2008/5/27
「神の沈黙」
我々が子ども時代へ帰ることを夢見るならば,他人に依存して幸福でありたいという誘惑に駆られるならば,われわれの十字架すなわち人間らしさと理性と責任の十字架を担うという課題にしりごみするならば,勇気を失い圧迫にたじろぐならば,そのときにはわれわれは目の前にある単純な決定を明瞭に理解して,自分を強くするように努めなければならない。われわれは野獣に帰ることはできる。だが人間であり続けたいと望むならば,そのときには唯一の道,開かれた社会への道があるのみである。<カール・R・ポパー著:開かれた社会とその敵>より。
(ジョージ・ソロスはLondon School of Economicでポパー先生に出会い人生観を確立し米国に渡り成功した)。
リセで講義するアラン。リセとはグランゼコールへ入るための予備校である。「私がそこで見いだすことを,プラトンがすでに充分考えていたとしても、それが何だろう,私がそこで見いだすことが,何事かを理解するための助けとなるのであれば」
アラン先生のアップ。フランスでは試験問題の範囲を予め教える。試験を準備させることによって考える習慣を身につけるようにする。
ラファエル・サンツィオ作「聖体の論議」という作品がある。上部には,聖母とヨハネを従えて座すキリストを中心に,12使徒や聖人達が居並んでいる。下部には,中央の聖壇の左右に教会の権威たちが群生し,さまざまな姿態を示しながら,聖体について議論を戦わせている。アランは言う,「あのように,何事も語られてはいず,また何事も語られることはないだろう。語るべきことが語られたためしはついぞなくまた未来にもないだろう。すべての言葉の上に神は沈黙する。画家以上によく語ることが誰にできようか。」と。ラファエロが描いたその神とは,一人の人間にほかならないのだ。すべて現れは物体の中の物体である。そして,現れを見るというだけで,それが神でないことは感知される。いかなる物体も神ではない。表象から表象へ,やがて沈黙に行きつくほかはないのだ。それが叡智の偉大な掟である。やがて神は現れるだろう。そのときこそ世界の終わりだろう。なぜなら,それは思考の終わりだろうから。思考するとは計量することであり,疑うことである。そのとき,もはや疑いはないだろう。そして,確定された実存のなかでは,徳もまた滅びるだろう。選択のないところに,どうして徳がありえよう。我々を意思の場から開放するような一種の信念を抑えるところに,真の宗教は存在するのだ。
「精神は貧しく,正しく,善良である。つねにそうであるべきように,木の十字架の約束とともに」真の宗教を教えつたえる者は,卑小な,痩せた,報いられることの少ない司祭である。富める者は神の国に入ることができないと,いったい誰が言っているのか。卑小な祭司である。「そして,心貧しい者こそ精神の最良の分にあずかるとは。それもまた卑小な祭司の言だ。そして,かれはそれ以上言葉を強めることができないのを見て,諸君がかれの言葉を充分強めた。内面の裁きの逆転を,情念への拒否を,生の変革を,ひたすら待ち望むほかはないのだと。その裁きは自由でなければ何ほどの価値もないとさえ念を押して......」そういう真実の思考に対して,聖句を批判し歴史を照合する人は何を計量しようというのか。実存は神の属性ではないのである。これが不信者の信仰だ。<アンドレ・モーロワ>
思考するとは計量することであり疑うことでありコギト論証でもある。アンドレ・モーロワによればこの日本はすでに世界の終わりであろうことになる。それは思考停止でもある。思考停止とは生ける屍のことである。思考停止に陥らないためには疑うことからはじめなければならない。米国の力に脅えるヒラメ国にならないためにも。自分を振りかえって変えることができれば世界観も変わるはずです。
プラトン〜アリストテレス的本質主義の魔力によって,社会がいかに抑圧されてきたのか考えてみよう。プラトンは「友人達は彼らの所有するものすべてを共有する」という。それは使途行伝2:44〜45や4:34〜35に如実に現れている。新プラトン主義とキリスト教思想の統合による無法が法と秩序に変わってしまったのである。世界は事実の総体であって,事物の総体ではないとヴィトゲンシュタインはかつて言ったがこのような無法を主導したのはバビロニアのカルデアン・マギとアケメス朝西部のミトラ派のマギである。この西部はギリシャ文化が栄えた地域であり,プラトンの抑制哲学が根付きアレクサンダー大王(紀元前356〜323)アケメス朝を征服した時,神話は広く普及していた。ミトラの化身と化した大王時代のヘレニズム王朝時代は,ギリシャ多神教とミトラ教の時代になった。しかし大王はアケメス朝の国教ゾロアスター教と主神アフラ(マズダー)だけは弾圧した。マズダーの祭司も処刑した。ミトラ教崇拝はアレキサンダー大王によって行われた。
ミトラ教聖地跡に建つバチカン
325年コンスタヌチヌスは二ケア公会議にてキリスト教を国教とした。375年ヒッポ公会議ではキケロを黒幕としてアウグスティヌスがヨハネの黙示録をキリスト教正典に加えた。395年ローマ帝国は東西に分裂し397年今度はユダヤ教の正典44巻(Jewish CANNON)が加えられた。385年,時の教皇ダマスス一世の命により聖ヒエロニムスはラテン語聖書の校正にあたる。これがVULGATE聖書である。(後のグーテンベルグ聖書)アウグスティヌスの流れを引き継ぐフォイエルバッハはマルクスに魔の手をさしのべた。(後日記事予定)
そしてバチカンのDOUAY・RHEIMS BIBLEが完成するが,1611年King James Bibleも完成する。日本へは唐の景教を経てキリスト教が入ってきたが空海はすでにキリスト教を理解していたと推察できる。
ルシファーという存在は,メーソンの神殿より資金援助を受けたと思われる神学者たちがキリスト教にあける一元論神学を語るにあたり,必要悪として創られた。ホリゲネス〜アウグスティヌスは「イザヤ書」のルシファーを紹介したが,ヒルデガルドは幻視によりルシファーを神話化した。ルシファーがサタン化したのは聖書ではなくこれら神学者の系譜による。そして宗教神話というものは自然界と生命を引き離すように作用し,お互いをも引き離す。見えない力で人を制圧・抑制するプラトン哲学の本質でもある。そして国際金融資本家たちはこの宗教神話を巧みに操り社会を操作し支配する。なぜなら宗教神話は人をまとめ行動を起こすよう機能するからである。
現在世界の黒幕はDVD=DEUTSCHE VERTEIDIGUNGS DIENSTというGerman Black Intelligence(本部はMUNICHのDASOUだが地図にはない)であり米国ではFEMAの名の下あと四年でアウシュビッツの2500倍の規模の矯正収容所が現実に造られている。DVDの米国での頭領はDON NICOLOFFという人物である。ロスチャイルドの代理人であったヤコブシフはボルシェビキ革命を仕掛けた。資本主義社会をTHESISとすれば共産主義社会はANTITHESISである。そのa defact SYNTHESISはNEW WORLD ORDERである。例えば,世界勝共連合という組織があるが統一協会同様チンドン屋である。
キャンプには高圧電流が流れる。2008年1月見てきたポートランドCoffee CreekにあるConcentration CampとAMTRAKと結ばれている囚人護送用鉄道。表向きは「Child Development Center」の看板がかかっている。これは現実です。また近くの貸し倉庫には国連軍が使用する武器がストックされている。実際UN POLICEが活動している光景を目にした。彼らはその瞬間国連軍のジープで,ベートーベンの「第九・喜びの歌」を拡声器で流しながら市民をキャンプへと誘導する。日本の自衛隊も活躍するであろう。Executive Orderは次々発令され庶民の武器はすべて撤収されShadow Governmentが顔を出す。Shape-Shiftした21名のReptilian Counsel Memberに皆腰を抜かすことでしょう。デヴィッド・アイクはBalancer(X-Dayまでの役割を演じる人)ですから皆さんが驚かないように毎日Reptilianの話をしているのです。彼の話はほとんどがArizona Wilder(本名Jeniffer Green)さんの話です。Arizonaさんは元イルミナティの最高幹部(Mother Goddess=ルシファーの花嫁)です。
Secret FEMA plan to use Pastors as pacifiers in preparation for Martial lawという公式文書が存在しています。<FEMAという秘密国家は牧師たちを「おしゃぶり」としてMartial Lawに備えて利用しています」と> そういえばDavid Meyerもしゃぶられたようだ。
アウグスティヌス
ヒッポのアウグスティヌス
ラテラノ大聖堂に描かれたアウグスティヌスアウグスティヌス(Aurelius Augustinus、354年11月13日 - 430年8月28日)は、古代キリスト教の神学者、哲学者、説教者、ラテン教父とよばれる一群の神学者たちの一人。古代キリスト教世界のラテン語圏において最大の影響力をもつ理論家。カトリック教会、聖公会および正教会などの聖人。日本ハリストス正教会では福アウグスティンと呼ばれる。
なお、イングランドの初代カンタベリー大司教も同名の「アウグスティヌス」であるため、本項のアウグスティヌスはこれと区別して「ヒッポのアウグスティヌス」と呼ばれる。
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1 生涯
2 思想
3 著作
4 関連項目
[編集] 生涯
アウグスティヌスはキリスト教徒の母モニカと異教徒の父パトリキウスの子として、北アフリカのタガステに生まれた。若い頃から弁論術の勉強をし、まずタガステに近いカルタゴ、のちにイタリアで弁論術を学ぶ。
キリスト教に回心する前は、一時期マニ教を信奉していたが、キケロの『ホルテンシウス』を読み哲学に関心をもち、マニ教と距離をおくようになる。その後ネオプラトニズムを知り、ますますマニ教に幻滅を感じた。
当時ローマ帝国の首都であったイタリアのローマに行き、更にその北に位置するミラノで弁論術の教師をするうち、ミラノの司教アンブロジウスおよび母モニカの影響によって洗礼を受けキリスト教徒となった。
アウグスティヌスは母モニカの死後、アフリカに帰り、息子や仲間と共に一種の修道院生活を行ったが、この時に彼が定めた規則はアウグスティヌスの戒則と言われ、キリスト教修道会規則の一つとなった(聖アウグスチノ修道会はアウグスティヌスの定めた会則を元に修道生活を送っていた修道士たちが13世紀に合同して出来た修道会である)。
391年、北アフリカの都市ヒッポの教会の司祭に、更に396年には司教に選出されたため、その時初めて聖職者としての叙階を受けた。
430年、ヨーロッパからジブラルタル海峡を渡って北アフリカに侵入したゲルマン人の一族ヴァンダル人によってヒッポが包囲される中、ローマ帝国の落日とあわせるように古代思想の巨人はこの世を去った。
[編集] 思想
アウグスティヌスの思想的影響はキリスト教にとどまらず、西洋思想全体に及んでいるといっても過言ではない。
アウグスティヌス自身はプラトン・新プラトン主義(プロティノスなど)・ストア思想(ことにキケロ)に影響を受けていた。すでにギリシア教父はギリシア思想とキリスト教の統合に進んでいたが、アウグスティヌスにおいて新プラトン主義とキリスト教思想が統合されたことは、西洋思想史を語る上で外すことができないほど重要な業績である。またラテン教父の間にあったストア派ことにその禁欲主義への共感を促進したことも、キリスト教倫理思想への影響が大きい。
アウグスティヌスの思想として特に後世に大きな影響を与えたのは人間の意志あるいは自由意志に関するものである。その思想は後のアルトゥル・ショーペンハウアーやフリードリヒ・ニーチェにまで影響を与えている。一言でいえば、アウグスティヌスは人間の意志を非常に無力なものとみなし、神の恩寵なしには善をなしえないと考えた。しかし、忘れてはならないのはこのようなアウグスティヌスの思想の背景には、若き日に性的に放縦な生活を送ったアウグスティヌスの悔悟と、原罪を否定し人間の意志の力を強調したペラギウスとの論争があったということである(ペラギウス論争といわれる一連の論争はキリスト教における原罪理解の明確化に貢献している)。
中世カトリックを代表する神学者トマス・アクイナスもアウグスティヌスから大きな影響を受けた。
近代に入ってアウグスティヌス思想から影響を受けた神学者の代表として、ジャン・カルヴァンとコルネリウス・ヤンセンをあげることができる。カルヴァンは宗教改革運動の指導者の一人としてあまりに有名だが、ヤンセンはあくまでカトリック教会内にとどまった。しかし、ヤンセンの影響はジャンセニスムとしてカトリック教会内に大論争を巻き起こすことになる。
ほかにもアウグスティヌスの時間意識(神は「永遠の現在」の中にあり、時間というのは被造物世界に固有のものであるというもの)も西洋思想の一部となったし、義戦(正義の戦い)という問題も扱っている。これもドナティスト論争という当時の神学論争の歴史的文脈から理解しないと誤解を招くが、アウグスティヌスは異端的になったドナティストを正しい信仰に戻すためなら武力行使もやむをえないと考えた。
また神学者としては聖霊が父と子から発出することを、語り手・ことばによって伝えられる愛の類比などによって説いた。この立論は後のフィリオクェ問題における西方神学の聖霊論の基礎のひとつとなった。
信仰実践の面では、西方における共住修道のあり方に、ベネディクトゥスに次ぐ影響を与えた。アウグスティヌスが一時実践した共住修道の修道規則とされたものは、中世末期にアウグスティノ会の設立へとつながり、これはカトリックにとどまらず、ルターを通じて宗教改革とプロテスタント的禁欲の思想へも影響を与えている。
現代ではアウグスティヌスがソフトウェアなどの知的財産の無償性を唱えた最初の人物であるとみなされることがある。彼自身は哲学について述べているのだが、思想というのは物質と異なり、自由に共有されるべきものだとアウグスティヌスは考えていた。
フランク王国の国王カール大帝もことのほかアウグスティヌスの著作を好み、食事中に読ませたという。アウグスティヌスは圧倒的に人気があったため、自然な流れで聖人となり、1303年に教皇ボニファティウス8世によって教会博士とされた。アウグスティヌスの記念日は彼が死去した日とされる8月28日である。彼は西方においては醸造業者、印刷業者、神学者の守護聖人であり、多くの地域、都市の守護聖人ともなっている。
[編集] 著作
アカデメイア派の懐疑論者、ペラギウス主義、マニ教への反駁の他、魂、時間、自由、意志、来世(神の国)についての論考、聖書の注解、音楽論などの著作が残るが、『告白』などから現存しない著作があることも知られている。
主要著書
『告白』:〜397〜400年
『三位一体論』:〜417年
『ヨハネ福音書注解』:〜419年
『神の国』:〜426年
[編集] 関連項目
ウィキクォートにアウグスティヌスに関する引用句集があります。ウィキメディア・コモンズには、アウグスティヌス に関連するマルチメディアがあります。神学者の一覧
守護聖人
"http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%A6%E3%82%B0%E3%82%B9%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%8C%E3%82%B9" より作成
カール・ポパー
名前: カール・ライムント・ポパー
(Sir Karl Raimund Popper)
生年月日: 1902年7月28日
没年月日: 1994年9月17日
学派: 批判的合理主義、反証主義、進化論的認識論
研究分野: 認識論、科学哲学、社会哲学、政治哲学
特記すべき概念: 反証可能性、開かれた社会
影響を受けた人物: カント、ショーペンハウアー、アインシュタイン、ウィトゲンシュタイン、ウィーン学団、タルスキ
影響を与えた人物: ラカトシュ、ジョン・ワトキンス、ファイヤアーベント、フリードリヒ・ハイエク、ジョージ・ソロス、コンラート・ローレンツ
カール・ライムント・ポパー(Sir Karl Raimund Popper、1902年7月28日 - 1994年9月17日)は、オーストリア出身イギリスの哲学者。ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス教授を歴任。20世紀の科学哲学の分野で最も著名な哲学者のうちの一人である。社会哲学や政治哲学にも精通していた。純粋な科学的言説の必要条件としての反証可能性を提唱した。精神分析やマルクス主義を批判。ウィーン学団には参加しなかったものの、その周辺で、反証主義的観点から論理実証主義を批判した。また、「開かれた社会」の思想的土台としての自由民主主義と社会批判主義に積極的な考察を加えた。
目次 [非表示]
1 生涯
2 思想
3 邦訳著書
3.1 単著
3.2 共著
4 カール・ポパーの影響を受けた人物
5 関連項目
6 外部リンク
[編集] 生涯
ポパーは1902年にウィーンの中流家庭で生まれた。元来がユダヤ系だった両親はキリスト教に改宗しており、ポパーもまたルター派の教育を受けた(ちなみに彼の父は愛書家で、書斎には1万冊もの本を蔵していたらしい。)。1928年にウィーン大学にて哲学の博士号を取得し、1930年からの6年間、小学校で教鞭を取った。その1年後、『Logik der Forschung/科学的発見の論理』で心理学主義や自然主義や帰納主義それから論理実証主義を批判した。また、言説が科学たらしめられるところの必要条件としての反証可能性を理論として発展させた。
1937年、ナチスによるオーストリア併合の脅威が高まると、ニュージーランドに移住し、クライストチャーチにあるカンタベリー大学で哲学の講師となった。『開かれた社会とその敵』 (The Open Society And Its Enemy) はこの時代に執筆されたものである。
大戦が終わるとイギリスに移り、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスにて科学的方法の助教授を経て、教授となった。1958年から1年間、『アリストテリアン・ソサイエティ』誌の編集責任者を務めた。1965年には女王エリザベス二世から爵位を授与され、11年後には英国学士院の正会員となる。学界を1969年の時点で退いてはいるものの、彼の学術的影響は1994年に亡くなるまで絶えることがなかった。また彼は人本主義学会の会員でもあり、ユダヤ教やキリスト教の道徳教育を顧慮しながらも自らを不可知論者と称していた。
ポパーの影響を受けた哲学者として、イムレ・ラカトシュ、ジョン・ワトキンス、ポール・ファイヤアーベントらがいる。経済学者フリードリヒ・ハイエクとは友人関係だった。投機で巨万の富を得たジョージ・ソロスもかつて彼から学んだ経緯から多大な影響を受けている。
[編集] 思想
科学哲学におけるポパーの貢献としては以下のようなものが挙げられる。
擬似科学と科学の間の境界の設定を科学哲学の中心課題として認識したこと
科学とは何であるかを考えるうえで、従来の論理実証主義的な立場では、形而上学的でない言説の特徴に、また、命題の意味を検証するための理論に、主眼が置かれていた。しかしポパーは、問題の所在が、意味性にではなく、科学性と非科学性を分け隔てるところの方法性にこそある、と主張した。
反証可能性を基軸とする科学的方法を提唱したこと
反証されえない理論は科学的ではない、というのがポパーの考えである(cf. 反証主義)。自らを反証する論理を命題が内蔵しないという場合はあるわけで、このような命題に基づく理論とその支持者が自らに対する反定立の存在を無視ないしアドホックに回避するところではその一連の理論体系が実質的に反証不可能となり、そこに大きな危険があるのだとポパーは指摘した。(この指摘の立場自体を、ポパー自身は識別しなかったが、ラカトシュは省みて方法論的反証主義と呼んだ。)
蓄積主義的でない科学観を提案したこと
反証主義の背景には、ヒューム的な見解、すなわち、或る理論を肯定する事例はその理論を検証することにはならない、という考え方がある。科学の進歩は、或る理論にたいする肯定的な事例が蓄積してこれを反証不可能たらしめてゆくところで起こるのではなく、否定的な事例が反証した或る理論を別の新しい理論がとって代えるところで起こる、というのがポパーの科学観の背景的な見解としてある。
知識のあり方を進化論的に論じたこと
適者生存の法則に重きを置く進化論の観点から、知識はいかに発展するものであるかを説明した。
確率にまつわる新しい説を打ち出したこと
確率を客観的に説く立場の新しいものとして、「或る事象を特定的にもたらす傾向を内在するシステム」が確率の実体であるとポパーは考えた。
「開かれた社会」の敵の一つである共産主義、およびそれに関する一連の思想にたいしては、ポパーはまず、「物事は一定の法則にしたがって歴史的に発展してゆく」とする歴史法則主義あるいは社会進化論を批判した。また、弁証法を基軸とするヘーゲルやマルクスやフランクフルト学派などの思想も批判した。1958年にスイスの海外研究所で行った講演『西洋は何を信じるか』において彼は、「赤でも無く、死でもなく」と言って、断固、ソビエト連邦の政治体制を拒否し、これに反対してゆくことを訴えた。
[編集] 邦訳著書
[編集] 単著
『歴史主義の貧困――社会科学の方法と実践』(中央公論社, 1961年)
『科学的発見の論理(上・下)』(恒星社厚生閣, 1971年-1972年)
『客観的知識――進化論的アプロ-チ』(木鐸社, 1974年)
『果てしなき探求――知的自伝』(岩波書店, 1978年/同時代ライブラリー, 1995年/岩波現代文庫, 2005年)
『開かれた社会とその敵(1)プラトンの呪文』(未来社, 1980年)
『開かれた社会とその敵(2)予言の大潮――ヘーゲル, マルクスとその余波』(未来社, 1980年)
『推測と反駁――科学的知識の発展』(法政大学出版局, 1980年)
『確定性の世界』(信山社出版, 1995年)
『よりよき世界を求めて』(未来社, 1995年)
『フレームワークの神話――科学と合理性の擁護』(未来社, 1998年)
『開かれた宇宙――非決定論の擁護』(岩波書店, 1999年)
『実在論と科学の目的――W・W・バートリー三世編『科学的発見の論理へのポストスクリプト』より』(岩波書店, 2002年)
[編集] 共著
(コンラート・ローレンツ)『未来は開かれている――アルテンベルク対談』(思索社, 1986年)
(ジョン・C・エクルズ)『自我と脳』(思索社, 1986年)
(フランツ・クロイツァー)『開かれた社会-開かれた宇宙――哲学者のライフワークについての対話』(未来社, 1992年)
[編集] カール・ポパーの影響を受けた人物
ジョージ・ソロス
[編集] 関連項目
批判的合理主義
反証可能性
検証と反証の非対称性
アドホックな仮説
ウィトゲンシュタイン
トーマス・クーン
[編集] 外部リンク
(百科事典)「Karl Popper」 - スタンフォード哲学百科事典にある「カール・ポパー」についての項目。(英語)
日本ポパー哲学研究会 - 法哲学者 碧海純一を中心に運営されているポパーの研究会。
算出可能性の原理
ポパーの科学哲学 - 誤解を種にして - 小河原誠 執筆 物理学雑誌『パリティ』1998年6月号,p. 4-8 掲載
カール・ポパーの生い立ちと哲学(pdf) - 伊勢田哲治 執筆
知識の『客観性』について-カール・ポパーの理論
"http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%9D%E3%83%91%E3%83%BC" より作成
ジョージ・ソロス
ジョージ・ソロスジョージ・ソロス(George Soros、1930年8月12日 - )は、ハンガリー・ブダペスト生まれのユダヤ系アメリカ人の投機家、株式投資家、慈善家、哲学者。本来の姓名はSchwartz György(シュヴァルツ・ジェルジ)。
現在、ソロス・ファンド・マネージメント、Open Society Institute (en) の会長を務めるほか、外交問題評議会に身を置いていた時期もある。2006年の会社からのボーナスは、約8億4000万ドル(日本円にして約949億円)だった。
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1 経歴
2 家族
3 少年期
4 ビジネス
4.1 通貨投機
4.2 インサイダー取引の有罪判決
5 自由主義的な政治運動家
6 慈善事業
7 哲学
7.1 教育と信条
7.2 再帰性および金融市場と経済理論
7.3 資本主義的自由市場システムについての主張
8 政治的見解
8.1 ソビエト連邦への反対
8.2 ソロス vs. ブッシュ
9 批評
9.1 ファイナンシャル活動への批評
9.2 政治活動への批評
10 引用
11 書籍
11.1 著作者または共著
11.2 伝記
11.3 寄与したもの
12 外部リンク
12.1 伝記
12.2 その他
12.3 スピーチ
12.4 書籍
12.5 ソロスの思案についての学究的な見解
12.6 インタビュー
13 注釈
14 関連項目
[編集] 経歴
1947年単身イギリスに渡る。
1949年ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス (LSE) に入学する。大学卒業後はイングランド北部のブラックプールで記念品や土産物や宝飾品などを販売するセールスマンとなる。
1953年ロンドンのシンガー&フリードランダー社に入社。
1956年9月ニューヨークのウォール街に赴く。
1961年から1966年にかけて、自分の学位論文「認識の重荷」を完成させることに集中する。
1969年ジム・ロジャーズと共にソロスファンド(後のクォンタム・ファンド)を設立。
1980年ジム・ロジャーズと訣別。
1981年クォンタム・ファンドは創設以来はじめての損失を出す。ファンドは4億ドルから2億ドルに縮小、運用実績は22%のマイナスとなる。
1992年イギリス政府の為替介入に対抗してイギリスの通貨ポンドへ空売りを行い、15億ドルの利益を得る。
[編集] 家族
ジョージ・ソロスはエスペラント作家Tivadar Sorosの息子である。カウフマンの伝記Soros (2002) によれば、父のTivadarはハンガリー系のユダヤ人であり、第一次世界大戦の戦中と戦後に捕虜となり、ロシアから逃走し、ハンガリーのブダペストで自分の家族と合流した。
1936年にアシュケナジムに多い「Schwartz(シュヴァルツ)」から「Soros(ショロシュ)」へと苗字を変えた。というのも、ユダヤ人にとってはファシストの脅威があったからである(参照:Kaufmann, p.24)。Tivadarはこの新しい名前が気に入った。というのも、それが回文であり、それなりの意味があったからである。その意味についてはカウフマンは明確に述べているわけではないが、ハンガリー語では「SOROS」の意味は「並びの次」、または「指定の後継者」、エスペラント語では「急上昇する」という意味である(但し、現在形ではなく、未来形で)。Tivadarは、ハンガリーにおいて(も)、ファシストたちの脅威から生き延びることに苦労したこと、そして彼が多くの人々の脱出を助けたことを、自著Maskeradoにおいて記している。
ジョージ・ソロスは最初の妻Annaliese Witschakと別れた後、二度目の妻Susan Weber Sorosとも離婚し、今は独身である。最初の妻Annalieseとの間にロバート、アンドレア、ジョナサンの三子がおり、二度目の妻Susanとの間にアレクサンダーとグレゴリーの二子がいる。
彼の兄ポール・ソロス(Paul Soros)はエンジニアで慈善家、投資家、ニューヨークの名士としてもよく知られている。
[編集] 少年期
ソロスはナチス・ドイツが同盟国ハンガリーの軍事的コントロール下に置いた1944年3月19日、13才だった。そして、ハンガリーのユダヤ人500,000人以上(これは戦前の人口の3分の2にあたる)を殺し始めた。 [1]。翌年、ソロスはブダペストでのナチス・ドイツ軍とソ連軍による熾烈な市街戦を生き延びた。その後、ソ連軍による虐殺を目の当たりにしハンガリーを出ることを決意する。この時期、ハンガリーのハイパーインフレーションの間(1945-46年)、ソロスは初めて通貨取引をした。
1946年、ソロスは西側でのエスペラント青年議会に参加することによってソ連の占領から逃れた。ソロスは幼児期(母語獲得期)からエスペラントを教えられていたので、彼は貴重な「著名人としての」エスペラントの「母語」話者である。
1947年、ソロスはイギリスに移住し、1952年にロンドン・スクール・オブ・エコノミクスを卒業した。1956年にはアメリカに移る。その意図はウォール街で著者と哲学者として自立するのに十分な資産を稼ぐことにあったと述べている。
[編集] ビジネス
ソロスはソロス・ファンド・マネージメントの設立者である。1970年、彼はジム・ロジャーズとともにソロスファンド(後のクォンタム・ファンド)を設立した。ファンドは10年間で3,365%のリターンを出してソロスの富の大部分を形成した。
[編集] 通貨投機
1992年9月16日のポンド危機で、100億ドル以上のポンドの空売りを行なったことで、ソロスはすぐ名を挙げた。イングランド銀行が金利を欧州為替相場メカニズム(ERM)を採用している他の国と比較して引きあげること、またはその国の通貨の変動相場の金利を引き上げることに乗り気でなかったことから、ソロスは利益を得た。最終的にイングランド銀行は欧州為替相場メカニズムから通貨を回収することを強いられた。ポンドは価値を下げ、この過程でソロスは20億ドルと見積もられる利益を出した。ソロスは、イングランド銀行をつぶした男と呼ばれた。 タイムズ紙にて1992年10月26日月曜日:ソロスは以下のように答えている。「我々のブラックマンデーまでのトータルポジションはほぼ100億ドルの価値があった」「しかし、我々はそれ以上に売ることを決断した」。事実、Norman Lamontが英国通貨スターリングを買い支えるため、150億ドルを借りることを価値切り下げの直前に行ったとき、我々はどのくらい空売りすることになるかということを暗に示していたので、楽しんでいた。
1997年、アジア通貨危機の間、マレーシア首相マハティールはソロスがマレーシア通貨リンギットを下落させたことを戦犯と非難した。
[編集] インサイダー取引の有罪判決
1988年、ソロスはフランス銀行の乗っ取りの試みに参加するように頼まれた。彼は株式の取得への参加を断ったが、後に比較的少量の株式を買った。14年後の2002年、フランスの裁判所はその行為はフランス証券取引法を根拠としてインサイダー取引であると裁決し、200万ドルの罰金を科した。ソロスは一貫して罪状を否認し、乗っ取りのニュースは誰もが知っていたことであったと主張した。PBS
[編集] 自由主義的な政治運動家
投資・投機家として著名であるが、自由主義的な政治運動家としても知られる。例えば、ポーランド民主化運動において、労働組織である「連帯」へ支援を行い、チェコスロバキアにおける反体制運動であった憲章77と同様に、ソビエト連邦によるこれらの国々への支配を終わらせることに寄与した。また、2003年にグルジアで起こった政変(バラ革命)でも彼の資金提供があったとされ、その成功に重要な役割を果たしたとロシアと西欧双方の識者から評された(ソロス本人はこの見方を、誇張されたものだとコメントしている)。その他、アメリカ大統領選挙において、ジョージ・W・ブッシュの再選に反対する陣営に支援を行っていた。なお、サラリーマン金太郎マネーウォーズ編に登場する、ジョー・ロスのモデルでもある。
連邦準備制度議長ポール・A・ボルカー (en) は、ソロスの著書『ソロスの錬金術』(原題:The Alchemy of Finance)の序文に寄稿し、以下のように述べた。
"ジョージ・ソロスは、非常に成功した投機家として、あるいは、まだゲームが有利なうちに手を引く賢明さを具えていることで、その名を知られている。現在、彼の得た大金の大半は、途上国と新興国の社会が「開かれた社会」になるために使われている。ここで言う「開かれた社会」とは、"商業の自由"のことだけを意味しているわけではない。もっと重要なこと、すなわち(人々が)新しい考え方や、自分とは異なった考え方や行動に対して、寛容の心を持っていることを意味している。
[編集] 慈善事業
ソロスは、アパルトヘイトが行われていた南アフリカの黒人生徒のケープタウン大学への通学援助のために基金の提供と、鉄のカーテンの後ろでの反体制運動への資金提供を始めたときの1970年代以来慈善家として活動している。東ヨーロッパでのソロスの慈善的資金提供はほとんどOpen Society Institute (OSI) とnational Soros Foundations, これはポーランドでときどき他の名前e.g.(the Stefan Batory Foundationで通用している)を通して行われている。2003年時点で彼の寄付総額は40億ドルと見積もられている。PBS。OSIは最近は毎年約4億ドル使っていると発表している。注目すべきプロジェクトには科学者への援助と、中央・東ヨーロッパのいたるところの大学への援助とサラエボ包囲間の市民の援助、世界規模のドラッグを廃止するためのドラッグ禁止法への努力への援助、Transparency Internationalへの援助がある。ソロスはまた中央ヨーロッパ大学に対する4.2億ユーロの寄付を約束した。
彼はニューヨークのNew School for Social Research、1980年にオックスフォード大学、Budapest University of Economics、1991年にエール大学から名誉博士号を授与された。2000年にソロスはまた1995年のボローニャ大学の最も名誉なthe Laurea Honoris Causa同様に財政の賞のためにYale School of ManagementからYale International Centerを授与された。
[編集] 哲学
[編集] 教育と信条
ソロスは哲学にも強い関心を抱き続けてきた。彼の哲学に対する考え方は、主にロンドン・スクール・オブ・エコノミクス在学中に学んだカール・ポパーの思想に広範な影響を受けている。実際、ソロスが創設したオープンソサエティ研究所は、ポパーの上下2巻に及ぶ著書『開かれた社会とその敵』にちなんで名付けられているし、ソロスが現在取り組んでいる哲学上の関心事である「可謬論=Fallibilism」[1]の原則も、同様にポパーの哲学に由来している。もっとも、ソロスの固い政治信条がポパーが支持する徹底した合理主義と矛盾するのではないかとする批判もあるが、ソロス本人の主張するところによれば、彼の政治信条はまさにポパーの合理主義を通して培われてきたものであるという。
[編集] 再帰性および金融市場と経済理論
ソロスの文書は再帰性の概念、それは個人が市場取引に参入するとき、(市場に対する)偏見や先入観を持って参入しているようであり、それが潜在的に経済のファンダメンタルを変化させている、という考え方に焦点が当てられている。このような経済のファンダメンタルの移り変りは、均衡の変化というよりもむしろ不均衡と捉えるべきであり、従来の「効率的市場仮説」(the 'efficient market hypothesis')は適用できない、と主張する。
この説が理論的に正しいのかどうかは別として、ソロスには確かに市場における信任と業績があり、このことから、再帰性理論と市場には関連があると考えることができる―少なくとも彼にとっては。また、彼は動的不均衡(dynamic disequilibrium)、静的不均衡(static disequilibrium)、そして均衡に近い条件(near-equilibrium conditions)の三つの概念を普及させた。
[編集] 資本主義的自由市場システムについての主張
投資家、通貨投機家として働いているにも関わらず、彼の富は2004年US$70億と見積もられている。ソロスは現在の金融投機のシステムは、多くの発展途上国の健全な経済発展を妨害すると主張している。ソロスは多くの世界の問題を市場原理主義として特徴づけたものに固有の失敗のせいにする。国際化の多くの面への彼の反対は、彼を論争の的とした。
ヴィクター・ニーダーホッファー: "とりわけ、ジョージはそれでも自己利益の過剰を罰するための強い中央国際政府のある混合経済を信じていた。"
ソロスは市場参加者であることと市場参加者が従うに違いないルールを変えるために働くことの違いを示した。彼は、経済的により自分自身の利益ために働くことに何の問題を持っていないように見える。一方、同時に世界的な金融システムの劇的な総点検を政治家に働きかけている。イングランド、東ヨーロッパとタイを含む多くの金融危機に対して個人的に責任があるという告発に応じて、ソロスは「市場参加者として、私は自分の金融行動の結果に関心を持つ必要はありません。」と述べた。
[編集] 政治的見解
[編集] ソビエト連邦への反対
Neil Clark(New Statesmanに書かれている)によると: "彼の型にはまった左の方の多くと共有している見解は東ヨーロッパでの社会主義の崩壊はその体系的弱さと民衆の支援を得ることへの政治的エリートの失敗のためであるということである。それは、部分的には正しいかもしれないがソロスの役割は決定的に重要であった。1979年から、彼は年$300万をポーランドの連帯運動、チェコスロバキアの憲章77、ソビエト連邦のアンドレイ・サハロフを含む反体制組織に寄付した。1984年、彼は、最初のOpen Society Instituteをハンガリーで設立した。そして、何百万ドルも反対運動と独立したメディアに注ぎ込んだ。
ソビエト連邦の(進歩的なソロスの資金提供によっての)没落から反帝国主義の大義は前ソビエトの北半球で重要な役割を果たし続けている。ジョージアのローズ革命の彼の資金提供と組織はロシアで西側のオブザーバーによってのその成功にとって重要であると思われた。しかし、ソロスは自分の役割は大いに誇張しましたと言った。
[編集] ソロス vs. ブッシュ
ソロスは2004年のアメリカ大統領選挙まではアメリカの政治の原因を作り出すような大きな寄付者ではなかった。2003年11月11日、ワシントン・ポストのインタビューで、ソロスはオフィスからジョージ・W・ブッシュを取り除くことは"私の人生の中央にある焦点"であり"生と死の問題"と言った。彼は自分のすべての財産を犠牲にしてブッシュを破ると冗談で言った。そして、カリフォルニアのCommonwealth Clubで2004年3月3日の終わりににソロスがQ&Aの集まりでこの声明のユーモアの本質をはっきりさせた後でさえ、多くがブッシュについて声明を出し続けた。
ソロスは$300万をCenter for American Progressに与え、$500万をMoveOn.orgに委託して、一方で彼と彼の友人Peter LewisはそれぞれAmerica Coming Togetherに$1000万を与えた。(すべては2004年のアメリカ大統領選挙で民主党の支援のために活動していたグループであった。)2004年9月28日、彼はそのキャンペーンにもっとお金を捧げた。そして、複数の州を巡る演説の旅を始めた。:Why We Must Not Re-elect President Bush(なぜ私たちはブッシュを大統領再選させてはいけないのか?)がワシントン DCのナショナルプレスクラブで配達された。ディック・チェイニーが副大統領の議論で「factcheck.com」として偶然にFactCheck.orgに言及したあと、このスピーチへのオンラインコピーは多くのアクセスを受けた。そして、そのドメインの所有者に全ての通信をソロスのサイトに繋がせた。
Responsive Politicsのためのセンターによると、2003〜2004の選挙サイクルの間、ソロスは23,581,000ドルをジョージ・ブッシュ大統領を破ることに捧げられているいろいろな527のグループに寄付した。ソロスの努力にもかかわらず、ブッシュは2004年11月2日に大統領として第2期目となる再選を果たした。
彼はまた連邦選挙運動への「紙幣」献金を禁止することを目的とした2002年のBipartisan Campaign改正法を要求したので、ソロスは彼の大きな寄付のために非難された。ソロスは、つながりのない組織への寄付によって、候補者または政党に対する直接の寄付と同じような腐敗問題が生じることはないと答えた。
ちなみに、ハーケン・Energy(ソロスによって部分的に所有される会社)は、彼の石油会社Spectrum 7を買収することによって、1986年にジョージ・W.ブッシュとビジネスをした。
彼の本The Bubble of American Supremacyは、2004年1月に出版された。([2]).
[編集] 批評
[編集] ファイナンシャル活動への批評
批評家はソロスが不当な影響力を彼の私的所有ファンドクォンタムファンドを通じて為替市場に持っていると主張する。多くの巨大ヘッジファンドのように、ファンドはオフショアーのタックス・へイブンに登記されており、特にオランダ領アンティルのキュラソー島に登記されている。
2004年8月にChris WallaceのFOX News Sundayの出演で、アメリカの下院議長デニス・ハスタートは、"我々はジョージ・ソロスの資金がどこから来ているのか知らない。我々はそれが左のどこから来て右のどこへと入っていくのか知らない。知っての通りソロスの資金のいくらかは海を越えてきている。それは、麻薬の資金である可能性もある。我々はそれがどこから来ているのか知らない。私に言い掛かりと間違った特徴を塗ることによって、あなたは批評の議論を抑えて、この管理が破滅的な方向に国を導いていると思っている人々を脅迫しようとしています。私があなたの冤罪の上であなたを名指しした今、あなたはさらなる中傷戦術を使用しています。このように言うことでハスタートに反論した。[3]ソロスは下院のStandards of Official Conductの委員会に公式な不満を提出した。 ソロスは、ハスタートのコメントが「強く、沈黙批評に中傷戦術、脅迫と嘘を使う慎重な努力を提案する」と主張した。
[編集] 政治活動への批評
ジョージ・ソロスは多くの批判をアメリカの保守党とイスラエルの支持者に対して行ってきた。
ブッシュ政権の支持者は彼の反ブッシュのキャンペーンへの寄付をよく思ってはいません。ニューヨークでのユダヤ人のフォーラムでソロスは、部分的に反ユダヤ主義の近年の復活をイスラエルとアメリカ合衆国の方針、そして、彼自身のような成功したユダヤ人によるものであると考えた。
"反ユダヤ主義の復活が、ヨーロッパにあります。ブッシュ政権とシャロン政権の方針は、それに貢献します。それは特に反ユダヤ主義ではありませんが、それは同様に反ユダヤ主義を現しています。私は、それらの方針に批判的です。
:我々がその方向を変えるならば、反ユダヤ主義も減少します。私は、人がどのように直接それに直面することができたかについて、分かりません... :新しい反ユダヤ主義がユダヤ人が世界を支配すると考えているので、私は私自身の役割も非常に心配します...私の行動の意図しない結果として...私も、そのユダヤ人が世界を支配するというイメージに貢献しています。」、[4] おそらく、これはソロスのカール・ポッパーの哲学の結果と自己批判に対する結果傾向であろう。
著者B・ゴールドバーグは、彼の本アメリカをだめにする100人の人々で、厳しくソロスの哲学を批判した。
[編集] 引用
テロに関して: "どのようにしたら我々はテロリストが我々に仕掛けた罠から逃げることができるのだろうか"と彼は尋ねた。"テロリズムに対する戦争は賃金を払う戦争によっては勝てないということを認識することだけである。我々は、もちろん我々の安全を守らなくてはならない。しかし、我々はまたテロが作る深い悲しみを修正していかなくてはならない。犯罪は軍事行動ではなく政治的力が必要なのである。
ブッシュ政権に関して: "開かれた社会は社会の構成員に他の構成員の利益と比較できる程度の利益を追求する自由が最大限可能な程度許されている社会である。"このようにソロスは言った。"ブッシュ政権は単により狭い自己の利益の定義しかもっていない。それには他の利益は含まれない。"
ブッシュ政権に関して: "ブッシュ政府の至上主義者イデオロギーは開かれた社会の原理に反対して位置しています。開かれた社会は人々には異なる見方がある、そして、誰もが究極的真実を所有していないと気づく社会です。至上主義者イデオロギーは、我々が他より強いから、我々には分別があって、我々の側で正当があると仮定します。2002年9月の国家安全保障戦略の最初の文[、http://www.whitehouse.gov/nsc/nss.html](大統領年次国家安全保障目的会議計画)は以下のことを読み上げます — 『自由と全体主義の間の20世紀の大きな闘いは、自由の力への決定的な勝利と国家成功の唯一持続可能なモデルによって終わりました:自由、民主主義と自由企業制。』」
麻薬の合法化について:「私に責任があるならば、私が何をするだろうかについて、あなたに話したいと思います。私は私がほとんどの麻薬を作る厳しく制御された流通ネットワーク(クラック(合法的に利用できる)のように最も危険なものを除外して)を確立します。まず最初に、私は麻薬取引を破壊するのに十分な安い価格を維持します。一旦その目的が遂げられるならば、私はタバコの消費税のように価格をかなり上げ続けます、しかし、私は犯罪をはばむために登録された中毒者のために例外を作ります。私は、防止と治療のために一部の収入を使います。そして、私は薬物使用の社会的な非難を促進します。」
慈善に関して:「いかなる罪の意識という理由によっても、私は慈善事業をしているわけではありませんし、いかなる公共的関係を創造する必要性からでもありません。私がそれをする余裕があるから、私はそれをしています、そして、私はそうであるとを信じています。」
株式市場バブルに関して:「株式市場バブルは、何も無いところから成長しません。それは、現実(誤った概念によってゆがめられて現実であるが)というしっかりした根拠を持ちます。」
アメリカに関して:「私はハンガリーで育って、ファシズムとホロコーストを生きながらえて、それから、共産主義台頭するという予知を感じました。私は、早い年齢で、どんな政府が勝つことがどれくらい重要かについて学びました。私が自由と民主主義、市民的自由と開かれた社会を評価するので、私はアメリカを私の家に選びました。私が私自身と私の家族のためより多くのお金を稼いだとき、私は開放的な社会と自由の原理と価値観を促進するために財団を作りました。」
[編集] 書籍
[編集] 著作者または共著
The Bubble of American Supremacy: Correcting the Misuse of American Power (PublicAffairs, 2003) ISBN 1586482173 (paperback; PublicAffairs, 2004; ISBN 1586482920)
George Soros on Globalization (PublicAffairs, 2002) ISBN 1586481258 (paperback; PublicAffairs, 2004; ISBN 1586482785)
Open Society: Reforming Global Capitalism (PublicAffairs, 2000) ISBN 1586480197
Science and the Open Society: The Future of Karl Popper's Philosophy by Mark Amadeus Notturno, George Soros (Central European University Press, 2000) ISBN 9639116696 (paperback: Central European University Press, 2000; ISBN 963911670X)
The Crisis of Global Capitalism: Open Society Endangered (PublicAffairs, 1998) ISBN 1891620274
Soros on Soros: Staying Ahead of the Curve (John Wiley, 1995) ISBN 0471120146 (paperback; Wiley, 1995; ISBN 0471119776)
Underwriting Democracy: Encouraging Free Enterprise and Democratic Reform Among the Soviets and in Eastern Europe (Free Press, 1991) ISBN 0029302854 (paperback; PublicAffairs, 2004; ISBN 1586482270)
Opening the Soviet System (Weidenfeld & Nicholson, 1990) ISBN 0297820559 (paperback: Perseus Books, 1996; ISBN 0813312051)
The Alchemy of Finance (Simon & Schuster, 1988) ISBN 0671662384 (paperback: Wiley, 2003; ISBN 0471445495)

[編集] 伝記
Soros: The Life and Times of a Messianic Billionaire by Michael T. Kaufman (Alfred A. Knopf, 2002) ISBN 0375405852
Soros: The Unauthorized Biography, the Life, Times and Trading Secrets of the World's Greatest Investor by Robert Slater (McGraw-Hill, 1997) ISBN 0786312475
[編集] 寄与したもの
MoveOn's 50 Ways to Love Your Country: How to Find Your Political Voice and Become a Catalyst for Change by MoveOn.org (Inner Ocean Publishing, 2004) ISBN 193072229X
[編集] 外部リンク
George Soros official site and blog
Open Society Institute and Soros Foundations Network
George Soros' Project Syndicate op/eds
George Soros' Political Campaign Contributions
[編集] 伝記
Forbes.com: Forbes 400 Richest in America
George Soros Bio
[編集] その他
Stephen Adams "Furious George" on Citizen - Family Issues in Policy and Culture
Laura Blumenfeld, Billionaire Soros Takes On Bush, MSNBC, November 11, 2003
Neil Clark Analysis of Soros' role in Eastern Europe from "New Statesman"
Heather Coffin George Soros: Imperial Wizar
Fortune City List of articles and speeches by and about George Soros
John Horvath The Soros Effect on Central and Eastern Europe
Victor Niederhoffer and Laurel Kenner in the Speculator.
Matt Welch, Open Season on 'Open Society': Why an anti-communist Holocaust survivor is being demonized as a Socialist, Self-hating Jew Reason magazine, December 8, 2003
[編集] スピーチ
Testimony of George Soros to a congressional sub-committee, Sept. 15, 1998
The Theory of Reflexivity Delivered April 26, 1994 to the MIT Department of Economics World Economy http://www.geocities.com/ecocorner/intelarea/gs1.html
[編集] 書籍
George Soros, The Bubble of American Supremacy, editorial in The Korea Herald, March 12, 2003.
George Soros, The Bubble of American Supremacy, column in the Atlantic Monthly, December 2003.
Johnson's Russia List Issue - Moskovsky Novosti: George Soros, Bitter Thoughts with Faith in Russia
(stop-imf) FT: Soros on Brazil - Aug 13, 2002
[編集] ソロスの思案についての学究的な見解
Bryant, C. G. A. (2002). 'George Soros's theory of reflexivity: a comparison with the theories of Giddens and Beck and a consideration of its practical value', Economy and Society, 31 (1), pp. 112-131.
Cross, R. and D. Strachan (1997). 'On George Soros and economic analysis', Kyklos, 50, pp. 561-74.
[編集] インタビュー
frontline: the crash: interviews: george soros
Wall $treet Week with FORTUNE . TV Program | PBS
Challenge: The international financial crisis - International ...
NOW with Bill Moyers. Transcript. David Brancaccio interviews ...
Booknotes with Brian Lamb. Transcript and streaming video.
[編集] 注釈
^ 「人が信じているものは何であれ、誤りを含んでいることがある。故に、その信念をより良いものにするための批判精神を忘れてはならない」とする哲学的姿勢の一つ。
[編集] 関連項目
著名投資家一覧
フォーリン・アフェアーズ
色の革命
"http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%83%BB%E3%82%BD%E3%83%AD%E3%82%B9" より作成
参考:景教
ネストリウス派
ネストリウス派(ネストリウスは)とは、古代キリスト教の教派のひとつ。現在でもアッシリア東方教会にその教義が伝わっている。
目次 [非表示]
1 起源
2 教義
3 歴史
4 関連項目
5 外部リンク
[編集] 起源
コンスタンティノポリス総主教ネストリオスにより説かれ、431年、エフェソス公会議において異端として排斥された。なお中世ヨーロッパから大航海期に流布されたはるか東方に存在すると言われた幻のキリスト教国家「プレスター・ジョンの王国」は、ネストリウス派の伝説から始まった事が確かとされている。
カトリック・正教会・プロテスタント等、キリスト教主流派では、ネストリウス派は異端とされる。しかしプロテスタント教会の一部の原理主義的教派では、カトリック教会の聖母崇敬への反発からか、ネストリウス派を支持する動きも見られる。日本基督教団の手束正昭と、全国キリスト教伝道会のケニー・ジョセフは、ネストリウス派は異端ではなく、カリスマ運動だったと主張している。
なお、ネストリウス派の教会であるアッシリア東方教会(ギリシャ正教とも呼ばれる正教会とは別系統)の一部が17世紀にローマに帰一し、カルデア典礼カトリック教会(帰一教会、東方典礼カトリック教会)と呼ばれている。アッシリア東方教会とカルデアカトリック教会の両教会が、現在も中東、アフリカで活動している。
[編集] 教義
キリストの位格は1つではなく、神格と人格との2つの位格に分離されると考える。それゆえ、人性においてキリストを生んだ「マリア」が神の母(テオトコス Θεοτοκος)であることを否定する。(マリア崇拝が女神崇拝と結びつくことを恐れたと考えられる)
[編集] 歴史
アレクサンドリア学派出身のアレクサンドリア総主教キュロスとアンティオケア学派出身のネストリウスの間での対立から始まる。ネストリウスは、それまでの古代教父らが使用していたマリアに対する称号「神の母 Θεοτοκος(神 θεος を生む者 τοκος)」を否定し、マリアは「クリストトコス Χριστοτόκος(キリスト Χριστος を生む者 τοκος)」であると説いた。その理由は、キリストは神性と人性において2つ位格(ヒュポスタシス υποστασις)であり、マリアはあくまで人間的位格(人格)を生んだに過ぎないとした。一方、キュロスは、キリストの本性(ピュシス φυσις)は神性と人性とに区別されるが、位格としては唯一である(位格的結合:hypostatic union, ένωσις καθ΄ υπόστασιν)と唱えて反論した。ネストリウスはエフェソス公会議への出席を拒否。
ネストリウスが公会議で破門された後、ネストリウス派は498年セレウキア・クテシフォンに新しい総主教を立てた。現在はアッシリア地域に点在する他、アメリカやオーストラリアに移民を中心とする信徒がいる。
中国へは、唐の太宗の時代にペルシア人司祭「阿羅本」(アラボン、オロボン、アロペン等複数の説がある)らによって伝えられ、景教と呼ばれた。唐の王朝は景教を保護したため、この時代は盛んであったが、唐時代以降は消滅した。
後にモンゴル帝国を構成することになるいくつかの北方遊牧民にも布教され、チンギス・ハーン家の一部家系や、これらと姻戚関係にありモンゴル帝国の政治的中枢を構成する一族にもこれを熱心に信仰する遊牧集団が多かった。そのため、元の時代に一時中国本土でも復活することになった。ただし、モンゴル帝国の中枢を構成する諸遊牧集団は、モンゴル帝国崩壊後は西方ではイスラム教とトルコ系の言語を受容してテュルク(トルコ人)を自称するようになり、東方では、それぞれチベット仏教を信仰してモンゴル語系統の言語を維持するモンゴルを自称し続ける勢力とオイラトを称する勢力の二大勢力に分かれていき、ネストリウス派キリスト教を信仰する遊牧集団はその間に埋没、消滅していった。
景教とは中国語で光の信仰という意味であり、景教の教会を唐の時代、大秦寺という名称で呼んでいた。
[編集] 関連項目
李密エイ(李密翳)
安如宝
[編集] 外部リンク
大秦景教流行中國碑に就いて(桑原隲藏)
唐代における景教の盛況と衰亡
Keikyo.com
大秦景教流行中国碑
景教碑の謎
"http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8D%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%A6%E3%82%B9%E6%B4%BE" より作成
参考:講義
大阪大学共通教育、副主題「社会とひと」
科目「存在と認識」 第一回講義 (1998。10。07)
§1 懐疑主義について
4、ポパーの批判的合理主義とその敵
参照箇所 1、K.Popper『開かれた社とその敵』(第24章)
2、『探求の論理』(第5章)基礎言明の決断
<「包括的合理主義」=「無批判的合理主義」と「批判的合理主義」の区別>
「包括的合理主義」:「私には、論証あるいは経験という手段によって弁護され
得ないような考えや仮定を受け入れる用意はない」212
このことを、それ自身に適用すれば、包括的合理主義は受け入れられなことになる。「それゆえに、論理的に支持できない。」212が帰結する。
「誰であれ、合理主義的態度を採用する者が、まさにそうするのは、論拠もないのに、ある種の提案あるいは決心または信念もしくは習慣ないしは行動――これらもまた翻って非合理的とよばれざるをえないのだが――、を採用したからであるということである。いずれによせ、それは非合理な理性信仰としるされよう。」213
「根本的な合理主義的態度は、非合理的な決定、あるいは理性への信仰によって基礎付けられる、という事実を承認する批判的合理主義の態度が存する」213
したがって、我々は合理的に弁護された仮定から出発することは出来ない。そこで、出発点となる仮定は、いわば何でもよく、テストに掛けることが重要になる。ここで、「可謬主義」という立場が帰結する。
5 アーペルの討議倫理Diskurs Ethik
「知識の根本的基礎づけ」(『哲学の変貌』岩波)
Otto Apel, Das Problem der philosophischen Letztbegruendung im Lichte
einer transzendentalen Sprachpragmatik,
in B.Kanitschneider(Hrsg.),Sprache und Erkenntnis ,Innsbruck,1976.
・懐疑主義批判――全てを疑うことはできない。
「『確実性の問題』の115節において、ウィトゲンシュタインは、「あらゆることを疑おうとする者は誰でも、疑いを始めることすら出来なくなるだろう。疑いというゲームそのものが確実性を前提しているのである」とのべている。換言すれば、不可疑的な確実性を同時に原理的に前提しているのでなければ、懐疑も、したがってまたポッパーやアルバートのいう意味での批判も、有意味な言語ゲームとして説明することが出来なくなる、ということである。」(213)
・可謬論批判
「もし可謬論の原理がそれ自身可謬であるなら、その限りでその原理自身はまさに可謬でないことになる。また、その逆も言える。・・・このようにして、いまや、相互主観的に妥当な哲学的批判並びに自己批判を可能にする、それ自身は批判さえない条件という、超越論的遂行論的次元が、十分に根底的なかたちで開示される。これらの条件とはいったいいかなるものであろうか。」(231)
・超越論的語用論の前提
「私が、あるものについて、現実に自己矛盾に陥ることなくしてはそれを否認できず、また形式論理的な意味で論点先取におちいることなくしてはそれを否認することができない場合、このあるものとは、論証という言語ゲームがその意味を失わずに存在することを望むならば、必ず受け入れていなければならない、論証の超越論的遂行論的な諸前提である。」(237)
・言語ゲームの規則=範型的明証性=相互主観的な妥当性
「範型的明証性は原初的経験が証示する認識の明証性と、そのまま同一であるのではない。範型的明証性は、むしろ直接にもろもろの規約へと遡って捉えることの出来るものであるし、またそうでなければならない。・・・ただしこのような範型的明証性としての諸規約が、恣意的な決断に還元されてしまうようなことはない。・・・しがたって、意識の明証性が、言語ゲームの公的に認められた範型としてのみ相互主観的な妥当性を獲得する、という自体は、超越論的遂行論の観点からみると、論証的な基礎付けが認識の明証性に訴えざるを得ない、という事態に対応しているのである。」(225f)
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投稿者:ウナギ
アンドレ・モーロワは”真の宗教”を否定したのでしょうか。
逆のようにも思われますが、私にはよくわかりません。