2012/1/20
「米国債は差し上げます その2」
ヤクザと自民党政治の研究part.1
原文はここから。
戦後史はあの3人から事実上始まったのです。
今まで政官財暴の癒着をとり上げてきた本ブログ、今回は戦後日本政治とヤクザの関係の通史について取り上げます。日本の歴史にヤクザがはっきりと現れたのは江戸時代ですが、そこまで記述すると時間がいくらあっても足らないので。話は敗戦後の東京から始まります。
朝鮮進駐軍参照
治安維持の切り札
代紋・山口組三代目
1946年、敗戦による混乱の中、東京では三国人による凶悪犯罪が横行していました。それに対して東京の治安を守るべき警視庁はGHQの政策により弱体化し、「戦勝国民」である三国人に対して有効な取り締まりの手立てがありませんでした。
一方で戦前から繁華街利権を抑えていた日本の地元ヤクザも三国人の急速な進出によりその縄張りを侵食され戦後の経済混乱と相まって苦境に追い込まれていました。
そこに着目した警察上層部は、地元ヤクザに三国人鎮圧を託します。警察当局からヤクザに三国人に対する暴力のお墨付きを与えたのです。
1946年6月、新橋駅西口の闇市の利権に絡み松田組と台湾人露天商の間で抗争が発生、松田組側は機関銃を用いて台湾人を排除しました(新橋事件)。また、同年7月には台湾人による渋谷署襲撃事件に対して警察は地元ヤクザの落合一家らに救援を要請。共同でこれを撃退しています(渋谷事件)。
混乱期、警察当局はこうしてヤクザを利用して治安を維持しました。ここに見られるように日本政治におけるヤクザは単純に悪と割り切れない難しさがあります。なにはともあれこの一連の事件は、政治家に武装組織としてのヤクザの有用性に着目させる契機になりました。
反共の防波堤として
1947年、2.1ゼネスト中止命令をきっかけにGHQの占領政策は大きな転換を迎えました。アメリカは日本を反共の防波堤として位置づけ、戦犯の公職追放を解除し始めた一方、逆に左翼勢力に対してパージを始めたのです。
そんななか、ヤクザの実力に着目し彼らを反共の武装組織として再編したのが児玉誉志夫です。児玉誉志夫は後にロッキード事件で逮捕されて一躍有名人となりました。彼は戦前大陸で児玉機関を率いており巨額の財をなしたと噂されている大物右翼です。
松本清張作「けもの道」の当事者
A級戦犯容疑者だった児玉誉志夫は1948年末CIAと取引の末釈放され、反共活動のためヤクザとGHQ・政治家のフィクサーとしての活動を開始しました。その後の戦後政治はこの児玉誉志夫を中心に動いて行くことになります。児玉は1950年の自由党結成や1955年の保守合同と自民党の誕生を資金面で支援していたとも言われています。
50年代を通じて高揚した左翼運動が頂点を迎えるのが60年の安保闘争です。デモ隊が国会構内に乱入するなどの大きな混乱が生じ、自衛隊の治安出動まで検討されたと言われます。そこで当時の首相岸信介は最悪の事態に備え児玉にヤクザへの仲介を依頼。鶴政会(現・稲川会)の稲川角二、住吉一家(現・住吉会)の磧上義光らは岸の要請に応じて有事の際は組員の動員を決定しました。なお、この際山口組の田岡一雄は動員に応じず静観していたことは注目に値します。
現在、岸信介の率いていた岸派は福田派・三塚派を経て森派に受け継がれています。つまり自民党、とりわけ森派は歴史的に稲川会・住吉会に恩があるわけです。
頂上作戦と山口組
安保闘争を乗り切って日本が高度経済成長に移るとヤクザを囲む状況も変わります。1960年代、混乱の間隙を縫って勢力を伸張させた山口組による抗争事件が続発しました。そのため国民の暴力団に対する批判が高まり、警察庁は「第一次頂上作戦」(暴力団潰滅運動)を開始しました。実質的には山口組潰しです。(※注・1)
頂上作戦を受けて、岸に協力した関東ヤクザは児玉の指導の下、右翼団体「関東会」を結成して政治団体化、生き残りを図りました。関東会は錦政会、住吉会、松葉会、日本国粋会、義人党、東声会、北星会の7会派からなる連合体です。もっとも関東会は内部分裂により翌年には解散してしまいますが、これによって関東ヤクザの政治団体化と児玉の連携は決定的になりました。
日本における暴力団系右翼は現在も関東系の稲川会系と住吉会系が中心となっており、自民党と良好な関係を保っています。とりわけ森派の民族主義傾向の強さはこれら団体の存在と表裏一体であることがわかります。
実例を挙げるならば、森派が一枚噛んでいる「救う会」と住吉会系右翼「日本青年社」の間に密接な関係があることなど、枚挙にいとまがありません。
さて、このように当局と良好な関係を保っていた関東ヤクザとは対照的に、警察当局に徹底的に弾圧された山口組でしたが、港湾役務利権と芸能興行を柱としてその勢力は衰えませんでした。
港湾利権とは港湾の労働者の派遣業を独占的に行い利益を出していたことを指します。山口組は戦後急速に規模が拡大した港湾利権によって成長した組なのです。そして芸能興行とはまさに芸能人そのものです。当時のスター美空ひばりも山口組系の神戸芸能社に属しており、東京以西の芸能人の多くは山口組傘下でした。ちなみに今日もほとんどの芸能事務所はヤクザ関連と聞きます。
1971年に若頭に就任した山本健一は田岡の絶大な信頼を得て山口組は隆盛を迎えます。さらに勢力は拡大し、全国進出と権力への浸透を進めたのです。
この山口組の全国進出と権力への浸透が、暴力団の知能化、経済犯罪化が進んだことと相まってのちのバブル崩壊・不良債権地獄の伏線となりました。
※注・1…山口組による麻薬撲滅運動が警察当局を刺激して、頂上作戦に至ったという説がある。山口組が麻薬撲滅運動を展開したのは在日の勢力伸張を警戒して彼らの資金源の麻薬を断とうとしたからである。よって上の説が事実ならば60年代には警察は在日利権を容認していたことになる。
後に日韓国交正常化と賠償に関わる児玉誉志夫や岸信介、瀬島龍三らの「韓国利権」実態が明らかになったが、ここから推察するに60年代自民党内では主に南利権を持った政治家が登場したため、在日韓国・朝鮮人の日本国内での既存利権を容認するようになったと考えられる。
ヤクザと自民党政治の研究part.2
笹川人脈
頂上作戦で警察の標的にされた山口組でしたが、彼らもまたエネルギー利権の田中清玄や、児玉と並ぶ戦後政治のフィクサー笹川良一と深い関係を持っていました。
系図で見る笹川ファミリー

画像をクリックするときれいに見れます。
この笹川良一こそが児玉と並ぶ戦後政治のフィクサーの一人です。笹川は児玉と同じく戦犯として収監された経験があり、戦後CIAの協力者となっていました。なお、前回児玉筋の南利権について述べましたが、笹川もまた国際勝共連合・統一教会を通じての韓国利権のパイプを持っていました。統一教会もKCIA(韓国中央情報局)=CIAと内通していましたから、結局のところ児玉ルート・笹川ルートでの韓国への資金循環はCIAの工作と考えられます。
CIAの資金調達法は後にイラン・コントラ事件で明らかになります。イランコントラ事件とはCIAがニカラグアの反共ゲリラを支援する資金を調達するために、本来アメリカの敵であるはずのイラン政府に武器を売却していた事件のことです。この問題は国際司法裁判所に持ち込まれる大問題となりました。同様に中南米の麻薬利権もCIAの活動資金の原資になっていると噂されます。このようにCIAは海外において考え難いような非合法資金調達工作を行ってきたのです。
ダモクレスの剣 その1参照
イラン・コントラのオリエ・ノース,麻薬王ノリエガ,ブッシュJRはみなグルだった。
それを踏まえれば、CIAは韓国の赤化を防止し同時に日本の保守政権を守るため、比較的豊かな日本から貧しい韓国に資金を流し込み、その一部をフィクサーを介して自民党筋に還流させたと考えるのが妥当でしょう。現在の在日利権の淵源はここにあると考えられます。
余談として、笹川良一と関係が深い団体としては創価学会が挙げられます。学会の反共的性格が笹川の意図と合致した結果でしょう。一説には笹川は池田大作の求めに応じて学会に資金を供与したと言われます。実際、創価学会が言論弾圧事件を起こした際も笹川からの口利きがあったようです。田中角栄も言論弾圧事件の際に公明党を救った一人だと言われますから、笹川-角栄も何らかの関係はあったようですね。
また、山口組系後藤組と学会の緊密な関係が伝えられますが、このコネクションもおそらく笹川を介してのものでしょう。
山口組が警察の頂上作戦のメインターゲットになっても解散に追い込まれず、広島抗争として有名な本多会との抗争にも勝利することができた理由。それはこの笹川人脈を介しての政治権力への浸透工作があったことは間違いないでしょう。
そういえば大谷貴義もそうだった。
「義理の従弟である正示啓次郎(旧大蔵省官僚で元経済企画庁長官)を通じて、福田赳夫を筆頭とする多くの大蔵官僚や政治家と知り合う。その人脈を活かして宝石商としての地位を不動のものとし、日本宝石クラブの会長職に就任。
また、作家の吉川英治のすすめにより、長女の享子(1957年度ミス・ユニバース日本代表)が、裏千家14世千宗室の三男・巳津彦と結婚。媒酌人は、吉川夫妻と福田夫妻が勤めた。この婚姻を機に、巳津彦の母方の親戚である旧三和銀行元会長の渡辺忠雄や、裏千家と懇意であった松下幸之助と親交を深めた。なお、裏千家16世千宗室が容子内親王を夫人として迎えたため、三笠宮家とも遠縁となった。
さらに、田中角栄元首相や、国際興業創業者小佐野賢治、そごう元会長水島廣雄と懇意にするのみならず、戦後最大のフィクサー児玉誉士夫、山口組3代目組長田岡一雄、東声会(現・東亜会)会長町井久之ら、アンダーグラウンドの世界にも顔が利いた。現在服役中の許永中も若い頃、大谷のボディーガード兼運転手をしながら、フィクサー業の修行をした。後に、「大谷先生の下で働き、大人の恐ろしい世界を知った。」と述べている。
上述の肩書きの多くは、政財官界やアンダーグラウンドの世界に対する大谷の絶大な影響力を頼み、経営危機からの脱出、暴力団や総会屋からの防衛等を望んだ企業側が提供したものである。
なお、ジャニーズ事務所の社長・副社長であるジャニー喜多川・メリー喜多川姉弟が終戦前に帰国した際、大谷の元に身を寄せ面倒を見てもらっていた。
大谷が死去した際、葬儀委員長は福田赳夫元首相が務めた。」(Wiki)
ロッキードの闇
1976年、アメリカ上院議院多国籍企業小委員会の公聴会で、旅客機の機種選定についてロッキード社が世界各国の航空会社・政府高官に贈賄を行っている実態が明らかにされました。
ロッキード社の証言により以下のことが分かりました。日本においてロッキード社は児玉を仲介人としており、ロッキード社は児玉に21億円のコンサルタント料を支払ったこと、それを受け児玉が小佐野賢治・丸紅を介して田中角栄に5億円を届けたこと、最終的にこの工作により全日空の導入機種はDC-10型機からロッキード社のトライスターに変更されたことです。
国際興行社主だった小佐野と田中角栄は盟友関係にあり、児玉は小佐野を介して角栄の知遇を得ていました。丸紅はロッキード社の日本側の正式な代理店です。
この一件で田中角栄は逮捕される事態に至ります。元首相の逮捕は昭電疑獄の芦田均以来でした。
世間ではこの事件の裏側でCIAが動いたとか、アメリカの内政に巻き込まれただとか、笹川ラインが児玉ラインを追い落としにかかったとか、三木が角栄に止めをさしたとか様々な観測があります。現在でもはっきりしたことは分かりませんが、あれだけ普段政治家には腰の引けており、外事案件に慎重な検察庁が大物を逮捕にかかったという事実から見て誰かが検察をプッシュしたのは間違えないところです。
現時点で分かっているのはロッキード-日本間の資金循環をCIAはあらかじめ知悉していたこと、この一件により児玉ルートは潰れたこと、かつ児玉ルートの大物、読売(正力・渡辺)及び中曽根は無傷で済んだことです。
なお、注目すべきことに児玉は民生用航空機だけでなく軍用機利権も持っていました。1958年にロッキードF-104戦闘機売り込みを行ったことが発端になり児玉はロッキード社の軍民航空機の秘密代理店をしていたからです。
しかしながら、76年のロッキード事件では民生用のトライスター疑惑だけがクローズアップされ、同時に関与が取り沙汰されていた軍用P3C対潜哨戒機疑惑に関しては検察はノータッチに終わりました。こちらの売り込みには中曽根康弘・後藤田正晴が関与していたと言われます。ロッキード事件は「誰か」の手によって「角栄・児玉」を狙って選択的に起こされた事件と見て間違いないでしょう。
ここから推察するに、ロッキード事件とは結局のところ角栄の資源独自調達・対中姿勢がアメリカCIAに嫌気されたというのが真相ではないでしょうか。(参考1参照)
こうして児玉が失脚したことにより日本の裏社会は重要なフィクサーの一人を失い、その後の混乱の原因となりました。この頃から、裏社会の表化が進行するのです。
(参考1)http://www.asahi-net.or.jp/~vb7y-td/k7/170218.htm
朝堂院大覚こと松浦良右は大物か,それともピエロか?

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