ここでは上手く嘘をつくことを教える。なぜなら真実を知らされて不幸になるよりは嘘をつかれ欺かれて幸せであるほうがよほどマシであるからだ。<Angel of ABYSS>
2008/7/9
「そこには恐ろしい死の痕跡があった。血に染まった首,両手,両腕,両足が床に転がっている。一体の人形は王冠をかぶり,もう一体は教皇の三重冠をかぶっていた。人間そっくりなこれら二対の人形の衣装からは,鮮血が滴り落ちでいた。その横には血塗られた短剣があった。そこは「悪魔の妖精(ニンフ)」が魔王ルシファーに生贄の血を捧げる場所だったのだ!しかも妖精になるのは,ほかならぬこのわたしなのだ。わたしは,メーソンの恐ろしさに気が狂いそうになった。彼らは人間の血に飢えているのだ。その瞬間,あの恐ろしい七頭龍が霧のなかから立ち上がってくる幻影を見た。龍は自分の真前にいた。その瞬間にわたしは気を失い,床に崩れた」(注:いろいろ調べていくうちにその藁人形の中の人間はほとんどが裏切り者であることが分かった。ということはメーソンの人間達はほとんどがブラックメール(脅迫)されて行動していることになる)
わたしは,恐ろしい儀礼殺人が,外部の手の届かぬ秘密の地下室で行われていることを知った。(注:警察などは知っているが手を出せないという意味)悪魔ルシファーは,初めから人殺しであったことを思い出してほしい(ヨハネ伝8〜44)。殺人の儀式が用意される理由はそこにあるのだ。それは新参者が悪魔から好意を得るための儀式なのである。入団者が同情心を起こしたりしないよう,生贄は等身大の人形のなかに隠されている。こうすれば,殺人者が哀れな犠牲者の涙ながらの命乞いに直面することはない。........全員がヘブライ語の呪文を唱え終わると,グランドオリエントが命令を読み上げた。すると,「彼女は呪われた!」と全員が歌った。歌声が止むと,ガーフィールド(後の第20代米国大統領)が人形を指差して,「突き刺せ!」と私に命じた.........彼らはみな,イニシエーションのときに殺人を体験済みなのだ。
自分の会うべき人間を識別する合図についても教えられた。例えば,わたしが2,8,4,6,0と言えば,相手は1,9,7,1と答える。メーソンの虚偽のトリック,シンボルの世界では,「基数」を意味する最初の数字が決められていなくてはならない。残りの数は,「基数」に合うよう,変更したり削除したりすることが可能だ。イルミナティのドアをノックする合図は7・3・1とおのおのノックする。天皇家の紋章を見ればわかるが天皇家とガーター騎士団との結びつきは英国公文書館で記録に残されている。
731細菌部隊は天皇の軍隊でもあった。
シュロの日曜日とはイエズス・キリストの道に民衆がシュロの葉を敷き詰めた故事にちなむ祭りでメーソンではこれを冒涜する儀式を行う。カトリックのDouay BibleではHOLY GHOSTは神の第三ペルソナ{聖霊」を表す語であったが,その後の聖書でこれがHOLY SPIRITに変えられた。日本語に訳してしまえばいずれも「聖霊」になってしまうが,HOLY GHOSTは悪魔の意味でもあるのだ。Douay Bibleには「めでたし聖寵満ちみてるマリア」と,イエズス御降誕の際にガブリエルが述べた言葉が記録されている。ルカ福音書1〜28参照。ところが,現在使われている聖書には,イルミナティの文句と同じ「いと恵まれた方マリア」という訳語を使って,「聖寵」の語を削除しているのである。このような差し替えはどこから来たものなのか。
ルシファーについてしつこいくらい引用しているが現在の新共同訳の共同とはカトリックとプロテスタントが仲良く翻訳したという意味のようだ。これでは駄目だ。
前200年頃『ヨブ記』第11章17(日本聖書協会訳『聖書』より)
そしてあなたの命は真昼よりも光リ輝き、たとい暗くても朝のようになる。
この節のラテン語訳は「et quasi meridianus fulgor consurget tibi ad vesperam et cum te consumptum putaveris orieris ut lucifer」である。最近になって知ったが、『旧約聖書』のラテン語版には、下に記す『イザヤ書』ともうひとつ、『ヨブ記』のこの部分にも、「lucifer」という言葉が使われていた。ただし、欽定英訳では「And thine age shall be clearer than the noonday: thou shalt shine forth, thou shalt be as the morning」となっており、『イザヤ書』と違い、完全にラテン語訳にしか使用されていない。でも、この節は「もしあなたが心を正しくするならば」、「あなたの命は真昼よりも光リ輝き、たとい暗くても朝のようになる」ということで、正義の行いをする者に対して、「lucifer」という言葉が使用されているのは面白い。
前200年頃『イザヤ書』第14章12(日本聖書協会訳『聖書』より)
黎明の子、明けの明星よ。あなたは天から落ちてしまった。もろもろの国を倒した者よ、あなたはさきに心のうちに言った。「わたしは天にのぼり、わたしの王座を高く神の星の上におき、北の果てなる集会の山に座し、雲のいただきにのぼり、いと高き者のようになろう。しかし、あなたは陰府に落とされ、穴の奥底に入れられる。
現在では悪魔の頂点とされているルシファーだが、聖書ではここにしか登場しない。この一節は、ヤコブが「バビロンの王をののしって」言ったものであり、本来は悪魔の話ではない。しかも、もともとヘブライ語で書かれた『イザヤ書』のこの部分は、ヘブライ語ではHelel ben Shaharすなわち「輝く者」である。紀元前後のギリシア語訳(所謂『七十人訳ギリシア語聖書』)ではeosphorosとなり、これが405年に聖ヒエロニムスによってラテン語に訳された時(俗に『ウルガタ聖書』という)、「明けの明星」を表すluciferとなった。つまり、聖書だけを見るなら、ルシファーという悪魔は、存在しないに等しいのである。だが、次に上げていくキリスト教の神学者たちによって、ルシファーは悪魔化していく。
150年代頃『ペテロの第二の手紙』第16章(日本聖書協会訳『新約聖書』より)
こうして、預言の言葉は、わたしたちによりいっそう確実のものになった。あなたがたも、夜が明け、明星がのって、あなたがたの心の中を照らすまで、この預言の言葉を暗闇に輝くともしびとして、それに目をとめているがよい。
この部分のラテン語訳は「et habemus firmiorem propheticum sermonem cui bene facitis adtendentes quasi lucernae lucenti in caliginoso loco donec dies inlucescat et lucifer oriatur in cordibus vestris」で、ここでも「明けの 明星」に「lucifer」があてられている。ただし、欽定英訳では「We have also a more sure word of prophecy; whereunto ye do well that ye take heed, as unto a light that shineth in a dark place, until the day dawn, and the day star arise in your hearts」となり、やはりラテン語訳にしかでてきていない。この預言の言葉とは、キリストの言葉のことだ。キリストの預言に「lucifer」が当てられているのは面白い。これが『ヨハネの黙示録』第22章16「わたしイエスは、使をつかわして、諸教会のために、これらのことをあなたがたにあかしした。わたしは、ダビデの若枝また子孫であり、輝く明けの明星である」へと繋がっていく(ただし、この部分のラテン語訳は「ego Iesus misi angelum meum testificari vobis haec in ecclesiis ego sum radix et genus David stella splendida et matutina 」であり、「lucifer」は使われていない)。
230年オリゲネス『キリスト教原理について』(ニール・フォーサイス『古代悪魔学』より引用)
明らかに、この個所のことばによって、かつてはルキフェルと呼ばれ毎朝昇ることを常としていた者が天国から転落したことが示されている。かれが暗闇の存在だと言う人もいるが、もしそうならば、どうして以前かれは光をもたらす者と呼ばれていたのか。あるいは、もしその光の一端さえ持っていないのならば、どのようにしてかれは朝に昇ることができたのだろうか。
オリゲネス(185〜256)はギリシアの神学者であり、原著はギリシア語で書かれていたはずである。現存している『キリスト教原理について』は、ルフィヌス(345〜410)によってラテン語訳されたもので、おそらくはラテン語訳版で初めてルシフェルの名が記されたんじゃないだろうか。ここで、『イザヤ書』の記述が、バビロニアの王ではなく、悪魔に対してのものだという説が生まれる。この当時、グノーシス主義などの異端宗派が生まれ、オリゲネスら初期神学者たちは異端の信徒たちと議論を交わした。この一節も、二元論に対する、一元論的見解から悪魔について述べられたものだ。なお、この書は『諸原理について』というタイトルで、創文社から全訳がでているが、これを書いている時点で未見。読みしだい、修正します。
399年エウアグリオス・ポンティコス『修行論』序言(上智大学中世思想研究所訳『中世思想原典集成3』より)
そして、このような歌声は謙虚さを生み、高慢の根を断ちます。この高慢さこそ、古えよりの悪であり、「黎明に昇る明けの明星」を地に振り落とすものなのです。
これはエウアグリオス・ポンティコス(345〜399)の神学書からで、後に「七つの大罪」となる、貪欲、淫蕩、金銭欲、悲嘆、怒り、嫌気、虚栄心、傲慢の「八つの想念」について書かれている。これらは悪魔が源になっているが、まだ具体名は出てこず、上に記した傲慢が「明けの明星」に当てられているのみ。原典はギリシア語なので、この頃はまだ「ルシファー」ではないはず。このへん、オリゲネスの影響らしい。また、「罪」ではなく「想念」、仏教の「煩悩」に近いものとされている。ようするに、修行者は煩悩を捨てなくてはならないって内容。
426年アウグスティヌス『神の国』第11巻15章(岩波文庫)
ところが、かれらは、預言者の証言に、すなわち、イザヤが悪魔をバビロニアの君主の人格をもって象徴的にあらわして、「ルチフェルよ、朝にのぼっていたあなたは、どうして天から落ちてしまったのか」といい、あるいはエゼキエルが「あなたは神の園の快楽のうちにあって、ありとあらゆる宝石にかざられていた」という証言にどう答えるのであるか。この証言においては、悪魔が罪なくあったときもあることが理解されるのである。
アウグスティヌス(354〜430)も、413年から426年にかけて書き記した『神の国』の中で『イザヤ書』のルシファーを悪魔とみなした。「エゼキエルが」とあるのは、『エゼキエル書』第28章のエピソードで、ここでも「あなたは自分の美しさのために心高ぶり、その輝きのために自分の知恵を汚したゆえに、わたしはあなたを地に投げうち、王たちの前に見せ物とした」とあるが、これもイザヤ書同様にツロの王の事を指していて、悪魔を指しているわけではない。アウグスティヌスはもともとマニ教徒だったが、キリスト教に改宗した人物で、「ところが、かれらは、」というのは、マニ教徒たちを指しており、この文章は、マニ教の二元論に対する一元論的悪魔観を述べている文章である。マニ教の二元論が「悪」がもとから「悪」として創られたのに対し、アウグスティヌスの一元論では、もともとは「罪なくあった」ものとして創られたものが、「悪」になったと語っている。ということは、ルシファーという存在は、神学者がキリスト教における一元論神学を語るにあたり、「必要悪」として創られたんではないだろうか。
1130年コンシュのギヨーム『宇宙の哲学』第2巻12金星について(上智大学中世思想研究所訳『中世思想原典集成8』平凡社より)
さてこの星はルキフェル〔暁の明星〕ともヘスぺルス〔宵の明星〕とも呼ばれる。早朝、日の出の前に見られるときはルキフェルと、夕方、日没後に見られるときにはヘスペルスと呼ばれるのである。
コンシュのギヨーム(1090〜1154)はフランスのシャルトルの神学校を中心とした、所謂「シャルトル学派」のひとりとされている。この『中世思想原典集成8』はシャルトル学派の文献を集めたものだが、これを読む限り、ギリシア哲学・神話を取り込んだ、かなり独特の神学が語られていたようだ。この『宇宙の哲学(Philosophia mundi)』でも独特の宇宙論が語られていて、惑星についての解説のところに、ルキフェルが登場しており、ここでは完全に「暁の明星」として扱われ、堕天使ではない。ただ、この金星の説明部分は、「四番目は、プラトン学派に従えば、金星である。熱く湿った星である。そのために有益な星であり、一年で黄道を一周する。この星はしかし、火星と淫行を働くと言われている。というのも、自身の軌道よりも上方に出現するときに、火星への接近を果たしてその利益を減じるからである。また快楽の女神とも言われるが、それはこの星が熱さと湿気とをもたらし、それによって熱さと湿気を帯びた者たちのあいだで情欲が増すからである」と、やはりギリシア神話のヴィーナスと結びついて、快楽を司る存在となっている。あと、対となる存在として、「ヘスペルス」が登場している。
1151年ヒルデガルド『スキヴィアス』(種村秀弘『ビンゲンのヒルデガルトの世界』青土社より)
私は正義であり、節を持ち、悪を欲しない。だが、おお人間よ、汝は悪を認識して以来、悪に手を出している。汝もルチフェルも、汝らはともに堕ちる。なぜなら汝らは――虚無から呼ばれるやたちまち――私に反逆するからだ。汝らは善から悪に向かって落下した。しかしながらルチフェルは悪をすっかり身内に入り込ませて、善を完全に投げ捨てた。彼は善を味わうことなく――死の手に落ちた。
ヒルデガルド(1098〜1190)は、ドイツの女性修道院長。天上のヴィジョンを幻視体験し、その記録として書き記したのが、この『スキヴィアス』である。これは三部に分かれており、ルシファーに関する記述は、1部と3部にある、らしい。翻訳は『中世思想原典集成15女性神秘家』にあるけれど、残念なことに第2部しか翻訳されてないので、私も種村秀弘『ビンゲンのヒルデガルドの世界』の、簡単な解説でしか読んでない。美しい天使であったルチフェルが、神が天上で輝くように、自分も地上で輝きたいと欲したところ、神は「天に二つの神があってはならない」と言い、ルチフェルを地獄に落としたのだという。その後、楽園でイヴをそそのかし、禁断の実を食べさせた。これによって、善と悪が分かれたという。オリゲネスやアウグスティヌスは、神学の解説として『イザヤ書』のルシファーを紹介しただけだったが、ヒルデガルドは幻視により、ルシファーを神話化した。ルシファーの堕天神話はミルトンが描くよりも500年早く、ここになされていたのである。
1158年ヒルデガルド『石の書』(種村秀弘『ビンゲンのヒルデガルトの世界』青土社より)
すなわち神は最初の天使を全身くまなく宝石で飾ったのである。この最初の天使ルチフェルは神性の鏡にこれらの宝石が輝いているのを見て、そこから彼の知識を受けとった。それらの宝石に、神が多くの奇蹟を巻き起こそうとされるのを見てとった。するとルチフェルの精神はおごり昂ぶった。我が身にまとうた石の光輝が神のうちに反射していたからである。彼は自分が神と同等であり、神以上のことをなしうると思った。それゆえに彼の光輝は消されてしまったのである。
も一冊、ヒルデガルドの著作から。この書は正確に言うと、『自然のさまざまの被造物の隠された諸性質の書』に含まれる文献である。この書には、さまざまな宝石について書かれているが、その序文に書かれた文章だ。ルチフェルが宝石で飾られているのは、『エゼキエル書』によってはいるが、とても女性らしい幻視である。
1184年アラヌス・アブ・インスリス『アンティクラウディアヌス』第4巻(上智大学中世思想研究所訳『中世思想原典集成8』平凡社より)
慎重に忍耐をもってついに急峻な小道を切り抜けると、彼女はウェヌスとスティルボンが堅く抱擁している場所に到達する。ここでは、太陽の使者であり一日の先駆けであるルキフェルが輝きを放っている。彼は地上に放つ光の祝福のうちに取次役をなし、彼自身が昇るとともに日の出のための舞台を設け、自らが昇る際に夜明けを告げる。
アラヌス・アブ・インスリス(1116〜1203)は、ギヨームと同じく「シャルトル学派」のひとりとされている。タイトルの「クラウディアヌス」は4〜5世紀の詩人で、彼を意識して、誌的に書かれたのが、この書だ。したがって、内容はかなり神話的であり、ギリシア神話の神々の他、独特の神名も出てくるので、マイナーな神話好きな方は要チェキ。この第四巻は天文学を擬人化した乙女が宇宙を駆ける話で、『宇宙の哲学』と同様、金星についての部分でルキフェルが出てくるが、御覧のように神話的に語られている。この後、「ルキフェルの圏は身動きが軽く、そのそよ風はより爽やかである」ともあり、竪琴の音色やセイレンの歌声に包まれた、美しい場所として描かれている。なお、スティルボンはメルクリウスのことで、こっちでは火星ではなく、水星と金星が結び付けられている。
1214年頃『ロンバルディア・カタリ異端論』(渡邊昌美『異端カタリ派の研究』岩波書店より)
ルキフェルこそ、天地を創り六日にて業をなしたと創世記に述べられてある神である。
カタリ派はキリスト教史において、異端の代名詞となっている、代表的な異端宗派である。ヨーロッパ各地に存在していたようだが、その中でもイタリアでまとめられたとされているのが、この書。現在はバーゼル大学図書館に所蔵されているらしい。カタリ派が異端とされたのは、この引用文を見ていただければ一目瞭然だろう。彼らにとっては、『創世記』のYHVHこそが、ルキフェルなのである。と言っても、カタリ派神話には始原の神が存在する。と同時に、始原の悪も存在する。もともとルキフェルは善たりし天使だったが、「四面、すなわち人、次に鳥、第三に魚、第四に獣の顔を有し、始原なき悪しき霊なるもの」に魅了され、堕天したのだ。地上において神となったルキフェルは「地の泥をもってアダムを形作り、力をもってかの善き天使を中に封じた。彼のためにエヴァを造り、これをもって罪を犯さしめた。禁ぜられたる樹を食せしとは姦淫の謂である」という。カタリ派神話では、ルキフェルこそが、人間の創造主であった。したがってカタリ派は、肉体的なもの、物質的なものを完全に否定している。人間とは、肉体という悪魔の作った牢獄に、善き天使の「霊魂(アニマ)」を持つ存在なのだという。
1260年ヤコブス・デ・ウォラギネ『黄金伝説』洗者聖ヨハネ(前田敬作・山口裕訳/人文書院)
つぎに、ヨハネは、智天使の役目をつとめた。ケルビムとは、〈知恵の充実〉ということである。だから、ヨハネは、またルキフェルともよばれる。この名前は、〈光をもたらす者〉という意味である。なぜなら、『ヨブ記』(38の2以下)の言葉を借りると、彼は、無知の夜を終わらせ、恩寵の光の始まりとなったからである。
聖ヨハネは、福音書において、イエス・キリストに洗礼を施した聖者である。ここでは文字通り、「光をもたらす者」という意味だろうが、ヨハネが「ルキフェル」だとされるのは面白い。なお、人文書院版『黄金伝説』は現在絶版だが、新泉社から抄訳の『黄金伝説抄』が出ている。
1273年頃トマス・アクィナス『離存的実体について(天使論)』第20章(上智大学中世思想研究所訳『中世思想原典集成14』)
さらに、オリゲネスは『諸原理について』第一巻で、アウグスティヌスは『神の国』第一一巻でこのことを聖書の権威によって確証する。その際、彼らは「イザヤ書」第一四章で悪魔についてバビロニアの王になぞらえて語られた「ルシフェルよ、暁にのぼったおまえが、いかにして堕ちたのか」という言葉を引証する。また、「エゼキエル書」第二八章では悪魔に対してティルス王の姿で「おまえは類似のしるしであり、知恵に満ち、神の楽園の宝石に包まれて完璧な美麗さであった」と言われ、その後の個所に「おまえの創出の日から、おまえの歩みは完全であったが、ついにおまえの内に不公正が見出された」と続けられている。
トマス・アクィナス(1224〜1274)は『神学大全』を記したローマの神学者。これはサブタイトル通り、天使について述べられた書だが、天使論というより、「デーモン」の語源となったギリシアの「ダイモーン」について講釈されている。「ダイモーン」には善きものと悪しきものとがいるが、その悪しき「ダイモーン」が悪魔のことだという。もちろん、それは二元的なものではなく、善きものとして創られた「ダイモーン」が、自由意志により、悪しきものへと転向したのだという。オリゲネス→アウグスティヌス→トマス・アクィナスと、キリスト教神学におけるルシファー像が受け継がれた。ルシファーが悪魔化したのは聖書ではなく、これらの神学書の系譜によるものなのである。
1307年ダンテ『神曲』地獄編第34曲(岩波文庫)
我はもとのまゝなるルチーフェロをみるならんとおもひて目を挙げ見たりしにその脛上にありき。
文学上にもルシファーが登場。ダンテのルシファーは地獄の最下層に氷浸けにされ、ユダなどの罪人を貪り食っている。
1387年チョーサー『カンタベリー物語』修道僧の物語(岩波文庫)
ルシファーから私は始めるとしましょう、彼は天使であって、人ではありませんが。というのは運命の女神は天使には何ら害を与えることはできないけれど、しかし高い地位から彼はその罪のゆえに地獄に落ち、今もなおそこにいるのですから。あらゆる天使の中でも最も輝けるルシファーよ、汝は今や悪魔(サタン)となり、転落したる悲惨な境涯から逃れ出ることはできないのだ。
チョーサーの小説の一節だが、この頃には完全にルシファー=サタンとなっていたことがわかる。
1486年シュプレンゲル&クラメル『Malleus Maleficarum』Question IV(JD訳)
同様に、高慢の悪魔はリヴァイアサンと呼ばれ、それは「付加」を意味している。なぜなら、ルシファーが私達の最初の両親を誘惑した時に、高慢によって、彼らに神性の付加を約束したからだ。彼について、主は言った、私はリヴァイアサン(その古の、とぐろを巻く蛇)と同時に現れるだろう。
これは日本では『魔女への鉄槌』と呼ばれる、魔女狩りテキスト。その中に悪魔に関する簡単な解説がある。ここではリヴァイアサン=ルシファー=エデンの蛇という扱いがされ、「高慢」にあてられている。
1587年『実伝ヨーハン・ファウスト博士』(松浦純訳『ドイツ民衆本の世界3 ファウスト博士』国書刊行会)
ご主君ルチフェル様、つまりこれは、天のまばゆい光から追われたためのお名前ですが、ルチフェル様は以前は神の天使、智天使で、天で神のわざや造られたものをみなご覧になっておられました。たいへんご立派なお姿で、きらびやかに飾られ、権威にあふれ、堂々とお住まいになって、神に造られたどのものより、金や銀よりずっときらめく、目の明るさや星々の光もかすむほどの輝きを神から受けておられたわけです。なにしろ神はルチフェル様を造るとすぐ、神の山の上において侯の位を授け、なにひとつ欠けるところのないようにしたものでした。それが、ルチフェル様が尊大に思い上がられて東の天にわが身を高めようとされたとたん、神に天の住まいから追われて、おられた座から、燃え尽きることのない火の岩へと突き落とされてしまわれたのです。つまり、ルチフェル様は天の光輝をひとつに集めた冠をいただいておられた。それが、わざわざ、むこうみずに神に逆らわれたばかりに、神にお裁きを愛けて、すぐに地獄に堕とされ、もう永久に逃れられない羽目になってしまわれたというわけです。
ちょっと長くなったが、これはメフィストが語った、ルチフェルの堕天神話である。天界にいたころのルチフェルは「立派な大天使のおひとりで、ラファエルと呼ばれておられた」んだそうだ(原文ママ)。地獄に落ちては、「鎖に繋がれ、流鼠の身で引き渡されて、審判の時までとめておかれているのだ」とされ、「東の地獄の王」となっている。ファウストの前に姿を現した時の姿は、「これはふつうの男くらいの背丈をして、毛むくじゃら。赤っぽいリスのような色で、ちょうどリスのようにしっぼを高くあげている」という。
1612年ヤコブ・ベーメ『アウロラ』(ジョルダーノ・ベルティ『天国と地獄の百科』より引用)
ミカエルが父なる神の姿とその美をもとに造られたように、ルシフェルも神の息子の姿と美をもとに造られた。‥‥ルシフェルがその美しさに気づいたとき、彼はすべての者の上に立とうと思った。
ベーメ(1575〜1624)はドイツのプロテスタントの神秘学者。ルシファーの堕天の原因が、その「美しさ」にあるあたり、女性ファンをうっとりさせる一節だ。
1612年セバスチャン・ミカエリス『驚嘆すべき物語』(ロッセル・ホープ・ロビンズ『悪魔学大全』より引用)
熾天使の軍団の中でも最上位にあった三名、すなわちルシファー、ベルゼブブ、レヴィヤタンはいずれも神に反逆して堕天した。‥‥キリストが冥府に降ったとき、ルシファーは鎖に繋がれたまま、万軍に指令を発していた。
ミカエリスは17世紀のエクソシストで、マドレーヌ修道女に憑依した悪魔バルベリトから教わったとして、悪魔の階級を書き記した。この階級は、今日でもいたるところで引用されている。
1629年『教皇ホノリウスの書』(ジョルダーノ・ベルティ『天国と地獄の百科』より引用)
ルシフェルよ、お前を呼びお前に願う、生ける真の神の名において、すべてを言葉によって創造した聖なる神、命ずれば行われる神のために。神の強力な名によってお前を召喚する。
この書は魔術実践本で、これは悪魔召喚の呪文から。

悪魔メフィストフェレスを召喚中のファウスト博士。
「悪魔に愛された女」訳者前書きより
事実は小説よりも奇なりと言うが、本書ほどこの言葉がよく当てはまる本もなかろう。この本は、フリーメーソソよりもさらに謎に包まれた秘密結社、イルミナティの最高幹部が書いた同組織を告発する日記なのである。しかも著者は女性だ。
時代は十九世紀後半。ちょうど日本が明治推新に突入した時代である。舞台ほトルコ、イタリア、フランス、ドイツ、ロシア、アメリカへと広がるが、特にパリのグランドロッジが中心になっている。
著者のクロチルド・ベルソソは、イタリア貴族の家に生まれた。母は篤信のカトリック教徒だったが、父はカトリックの宿敵フリーメーソソに入り、クロチルドがまだ三歳のときに二人は離別、娘は寄宿学校に預けられる。彼女は勉学にいそしみ、十七歳で数ヶ国語をマスターし、特待生となるほどの優れた頭脳を表わした。だが、悪魔的な秘密結社は、彼女の妖精のような美貌とその優れた頭脳に、すでに白羽の矢を立てていたのである。
彼女は、計画的に莫大な借財をロッヂに負わされた父に呼び出され、卑劣な手段によって、メーソソの究極組織イルミナティに入団させられる。そして、彼らが神と仰ぐ魔神ルシファーの巫女、「夜の妖精」となるべく宿命づけられてしまうのだ。
その百年前に、音楽を通してメーソソの秘密を暴露したモーッアルト(1791年没)は、問題作「魔笛」のなかで、「夜の女王」という存在を登場させている。その解釈は様々あるが、当時からイルミナティにこのような女性がいたようである。クロチルドは「三人目」だった。
ここで彼女は、殺人儀礼に基づくさまざまなイニシュエーションを通して階段をのぼりつめ、最終的にルシファーの託宣を純粋に受け取る媒体に育てあげられる。
だが、最高幹部にのばりつめた暁に、自分の人生を破戒した者たちと、この悪魔的秘密結社に復讐するというのが、彼女の当初からの目的だったのである。「聖霊の花嫁」(ルシファーの妻のこと)となって最高権力を掌握してから、クロチルドは復讐を次々と遂げていく。そして、ついに組織を決死の思いで脱出、修道院に避難所を求め、重大極まりない告白書をしたためたのだった。著者名のシスター・マリ・エメリーはここでの洗礼名である。
本書の元原稿ほ各国で出版されるべく数ヶ国語で育で執筆され、当時、ローマと数箇所の修道院に極秘に保管されたが、教会組織にとっても汚点となりかねない重大な内容を持っていること、重要人物がまだ生存していることなどの理由から、長いこと出版が見送られた。出版されたのは、ようやく世紀が改まってからのことだ。
一九二八年、フランスのイエズス会神父、アヲル・リシャールが、クロチルドの原稿を修道院で発見した。これがきっかけとなり、カトリック司祭のパウル・プリンが「レ・エリレ・ド・ドラゴー(龍の選民)」のタイトルでパリで出版するや、この本は大反響を呼んだ。国際的な有力誌「レヴィ」の編集長が大々的に取り上げたために、当時の反フリーメーソン運動に非常に大きな影響を与えたと言われている。
この流れに乗って、二年後にはドイツのワルドサッセンで、アルベルト・アンゲラーによりドイツ語版が出されたが、ナチス政権下で発禁処分に遭い、大戦の激動のなかで散逸、久しく闇に葬り去られていた幻の奇書なのである。
一九八五年、メキシコのフランシスコ会系修道院指導司祭を務めるヨナス・ガッツェ神父がローマでこの本を発見、その内容に衝撃を受けた。当時、ヨハネ・パウロ一世の謎めいた死(一九七八年)をめぐり、メーソソによる謀殺説が広く囁かれていたからだ。神父は闘病生活をおしてまで命懸けで英訳を進め、仕事の完了とともに息を引き取った。神父にとって実にこれが絶筆となった。
神父は亡くなる前に、見舞いに訪れたアメリカ人フランシスコ会士、プラザー・ビンセソトに原稿を託し、出版を依頼した。ビンセントは独自のコメントと他の関連情報とともに、この原稿を本にした。本書は、そのなかからクロチルドの日記原稿だけを抽出して翻訳したものであり、訳注は、訳者が独自に添付した。
訳者は数年前から、精神世界あるいはニューエイジと呼はれる現代のイルミニズムに深い疑問を覚えるようになり、この問題を批判的立場から研究するようになった。そのときに、各国の研究者に接触し多数の文献を集め始め、この書に出会った。
それまで、イルミナティという超極秘組織の名称は知っていたし、各国の研究者の説にもそれなりに目を通していたが、どれも元になっている文献が同じものと見え、類似の情報に食傷気味になっていた。ところが、この本だけは違ったのだ。それは、他人の研究の孫引きでもなければ、裏づけをする労を取らずにただ憶測で書いたものでもない、組織の人間にしか書けない生の報告だったからであり、これまでに読んできたどんな本にも書かれていない、詳細な内部情報に満ちていたからである。
王人形、教皇人形に縫い込んだ犠牲者を刺し殺すイニシエーショソの現場描写などは、どんなミステリー小説も及ばないほどのすさまじい迫力がある。ちょうど一連のオウム事件が起こった時期だったため、現実感はいっそう増した。イルミナティは名称こそ違え、今なお健在なのであろうとさえ思えた。
その頃、オウム信者か幹部が書いた一通の書簡をテレビ画面に見た。そこに、イルミナティの創設者、アダム・ヴアイスハウプトを絶賛する言葉が書かれていたのを今も思い出す。この極秘組織は、本書の告発から百年を経た現在も、破壊活動家の心のなかに確実に生き続けているのだ。
本書を翻訳し終えたときに、訳者は高熱を出して、一週間仕事に支障をきたした。それほどこの本は恐るべき内容をもっている。しかも、すべて真実の出来事なのだ。
読者は、ぜひともこの本を一読し、世界的陰謀の「証拠」を、陰謀に手を染めた人間の生の言葉から、直接つかんでいただきたいと思う。
2008/7/9
シスター・マリー・エメリーの本名はクロチルド・ベルソンという。ルシファーの巫女「夜の妖精」になったイルミナティの最高幹部の大東社での実話である。
ロスチャイルド家の紋章
不気味な像には七つの頭が付いていた。頭はライオンを彷彿とさせるが,よく見ると人間の頭部のようにも見える。頭はみな違っていて,角の付いたものもある。後足は歴代の教皇がかぶる三重冠を踏みつけ,前足は一人の王の冠を粉々に砕いていた。言葉には言い表せない生命力が,この獣から発散していた。その視線がこちらに向けられ,わたしは虜(とりこ)になった感覚さえ覚えた。「これは,龍,ヒドラだ」
第20代米国大統領ガーフィールドはここの大東社(Grand Lodge Orient Trianon)のグランドマスター(33位階)であったが同じロッジの命令で暗殺された。
以下はシスター・マリー・エメリー著「悪魔に愛された女」の訳者解説より。(静かな生活をされている方はこの本は読まれないほうがいいでしょう)
秘密結社イルミナティの存在については、これまでにも様々に取り沙汰されてきた。それは、神秘の学校、見えざる大学、白色同胞団、ブラザーフッド、インナーサークルなど数々の名前を持つ、謎の世界的秘密組織である。この分野の研究者によれば、イルミナティはその実体がつかめないようにするために、多岐にわたる看板組織を通して、世界情勢を背後から操作しているという。外交問題評議会(CFR)、ビルダーバーグ、ローマ・クラブ、三極委員会、シェライナーズ、フェビアン協会、神智学、薔薇十字、そして国連など、一万を超す看板組織が存在すると言われている。
その存在はあまりに謎めいていて、部外者には、本当のことがまったく分からない。ことの真実を知るのは内部に生きる人間だけだが、その秘密が漏れることは少なかった。会員は死の誓約とともに、秘密厳守 の誓いをさせられるからである。
「イルミナティ」とは、「光明を伝授された者」「啓発された者」の意味である。この名称が頻繁に使われるようになったのは、フリーメーソンの大統合が行なわれた一七一七年以降のことだ。驚くかもしれないが、スウェーデンの千里眼能力者として知られるインマヌエル・スエデンボルグの教義を機軸とする「スエデンポルグ儀礼メーソソ」は、別名をストックホルム・イルミナティと呼ばれていた。設立は一七二一年だ。
それはフランスに流れ込み、一七六〇年にアヴィニョン・イルミナティをパリに創始、催眠学の創始者であるマルキ・ド・ピゥイセギュー、マルキ・ド・テーム、動物磁気療法の開発者フランツ・アソトン・メスメル、魔術的詐欺師で有名なカリオストロが中心になって、スエデンボルグ教義の「正しい」解釈と実践を目標に、活動を展開し始めた。このカリオストロは、後述するバイエルン・イルミナティの会員でもあり、のちに逮捕され、極刑を逃れようとイルミナティの悪魔的内情を裁判で暴露した人物である。彼の告白は、その後のイルミナティの批判研究に役立っている。
本書に直接かかわってくるイルミナティは、この一連の流れを受けて一七七六年に結成された「政治」結社だが、前述のオカルト系イルミナチィとも密接にリンクしていた。この結社の研究の先駆者、イギリス・エジンバラ大学自然哲学教授、ジョン・ロビソンの本から簡単にまとめてみる。バイエルン・イルミナティは、ドイツのバイエルン、インゴシュタット大学教会法教授のアダム・ヴアイスハウプトが一七七六年五月一日に結成したものである。結社は六年後の一七八二年に、ヴィルヘルムスパートで開催された世界フリーメーソン大会議で、メーソンとの合同本部をフランクフルトに置き、世界財閥のロスチャイルド家とその配下のユダヤ資本を動員して、とてつもない力を生み出しつつあった。組織は、表向きはイルミニズム(超人創造のための高度な知恵を伝授するの意)の仮面を被り、「自由・博愛・平等」の世界建設という大目標を掲げたため、政界はもとより、多くの文化人、芸術家、知識人が加入した。文豪ゲーテとへルダーは、一七八二年の大合同の際にこの会員になった。
だが、内輪組織の真の目標は世界征服にあったのである。この結社は、諸国家の破壊、諸宗教、特にカトリックの撲滅、教育や家族の破壊等の「カオス」を通して、「統一世界政府」という名の新しい世界秩序を推進するという、きわめて過激な世界革命思想を眼目に据えて、極秘活動を展開し始めた。「オルド・アブ・カオ(混沌から秩序)」がその合言葉であった。そのテストケースに選はれたのが、カトリック信仰のもっとも篤いフランスである。
ところが、何とも不思議な出来事が起きて、この極秘計画が露見してしまうのである。一七八五年に、ランツという名のイルミナティ工作員が、悪天候のなかをフランクフルトからパリに向けて馬を走らせていた。バイエルンにさしかかった頃、突如落雷が彼を襲い、ランツは一瞬のうちに息絶えた。発見された彼の遺体から、ドイツのイルミナティ大ロッジから、パリ大ロッジのロベスピエールヘ宛てた極秘書簡が見つかった。そこにほ何と、まだ起きてもいないフランス革命(一七八九〜九九年)、王政および諸宗教(ユダヤ教は含まれていなかったそうだ)撤廃の大計画が書かれていたのである。
事の重大さに驚いたバイエルン警察は、イルミナティ本部を急襲、ヴアイスハウプトの文書を没収して、イルミナティが事実、世界支配を白論んでいることの証拠を握った。
ある文書にはこう書かれていた。「社会にとって致命傷となるべき世界革命を行なうことがわれわれの目的である。この革命が秘密結社の仕事になるであろう。われわれの大いなる奥義≠ヘここにある」
バイエルン政府はこの組織を国家的に禁圧し、すぐに大英帝国、パリ、ミュンヘン、オーストリア、ロシアヘ警鐘を鳴らしたが、ときすでに遅く、各国政府の重要ポストに配置されていたイルミナティの厚い壁に遮られ、警告は効を奏さなかった。真面目に耳を傾けたのは、メーソン破門令(一七三八年)を出した教皇クレメンス十二世以来、一貫してフリーメーソンに対抗してきたローマカトリック教会ぐらいだ。四年後、フランス革命は予定通りに勃発し、九時間のうちに千二百人あまりのカトリック信徒の首がはねられ、打倒された王政の代わりに、恐怖政治が国を支配した。
一方、政府の禁圧にあって国外に逃れたヴアイスハウプトは、スイス、次いでロンドンに拠点を設け、フランスに続き、イギリスメーソンを呑み込む計画を立てていた。この目的を遂げるため、エジンバラ大学自然哲学教投で英国学士院会員、メーソンであったジョン・ロビソンを助手に雇い、計画書の保管を委ねるが、ロビソン一枚うわてだった。
すでにイルミナティの危険性を知っていた彼は、熱心な助手と見せかけ、イルミナティの謀略をできるかぎり吸収、「すべての宗教と国家を滅ぼす陰謀の証明」という、その後二百年間、世界で読み継がれることになる本を命懸けで書きあげたのである(一七九七年)。
ここで分かることは、メーソン=イルミナティという単純な図式が成り立たないことである。上級メーソンといわれる人々でさえ、イルミナティの高イニシェート(高位の秘儀伝授者)からすれば、真実を知らされずに使役されているだけの、下級会員に過ぎないのだ。
その翌年には、フランスのイエズス会士アヴェ・バルエルが「ジャコバン党の歴史覚書」という四巻に及ぶイルミナティ告発書を書きあげた。ジャコバン党とは、フランス革命期にイルミナティが使ったもう一つの名前である。この二種の詳細なイルミナティ告発書を調べたバイエルン政府は、没収したヴアイスハウプトの文書をまとめ、「イルミナティ結社の原著作集」と題する文書を出版し、あらゆる国々に送付した。
そこから、次のような事実が浮かびあがった。ヴアイスハウプトは、一七四八年二月六日に生まれた。彼はユダヤ人だったがイエズス会士(カトリック)になる振りをした。だが、実際に信じていたのは、ルシファー礼拝とヒューマニズム(人間至上主義)だった。ルシフアー(「光の子」を意味)とは、キリスト教神学で言うところの悪魔=サタンのことだが、彼らはこれを理性の神(理神)の象徽として祀りあげていたのである。ヴアイスハウプトは、インゴルシュタット大学で教会法の第一人者として教鞭を執っていたときに異端を説き、イエズス会から破門された。
ロスチャイルドの要請と財政支援のもとに五年を費やして世界革命の方法論を書きあげ、『ノーブス・オルド・セクロルム』とこれに銘打ち、結社結成の日、一七七六年五月一日に出版した。このタイトルを翻訳すれば、「事物の新秩序」あるいは「新世界秩序」となる。同じラテン語の文句は、アメリカの一ドル札に印刷された「国璽」にも見られる。実際、この国璽に使われている「目のついたビラミッド」は、イルミナティの紋章と同じものなのだ。国璽を作成した者とイルミナチィとの関係を物語るものであろう。
ヴアイスハウプトは、会員たちを「イルミナティ」(光明を受けた者たちの意)と呼んだが、これは薔薇十字から借用した言葉であった。下級会員は、「完全者」と呼ばれる上級会員に対し絶対服従の義務を負った。
位階制度は次のようだ。最低の位階は、内輪では「劣るイルミナティ」と呼ばれていた。この上に、象徴的メーソンとスコッチメーソンに分かれる「メーソン」の位階があった。これら二種の下部組織のメンバーは、人類すべてが自由と平等を享受する理想世界を地球上に現出することが結社の目的である、と教え込まれた。最高階級は「摂政」と「王」の二つに分けられた。
秘伝者たちは、永遠の沈黙と組織への絶対服従を誓わされた。
「何かを漏らすようなことがあれば、自分にも、家族にも、友人にも、仲間全員に死が臨みます」
「結社の敵は自分の敵になります。結社の友は自分の友になります。わたしは、友にも敵にも、イルミナティ結社から命じられる通りに行動し、結社の拡大のためにわが身を捧げます」
このような生命を懸けた誓いは、イルミナティの目標を覆い隠すためのものであろう。その目標は五つに分けることができる。
@すべての既成政府の廃絶とイルミナティの統括する世界単一政府の樹立。
A私有財産と遺産相続の撤廃。
B愛国心と民族意識の根絶。
C家族制度と結婚制度の撤廃と、子供のコミユーン教育の実現。
Dすべての宗教の撤廃。
この五力条は、今「カルト」と呼ばれている集団が行なっていることに、無気味なほど共通しているが、イルミナティが目指しているのは、これをカルトレベルから国家レベルに拡大することなのである。
ヴァイスハウプトから押収した文書に、プロテスタントを礼賛する言葉が書かれていたのは、皮肉としか言いようがない。彼は「プロテスタソトは自分以上にカトリックを憎んでいる」と言い、この憎しみを利用してプロテスタントを引き込むことに成功したのだ。彼はずいぷんプロテスタソトに期待をかけている。
「何にも増して有り難いのは、優れたプロテスタントと、改革の神学着たちが、わが光明会に所属しているということだ。キリスト教の真の精神が我々とともにある」
彼は、プロテスタントとカトリックを統合する考えを持っていたが、この思想は今のエキュメニズム(教会一致運動)に引き継がれているように思われる。この日的を遂げるために、彼はプロテスタソトしか入れない結社とカトリックしか入れない結社を新たに作り、この双頭戦力を通して、目的達成のための資金源を得た。
「わたしは、誰の利益にもなる一つの説明を考案している。それは、すべてのキリスト教団体を招くための計画だ。それによって、徐々に彼らはすべての宗教的偏見から自由になり、社会主義的徳を育成するようになるだろう」
当時、アメリカ初代大統領の職(一七八九〜九九年)にあったジョージ・ワシソトンは、メーソン大統領として研究家が度々紹介する人物だが、この人がイルミナティを攻撃する態度を貫いていたことは案外知られていないようだ。彼はマウントヴァーノンのG・W・スナイダー神父からロビソンの本を手渡され、貪るように読んだ。一七九七年九月十七日に行なわれたワシントンの最後の大統領演説は、イルミナティそのものがテーマだった。
「イルミナティのような連合体はやがて、狡猾な野望を持つ、無節操な者たちが独力で政府を強奪し、民衆の力を何もかも覆し、憲法の核心部分を破壊する原動力になるだろう」
「彼らが採用する方法の一つは、イルミナティが民衆から土地と財産を盗むための法律を施行できるよう憲法を改正することにある」
「アメリカが自由であり続けるためには、ヨーロッパを避けることが第一原則である。落とし穴だらけの連合を、何としても避けなければならない」
ワシントンは 最後に「できるかぎりヨーロッパと政治的関係を持たぬよう」熱心に国民に呼びかけた。ワシントンの演説の影響は大きかった。翌年の一七九八年七月九日、エール大学総長のティモシー・ドワイトが、卒業生を前にこの悪魔的秘密結社の危険性について講演し、イルミナティ打倒の十字軍結成さえ叫ばれた。
ジョージ・ワシントンは、大統領職を解かれてから自分がメーソンになったことを非常に後悔し、死ぬ直前に最終秘蹟を受けてカトリックに改宗している。スナイダー神父に書簡でしたためたところによれば、ワシントンはメーソソがイルミナティの道具になっていることを知らずにいた。一七九八年九月二十五日の書簡にはこのようにある。
「私がロッジに加わったのは、イルミナティの邪悪な綱領を推進することがフリーメーソンの目的ではない、と信じたためでした。だが、今や、ロッジ内にイルミナティが忍び込んできているのです。彼らは民衆を政府から引き離し、われわれの国を手中に入れんとしているのです。合衆国に拠点を築いたそのときから、彼らがこの計画を持っていたことは、もはや疑う余地がありません」
第二代大統領のアダムズは、ワシントンとともにイルミナティに反旗を翻したが、第三代のトマス・ジェフアーソンは、完璧なイルミナティだった。(管理人注:ジェファーソンはインゴルシュタット大学でキャノン・ローを教えていたアダム・ヴァイスシャウプトの生徒であった)
ジェファーソンに関連して、一ドル札に刻印された「合衆国国璽」にまつわる無気味な話が語り伝えられている。報告したのほ、ヴアージニア・ブラシントンというジャーナリストだ。その話によると、ジェフアーソンがある晩ひとりで庭を歩いていたとき、マントを翻す不思議な黒ずくめの男に接触された。男は、ジェフアーソンに基礎的デザインを施した羊皮紙を手渡した。そのデザインから、今の政府が使っている国璽が作られたというのである。前にも述べたように、この国璽のなかに、イルミナティの標語「新世界秩序」が刻印されている。
実際、ジェファーソンは、イルミナティを積極的に擁護した人物だった。ヨーロッパで国賊と見なされているヴァイスハウプトを「熱心な人道主義者」と宣伝し続け、フランス革命については「これが起こらないなら人類の半分が死んだほうがまだまし」とまで言っている。無線電信の発明者モールスの父で、開拓時代の優れた地理学者、牧師で名を知られていたジェディー・モールス博士は、ジェフアーソソはイルミナトス(イルミナティの単数形)だった、とはっきり記録している。国璽のデザインを手渡したのは、ヴアイスハウプトの使者であろう。
四代目のモソローほワシントンの遺志を継ぎ、旧大陸との相互不干渉を約束する「モンロー主義」と呼ばれる危険防止策を講じた。第一次大戦後にウッドロー・ウィルソンが裏切るまでの百二十年間、この政策がアメリカ外交の主軸となった背景には、このような事情があったのだ。
イルミナティは、バイエルン政府に禁圧されてから地下に潜ったとされているが、実際には名称を様々に変えたに過ぎず、すでに結合していたメーソソを通して世界を動かしてきた。フランスではジャコバン党、フレンチ・マルチニストの名で革命の推進力になった。イルミナティという名を公には使わなくなっただけだ。ロシアでもマルチニズムの運動は活発になった。ツアー・ニコライ二世のオカルト顧問になりすまし、暗殺を手引きしたパプスは、この組織のグランドマスターだったと言われている。ロシア革命を起こしたのもイルミナティなのだろうか。本書はそれを肯定している。
ヴァイスハウプトは死ぬ前にイタリアにも手を伸ばし、そこにカトリックの愛国者組織を装う、カルポナリ党を結成させた。ジュゼッペ・マッチーニが党首に就任し、全世界のメーソソをイルミナティに統一するというヴァイスハウプトの遺志を継ぐことになった(一八三一年)。このマッチーニと手を結び、アメリカに純粋なイルミナティの教理を導入したのが、メーソソの教科書『倫理と教理(モラル・アンド・ドグマ)』を書いた南軍将校のアルバート・パイクであった(一八七〇年)。この新しい結社は、知恵と謀略の神の名をとり「パラジウム儀礼」と呼ばれているが、その「倫理と教理」がどのようなものかは、次のパイクの文章を読めは一目瞭然だ。
「メーソンの宗教は、われわれ高位階のイニシェート全員によって、ルシファー教理の純粋性のなかに保たれるべきである。ルシファーは神である。だが悲しむべきことに、アドナイ(注‥これはキリスト教の神のこと)もまた神なのだ。影なくして光なく、醜さなくして実はなく、黒なくして白があり得ないというのが、永遠の法則だからである。真の純粋な哲学的宗教は、アドナイと同等のルシファーヘの信仰である。光と善の神ルシファーは、人類のために、暗黒と邪悪の神アドナイと戦っている」(一八八九年七月十四日、「世界二十三カ所の最高会議に宛てた指導要綱」)
これは、ヴァイスハウプトの思想をそのまま踏襲したものだ。マッチーニとパイクは、全世界のメーソソをイルミナティの配下に統合することこそが、世界統一に必要不可欠と見た。そのための布石として、世界戦争を起こす計画を立てた。その証拠は、戦前まで大英博物館に展示されていた二人の往復書簡に見ることができる。一八七一年のものだ。
マッチーニは、一連の世界戦争という「混沌」をつくりだし、そこから「秩序」をつくりだす案を提起した。それ以上の殺戮を避けるために、各国は主権も愛国心も放棄し、国際連盟や国連のような超国家機関に主権を譲るようになるだろう。
「一番目の世界戦争で帝政ロシアを根こそぎにし、イルミナティの独裁制を設立、莫大な人口と資源をさらなる計画達成に振り向ける」
たび重なる皇帝の暗殺と一九一七年のロシア革命によって、これは現実のものとなった。二番目の世界戦争では、新ロシアがヨーロッパを併合することになっていたが、この計画は少なくとも半分は成功したと見ていいだろう。
イルミナティの標語「新しい世界秩序」が、これら世界戦争の勃発とともに各国指導者によって頻繁に使われ始めたのは、はなはだ興味深い。「混沌から秩序」が彼らの合言葉であったことを思い出してほしい。第一次世界大戦という混沌から国際連盟という新世界秩序が誕生した。アメリカの基本通貨に「新世界秩序」のラテン語を含む、無気味なシンボルが刻印されたのもこの頃だ。「混沌」も「秩序」も、彼らがつくったものなのだろうか。
そして、第二次世界大戦という混沌が起こった。当時の有名なチャネラーだったエドガー・ケーシーは、「混沌から秩序」の方程式を知っていたようだ。彼は終戦の四年前にこう予言している。
「フリーメーソソの秩序に代表される普遍的思想を持つアメリカ主義が、世界情勢を解決する究極のルールになる。世界中がメーソンになってくれるわけではない。だが、メーソンの採用する原則に基づいて、一九四四年、四五年に平和の新秩序が設置されることになっている」
これは、国連設置を指した「当たり」予言として紹介されているものだが、メーソンが国連の指導原理になること、それが「新世界秩序」をつくることに彼が期待をかけていることを示す、重要な言葉だ。いったい、彼のチャ ネリングの源は何だったのだろうか?
イルミナティが究極的に目指しているのは、通商、金融、資源、何から何まで人類を一元管理できる、世界政府という名の「新世界秩序」だ。それを導入するための「第三の混沌」までが計画されているのだろうか。彼らの歴史的文書は、確かにそれを裏付けている。パイクがマッチーニに宛てて書いた書簡は、第三次世界大戦についてのものだった。
それによれは、三度目の世界戦争は、中東でユダヤ人とイスラム教徒の間で起こすことになっていて、これは聖書に予告されたハルマゲドソと広く宣伝される。この「やらせ」ハルマゲドンは、相当ひどいものにする予定のようである。各国は戦争と流血に疲れきり、平和が約束されさえすれば、ルシファーの教理だろうと何だろうと飛びつくに違いない、と大見得を切っている。
これは、あくまで「計画」であって預言ではない。訳者はこの通りになるとは思わないが、オウムと同じく、黙示録に預言されているハルマゲドンを「演出」するために、とどめの一撃を入れようと、彼らが本気で企んでいることだけは確かだろう。
パイクの書簡は、まるで悪魔の大予言のように聞こえるが、これほ長期計画なのである。
「この世界戦争は、もっとも凄惨な社会変動と血みどろの動乱を招来する。そのとき、革命を起こす少数派から防衛せざるを得なくなった民衆ほ、全世界でこれら文明の破壊者を殺教するだろう。一方、大部分の者たちはキリスト教に幻滅し、方向性を見失い、理想をあがき求めながらも、それをどこに求めるべきかを知らぬまま、最終的に民衆に提示されるルシフアーの純粋な教理の世界的台頭を通して、真の光をつかむのだ。キリスト教と無神論の同時的征服と壊滅によって起きてくる広範囲にわたる反動から、これは現実のものとなる」
イルミナティは、聖書でサタンと呼ばれているルシファーを神と崇め、その啓示の下に本気で世界支配を企んでいる集団なのだ。悲惨な世界大戦も、中東で何度も起きている戦争も、これまで述べてきたことから、彼らが背後で動いていることは疑う余
地はない。金融破綻はこのための重要な手段であろう。
クロチルドの日記には、フランスを革命に追い込むために莫大な資本を海外に流出させ、国家財政を破綻に追い込み、無数の失業者を出したうえ、国の銀行をイルミナティ系の銀行に合併させていった話も明らかにされている。これなど、最近の日本での金融界の動きに無気味に符合する。日本を始めとするアジア各地でのバブル崩壊も、あらかじめ仕掛けられたものだったのではないのか。
彼らの計画は、今後三十年間に焦点を集めている。イルミナティの大思想家と目されている故マンリー・ホール(メーソン33位階)は、『古代哲学講義』のなかでこう述べた。
「民衆が自分を治められるほどに強く、賢明な時代はまだ到来していない。治めるに値するのは、エキスパートだけである。二百年以内に、人類はプラトンとアリストテレスの神々にかしずくとの予言が、今から百年前になされている。哲学の神々がふたたび世界を支配するのである」
エキスパートあるいはオリンポスの神々とは、イルミナティの高イニシェートを意味している。プラトンは「国家論」のなかで、十人の王が支配するアトランティスの理想世界を描いている。アトランティスは、神に反逆したがために大洪水で滅ばされた失われた世界だが、この世界をふたたび実現することがイルミナティの中心的計画なのだろう。
これに関連して、聖書に「十人の王」が獣と呼ばれる偽キリストにかしずいて世界を治めるとの預言があるのは、実に興味深いことだ。この十王国は、短期間で滅亡すると預言されている(ヨハネ黙示録十七章)。獣とは世界政府であり、その統治者であろう。今後三十年の問に世界政府を実現させようとしているイルミナティの計画とその結末がここに読み取れる。
オカルト面からコメントすれは、精神世界、ニューエイジにはまっている人々も、本書から学ぷこと大であろう。ニューエイジは、オカルト・イルミナチィの再現と言っても過言ではない。オウム事件は、その典型的な例である。彼らは、星占い、生まれ変わり、自然食、密教、ヨガ、超能力開発、東洋医学、気功法、チャネリング、風水など、精神世界の「美味しい」知識を凝縮した思想で若者を入信させる一方、幹部連中は最新技術を駆使して「ハルマゲドン計画」を練り、それを実行に移そうとした。百年、二百年前のイルミナティのやり方を現代的に応用しようとしたわけだ。
そこで、今のニューエイジは、当時の「善良なる理神論メーソン」に対比でき、その中核で「イルミナティ」にあたる、オウムその他のオカルトテロ集団を培養する役割をしているとも言えるのである。ニューエイジを追求している人々は、自分ほこの教団とは何の関係もないと思うかもしれないが、本当にそうなのかどうか、次のニューエイジ指導者たちの言葉を読んでいただきたい。
フィンドホーンで霊的照明を受けた欧米ニューエイジ運動の指導者、デビッド・スパングラーは、その著『キリストの省察』(フィンドホーン・ブック)のなかで、ルシファー意識との合一が霊的覚醒には不可欠だ、と繰り返し説いている。「ルシファーの真の性質は、善でも悪でもない。彼は進化を通して活動する神の愛である」(41ページ)
「ルシファーが解放されるときに、人に内在するルシファー要素はもはや試験官ではなくなり、真の光の啓示者、光の天使、知恵の光になる」(43ページ)
「人間の完全性の時代、ニューエイジに入るときに、人は何らかの形でルシファー・イニシェーショソと呼はれる地点を通る。ルシファーは、完全性という最後の賜物を我々に与えるために来る。それを受ければ、人は自由になり、我々も自由になる。それがルシファー・イニシェーショソである」(44〜45ペ−ジ)
ニューエイジの核心部分はルシファー秘伝にあることを、指導者自らが認めているのである。このスパングラーという人物は、今や国連の「プラネタリー・イニシアティプ」代表の任にある。日本のニューエイジの母と慕われているY・Aという人も、ルシェルを名乗る霊的存在から同様のことを啓示され、フインドホーンの客となった。ルシェルとほ、サタンが堕落する前に天上で持っていた名前である(彼は、地獄の光を意味するルシファーよりも、この名を使うことを好むと言われている)。それは、ルーシェル、ルキエル、ルキスとも呼はれている。
ニューエイジの母体組織とも言える神智学の創設者プラバッキーは、大作『秘密教理』のなかで度々、ルキスあるいはルシフアーを礼賛する言葉を述べている。彼女にとって、ルシファーはキリスト教によって悪魔にされてしまった真の光の神であり、宇宙開闢のときに現われた最初の神であった(第1巻70ページ)。プラバッキーは一八七五年にこの協会を創設したが、そのとき幹部に名を連ねたのが、何とアルパート・パイク《=モラルアンドドグマの著者》だった。実際、神智学協会の幹部は、全員メーソンだったことが明らかになっている。
プラバッキーの意志を継いだのが、イギリスの神智学者のアリス・ベーリーだ。彼女は「ルキス・トラスト」という組織を発足させ、そこから世界政府と世界宗教を実現するための計画案を明らかにする、膨大なチャネリングの本を発行した。この組織を日本語に訳せば「ルシファー企業合同」となる。何とこの機関は、その後国連の下部組織に組み込まれている。国連は、ルシファー秘伝の場になってしまうのだろうか。
もう一人、欧米のニューエイジで偉大な思想家のように礼賛されている哲学者、マンリー・P・ホールがいるが、この人もルシファー秘伝主義者だ。『フリーメーソンの失われた鍵』のなかで、彼はこう書いている。
「メーソンは、活ける力のダイナモの正しい使い方を知ってこそ、結社の奥義を知ったことになる。そのときに、彼はルシファーの燃え盛るエネルギーを手にするのだ。さらに高きへと踏み出す前に、彼はそのエネルギーを正しく使う能力を証明しなければならない」(48ページ)
ここで言う「ルシファーの燃え盛るエネルギー」とは、ヨガで言うところのクンダリニー(蛇の火)である。東洋でも、西洋でも、密教が教えるところは、この蛇の火を内に目覚めさせて霊的な光明を得るというものだ。それは、オウム真理教の信者たちが目指していたものである。
ソフトニューエイジの生みの親、エドガー・ケーシーは、健康相談では優れた力を発揮したが、その思想は、キリスト教の衣で覆った神智学だった。彼も、クンダリーニを目覚めさせることをしきりに説いていた。ケーシーの一番の財政支援者であったデーブ・カーンというユダヤ人富家は、戦時中にロスチャイルドの右腕として働いた高位のメーソンだった。彼は、メーソンの神殿からケーシーへの補助金が出ていたと自叙伝に記している。ケーシー財団の建物は、一九五〇年代にフリーメーソソのバージニアビーチロックが使っていた場所だ。この団体がマンリー・ホールの団体と提携を結んでいるのも、まったく自然なことなのである。
ケーシー信者たちがイルミナティの思想を受け入れていることは、アメリカで彼らが張っているホームページや出版している本に、 平気でイルミナチィのシソポルを使っていることからも分かる。このような動きは、先代にはなかったことだ。今は昔とは異なり、キリスト教を装う必要がなくなったためであろう。ケーシーを宣伝するアメリカのホームページには、「事物の新秩序」の大きな文字とともに、目のついたピラミッド(一ドル札の裏に印刷されているイルミナティのシンボル)が使われている。そして、「新世界秩序はキリストが治めるものなので恐れることはない、陰謀研究など愚かしい」とさえ書かれている。これには本当に驚かされた。イエズス・キリストが、反キリスト集団イルミナティの標語を使う、と彼らは本気で信じているのだろうか。ケーシーの研究グループも、数年前に国連に所属した。
このように、ニューエイジとメーソン、あるいはイルミナチィは、密接にリンクしているのである。しかも今や、イルミナティの計画は最終段階に入り、国連がその本拠地に変わりつつあるのだ。
本書の主人公のクロチルドが、「聖霊」を称するルシファーから啓示された話は、今の精神世界の教えとなんら変わるところはない。七つのチャクラや生まれ変わりの思想さえ、そこには登場する。彼女は、ニューエイジで中心を占めているチャネリングの先駆者であったばかりか、クンダリニーを目覚めさせ、空中浮揚さえやってのけた。だが、それを自分の力とは見なかった。
「何たる瞬間!わたしは、自分を超えるいかなる自然の法則も、重力さえも、どのような秘密も存在しないことを感じた。この世の人間の弱さをわたしは思い知った。彼らは、どのような力も、自分自身から出てくるものだと考えているからだ。だが、彼らに力を与えているのは霊なのである」
これは、天井にまで空中浮揚したときの、彼女の感動の言葉である。人間は、霊的に神か悪魔か一方を選択する権利を持っている。しかし、悪魔は悪魔として初めからその姿を現わすことはない。ルシファーは得意の七変化を使い、精霊やキリストの名前さえ騙り、神々しい霊的存在として人の前に姿を現わす。そして、崇高な理神論によって、人間は独力で神に似た超人になれるとの神秘思想を吹き込むのである。だが、体験を極めた人は、それが詭弁に過ぎないこと、人間はいずれかの霊的カを通す媒体にしか過ぎないことを知っているのだ。
悪魔という存在は、今の心理学では、人間の自我の象徴にしか解釈されてはいない。しかし、奥義を究めた人は、霊的世界には二つの極性が存在することを知っているのである。悪魔が存在するとすれは、もう一つの霊的極であるイエズス・キリストも、同じように存在する。
「獣と出会うそのときまで、わたしは超自然的な原理を否定し続けてきた。そして今、さらに二つの原理を受け入れねばならなかった。カトリックのそれと、洗礼の神が存在することの二つである。洗礼の神により力があることは、獣自らが認めていたことだ。だがわたしの目は塞がれ、この神が力ある神であるばかりか、心優しく、知恵に満ち、聖なる完成にあることを結論するまでには至らなかった」
クロチルドが回心したときの告白である。キリストを知った彼女は、以前には「聖霊」と呼んで親しんでいたそのカを「獣」と呼び、完全に袂を分かったのである。ここに希望が見える。
クロチルドはイルミナティの破壊的計画を立案するために、ルシファーから啓示を受ける役割にあった。その彼女が、最終的に真の「神」に救いを見出し、イルミナティに大打撃を与えたことは、われわれにとっては大きな希望である。当時の教皇レオ十三世は、四回も反フリーメーソソ回勅を出したが、その背景には彼女の告発文書の存在があったと言われている。
この世ほ戦いの場である。闇は真の光に対抗するために、光を偽装して戦力を集めようとする。しかし、見極める目を養えば、真の光と、光を偽装する闇とを区別することは可能である。
この本は、陰謀者側の弱点を知ることによって、彼らに対抗するカを与え、彼らの策略を詳細に知ることによって、陰謀に打ち勝つ知恵を与えてくれる、きわめて重要な資料である。
読老が、世界史をつむぐ見えざる糸を本書からつかみとり、巧妙な光の偽装の背後に隠された真実に目を開かれることを念願している。
二○○○年三月
訳者(林陽)
2008/7/7
啓示は所詮はただ人間を介してのみ彼に到達し、また人間によって解釈されるので、たとえ啓示が神自身から彼に到達するように思われたとしても(汝自身の子を羊の如くに屠れという、アブラハムに発せられた命令のように)、そこになおある誤謬が支配しているかもしれないということは少なくとも可能である。そうだとすれば、彼はきわめて不正であるかもしれない事柄をなす危険をあえて冒すことになるであろうし、その点で彼の行為はまさしく無良心的なのである<カント・純粋理性批判より>
下の「神が殺人を命じるとき」は佐倉哲氏によるものです。氏がどの団体に属しているかなどは知る由もないがそんなことはどうでもいい。私自身統一原理の原理講も読みはじめた。さほど間違ったことは言っていない。私のそれに対する考えはまだまとまっていないのでいつか解説をしたい。
角笛とモーゼについてはここ
モーゼは石刻版を粉々に砕いて人々に心を清めるために殺し合えと命令した。
まず第一にアブラハムが神から受けた啓示については記事にしたが神が殺せと命じる意味,それとからめ前の記事で書いたベルゼブブ(ベルゼブル)とフリーメーソンとの関係などを書いてみよう。
ここで,グランド・マスターは龍(ひどら)の真前に走りより,出現をふたたび祈った。長く不気味な呪文が始まって一時間以上が経過した。突然.........。(後は次の記事で)シスター・マリー・エメリー著「悪魔に愛された女」より
神が殺人を命じるとき、わたしはどうしたらよいのだろうか。殺人は明らかに悪であり善なる神がそんなことを命じるわけがない、これは何かの間違いに違いない、そう考えて、わたしはこの命令を無視するだろうか。それとも、神の意思こそが何が善で何が悪かを決定する絶対基準であるから、不完全な人間の眼には不合理な命令と見えるかもしれないけれど、自分の勝手な意見にではなく、神に従うことこそが正しいのだ、そう考えて、わたしはこの命令を実行するだろうか。
イスラエルのラビン首相暗殺事件も、オウム真理教の一連の殺人事件も、イスラム教原理主義のテロ活動も、すべてこの困難な問題を抱えている。例えば、ラビン首相を殺害した敬虔なユダヤ教徒の青年イガル・アミル氏は、判事の前で、「神の律法によれば、ユダヤ人の土地を敵に渡してしまう者は殺すべきことになっている」と証言した。また、オウムの殺人事件に関与した信者は、「生かしておくと悪行を積み、地獄へ落ちてしまう人はポアした方がいい」という麻原彰晃教祖の救済思想に従っていたと言われている。また麻原はかれの殺人命令をシヴァ神の命令として弟子達に伝えていたという。
聖書における神の殺人命令
一般に彼らは「過激主義」とか「偽宗教」あるいは「邪教」の名を与えられているが、問題の重大さは、実はこのように殺人が神の命令となる教えが、「ある奇妙な新興宗教」だけのものではないところにあります。ユダヤ教とキリスト教の聖典である聖書をひもとくと、聖典の教えもまた例外ではないことが明らかにされるからです。
例えば、神がイスラエルの民に与えたとされるカナン人の土地への侵略に関するモーセの教えと彼の後継者ヨシュアの実践を示す部分は、聖書において神が殺人と略奪を命令するもっとも典型的な例と言えます。
あなたの神、主が、あなたの行って取る地にあなたを導き入れ、多くの国々の民、ヘテびと、ギルガびと、アモリびと、カナンびと、ペリジびと、ヒビびと、およびエブスびと、すなわちあなたよりも数多く、また力のある七つの民を、あなたの前から追い払われる時、すなわちあなたの神、主が彼らをあなたに渡して、これを撃たせられる時は、あなたは彼らを全く滅ぼさなければならない。彼らと何の契約もしてはならない。彼らに何のあわれみも示してはならない。
(申命記7章1〜2節)
ある町を攻撃しようとして、そこに近づくならば、まず、降伏を勧告しなさい。もしその町がそれを受諾し、城門を開くならば、その全住民を強制労働に服させ、あなたに仕えさせねばならない。しかし、もしも降伏せず、抗戦するならば、町を包囲しなさい。あなたの神、主はその町をあなたの手に渡されるから、あなたは男子をことごとく剣にかけて撃たねばならない。だだし、女、子供、家畜、および町にあるものすべてあなたのぶんどり品として奪い取ることができる。あなたは、あなたの神、主が与えられた敵のぶんどり品を自由に用いることができる。このようになしうるのは、遠くはなれた町々に対してであって、次に挙げる国々に属する町々に対してではない。あなたの神、主が嗣業として与えられる諸国民の民に属する町々で息のある者は、一人も生かしておいてはならない。ヘト人、アモリ人、カナン人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人は、あなたの神、主が命じられたように必ず滅ぼし尽くさねばならない。
(申命記20章10〜17節)
七度目に、祭司が角笛を吹き鳴らすと、ヨシュアは民に命じた。「ときの声をあげよ。主はあなたたちにこの町をあたえられた。町とそのなかにあるものはことごとく滅ぼしつくして主にささげよ。(中略)金、銀、銅器、鉄器はすべて主に捧げる聖なるものであるから、主の宝物蔵に収めよ。角笛が鳴り渡ると、民はときの声をあげた。民が角笛を聞いて、一斉にときの声をあげると、城壁が崩れ落ち、民はそれぞれ、その場から町に突入し、この町を占領した。彼らは、男も女も、若者も老人も、また牛、羊、ろばに至るまで町にあるものはことごとく剣にかけて滅ぼしつくした。
(ヨシュア記6章16〜21節)
主はヨシュアに言われた。「おそれてはならない。おののいてはならない。全軍隊を引き連れてアイに攻め上りなさい。アイの王も民も周辺の土地もあなたの手に渡す。(中略)その日の敵の死者は男女合わせて一万二千人、アイの全住民であった。ヨシュアはアイの住民をことごとく滅ぼし尽くすまで投げ槍を差し伸べた手を引っ込めなかった。
(ヨシュア記8章1〜26節)
ヨシュアは命じた。「洞穴の入り口を開け、あの五人の王たちを洞穴からわたしたちの前に引き出せ。」彼らはそのとおりにし、エルサレム、ヘブロン、ヤルムト、ラキシュ、エグロンの五人の王を洞穴から引き出した。五人の王がヨシュアの前に引き出されると、ヨシュアはイスラエルのすべての人々を呼び寄せ、彼らと共に戦った兵士の指揮官たちに、「ここに来て彼らの首を踏みつけよ」と命じた。彼らは来て、王たちの首を踏みつけた。ヨシュアは言った。「恐れてはならない。おののいてはならない。強く雄々しくあれ。あなたたちが戦う敵に対しては主はこのようになさるのである。」ヨシュアはその後、彼らを打ち殺し、五本の木にかけ、夕方までさらしておいた。
(ヨシュア記10章22〜26節)
ヨシュアは全イスラエルを率いてマケダからリブナへ向かい、これを攻撃した。主がこの町も王もイスラエルの手に渡されたので、剣を持って町を撃ち、その住民を一人も残さなかった。(中略)主がラキシュをイスラエルの手に渡されたので、二日目には占領し、剣を持って町の住民を全て撃ち、リブナと全く同じようにした。(中略)ヨシュアは全イスラエルを率いてラキシュから更にエグロンへ向かい、陣を敷いてこれと戦い、その日のうちに占領し、剣を持って町を撃ち、全住民をその日のうちに滅ぼし尽くし、ラキシュと同じようにした。(中略)ヨシュアはさらに、全イスラエルを率いてエグロンからヘブロンへ上り、これと戦って、占領し、剣をもって王と町全体を撃ち、全住民を一人も残さず、エグロンと同じようにした。かれはその町とその全住民を滅ぼし尽くした。(中略)ヨシュアは、山地、ネゲブ、シェフェラ、傾斜地を含む全域を征服し、その王たちを一人も残さず、息のある者をことごとく滅ぼし尽くした。イスラエルの神、主の命じられたとおりであった。(中略)ヨシュアがただの一回の出撃でこれらの地域を占領し、すべての王を捕えることが出来たのは、イスラエルの神、主がイスラエルのために戦われたからである。(中略)これらの町々のぶんどり品と家畜はことごとく、イスラエルの人々が自分たちのために奪い取った。彼らはしかし、人間をことごとく剣にかけて撃って滅ぼし去り、息のある者は一人も残さなかった。主がそのしもべモーセに命じられたとおり、モーセはヨシュアに命じ、ヨシュアはそのとおりにした。主がモーセに命じられたことで行わなかったことは何一つなかった。
(ヨシュア記10章29節〜11章15節)
神はモーセとヨシュアに殺人と略奪を命令し、モーセとヨシュアがその命令に従順にしたがって、殺人と略奪をおこなったことが、ここには誇らしげに記録されています。これらの例は、キリスト教とユダヤ教の聖典であり、また「神の言葉」として現在も多くの信者に崇められている、「永遠のベストセラー」聖書の神の殺人命令のほんの一部にすぎません。
現代のクリスチャン
このような聖書における神の殺人命令は、現代のクリスチャンに少なからぬ困惑をもたらします。そこで、あるクリスチャンはつぎのような正当化を試みます。
モーゼの時代には、戦争をして相手を殺さねばイスラエル人が殺される状況だったのである。
このクリスチャンは聖書を自分の目で読まれたことがないのかもしれません。出エジプト記や申命記やヨシュア記や民数記を読めば明らかなように、そもそも、先住民カナンの人々の土地を、「神がわれわれの先祖にに与えると約束してくださった土地」などという手前勝手な理由で侵略したのは聖書の神の命令にしたがった「神の民、イスラエル」だったのであり、自己防衛を強いられたのはイスラエル人に侵略されたカナンの地の人々だったというのが、繰り返し繰り返し語られている聖書の記述だからです。
それに加えて、たとえば、つぎのような記述をみれば、聖書の神の殺人命令が自己防衛などではなかったことは、あまりにもあきらかと言わねばなりません。
モーセは、戦いを終えて帰還した軍の指揮官たち、千人隊長、百人隊長に向かって怒り、かれらにこう言った。「女たちを皆、生かしておいたのか。ペオルの事件は、この女たちがバラムにそそのかされ、イスラエルの人々をヤーヴェに背かせて引き起こしたもので、そのためにヤーヴェの共同体に災いが下ったではないか。直ちに、子供たちのうち、男の子は皆、殺せ。男と寝て男を知っている女も皆、殺せ。女のうち、まだ男と寝ず、男を知らない娘は、あなたたちのために生かしておくがよい。」
(民数記 31章14〜18節)
このペオルの事件というのは、モーセに率いられたイスラエル人たちがシティムという所に滞在していたとき、その土地のミディアン人の女性たちが、イスラエルの民たちを食事に招いて、その地方の宗教であったバアル神を拝む儀式に参加させたことに端を発しています。イスラエル人がこのようにして他宗教の神を拝んだので、聖書の神ヤーウェは怒り、モーセに対して、イスラエルの「民の長たちをことごとく捕らえ、主の御前で彼らを処刑にし、白日の下にさらしなさい」と命じ、モーセは裁判人に対して、「おのおの、自分の配下で、ペオルのバアルを慕ったものを殺しなさい」という厳しい粛正を命じのです。この粛正事件で、2万4千人のイスラエル人が処刑されたと記録されていますが、それが、ペオルの事件でした。(民数記25章)
このため、イスラエルの神ヤーヴェは、モーセに次のように命令します。「ミディアン人を襲い、彼らを撃ちなさい。彼らは、おまえたちを巧みに惑わして襲い、ペオルの事件を引き起こした」からだ。この神の命令に従って、モーセが、「あなたたちの中から、戦いのために人を出して武装させなさい。ミディアン人を襲い、ミディアン人に対してヤーヴェのために報復するのだ」(民数記31章1〜3節)、と命令して起きたのが、この戦争だったのです。
昔も今と同じように、軍隊というものは女や子供を殺すことには躊躇したのでしょうか、モーセの軍隊は女や子供は殺さないで帰ってきたのです。ところが、そのために、「女たちを皆、生かしておいたのか」とモーセは大変怒ったのです。それで、「男と寝ず、男を知らない女」は自分たちのために捕虜にし、他はすべて、女も子供も殺せ、と再命令したのでした。
そして、最後に分捕り品が山分けされます。
モーセと祭司エルアザルは主がモーセに命じられたとおりにした。分捕ったもの、すなわち兵士が略奪したものの残りは、羊六十七万五千匹、牛七万二千頭、ろば六万一千頭、人は、男と寝ず、男を知らない女が全部で三万二千人であった。戦いに出た者の分け前は、その半数であって、羊の数は三十三万七千五百匹、その羊のうち、主にささげる分は六百七十五匹、・・・人は一万六千人、そのうち主にささげる分は三十二人であった。・・・部隊の指揮官である千人隊長、百人隊長がモーセの前に進み出て、言った。「・・・わたしたちは、めいめいで手に入れた腕飾り、腕輪、指輪、耳輪、首飾りなど金の飾り物を捧げ物として主にささげ、主の御前に、わたしたち自身のあがないの儀式をしたいのです。」モーセと祭司エルアザルは、彼らから金の飾り物をすべて受け取った。それらはよく細工されたものであった。・・・モーセと祭司エルアザルは、千人隊長と百人隊長から金を受け取り、臨在の幕屋に携えて行って、主の御前に、イスラエルの人々のための記念とした。
(民数記31章31〜54節)
このような戦争は、生存のための自衛の戦争ではなく、宗教的情熱によって正当化された宗教戦争であり、強欲な略奪戦争としか考えられません。
キリスト教史
このように、キリスト教の聖典である聖書の神自身が殺人や戦争や略奪を命令するのですから、キリスト教史において、いかに殺人や戦争や侵略が宗教的に容易に正当化されてきたかを知っても、驚くには値しません。十字軍戦争はもとより、ローマ法皇が、当時の強国ポルトガルとスペインに対して世界を二分することを許したことはよく知られている事実です。南米大陸で、東側(ブラジル)がポルトガル言語圏となり、西側(ブラジル以外の国)がスペイン言語圏としておさまっているのは、そのためです。
また、北米大陸へ移住してきたピューリタンたちは、先住民たるアメリカン・インディアンたちを虐殺して、合衆国を建設してゆく過程のなかで、しばしば自分たちをモーセやヨシュアに率いられてカナンに侵入していったイスラエル人になぞらえて、自分たちをあたらしい神の選民「新イスラエル人」と自称して、新国家建設(先住民文明壊滅)にいそしんだのでした。
管理人注:今のアメリカ合衆国でインディアンに関連した州は以下の通りである。
ALABAMA 現地のアメリカインディアンの部族の名から
ARIZONA 現地のアメリカインディアン語で小さな泉の意
ARKANSAS 現地のアメリカインディアンの部族の名から
CONNECTICUT 現地のアメリカインディアン語で長い川の意
IDAHO 現地のアメリカインディアンの部族の名から
ILLINOIS 現地のアメリカインディアン語で人の意
IOWA 現地のアメリカインディアン部族の名から
INDIANA インディアンの土地の名
KANSAS 現地のアメリカインディアン部族の名から
KENTUCKY 現地のアメリカンインディアン語で平原の意
MASSACHUSETTS 現地のアメリカインディアン語で大きな丘の意
MICHIGAN 現地のアメリカインディアン語で大きな湖の意
MINNESOTA 現地のアメリカインディアン語で空色の川の意
MISSISSIPPI 現地のアメリカインディアン語で大きな川の意
MISSOURI 現地のアメリカインディアン語で大きなカヌーをもった人たちの意
NEBRASKA 現地のアメリカインディアン語で浅い川の意
OHIO 現地のアメリカインディアン語で素晴らしい川の意
OKLAHOMA 現地のアメリカインディアン語で赤い人々の意の部族の名から
OREGON 現地のアメリカインディアンの部族の名から
TENNESSEE 現地のアメリカインディアンの村の名から
TEXAS 現地のアメリカインディアン語でアパッチ族に対抗する名・同盟者
UTAH 現地のアメリカインディアン語で山の住民の意
主はわたしたちの神であり、主の民であるわたしたちのなかに臨在されることを喜ばれ、わたしたちの行く手に祝福を与えられるのだから、今まで以上にわたしたちは主の知恵と力と善と真理を見るであろう。わたしたちのうちの十人が、千人もの敵を相手にすることが出来るのを見るとき、また、わたしたちの植民地の成功を見て人々が「主よ、ニューイングランドのようにして下さい」と賛美と栄光を表白するようになるとき、わたしたちはイスラエルの神がわたしたちのなかに臨在されることを見いだすであろう。なぜなら、わたしたちは「丘の上の町」だからだ。全世界の人々の目がわたしたちに注がれていて、もし始められたこの仕事に関してわたしたちの神に不忠実であれば、神はわたしたちから去ってしまわれるのであり、わたしたちの物語は世界中に言葉によって知られるようになるからなのだ。
(ジョン・ウインスロップ、マサチューセッツ・ベイ植民地の初代総督)
わずか十人で千人の敵(先住民)をやっつけることができるとき、神が自分たちの中に臨済していることがわかるであろう、そこに、「主の知恵と力と善と真理」を見るであろう、というわけです。アメリカ合衆国の国造り(先住民文明壊滅)の始まりです。
キリスト教史における頻繁な宗教殺人や宗教戦争は、しばしば、「本来のキリスト教の教えに背いて行われた」などと、言い訳がなされますが、キリスト教の聖典である聖書の神自身が殺人や戦争を命令するのですから、それはおかしいと言うべきでしょう。キリスト教史における頻繁な宗教殺人や宗教戦争は、聖書の教えに背くどころか、むしろ聖書の教えに忠実であったがゆえになされたと考えられるからです。
[世界の悪は]、 我々が、それに全力で反対するよう、聖書と主イエスに命じられている。
(ロナルド・レーガン、米国大統領)
ベルゼブル
次の記事から大東社のフリーメーソンについて記事にしますが実はこのベルゼブブというのは七頭龍のことで33位階のグランドマスターがこの七頭龍と対峙し指示を仰ぐ構図がある。
原文・