2008/5/28
「小学生はかく語りぬ」
蒼い 蒼い 華には
名前が ない
だから
誰も その名前を 呼んでくれない.....
だから私が
華の名前を 憑けてあげる

絵:いわさきちひろ
tyou 11歳の春
蝶の翼のように
「闇の世界 光る闇 切り裂く世界」
(作詞・作曲tyou)
あの刻のことのこと 涙に流してた
闇の中で ひたすらに
ずっとずっと 悔やんでいたよ
あの時のこと
ずっとずっと 昔のことだけど
こんな暗闇 いらないなんて
だって
金縛りみたいに いたいから
人斬るなんて できないよ
暗い くらい 闇につつまれて
だからだから 君は泣き続ける
なにもできないまま じっとみつめている
こんなままでいいの 暗い くらい
闇の中で
泣いてばかりいた ずっと
そっと手をにぎりしめる
いたいほど 強く
人間なんて
生きることを望まないヤツだっている
だからきっと
私は強く強くなってみせる
暗い くらい 闇の中でね
君はみているだけだった
闇の中に 蒼い景(ひかり)が
かがやくように咲く
tyou 11歳の春

絵:たにうちろくろう
「真実,解らないこと,信じるもの」
(作詞・作曲 tyou )
憎めないものって なに?
難しいでしょ
聞かれず答えようなんて
闇の中で
明かりを灯すにはどうするの?
と聞かれて 答えは
寂しくて寂しくて誰かに
ささえてほしいとき どうする?
と聞かれて 答えは
答えられる モノ ではない
私も聞くのは簡単だけど
聞かれると 難しいんだよ
たくさん あるでしょ
誰もがしんじているような
でもね
誰もが信じ続けているもの
誰もが信じ続けたいもの
壊したくないから その人の中で信じるモノを
だから
真実は知らないで じっと見つめて
ゆっくり ゆっくり 探してゆこう
tyou 11歳の春

tyouへ
ベルレーヌは たちまち
tyouに ささやく
僕の世界へ ようこそ
だけど 最後は
蝋燭の焔が 消えいるように
黄色くなって 一緒に......
人間の弱さが 二者択一を 迫るとき
ちいさな ちいさな 悪をえらぼうね
人間ってそんなに 強くないから
だから 強い つよい
女になりなさい
雪の結晶がひとつとして同じものが
ないように
神は一瞬の芸術が好き
そして
それをわかってくれる人には
悲痛を与え そのかわり
情熱を与えてくれる
tyouの暗闇に
華を咲かせてくれる
それがどんな華かは
知らないけれど
でもきっと いつか
あの時の 暗闇が 夢だったと
思えるときがきっと来るよ
神の待ち望んでいた日が
来たときに
それはまるで
聖テレーズがピアフの盲目の目を
啓かせたかわりに
最愛の 恋人すら 殺してしまう
という 残酷な試練を与え
「愛の賛歌」を 完成させたように
そして
それを聴いた 詩人ジャン・コクトウは
涙の枯れ果てるまで 慟哭したという
パリの新聞が ピアフの「死」を報じると
ジャン・コクトウは 後を追うように
逝った
tyouは そんな女に
きっとなれるよ いつかね
唯一残されているTyouさんのブログ。現在中学校一年生。暗闇からきっと抜け出したんでしょうね。
http://red.ap.teacup.com/hage/2.html
ベルエポックのパリ。一人の天才少女は, 神の命じるままパリのベルヴィルの歩道に生み落とされた。
少女の名はエディット・ピアフ。親戚の売春宿にあずけられたピアフはある日盲目になる。娼婦たちはノルマンディの修道院 聖女テレーズのところでピアフとともに,祈りを捧げた。奇跡は起こった。1921年8月25日 聖ルイの祝日,ピアフの視力は回復した。
しばらくするとピアフは父とともに毎日街でシャンソンを歌った。(ピアフ独特のOシルコンプレックスはこの街で生まれた) ピアフは詩人のジャンコクトウに巡り会い教養を身につける。
そして華々しくデビューする。すべては順調であった。イブモンタンやシャルルアズナブールも育てた。「バラ色の人生」から「愛の賛歌」への移行寸前,ニューヨークで恋人をまちわびるピアフに訃報が届いた。恋人のボクシングミドル級チャンピオン マルセル・セダンがニューヨークへむかう途中 機は墜落した。
ピアフは公演中観客を前にして倒れた。 パリへ帰ったピアフを待っていたのは,オランピア劇場での長期公演であった。オランピアで歌うピアフの「愛の賛歌」は神がその日を待ち望んでいたかのように残酷な試練を与え,かつてピアフが身ごもった子さえ殺してしまうという悲痛を与え そのかわり「情熱」というプレゼントをし愛の賛歌は完成した。観客は泣き慟哭し幕がおりてもしばらく立ち上がれなかったという。
自動車事故,自殺未遂,発狂,酒におぼれた日々,麻薬中毒,入院。 ピアフは死にもの狂いで「愛」を貫き歌った。マルセルの死後マルセルの長男を引き取り,我が子同然に可愛がった。
現在ピアフ博物館の館長をしている。ピアフは1963年10月 47歳で亡くなる一年前テオ・サラボと結婚し何曲か自宅で録音したが,死を目前にしたピアフの声はもう,あの時の声ではなかった。
パリの新聞が「ピアフの死」を伝えるとジャンコクトウは後を追うように逝った。
最愛の恋人マルセルを失った直後のピアフ。ピアフはマルセルの長男を引き取り長男は現在パリの「エディット・ピアフ博物館」の館長をしている。なおここは予約制です。
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