2008/6/14
「差し出されたもの」
第一は,対象となる歴史上の出来事を正確に,一方に偏らず,批判の目をもって探求すること。第二は,探求したもろもろの意味合いを直感的に〜これは第一の方法だけでは不可能だ〜理解することである。<ウイルヘルム・フォン・フンボルト>
DACHAUの収容所跡地
かつて収容所に隣接していたSSの建屋は、現在Bereitschaftspolizei(機動隊)が使用している。それこそDVD(DEUTSCHE VERTEIGIGUNGS DIENST)DACHAUの本部である。これがCIAのCounter Intelligenceであり世界を奈落の底に落とそうとしているGerman Black Intelligenceの正体である。この組織について語る者は抹殺される。私自身ポートランド・COFFEE CREEKでのCAMPや囚人護送鉄道を見るまでは確信がもてなかったが今は絶対的確信に変わっている。
近代史上,一民族が他の一民族の殺害をもってイデオロギーの実践だと誇った例は一つも無い。しかも,この実践にあたっては,手段と目的が一致している。ホロコーストというのは,ギリシャ語のホロカウストンから変化したものだが,そのギリシャ語自体は,聖書をヘブライ語から翻訳する〜いわゆる70人訳聖書の作成〜にあたって,ヘブライ語のオラー(差し出されたもの)の訳語として選ばれ,現代では,”焼いて神に捧げたもの”とか,”丸焼きにした貢物”といった意味に使われる。ホロコーストは1096年の第一回十字軍のときこうむったユダヤ人の苦難の歴史である。当時の年代記や典礼詩は,いずれも旧約聖書の燔祭「創世記」22章(アブラハムが神から受けた啓示)にふれ,これをユダヤ人の苦難の原型としている。
この光景は「神に差し出されたオラー」でありイエスの再臨の証拠であるかもしれない。受肉してこの世に現れバラバを選んだ民衆によってかくも残酷な磔にあった。再臨とは復讐でもある。焼いて神に捧げ,差し出されたホロコーストがこの写真である。主は言われた。「わたしは人を創造したが,これを地上からぬぐい去ろう」<創世記6:7>しかしこの場所がポーランドであるのかドイツ国内であるのかは不明である。
聖書の無謬性についての教え
原文
レオ13世が示した最初の最大の心遣いは、聖書の真理に関する教えを明らかに示し、攻撃から守ることであった。したがって同教皇が重い言葉で言明したのは、聖書記者が物理的な事柄について述べるとき、天使的学者が言ったように、 「感覚に現れたことに従った」としても、「あるいはある転意の用法で、あるいは当時慣用となっていた通俗的な用法でそうしたのです。これはまた今日、最も優れた科学者の間でもその日常生活の中で多く用いられているのと同じです」言ったのであって、そこにはいかなる誤りもないということである。なぜなら「聖なる記者たちは、より正しくは ― アウグスティヌスの言葉 ― 彼らをとおして語った神の霊は、救いのためにならないこれらの事柄 ― つまり、目に見える事物の内部構造 ― は何も人間に教えようとしなかったからである」。 このことは「関連の研究分野、特に歴史にも当てはめ」、すなわち「同じような理由で対立意見の誤謬を」排斥し、「聖書の歴史的信仰をその攻撃から」守ることができる。 また「写字生が写本を写しながら何か写し損なったとしても」、または「ある箇所の本来の意味があいまいなままであっても」、聖なる記者たちに誤りがあるとしてはならない。最後に「霊感を聖書のただ或る部分に限定したり、聖なる記者が誤りを犯したと認めること」はまったくできない。神の霊感は「それ自体すべての誤りを排除するだけでなく、最高の真理である神がいかなる誤謬の著者であるはずがないから、それを必然的に排除し、排斥するからである。これが古くから常に守ってきた教会の信仰である」。
(S.Augustinus, De Gen.ad litt, 2, 9, 20 - Migne PL 34 col.270s.; CSEL 28, 3, 2 p.46: 聖アウグスティヌス『創世記逐語注解』第2巻第9章20、片柳栄一訳、アウグスティヌス著作集16、創世記注解(1)、教文館、1994年、54−55頁)。
それだからこそ,アーノルド・トインビー全集第七巻(原版)381〜392ページまでChurches as Cancers(教会は癌)と書かれてしまうのです。
一般人のなぜに答えてくれる人や書籍はない。殺す側と殺される側では論理が180度異なるからだ。しかし「ユダヤ人はなぜ殺されたのか」とは良い質問であろう。35年前に読んだLucy S.Davidowizの「The War Against the JEWS」はすでに手元にはないが当時のメモは残っているのでメモと記憶の要約で書いてみよう。1881年,時のロシア皇帝アレクサンドロス三世の側近コンスタンティン・ポビエドノスツェフが提唱した解決案で,ユダヤ人の三分の一はどこか別の国に移住し,三分の一は改宗し,三分の一は餓死すべきだというものだった。この考え方を受け継いだのがナチである。ナチによる最終的とは永遠の救いを前にして善と悪とが対決する最後のハルマゲドン,この世の終末,その時に神が行なう最後の審判,といった神の約束の響にあふれていた。それは世の終末における「神の約束」を見込んだ超歴史的計画であった。それは地上に地獄を招来することによって,天国の実現をはかる思想の一部であった。アンドレ・マルローも「悪魔が戻ってきたことだ」と書いている。(注:ファウストが召喚した悪魔「メフィストフェレス」のことであろう)

受難
近代史上,一民族が他の一民族の殺害をもってイデオロギーの実践だと誇った例は一つも無い。しかも,この実践にあたっては,手段と目的が一致している。ホロコーストというのは,ギリシャ語のホロカウストンから変化したものだが,そのギリシャ語自体は,聖書をヘブライ語から翻訳する〜いわゆる70人訳聖書の作成〜にあたって,ヘブライ語のオラー(差し出されたもの)の訳語として選ばれ,現代では,”焼いて神に捧げたもの”とか,”丸焼きにした貢物”といった意味に使われる。ホロコーストは1096年の第一回十字軍のときこうむったユダヤ人の苦難の歴史である。当時の年代記や典礼詩は,いずれも旧約聖書の燔祭「創世記」22章にふれ,これをユダヤ人の苦難の原型としている。
ユダヤ民族最大の衝撃といわれるのは第二神殿の破壊である。ソロモンがエルサレムに建立した第一神殿は,紀元前586年にバビロニア人に破壊され,再建された第二神殿も紀元70年にローマ人に破壊された。現存しているのは第二神殿の西側の壁(嘆きの壁のみ)がある。当時,ユダヤ人の四分の一はパレスティナに住み,残りが離散の生活を送っていた。
東ヨーロッパのユダヤ人が滅亡したことによって,千年の昔ライン川流域に芽生え,1939年には東ヨーロッパで花を咲かせていたアシュケナージ系ユダヤ人(ヨーロッパ中部から東部を地盤とするユダヤ人。イベリア半島から北アフリカ・中東などを地盤とするユダヤ人をセファルディと呼ぶ)の分化が,終わりを告げる。

これら三枚の写真はイスラエルの姿を反映している。



「わが闘争」はランツベルクの刑務所のなかで書いた。ミュンヘン一揆が失敗したためである。アドルフ・ヒットラーは1889年4月20日にオーストリアとドイツの国境を流れるライン川に臨む町,プラウナウに生まれた。アロイス・ヒットラーと,その三番目の妻で23歳も年下だったクララとの間の第四子である。父親のアロイス(1837〜1903)は,マリア・アンナ・シックルグルーバー(1795〜18847)の私生児で,母の姓で洗礼を受けなければならなかった。アドルフのこの父方の祖父は誰なのか?父方の祖父がユダヤ系で(注:当時19歳であったソロモン・ロスチャイルドの可能性も)ありこのことはナチス占領下のポーランドで総督をつとめたハンス・フランクがニュールンベルグで処刑を待っている間に行なわれた告白である。........マリア・シックルグルーバーに子をもうけさせたのは,彼女が使用人として雇われていた家の19歳の息子である,この男はユダヤ人であったと推定されるというのがハンス・フランクの語った話である。
ミュンヘン時代,24歳のアドルフは友達もなく職業もなく根無し草的若者であった。ミュンヘンにはさまざまな国家主義的グループやユダヤ排斥主義のグループがあったが,その中でも、アドルフの属していたのは「チュートン・ホルスング騎士団」はその一つである。その騎士団の言動には,チュートン語(注:チュートン人とは英国にいた蛮族でアングル人とサクスン人)的なシンボルがあふれその機関紙「ルーネン」には鉤十字(スワスチカ)が使われていた。アドルフの入っていたと思われるのがチュートン・ホルスング騎士団と密接な関係を持っていたテオドール・フリッチュが主宰する帝国鉄槌同盟のミュンヘン地方支部である。

帝國鉄槌同盟のエンブレム。鎌をもった鷲とマルクス。
サラエボにおけるフェルディナント大公の暗殺は第一次大戦の幕を切っておとした。(そして第二次世界大戦もこうして始まった)その後のアドルフにとってミュンヘン時代の影響が決定的であった。アドルフがはやくに接触を持つようになったグループの一つにトウーレ協会がある。チュートン・ホルスング騎士団を復興しょようとする陰謀家の連合で,アイスナーやミュンヘン・ソヴィエトの指導者たちに対する数々の暗殺計画に関係していた集団である。会員の中にはアドルフの犬となるルドルフ・ヘスや,後のドイツ労働党の創立者の一人カール・ハーラー,またディートリッヒ・エッカートなどがいた。
ヒットラーの見方では「モーゼの宗教は,ユダヤ人種の保全のための教義以外の何ものでもない」のだった。ユダヤ人排斥主義が広く根強く,そしてボグロムと呼ばれる暴力的迫害がもっとも激しかったのは,帝政ロシアの判図においてだった。ことに1880年代に入ると,民衆の不満をそらすために政府や地方当局者がユダヤ人攻撃をけしかけ,「黒い百人組」という名の組織が各地でボグロムの火付け役となった。シオン長老たちの約定書(シオンのプロトコール)は帝政ロシアの秘密警察が19世紀か20世紀初頭にでっちあげた,とんでもない偽造文書である。偽造の目的は,ユダヤ人たちが世界支配のために国際的陰謀をめぐらす秘密の計画をもっていると,いいふらすことであった。「ヒットラーもわが闘争のなかで<たぐいまれな>仕業だと書いている」
19世紀の後半にユダヤ人が会議を開いて,謀反やサボタージュによってキリスト教世界を転覆させて世界を支配しようという計画をとって,1905年ロシアで出現した文書でライオネル・ロスチャイルドを中心としたグループである。
次第にユダヤ人に対する敵意は二つの形で現れてくる。第一の淵源は,無神論的立場からの反ユダヤ的偏向であり,これはユダヤ教がキリスト教の先駆的宗教だという理由で非難を加えるものである。第二の淵源は,ユダヤ人を資本主義の権化,つまりは資本家や銀行家,中間商人,寄生的暴利取得者ととらえる,反資本主義的イデオロギーにほかならない.と。ナチスとバチカンの関係は明らかである。
カトリックの詳しいことは和田幹男牧師がよいでしょう。
七十人訳聖書
七十人訳聖書(しちじゅうにんやくせいしょ、羅:Septuaginta, 「70」の意。LXXと略す)は、ヘブライ語のユダヤ教聖典(旧約聖書)のギリシア語訳であり、紀元前3世紀中葉から前1世紀間に、徐々に翻訳・改訂された集成の総称を言う。ギリシヤ語読みであるセプトゥアギンタとも呼ばれる。Septuaginta の由来については諸説あるが、旧約偽典のアリステアスの手紙の伝える、プトレマイオス2世フィラデルフォスのため、72の訳者が72日間で「律法」(モーセ五書)の翻訳をなしたという伝説によるという説が有力である。 その構成については旧約聖書の項を参照せよ。
目次 [非表示]
1 成立背景と伝播
2 構成とテキスト
3 参考文献
4 日本語訳テキスト
[編集] 成立背景と伝播
ヘブライ語を読めないギリシア語圏のユダヤ人、また改宗ユダヤ人が増えたため翻訳がなされたと推測される。いわゆる「ディアスポラ」のユダヤ人はヘレニズムに先行するが、ギリシャ語話者ユダヤ人は、アレクサンドロス大王の遠征以降、一層増加したと思われる。各民族語で書かれた文書が多数、ギリシア語へ翻訳された中で、旧約聖書もギリシア語に翻訳された。
新約聖書内には、旧約から引用する際、この訳を用いている場合が多い。パウロはヘブライ語も読めたようであるが、書簡では引用に際して一部これを用いている。ヒエロニムスも旧約の翻訳の際に、これを参照している。また、ルネサンス以前の西欧では、ヘブライ語の識者が殆どいなかったためもあって、重宝されたようである。なお正教会ではこれを旧約正典として扱い、翻訳の定本をマソラ本文でなく、七十人訳におくことがある。

And so we went toward ROME"。They came to meet us as far as Appii forum and The three taverns;whom when Paul saw,he thanked God and took courage.ローマへの道,アッピア街道。
パウロはイエスに接したことはなかった。イエスやその教えについての彼の知識は,直弟子からの噂によったものであろうが,イエスの精神や,その新生の教義についてはよく理解していた。彼が見出したナザレ人の信仰は,動機と生き方についての物であったが,それを信条の教義に変えてしまったのである。彼はナザレ人に精神と希望とを見出したがそれはすでに捨てられ,信条の芽生えをもつキリスト教団にしたのだった。パウロの伝道は「使徒行伝」や「ロマ書」に譲るとして彼はひじょうな精力家で,エルサレム,アンチオキア,アテネ,コリント,エフェソス,ローマなどで説教をした。一説ではネロの時代にローマで殺された,といわれている。(以上はWIKIでなく,OUTLINE OF HISTORYより)
ちなみに、パウロを始め当時の使徒たちが用いていた旧約聖書は専らギリシア語訳の聖書であるため、この七十人訳聖書はキリスト教研究にとって極めて重要な聖書であると言える。
最古の写本では、断片的なパピルス以外には、ヴァティカン写本、シナイ写本、アレクサンドリア写本など4〜5世紀のほぼ完全な写本が残っている。これは、ヘブライ語の最古の完全な写本であるレニングラード写本(1008年)より遥かに古く、本文批評の作業で重要な位置を占める。4、5世紀のヘブライ語原典を、ある程度想像できるからである。しかし、七十人訳が原典の忠実な翻訳であるとも限らないため、問題は多い。
[編集] 構成とテキスト
七十人訳聖書が含む文書数は、現存している旧約聖書ヘブライ語写本より多く、ヘブライ語写本と七十人訳で細部が異なる文書もある。キリスト教徒が七十人訳を典拠としたことから、1世紀末、ユダヤ教はヤムニア会議でヘブライ語写本をもたない文書を排除することを決定した。これが現在のマソラ写本の範囲を決定しており、このとき排除された文書をユダヤ教では外典という。
キリスト教でも旧約の厳密な範囲をヤムニア会議で確定された正典の範囲に限る神学者もある。しかし歴史的には中世まではキリスト教徒のもつ旧約聖書は七十人訳とほぼ同じであり、現在でもカトリックや東方教会ではそうである。いっぽうマルティン・ルターは、旧約聖書の底本をヘブライ語およびアラム語写本をもつもの、すなわちマソラ本文にのみ取った。その影響にあるプロテスタント諸派では、七十人訳にのみ含まれる文書を旧約外典と呼び、聖書に準ずる、または聖書に含まれない文書とみなすことが多い。
七十人訳の文書の中には、近代に入ってヘブライ語の写本が発見されたものもある。
[編集] 参考文献
『キリスト教聖書としての七十人訳―その前史と正典としての問題』 マルティン・ヘンゲル(Martin Hengel)著、土岐健治、湯川郁子訳、教文館、2005年 ISBN 4764272415
[編集] 日本語訳テキスト
初めての試みとして、秦剛平の個人訳が進行している。現在までに「第I期」として以下の、いわゆるモーセ五書が刊行済みである。
『七十人訳ギリシア語聖書〈1〉創世記』 秦剛平訳、河出書房新社、2002年 ISBN 4309621619
『七十人訳ギリシア語聖書〈2〉出エジプト記』 秦剛平訳、河出書房新社、2003年 ISBN 4309621627
『七十人訳ギリシア語聖書〈3〉レビ記』 秦剛平訳、河出書房新社、2003年 ISBN 4309621635
『七十人訳ギリシア語聖書〈4〉民数記』 秦剛平訳、河出書房新社、2003年 ISBN 4309621643
『七十人訳ギリシア語聖書〈5〉申命記』 秦剛平訳、河出書房新社、2003年 ISBN 4309621651
なお、この他に、
新共同訳聖書では旧約聖書続編のうち「エズラ記(ラテン語)」を除く部分は七十人訳聖書からの翻訳である。
「フランシスコ会訳聖書」では旧約聖書のうち「マカバイ記」などヘブル語聖書に含まれない部分は七十人訳聖書からの翻訳であるほか、ヘブル語聖書からの翻訳である部分についても七十人訳聖書との異同が数多く記載されている。
"http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%83%E5%8D%81%E4%BA%BA%E8%A8%B3%E8%81%96%E6%9B%B8" より作成
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