育に進む。第二の段階は、コレージュからリセへの接続時点であり、この段階でも再び普通教育第三学年級の76%[2](コレージュ入学者の約6割)が普通・技術リセに進学する。
この基本的進路の分化は、試験による選抜ではなく観察・指導によるものである。観察・指導による分化といえども成績による選抜が基本であり、生徒や親の希望による異議申立てが認められる可能性は少ない。したがって、第五学年級(コレージュニ年次)や第三学年級(コレージュ最終学年)の時点を中心として、留年や転校などによって進路希望を実現することが教育戦略として行われる。リセへの入学は、8割以上[1]を占める公立では学区制がとられており、しかも書類選考によるため、過熱した受験競争は見られない。進学希望者が少なく、書類選抜においてコレージュでの成績をまったく考慮しないリセも存在するが、有名リセでは希望者が集中し、独自の選抜が行われることもある。ここでもまた、コレージュの成績が最良の切り札である。リセの評価がバカロレアの成績で測られる以上、できる限り高い学力水準の生徒を確保することが、多くのリセの戦略とされている。
リセ段階で重要なのは、教育課程の分化である。フランスでは伝統的に普通教育に高い価値が置かれてきたため、技術・職業教育の整備は著しく遅れ、社会的威信もかなり低く抑えられてきた。その結果職業リセは成績不振者の進学先として固定化した。普通・技術リセは、バカロレアの区分に応じた細かなクラスに分かれており、用意された選択科目の種類によって、最終的には、どのバカロレアに繋がるかが大きく異なる。その結果、同じリセでも、バカロレアの種別に対応した系やクラス相互の階層性がはっきりしている。普通教育コースの中でも難関といわれるのはC科(数学・物理系、バカロレアC科試験準備コース)である専攻する者が他より抜きんでて増加している。それは、名門グラン・ゼコールに進学するためには、文系・理系を問わずバカロレアC科試験に優秀な成績で合格することが定石となっているからである。それゆえC科は上位数のトップ集団により構成されている。さらに、それぞれの系列ごとに専門の選択によって階層化されている。たとえば、理科でも専門として数学を選択したバカロレアが、従来のバカロレアCを引き継ぎ頂点に位置する。しかも、すべてのリセに同じ系やクラスが用意されているわけではないし、第二学年級(リセー年次)での選択科目がその後のクラス振り分けに接続されるため、リセの選択には、長期的進路と関係づけた複雑な知識が要求される
こうした早期からの細分化された選択と選抜の結果として、有名なリセのバカロレアの成績は、驚くほど高い。たとえば、全国平均で良以上の成績が15%[2]程度であるのに対し、ルイ・ル・グランでは83%[3]、アンリ4世校では88%[4]にまで達している。このような有名リセでは、パリのみならず全国から優秀でしかも社会的に恵まれた階層の生徒を吸収している。
しかし、有名なリセの最終学年卒業生といえども、自動的にそこに付設するグラン・ゼコール準備級へ進学できるわけではない。更なる学力による選抜が待ち構えている。
このように、コレージュやリセでの選抜は継続的かつ日常的であって、段階ごとに重要な分化が細かく行われている。しかもこの過程は、ひとつコースから外れると、敗者復活の機会は提供されず挽回は困難である。たとえば、職業リセや技術クラスでは、バカロレアの獲得や大学への進学はできるが、準備級への進学は事実上閉ざされてしまう。さらに、理科バカロレアを優秀な成績で獲得した生徒であっても、選択した専門科目の種類によって(たとえば技術)、理科準備級の「王道」に至る数学・物理クラスへの、したがって、頂点にある技師学校への入学が制限されてしまう。
このように、フランスでは中等教育の段階で、生徒たちはエリートの道を入れるかどうかのも決められた。
3.2.準備級
前に述べたように、原則として、バカロレアを取得すれば、どの大学でも入学できる。ところで、エリートになるための最大難関は、このバカロレアに合格するということではなく、名門グラン・ゼコールに入学することである。バカロレアに上位で合格した秀才たちにとっては、定員の少ない名門グラン・ゼコールに入るのに、激しい競争と伴い至難の業だと言われている。
名門グラン・ゼコールに入るにはバカロレア取得後、1〜2年の予備教育を入試受験の条件としている。この予備教育を行う機関はグラン・ゼコール準備級(CPGE)という。準備級はリセやグラン・ゼコールに付設され、フランスの高等教育機関に位置付けられている。準備級は特定グラン・ゼコールの入試合格を目的として定めており、学業はそれに集中する。この準備級こそ将来の国家エリートを養成するための第一段階であり、どの準備級を選ぶかは、将来の成功に深く関わっている。しかし、それ以上に、入学に際して、優れた学業成績、高い学習能力、そして、強靭な身体が求められている。というのも、準備級の2年ないし3年間は、過酷ともいえる勉強の明け暮れとなるから。調査によると、一週間の勉強時間では準備級の学生が最高で、学校で33時間、さらに、自宅で27時間と合計60時間もある。二位の医学部学生の48時間をはるかに越えている[1]。
準備学級に入学した生徒たちは激しい競争と受験コース課程で“落ちこぼれ”が発生し、さらに、有名なグラン・ゼコールの入学定員は非常に少ないため、最後グラン・ゼコール受験を合格し、この狭い門に入れる者はほんの一握りしかいない。
それに、準備級に進学しても、名門グラン・ゼコールに進み得なかった者は、“格が下がる”学校に進学し、“実務担当者”といわれる中級官僚コースに進む者も多いが、彼らは、名門グラン・ゼコール出身の一流エリートの下で働く二流エリートとしての道を進むわけである。そして、一般に社会科学を勉強する“一般大学”の出身者にとって、エリート官僚への道を進むことは、フランスではかなり困難な状況に置かれているようである。
3.2.1.細分化されたクラス
準備級のクラスは大別に理科、経済、文科の三つに分かれているが、それぞれさらに細分化され、各分野の主要グラン・ゼコールの入試科目に応じてクラスが編成されている。しかも、これらクラスの区分は、内部的なものでなく、国によって制度的に決められている。それにクラスは均質ではなく、文科ではユルム・セーヴル文学クラスが、経済ではパリ高等商業専門学校を目指す理科選択クラスが、そして理科では、理工科学校や高等師範学校理科を目指す数学・物理特別クラスが、それぞれの分野の頂点を形成している。
細かなクラス配置によって、リセ相互の階層性が作られている。有名リセの中には、上位の経済や理科クラスに特化したものも見られる。特定のグラン・ゼコールを目指すために、特定準備級の特定クラスを選択することが制度的に確立されている。しかも、そこに至る道筋は、前述べたように中等教育からの選抜システムが周到に用意されている。受験準備さえ国家のコントロールに委ねるこのシステムは、フランスのエリート養成の特徴である。そして、古くからフランス教育システムに見られる地域の格差は今にも存在している。とりわけ、進学元である普通・技術リセの生徒数との関連でみれば、普通・技術リセの生徒数で4%[1]に過ぎないパリは、準備級生徒の約19%[2]を占めており、中央と地方の格差は依然として大きい。主要グラン・ゼコールの合格者数で見ても、各分野の上位校ほど首都圏への集中が著しく、パリ高等商業専門学校では、約8割[3]がイル・ド・フランスの準備級出身者によって占められている。
大学と比較をしてみると、1980年代以降の高等教育の拡大にもかかわらず、進学率の拡大の多くが大学部門で吸収されることによって、その希少性を現在でも維持している(図1)。さらに、生徒の出身階層で見ても、その選抜性の高さは明らかである(表3を参考)。要するに、その内部に大きな階層性を持ちながらも、準備級の地域的、教育的、社会的希少性は、高等教育の拡大を経た今日でも維持されているのである。
出典:林芳樹「フランスのエリート中等学校――グランド・ゼコル準備級」2002年10月
3.2.2.入学選抜
準備級の選抜は、入試ではなく、国によって一律に規定された提出書類を元に、それぞれのリセの選考委員会によって決定される。選考基準としては、リセ第一学年級及び最終学年級の基本教科の成績、在籍したクラスの種類と生徒数、クラス全体の4段階による評価とクラスの最高点と最低点、教科別担当教師による個別成績評価と高等教育の適性に関する評価、校長による志望動機と勉学態度に関する4段階の評価、そして、バカロレアの種類と成績が用いられる。さらに、コンクール・ジェネラルや学年末の優等賞などの記録が加味されている[1]。この資料からみる限り、筆記試験でなくても、統一的な学力による選抜という性格が強い。林芳樹の研究によると、1999年に準備級に進学する者は理科バカロレアの20%[2]、全体バカロレア取得者の5%[3]に過ぎなかった。
バカロレアの種類と準備級の種別は、概ね対応しているものの、理科バカロレア取得者は、理科だけでなく、経済、さらには文科の準備級にも開かれて、特権的地位と高い選抜性を持っている。その起源からして、準備級はポリテクに代表される国家の技師学校向けの数学特別クラスであって、今でも、技師学校への進学が準備級生徒の主要な進路となっている。特に前述べた技師学校の頂点にある理工科学校は、単なる専門技術者養成学校ではなく、歴史的にも、国家の設計・運営を担う国家エリートの養成を担ってきた。そこに入るのは理科バカロレア取得者にとって、最もの憧れである。
しかし、このように系ごとの階層性だけではなく、各系内部でもはっきりとした階層性が形成されている。たとえば、理科ではアステリスクつきの「数学・物理☆」、文科では「ユルム・セーヴル文学」、経済では「理科(実際には数学)選択」クラスが、それぞれの系の「王道」を形成している。これは、それぞれの系の最難関校である理工科学校、高等師範学校、高等商業学校の合格者数によって確立されたもの。また、これらのグラン・ゼコールのコンクールにおいて、それらクラスの入学定員を優先していることもある。科目別からみると、理科や経済においては数学、文科においては哲学と古典語の成績が、トップの準備級進学において最も重要である。
以上述べたように、有名準備級に入るのはバカロレアの獲得ではなく、どのバカロレアをどの成績で獲得するかが問題である。科目やコース、学校の選択、さらには、留年や転校を使って希望する進路を選択することなど、用いる戦略は多様である。しかし、最終的な切り札があくまで学力である。それは準備級がコンクールに向けた準備のための機関であって、その唯一の目標は、コンクールに合格させることである。それと対応して、コンクールの合格率だけが学校の地位を決定する基準となっている。
3.2.3.教育内容
準備級での教育内容及び時間数は国によって決定されている。分野別に言えば、文科では、伝統的人文学を中心として、哲学や古典語のウェイトが依然として高い。経済では、数学を中心とした理科、人文学、社会科学に、外国語がほぼ同じウェイトで加わっている。理科では、数学の占める割合が圧倒的であり、物理がそれに次いでいる。これ以外に、英語を中心とした外国語が、ほとんどのクラスで課されていることがあげられる。それに、面接試験のための授業も組まれているところが多い。そこでは、卒業生や学校関係者を招いて、模擬的な面接訓練が行われる。その他、演習や口頭試問の時間まで細かく決められている。
しかし、規定上の時間数は、あくまで最低に過ぎない。有名リセの授業は月曜日から土曜日まで、朝8時から夕方7時まで、ほぼ完全に埋まっているが、帰って、自宅や寮での自習が日課である。このような過酷な「受験勉強」は生徒たちの学力だけではなく、強い意志と強靭な身体も求められている。
各科目の教育内容もまた、国によって年度ごとに統一的に規定されている。その規定は、主要グラン・ゼコールの対応するコンクール科目のプログラムに対応している。文学や哲学でさえ、コンクールの主題や参考文献が細かく指定され、きめ細かい受験対策が行われており、マニュアル化した知識と解答テクニックが徹底的に詰め込まれる。さらに、特別授業や演習、口頭試問、日々の課題などは、担当教師による厳格な点検が行われており、その都度成績や順位が公表される。このように、生徒を絶えず受験の管理下におくことによって、最大の受験効果を引き出そうとしている。
以上、フランスの中等教育、準備級における細分化された選抜を見てきた。このような積み重ねた選抜システムは準備級の教育的選抜性と社会的選抜性の高さをもたらした。パリと地方の格差に加え、理科、経済、文科といった系ごとの、そして系内部のクラスの階層性が存在している。さらに、こうした重層化された階層性は、グラン・ゼコールの階層性へと接続されている。フランスでは、こうして、高等教育まで、徐々に枝分かれしていく教育経路は、エリートの道を次第に狭めていく。ある時点の失敗や選択の過ちは、最終的に大きな差となって現れる。首尾よく「生き残った」少数者でさえ、社会の入り口まで強烈な競争にさらされる。というのも、選抜の過程を辿るごとに、「生き残り」間の競争はいっそう過酷になるからである。
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