2008/6/24
「特攻作戦の命令系統と戦闘序列」
戦友に捧げる「鎮魂の詩」
この世に真実に神々が存在されるなら
神々がもし おられますならば特別の
限りなき 慈(いつく)しみの心をもって
犠牲(いけにえ)となった 若き人々の血を涙を
捨石となった 兵士たちをなぐさめ給え
以下省略<今富正己>
続・ある特攻隊員整備員の手記より
鈴木俊輔氏のHPから
特攻の全ての始まりは堀栄三参謀(陸士46期)が1944年沖縄航空戦の戦果誤認訂正電報を大本営に打電したとき,その戦果修正電報を握りつぶした男,それが瀬島龍三中佐(大本営作戦参謀・作戦班長補佐)であった。大元帥昭和天皇を悲しませてはならない。当時大元帥のもとには華々しい戦果のみが報告されていた。終戦間際,デンマーク駐在武官小野寺誠大佐はソ連の参戦が近い事を大本営に打電したが,これも握りつぶされ,中国残留孤児という悲劇を生んだ。しかしなぜか小野寺大佐は終戦間際少将に昇進した。日本では口封じのためこういう摩訶不思議なことが行なわれる。戦後妻が「軍人の妻として」という本を出版している。
第十四方面軍司令官山下奉文大将は特攻は自然発生的に生まれたとし,戦犯として処刑されたが瀬島龍三も同じ考えであった。戦後山崎豊子の不毛地帯のモデルとしても知られ,伊藤忠商事の会長まで昇りつめた。このレイテ戦をきっかけに日本は奈落の底へ落ちてゆく。1944年10月20日米軍はレイテ島に上陸した。日本軍はレイテ沖海戦で航空機による体当たりを,特攻作戦として実施した。
フィリッピンで米軍を迎撃する第一号作戦のため,日本海軍は大西中将を第一航空艦隊の司令長官に任命し,特別攻撃という名のもとに体当たり攻撃を作戦として実施することを決定した。中西の任命は海軍にとって都合のいい息のかかった人間であったためでもある。こうして特攻隊を編成し作戦を遂行することに決まったが,特攻作戦の命令系統,戦闘序列が問題になる。
若し特攻作戦を軍最上部が計画し,実行すれば指揮官の権限を明確にし,訓練も充実できる。しかし特攻という必ず死ぬという作戦を命じたものは,その責任をとるという必要に迫られていた。勝利か死かーその作戦が失敗すれば,部下を無駄死にさせた責任を負わなくてはならない。そして,その責任は最終的には,赤子を死地に送り出すことを命じた大元帥である天皇が負わなければならない。
あるいは大元帥の身代わりとして,将官クラスが死をもってお詫びをしなければならない。命令による特攻によって部下を死地に送り出した責任はとりたくない。司令官が特攻作戦の最終責任を負う事を回避するのは,部下の下級将校,あるいは下士官・兵は自ら発意して,自己犠牲の精神を特攻に発揮してもらうのが一番よい。第一線の将兵が祖国を守り,国体護持のために自然発生的に特攻という体当たり爆撃を志願してくれるのが一番望ましい。もし僕が第二次世界大戦の論文を書けと言われたらたった一言「責任回避の馬鹿者ども!」で終わり。
大元帥の名のもとに,高級将校などが命令する必要はない。部下の発意に「よし。頼む」と特攻の承諾を与える場合,彼らには特攻に部下を送り出したという表現は馴染まない。結局,日本軍は特攻は部下,特に第一線の将兵が,自発的な発意として実施を迫ったものであり,尊王殉国の志士の集団が,やむにやまれない心情から,志願して体当たり攻撃を仕掛けた,だから司令官は特攻を命じたわけではなく,特攻の責任もないというのである。(情報源は東海大学鳥飼行博研究室から)

炎上する軽空母プリンストン 死者347名負傷者552名
プリンストンの爆発に巻き込まれた巡洋艦バーミンガムの乗員死亡230名 負傷408名

体当たりした特攻機

真っ二つに割れる空母フランクリン

空母スワニーに命中
大本営作戦参謀中佐(作戦班長補佐)当時の瀬島龍三氏
東京裁判で出廷した同氏(その後再びソ連に)。戦後伊藤忠商事に入社。山崎豊子の「不毛地帯」は氏がモデルと言われる。
下の写真は敷島隊指揮官関行男大尉である。最初の神風特攻隊の指揮官。関の死後ニ階級特進した。関はその心境を語った。
「僕のような優秀なパイロットを殺すなんて,日本もおしまいだよ。僕は体当たりしなくとも500キロ爆弾を空母の飛行甲板に命中できる。僕は明日,天皇陛下のためとか日本帝国のためとかで往くんじゃあない。KA(妻のこと)のために往くんだ。日本が負けたら,KAがアメ公に何されるかわからん。僕は彼女を守るために死ぬんだ」


左端が関行男大尉と思われる
下は終戦後に自刃した大西瀧治朗中将・特攻は統率の外道と称しながら次のような訓示を特攻兵にしている。また終戦に際し,徹底抗戦を呼びかけた馬鹿者でもある。
1944年10月20日1000 於マニラ
「日本はまさに危機である。しかもこの危機を救いうるものは,大臣でも大将でも軍指令部総長でもない。司令長官でもない。それは諸子の如き純真にして気力に満ちた若い人々のみである。従って自分は一億総国民にかわってお願いする。どうか成功を祈る。皆は既に神である。神であるから欲望はないであろう。が,もしあるすれば、自分の体当たりが成功するかどうか,それを知りたいことであろう。しかし皆は永い眠りにつくのであるから,残念ながら知ることも聞かせることも出来ない。だが自分はこれを見届けて,必ず上聞に達するようにするから,そこは安心して往ってほしい。」訓示を終わって大西は隊員一人一人と熱い握手を交わした。
日本軍の特別攻撃隊は,航空機,人間魚雷,人間爆弾,人間機雷などが考案され司令官の命令,推奨によって組織的に行なわれたにもかかわらず,これを自主的,自発的に5000人もの特攻隊員を死なせた事は責任回避であり,英霊の自主的,自発的特攻をことさら強調しているのであれば,これこそ亡き者への侮辱でもある。
日本軍はこの特攻によって,米国と有利に交渉を展開できると読んでいた向きもあったが,米国はSUICIDE PLANE(自殺飛行)と呼びとんだお門違いであった。海軍に続いて陸軍がまるで戦果を競うように若者を特攻に駆り立てた。あくまで命令ではなく自発的,自主的特攻である。こうすれば自分達に責任が及ぶことはない。こういうことをするんだよ日本人は!昔も今も。だからちょんまげ時代と変らないんだ。
山県有朋によって陸・海・空三軍総司令長官に祭り上げられた大元帥は華々しい戦果の報告しか受けなかったという。天皇を悲しませたくなかった。これが理由である。最近昭和天皇がA級戦犯の祀られている九段へ参拝した観想を不快感とのべた報道があった。天皇の本意を指導者は知らなかったとも言える。戦果の誤認・修正電報を握りつぶした大本営参謀達。
日本は戦う前に負けていた。特攻は組織として上部が連帯責任を負う気概があれば跳飛爆撃・反跳爆撃などの手段もあった。(跳飛爆撃とは爆弾を海面下に沈ませず石の水切りのような形で進行させる方法。反跳爆撃はある一定の速度・毎時360から420キロ・高度50メートルから海面に爆弾を投下すると水切りと同様の原理で飛び跳ねながら進行し命中させる方法。遅延信管を五秒に設定)1944年の時点で大元帥はじめ,大将,大本営参謀は特攻の是非を論ずることは可能であった。
彼らの死を決して無駄にしてはならない。(情報元その1.....その2東海大学鳥飼行博研究室)

特攻は外道と知りながら特攻兵を送り出した男・大西瀧治朗中将 戦後自刃した。
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