2012/2/4

道徳の一部  住まい・インテリア

アドルノが言っているように、
「まちがった生活を、正しく生きることはできない」のだよねぇ。

サイードが引用しているアドルノの言葉は更に印象的で絶望的だ。

「家は過去のものになった。・・・こうしたもののうちで実際に最善の態度とは、
 いまもなお、とらわれないこと、宙吊り状態をまっとうすることのように
 思われる。・・・自分の家でくつろがないことが道徳の一部なのである

おお。

しかしまあ、個人的には、
ナポリでマルガリータピッツァを食べることは道徳の一部だという
ジュリア・ロバーツの見解に賛成だ。

私は実際、国家や共同体や職場などでくつろぐことはありえないが、
自分のささやかな賃貸メゾネットでくつろぐことは、私にとって必要だ。

そうはいっても、最近、本当にいよいよ海辺のレトロなアパートに
引っ越そうかな、と決意を固めつつある。

その窓から見えるひたすら海と空だけの光景にひと目惚れしてから
二年半が経った。その間、二ヶ月ほど他の人が借りたようだが、
やはり、あの部屋は私のためにずっと空いたままになっている。

で、先日再度部屋を見に行った。
やはりいい。景色以外は最低といってもいいアパートだけど。
オーナーの趣味で小花の壁紙なんかが張ってある。
トイレなどは、ちょっとアメリの世界っぽい。
つまり、相当イッチャッテル感が否めない。
ああ。せめて、白い無地の壁紙にしてくれたなら。。。

海を眺める窓だけだったら、心は揺れなかっただろう。
その部屋にはベランダがあるのだ。

一年にほんの僅かしかないとわかっているけど
雲ひとつない、よく晴れた暑い午後や夕方に
あのベランダで海を眺めながらビールが飲めたら!

たぶん至福の時間だろう。
その短い時間のために、私は今のこの住み心地のいい部屋を
離れようとさえしている。

実際、私は部屋でくつろいでいるわけだけど、
あの”眺めのいい部屋”では、いかにダサい部屋を
居心地よく出来るかという緊張感が新たに始まるのだろう。

アドルノの宙吊りとは全く違う意味での宙吊りが待っている。




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2012/2/3

蛇の本当の気持ち  ペット

ジョーとの生活がもう少しで4年になる。
これまでのジョーとの暮らしでは、本当に驚かされることが多かった。
私が心の中で思っただけのことを、ジョーが正確に瞬間に察知していることは
その最大のものだといっていい。

例えば、私が机に向かって仕事をしているときには、
すぐ後ろのソファやハウスや別室の寝室で眠っているのに、
ちょっと一息入れようと心の中で思った瞬間に、本当にその瞬間に
ジョーがシッポを振りながら駆け寄って来る時には、
なんともいえない不思議な気持ちになっていたりしたのだ。

ところが、私のこの経験と全く同じことを書いている人がいた。
ハリウッドの映画プロデューサー、J.アレン.ブーンである。
彼はハリウッドスターのジャーマンシェパードと暮らすなかで、
犬が人間の心をテレパシーのようなもので理解していると述べている。
それは、私と同じ経験を通して達した結論だ。

もちろん、優秀で訓練を積んだシェパードのコミュニケーション力は
ただ駆け寄って来るだけでなく、散歩に必要なセーターやジーンズや靴やステッキを
足元にすべて持ってくるといった卓越したものでもある。

でも、そんなハリウッドスターのシェパードに、
私のジョーが劣っているとも思わない。
犬は飼い主にとって必要十分なコミュニケーション能力を発揮してくれる。

いや、近頃では「犬と飼い主」という関係というよりは、
本当に相棒のような気がしている。

アレン・ブーンは、犬だけでなく、スカンクやアリやハエとまで
コミュニケーションを可能にしている。
いやはや、本当に恐れ入る。
そして、このブーンは、もとは新聞記者でひとかどの成功を収めた後
映画の脚本家やプロデューサーになった経歴があり、
陳腐な夢想家というわけでもないのである。

でもまあ、私も実はブーンほどではないにしろ、
動物には人間以上の敬意を払っているといっても過言ではない。
人間に評価されるより、動物に信頼される人間になりたいと常々思っている。

ガラガラ蛇が襲うのは白人だけで、先住民を襲うことはない。
白人が襲われるのは、彼らが蛇に対して抱いている強烈な憎悪と恐怖の
正確な投影なのだという。

さもありなむ。
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2012/1/18

ホットワイン  料理・酒

もうずっと昔から気になっていたものがある。

『アメリ』に出てくるガラスの骨のおじいさんがアメリに
「ひどい顔をしている。さあ、ホットワインを飲みなさい。 
 シナモンも入れてある。」
という、あのホットワインである。
ううむ。ワインを温め、シナモンまで入れるのか。


先日スーパーでアップルワインなるものが売られていて、
お好みでシナモンとレモンのスライスを入れてお楽しみください、とある。

即座に買った。

そしてシナモンとレモンスライスを入れた。
ううむ。まあまあじゃないですか。

とびきりおいしいというわけでもないが、
なんだか、ほっこりした気分になるじゃないですか。

そういうわけで、なんとなくプチハッピーな気分。

やはり寒くなると、ビールは飲みたくない。
と同時にこれまでのスパークリングなワインではなくて
ポリフェノールたっぷりの赤ワインを飲みたくなり、
このところは、ずっと赤ワインである。

ワンコインワインしか飲まないと決めているけど、
これまた北海道にしかないワインなんだけど、とてもおいしい。

そんな小さなしあわせの集積が、
いつのまにか大きなしあわせに繋がるものかもしれない。




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2012/1/17

貧困の格差  

昔、日本がバブルで沸いていた頃、
フランシス・コッポラの「アウトサイダー」を観た。

アメリカのスラム街の若者と富裕層の若者を描いた
現代のロミオとジュリエット、というふれこみだった。

当時のアメリカの最貧困層が住むあばら家、というのを見て驚いた。
バブルで沸いていた日本の成城のお屋敷でもあれほど大きな家はなかった。
あれが貧乏人と蔑まれ罵られる人々家か・・・とため息をついた。

預金残高が17ドルで3人の子持ちのシングルマザー、エリン・ブロコビッチが
住んでいた家は、明るい日差しが差し込むこぎれいな家で
緑の生垣に囲まれた芝生の庭ではバーベキューができ、
隣家との十分なスペースがあり、洒落たポーチまであった。
確かにゴキブリは出ていたけれど。
「こんな家で子どもを育てたくない!」と彼女は叫んでいた。

でも、年収一千万円を越える所得者でも日本では、
あれほどの恵まれた環境の家は珍しいだろう。
いやもう、私は彼女のあの家に住みたいよ。

そうではあっても、「マイ・レフト・フット」で描かれる
アイルランドの貧困層は、ひとつのベッドに成人した男の兄弟3人が
眠るほどすさまじい。


なんだかねぇ。
現在の世界的な格差社会というのも、すでに歴然とした圧倒的な格差の
時代の後に、小さなパイの取り合いをしているだけにすぎない。

私が望むのは、本当にささやかなものなのだと改めて思う。


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2012/1/17

愚かな年中行事  

毎年恒例の、センター入試ネタ。

毎年同じことを思い、同じことを書いているのだけど、
こんなにも早く一年が過ぎていることにも驚愕するわけなのである。

今や独立行政法人になったのだろうが、かつての国立大学の教員などは、
こんな愚かな入試制度の試験監督なんて、大学教員がするもんじゃない、と
思っているのだろう。センター入試のリハーサルなんてしていないだろうし、
マニュアルさえ読んでいないだろうと推測する。

で、このたびのシャレにならない大失態を招いているのだが、
そもそも、センター入試じたいに大反対なので、今年のセンター入試の
試験問題配布間違いだとか、ICレコーダーの遅配など、小さなことだとさえ思える。

翻って、底辺大学などでは、こういう愚かな制度であっても、それに異議など
唱えられないし、私以外にはこういう制度に疑問すら持っていないし、
その制度を忠実にぬかりなく遂行することが任務だと思っている。

それはまあ、もうこういう状況ではいたしかたないことだ。
せめて、ホントになんのミスもなく滞りなく終わってほしいだけだ。
もう今では、それくらいしか望めないのだから。

それにしても、ホントにリスニング試験の廃止を心から望む。
大学入試にリスニングなんて必要かね?
意味がないよ。

なんで日本の入試に英語のリスニングが必要なのか。
英検でもTOEICでもTOEFLでもやってるのだから、そちらにまかせればいいだろうに。
なんで大学入試にまで必要なのか。
そのために、どれだけ無意味な予算と対策が必要になっているか。

ICプレーヤーの業者が儲かるためか?
あのリスニング試験を解説するダサイDVDの製作会社が儲かるためか?
そこに出演する売れない劇団員の時給のためか?
天下りの官僚たちのポストが必要なのか?

リスニング最中に鼻血を出したり、貧乏ゆすりをしたり、嘔吐したり
した場合にはどう対処すればいいのか、なんて、大真面目にやっているのだよ。

松尾スズキに是非観てもらいたい。
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2012/1/11

しあわせのかけら  

年末からの原稿がようやく終わり、一段落。
でも、例年よく飽きもせず同じことを繰り返している。

去年は、生まれて始めて一年間小さな家計簿を記録した。
そう。「生まれて始めて」なのである。
一年間欠かさず続けられたということは、私にとっては驚異である。

そこで、今年からは、本当に今年からは
毎日原稿を1〜3枚ずつ書くことにしよう。

いつも締め切り一週間前でもダラダラし、
一日か二日だけジタバタする慣習は、もうやめよう。
本当に今年こそ。

毎日コツコツ、というのを、若い頃からつい最近に至るまで
ひどく敬遠していた。というか、軽蔑さえしていた。
中学生時代、マジメだった自分がとってもダサく思え、
高校時代は受験勉強などせずに、
バスケ部の貴公子(当時とう呼ばれていた)とつきあい、
彼の部活が終わるまで、図書館でスタンダールや萩原朔太郎を読んでいた。

って、それも今思うとダサダサなわけですが、
それでも当時は受験校のなかで、とっても逸脱していたと自負していたのだ。

しかも、スタンダールって。
どうして、ジュネとかじゃなかったのかが悔やまれるよ。

おまけに高校2年生のとき、母親の希望をかなえたいと一瞬思い立ち、
音楽大学を受験するとか言って、数ヶ月だけ音大受験に体制を整えた。
それというのも、小学生のときにピアノコンクールで優勝なんかしていたからだ。
しかも、そのコンクールでは絶対優勝なぞしないと思って演奏が終わって家に帰り、
翌日、優勝していたことを知り、優勝の楯をもらったという
生涯であとにもさきにもないような栄誉の瞬間を逃していたのだ。

高校時代の音大受験体制とは、数学は0点でもいい、というものだった。
ソルフェージュと声楽の先生をつけてもらい、音大の夏期講習にも通った。

楽理ではいつもトップだったが、声楽の先生が禿げた小さな
オジサンで、それがもういやでいやで、それだけで音大受験は辞めることにした。
ハゲは別に嫌いではない。小さなオジサンがいやだったんだろうか。
そうではない。単にパーソナリティだったのだと思う。

今ふりかえると、ここまでで、十分な逸脱だった。

そんな怠惰な高校生活で、受験勉強など一ミリもしなかったのだが、
大学には浪人もせず合格し、大学院まで出て研究者になってしまった。

その間、ずっと逸脱を心がけていたため、
すでに軌道に乗ることが出来なくなってしまった。
常に受験日や締め切りまえにジタバタしたり
オタオタしたりして生きてきたのだ。
バカなふりをしていたら、本当にバカになってしまったのだ。

ああ。もったいない。

そういう怠惰な生活を改めるときが来たのだろう。
なにしろ、もう徹夜とかしたくないからね。

そして、例年、日本での自殺者が年間3万人を超えているという。
17分間に一人以上が自殺している。

私がどんなに辛い状況にあっても、自殺だけはしないと決めたのは
「自殺した人間は、死んだら公務員になる」
とティム・バートンの映画で観たからだ。
って、公務員の方々にはシツレイだけど。

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タグ: 規律権力

2012/1/5

2012年初詣  日記

多くの人で賑わう「ご利益」がありそうな神社ではなく、
ひっそりと誰も行かないようなところに行くのが好きである。

毎年1月1日に行っていたが、今年は2日に行った。
いつも初詣をする日は雪が積もっている。
1日にいけば、雪はなかっただろう。

小さな祠までは急な坂である。
坂の入り口にあった古い鳥居は数年前の台風で倒れたのが
根元から切り倒され、新たに立て直されることもなく、
そのままであるところもいい。

坂を上りきると小さな祠があり、
日本酒と水とみかんが備えてあった。
今年は小さな雪だるまもあった。

帰り道の急な下り坂も趣がある。




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2012/1/5

黒ラブ  

年末に赤ちゃんワンコを一日だけ預かった。
生まれたてのラブラドールと北海道犬のミックスである。

赤ちゃんながら堂々としたもので、
迎えたジョーの方が興奮したりオロオロしたり。
水でふやかしたフードを手のひらから食べさせると
勢いよくガツガツ食べ、
食べ終わるとピャーピャー泣くので、
トイレに置くとそこでちゃんと排泄をする。
排泄が終わると丸くなって眠ってしまう。

眠っている赤ちゃんワンコをソファの上から
眺めるジョーのまなざしがなんともいえない。
すぐにソファから降りて、赤ちゃんのそばにいき、
しばらくじっと眺め、やがて自分も一緒に眠り込む。

赤ちゃんが目覚めると、ジョーもすぐに起きて、
匂いを嗅いだりかまったりする。

翌朝、眠りこけている二匹のワンコに
「さあ、起きよっか」と声をかけると、
二匹ともパっと目覚める。
ジョーはいつものことだと思えるけれど、
はじめて来たこの赤ちゃんワンコも
ジョーと同じようにぱっと目覚めてお座りをし、
青い瞳でじっとみつめてくるのには、正直まいった。
さすがにラブラドールと北海道犬のミックスという
将来が楽しみなワンコなのである。

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2011/12/31

かろうじて残余するもの  

「数ある自由のなかでも第一のものは、すべてを言う自由である」
と言ったのは、デリダらしい。

デリダはprofessionの語源「公的に語ること」にさかのぼり、
教師(professeur)の職務をある種の信仰告白(profession de foi)だとする。

政治的、法的、経済的な力が大学を我有化しようとする場合、
これらに創造的に抵抗する力としてかろうじて残余するともされる。
http://utcp.c.u-tokyo.ac.jp/from/blog/2008/03/post-62/

政治的、法的、経済的な力に、常に捻じ伏せられているのが今の大学だろうけれど、
信仰告白にも似た職務であるというところが、ひどくブラックで笑いさえ誘わない。

批判ではなくて、私はこのシンポジウムには、非常に深い感動を覚えたのである。
哲学や文学が、現在も未来にとってもどれほど重要であるかを再確認したからだ。

そしてなにしろ、鵜飼さんの常に闘い続ける姿勢には畏敬の念を抱いてやまない。
沖縄のアルタ前で路上に座り込みながら、基地の問題を語る姿には胸が熱くなった。
それでいていつも穏やかで謙虚なたたずまい。
第一線の研究と教育と活動が分かちがたく結びついている。
行学一如とは、このような人の実践だろう。

一方でネットの普及は、全く知性のない悪質な発言の機会も増大させた。
稚拙で卑劣な揶揄の暴言に怯むことなく、今後も力強くいてほしいと願う。

それにしても「忘却が次の虐殺を準備する」といった韓国の詩人とは、いったい誰なのか。
岡真理さんに教えてほしい。




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2011/11/18

Spanish apartment  

「スパニッシュ アパートメント」は、ヨーロッパの各地から集まった留学生たちが、
スペイン・バルセロナのアパートで共同生活をするという
他愛ない青春映画なのだけど、これがなかなか興味深いテーマに散りばめられている。

フランスからの留学生は、大学の講義がカタロニア語なので、理解できない。
講義は”世界的資本主義”について語ろうというものだ。
「標準スペイン語ならわかりますが、エラスムスの学生にはカタロニア語は理解出来ません。」
エラスムスというのは、EUの留学制度の名称で、16世紀のオランダの神学者からきている。

教授の対応も社会言語学的、植民地主義的問題を象徴している。

「君たちの立場は理解している。。しかし、君たちも私を理解することが必要だ。
カタロニア地方の公用語はカタロニア語だ。スペイン語は多くの学生が理解できない。
標準スペイン語を使いたいなら、マドリードか南米に行きたまえ。」

標準スペイン語に「カスティリャ語」とルビをふっている字幕も
ありきたりな翻訳者とは思えない。

スペインでもバルセロナとマドリードでは、公用語も違うほど
文化も多様なのだ、というのが、さらっと描かれている。
でも、南米でだって、標準スペイン語が話されているとは
考えにくいわけだけど。

「EU統合したのに、バルセロナでカスティリャ語が通じないなんておかしい」
というイサベルは、ベルギーのゲイの女性である。
ベルギーの複雑な言語事情やアイデンティティーについて語るのは
主人公グザヴィエの方で、イサベルはあまり意識していない。

講義を終えて、EU統合後のアイデンティティーについて学生たちは議論する。
「スペインはフラメンコだけじゃない。君たちはフランス人で火星人じゃないんだよ」
なんていうスペイン人のユーモアがいい。

フランス人精神科医の妻アンヌ=ソフィは、バルセロナは臭くて汚い街で、
第三世界のような場所が多いとグザヴィエにもらす。

グザヴィエは、「パリも同じさ。知らないだろうけど。」といい、
「バルセロナが汚い街だというのは、人種差別主義の発想だ」と淡々という。

アンヌ=ソフィは、すぐに謝る。
「私は抑圧されてるのかしら」

イサベルに手ほどきされたグザヴィエはアンヌ=ソフィと情事を重ねるが、
彼がホントに愛しているのはパリに残してきた恋人である。
この恋人は、「アメリ」のオドレィ・トトウなんだけど、あまり魅力的ではない。
(続編「ロシアンドールズ」では、グローバリゼーションに反対するポルト・アレグレの
 国際フォーラムに参加するシングルマザーになったりしているけど)

アメリのオドレィはホントにかわいくて、あのワカメちゃんカットでなければ
本物の美人だろうと思っていたのだが、彼女は普通の髪型にすると、
とたんにそれほど魅力的ではなくなる。
「ダ・ヴィンチコード」でもぱっとしなかった。不思議だ。

スペイン留学を終えたグザヴィエは将来を約束されたEUでの官僚ポストを得るが、
その初日で官僚職に嫌気がさし、辞める。
昔からの夢だった作家を目指して離陸するという結末だ。

この映画が単なる青春映画としても楽しめる一方、私にとってはある種の奥行きを
感じるのは、グローバリゼーションに抵抗するヨーロッパ、特にフランスの姿勢には
ちょっとだけ共感するからかもしれない。もちろんフランス国内における
移民排斥主義やマイノリティ抑圧もおおいに問題はあるだろうけれど。

それにしても、この映画の登場人物のファッションのダサさには
目を見張るものがある。特にアンヌ=ソフィやグザヴィエのイケてなさは
映画として許されるんだろうか、という域である。
EUの官僚たちのスーツのダサさは仕方ないとしても。
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