2008/6/21
「マラキ書の意味するもの」
マラキ書(託宣でマラキによってイスラエルに臨んだ主の言葉)の意味するものを考えてみよう。その前に宿命論と運命について。
V・Eフランクル氏の「それでも人生にイエスという」本には自らの強制収容所での赤裸々な生活が書かれています。一日の過酷な労働の間,考えるのは今晩のスープにジャガイモの固まりが少しでも入っていますようにと願うことだけでした。ニーチェにも触れています。「生きて行くことに理由がある人は,ほとんどどのような状態にも耐えることが出来る」と。ニーチェはマイスター・エックルベルトの影響を受け,欧州文明の退廃はキリスト教にあったと論じ,人間の機械化による奴隷化を批判した。この思想はチャーリー・チャップリンの「モダン・タイムズ」で表現された。バラモン教さえ支配したアーリア系(コーカサス人種で白人)やタルムードの創始者の一人ヒレルにも触れている。バビロニア生まれのヒレルを含む33人のユダヤ人によって始まったタルムードは33人を単数化しその6がユダヤのダビデの星となったのであろうか。その後ラビがタルムードを広めたと考えられる。13世紀スペインで発見されたゾハールはカバラ思想でありタルムードを捏造するものであった。そうは言っても「ペトロスの宣教文書」などを読んだ人は一体どれくらいいるのだろうか。
「世界滅亡の気分,その根底に宿命論があります。運命は操縦できません。本質的に私達の意志の力が及ばないものを運命と言う」カルバン派の予定説をユダヤ人が言うのも不思議ですが,宿命論なんてだされたらたまらないですよ。
イスラエル(達人注:ヤコブ)とエドム(達人注:エサウ)についてマラキ書にはこうあります。「私はあなたたちを愛してきたと,主はいわれる。しかし,あなたたちは言う。どのように愛を示してくださったのか,と。
エサウはヤコブの兄ではないか,と永遠の神は言う。しかしながら,私はヤコブを愛し,エサウを憎んだ。エサウの山々を私は人の住まぬ処とし,彼の遺産を砂漠の野犬に任せた」マラキ書1,2−3.森有正氏は十分に理解された<予定>とは「意思が正しく意欲する」ことを意味し,それは宿命論の正反対であるとする考えをもっていました。
この<予定>の教えはアウグスティヌス,カルバン,ジャンセニウス,パスカルを通って近代まで生々と伝えられて来た。
エサウとヤコブ
「エサウとヤコブの兄弟の話は、旧約聖書創世記、第11章から第36章までのアブラハム三代について書かれている部分の後半になります。
アブラハムは箱舟で知られるノアの直系の子孫ですが、ある時、神からカナン(現在のパレスチナ)の地を与えられ、妻サラと移住します。サラは自分に子供が出来ないので侍女ハガルを夫の元に送って子供を産ませます。これが長男で、イシマエルといいます。
ところが皮肉なことに、その後まもなくサラに男の子が産まれます。次男のイサクです。サラはハガル、イシマエルの母子を追放し、弟のイサクがアブラハムの後を継ぎます。ちなみにイシマエルはアラブ人の祖先となります。
成人したイサクはリベカという娘を娶ります。リベカは長男エサウ、次男ヤコブという双子を産みます。イサクはエサウを好み、リベカはヤコブを愛します。
時が経って、老いたイサクは長男のエサウを後継者にと考えますが、リベカはヤコブに後を継がせたいと思います。そこでリベカは一計を案じて、目が見えなくなっているイサクのところにヤコブを遣ってエサウのように見せかけ、イサクをまんまと騙してヤコブを後継ぎにすることに成功します。
それを知り怒ったエサウはヤコブを殺そうとします。そこで、リベカはヤコブを自分の兄ラバンのところへ逃します。
ヤコブの伯父ラバンに二人の娘があり、姉レアは目が弱く、妹ラケルは美人でした。ヤコブが井戸のところにいると、ラケルが父の羊に水を飲ませにやってきます。ヤコブはその羊に水を飲ませて、自分がラバンの甥であると告げます。ラバンは、いくら甥でもただ働きはしなくてよい、報酬を与える、と言います。そこで、ヤコブがラケルと結婚したいと言うと、ラバンは7年間働くことを条件に承知します。ヤコブは7年間働いたあと、約束通りラケルと一緒になることを許されます。
ところが、初夜が明けてみると横にいたのは姉のレアでした。ヤコブがラバンに訳をただすと、ラバンは、姉の方が先に嫁に行く習慣だから妹を欲しければ、まず姉を妻にしろ、と言います。ヤコブはそれに従います。
約束の期間、伯父の下で苦難に耐え、多くの財産を作ったヤコブは、家族と共に元の家に帰ることにします。ところが、帰る途中にある出来事があり、ヤコブは「ひとりの人」からイスラエルという名を与えられます。こうしてヤコブは21年間ぶりに生まれた家に帰ってきます。
しかし、家にはヤコブを怨む兄のエサウが待ち構えています。そこでヤコブは財産の一部を捧げて兄を称えるという従順な態度を装い、エサウの怨念を解きます。更に、ヤコブは神から祝福を受け、神がアブラハム、イサクに与えた地を継承することになります。
この後、神は自らを゛アブラハム、イサク、ヤコブの神゛と名乗るようになり、このヤコブの直系から後に、ダビデ、ソロモン、モーセ、イエスが出ることになります」(「」内はここから引用)
アブラハムは父の一家とともにスメル王国のウルから,父の死後,唯一人家族を連れてユウフラテス河の上流にあるハランから出発した。森先生はこのハランから出発していますが,解明されないまま亡くなっております。しかし大きなヒントを与えたのが,和辻哲郎の「風土」であります。
ヒレル(Hillel)が生まれたバビロニアのはるか前,ウル第三王朝時代のウルンナム法典に関してはほとんど資料がないが,全バビロニアを統一したハムラビ王はハムラビ法典を発布したが,この法典はAD1901−1902年の発掘によりフランス隊によってスサで発見された。しかしウルンナム法典の一部は発見されている。旧約聖書(創世記第14章)にハムラビ王の名はアムラベルの名で伝えられている。
BC586年にユダヤ王国が滅亡し,ヒレル達33人がタルムードを起こし,BC289年から550年の間に孟子,荘子,老子,仏陀が生まれ「化胡説」が今問われている。BC250年頃仏教が結集し(陰陽五行説),その後ヒンズー教が生まれ,BC4年あるいはAC8年にキリストが生まれ,AD30年頃キリストが十字架に架けられる。そして170年経ち新約聖書が出来,その570年後,マホメッドがイスラム教の布教をはじめる。
V・Eフランクル氏はライナー・マリア・リルケの「死を自分のものに出来る」ことにもふれている。マルテの書き記す体験はリルケ自身のことである。
ピエール・クロソフスキーの仏訳から日本語に訳したリルケの「廻り角」を紹介しよう。「長い間,彼は,力を尽くして視たあげく,そのものを自分のものとした。向けられたそのまなざしの烈しさに,星はその膝を折った。
また、跪いて彼が観想していると,その切なる願いの香りに,神々しい何者かがまどろみ,その眠りの中から,彼に微笑んだ。塔は,かれがそのように眺めると,戦慄し,かれの一目で,空の高みに向かって,あらためて,そそり立つ。だが,いかにしばしば,昼の重荷にあえぐ風景は夕べになって,かれの沈黙の認知の中に長々と延びて,憩ったことであろう。
信頼にみちて,動物達は,かれの開いた視線の中に,草を食みながら,入ってきた。虜われの獅子達はその凝視するまなざしでかれを探るように見た,恰も考うべからざる自由がそこに或るかのように。何羽かの鳥がそのつばさで,かれを,感じやすいかれを,横切った。いくつかの花は,子供の心のように,大きく開いて,かれの中に,自分の姿を映した。このような観想者がどこかにいるという噂は,見えやすいようにみえて,しかももっとも見えがたい者達,すなわち女達を感動させた。
遥かに遠くから来る時間の中で,眺めながら,遥かに遠くから来る時間の中で,心の飢えに耐えながら,視線の奥から懇願しつつ,外国で,彼が待望のなかに生きていた時,旅宿の,陰欝な環境で彼をとりまくまとまらぬ,かれに背をむける,かれが腰をおろしている部屋の中で,また鏡の中に宿る,またしても部屋の中で,さらに後になって,転転反側させる寝台の上から,眺められた,またしても,部屋の中で,その時,そのものは,空間で,討論していた。
かれの感じ易い心について,苦悩に顛倒した彼の肉体の奥底で,また,それにもかかわらず,感じ易い彼の心について,捉え難く,そのものは討論していた。そして彼の心を判じていた。愛については,彼は何ものも所有してはいなかった。何回も,新しい「達成」が彼に対して拒絶された。こうして今,かれの視線には一つの限界が課せられた。見られる宇宙は,愛の中に咲き開こうと欲している。見る働きは成った。
その後,心の営みをなせ。お前の中の影像の側らに,これらの捕囚の影像の側らに。というのは,お前はそれらの影像を征服した,だがそれらを識らないままでいるのだから。内面の人よ,健闘のあげくもろもろの中から手に入れた,お前の内にある,乙女を見よ,かの女は,やっと獲得されただけで,まだ愛されていないのだ」
これがリルケの「死を自分のものに出来る」ということ。
ライナー・マリア・リルケ
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