2010/2/8
雪の海辺
凍てつく寒さの中で光る海辺はなんだか感動的だ。
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2010/2/5
ノイズを省かないとすれば 日記
いちおう授業も試験も終り、あとはレポートや答案の採点をする。
消耗する会議や教授会も、どうということはない。
多様な価値観の共存は、どんな小さな組織でも意識せざるを得ないことだ。
ああ。あんなふうに生きていたくないなぁ、と心の中でこっそり思う。
アノヒトはいったい何が楽しくて人生を過ごしているんだろ。
あさっては、子どもがヨーロッパへのひとり旅に発つ。
最初はイギリスのヒースロー空港。そしてベルギーへ。それからオランダ、
チェコやイタリアやドイツやスペインやポルトガル、フランスと
ひと月、放浪の旅を満喫するらしい。
羨ましいねぇ。
先日は韓国からの研究者の友人が来て、ひとときの時間を過ごした。
来月にはカナダ人の英会話のマンツーマン講師が大学院に入るため、帰るという。
春は移動の時期である。
心の底から願うことは、暖かいところで、海辺でも川辺でも、森でも湖でも
自然が溢れるところで、風が心地いいところで、
ジョーやサルーキと一緒に、のんびり過ごすこと。
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消耗する会議や教授会も、どうということはない。
多様な価値観の共存は、どんな小さな組織でも意識せざるを得ないことだ。
ああ。あんなふうに生きていたくないなぁ、と心の中でこっそり思う。
アノヒトはいったい何が楽しくて人生を過ごしているんだろ。
あさっては、子どもがヨーロッパへのひとり旅に発つ。
最初はイギリスのヒースロー空港。そしてベルギーへ。それからオランダ、
チェコやイタリアやドイツやスペインやポルトガル、フランスと
ひと月、放浪の旅を満喫するらしい。
羨ましいねぇ。
先日は韓国からの研究者の友人が来て、ひとときの時間を過ごした。
来月にはカナダ人の英会話のマンツーマン講師が大学院に入るため、帰るという。
春は移動の時期である。
心の底から願うことは、暖かいところで、海辺でも川辺でも、森でも湖でも
自然が溢れるところで、風が心地いいところで、
ジョーやサルーキと一緒に、のんびり過ごすこと。
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2010/2/1
AVATAR 映画
正直、ストーリーはいただけないと思っていたけど、
3Dで非日常的な浮遊感を味わいたいという、ただそれだけで観に行った。
で、思っていた以上に、ストーリーは単純で典型的。
「猿の惑星」とか「ポカホンタス」チックな、
白人男と「未開人」の女のラブストーリー。
略奪と破壊と虐殺を躊躇することなく進めるアメリカ資本主義と軍隊。
その悪辣さと陳腐さが、現実そのものだという痛烈な揶揄なのだが、
現にアメリカの保守派が結構反応してるというアバター周辺の現象がオモシロイ。
間諜としてもぐりこむアバターが侵略に抵抗する側につく、という
ありがちなドラマは、それはそれでこの文脈では誰が見ても納得する。
アメリカの侵略は、どこからどうみても、どこにも正当化できるものではない。
ところで、宇宙の彼方のパンドラ先住民も
英語が話せるように教育されちゃっているという陳腐な設定には
やはり、娯楽映画としての限界があるのだろう。
英語が「国際語」だとか、世界「共通語」だとかで、
英語が話せることが、国際競争力に繋がると、
日本でもどこでも大変なことになっているけど、
宇宙の彼方まで英語が通じちゃうのだから、大変なことだ。
とはいえ、パンドラの美しさはなかなかだったし、空を飛ぶ爬虫類(名前を忘れた)と
絆を結んで空を翔るのは、魅力的だった。
とはいえ、「時が来れば、生涯連れそう」というその爬虫類との結びつきは
なんだか暴力的な主従関係のようにもとれる。
「ナウシカ」の風で飛ぶ飛行船の方が、地味だけど余計なことを考えなくて
美しいかもしれない。
「魂の木」の発想もすてきだし、天空の山もいいし、これまでの
様々な表象の集大成として楽しめることは確かである。
期待としては、空を翔るジェットコースター以上の浮遊感とかを
味わいたかったのだけど、そこが、ちょっと、いまひとつだったのが、ザンネンだった。
予告編の「不思議の国のアリス」の3Dの方が、なんだかもっと楽しめそうな予感がした。
でも、それにしても、3Dメガネ、大きすぎて重すぎ。
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3Dで非日常的な浮遊感を味わいたいという、ただそれだけで観に行った。
で、思っていた以上に、ストーリーは単純で典型的。
「猿の惑星」とか「ポカホンタス」チックな、
白人男と「未開人」の女のラブストーリー。
略奪と破壊と虐殺を躊躇することなく進めるアメリカ資本主義と軍隊。
その悪辣さと陳腐さが、現実そのものだという痛烈な揶揄なのだが、
現にアメリカの保守派が結構反応してるというアバター周辺の現象がオモシロイ。
間諜としてもぐりこむアバターが侵略に抵抗する側につく、という
ありがちなドラマは、それはそれでこの文脈では誰が見ても納得する。
アメリカの侵略は、どこからどうみても、どこにも正当化できるものではない。
ところで、宇宙の彼方のパンドラ先住民も
英語が話せるように教育されちゃっているという陳腐な設定には
やはり、娯楽映画としての限界があるのだろう。
英語が「国際語」だとか、世界「共通語」だとかで、
英語が話せることが、国際競争力に繋がると、
日本でもどこでも大変なことになっているけど、
宇宙の彼方まで英語が通じちゃうのだから、大変なことだ。
とはいえ、パンドラの美しさはなかなかだったし、空を飛ぶ爬虫類(名前を忘れた)と
絆を結んで空を翔るのは、魅力的だった。
とはいえ、「時が来れば、生涯連れそう」というその爬虫類との結びつきは
なんだか暴力的な主従関係のようにもとれる。
「ナウシカ」の風で飛ぶ飛行船の方が、地味だけど余計なことを考えなくて
美しいかもしれない。
「魂の木」の発想もすてきだし、天空の山もいいし、これまでの
様々な表象の集大成として楽しめることは確かである。
期待としては、空を翔るジェットコースター以上の浮遊感とかを
味わいたかったのだけど、そこが、ちょっと、いまひとつだったのが、ザンネンだった。
予告編の「不思議の国のアリス」の3Dの方が、なんだかもっと楽しめそうな予感がした。
でも、それにしても、3Dメガネ、大きすぎて重すぎ。
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2010/1/27
ショコラブルワリー 料理・酒
北海道では、とびきりおいしいチョコレートで知られるロイズと、
サッポロビールがコラボレートした「ショコラブルワリー」。
ああ。夢のようにおいしい。
チョコレートモルトとカカオニブの絶妙なブレンドなのです。
って、チョコレートモルトなんて、初めて知った次第。
恵比寿ビールでも黒ビールが好きである。
どことなく、このショコラブルワリーは、黒ビールっぽい。
ところで、黒ビールが好きな人は、あまりいないのかもしれないけど。
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サッポロビールがコラボレートした「ショコラブルワリー」。
ああ。夢のようにおいしい。
チョコレートモルトとカカオニブの絶妙なブレンドなのです。
って、チョコレートモルトなんて、初めて知った次第。
恵比寿ビールでも黒ビールが好きである。
どことなく、このショコラブルワリーは、黒ビールっぽい。
ところで、黒ビールが好きな人は、あまりいないのかもしれないけど。
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2010/1/24
BOLT 映画
虚構の世界を現実だと思い込んでいるボルトは、悪と戦うスーパードッグ。
番組セットの中だけが、彼の世界のすべて。
現実の世界と現実の自分を受け入れていくボルトのコミカルで感動的なプロセスは、
実は、私たちの世界そのものなのだろう。
ボルトは虚構であることを受け入れていくことが出来たが、
私たちの多くは、虚構の人生を現実だと思い込んだままかもしれない。
ボルトの「勘違い」は、分かりやすいが、私たちの世界の「勘違い」は
あまりにも大きすぎて、あまりにも複雑で、あまりにも強固で、
虚構であることがわからない。
虚構であることがわかった後も、その虚構の中で生き続けなければならないなら、
それはカリカチュアでしかない。
いや、そもそも虚構の外に「現実」なんてものは、はじめからない。
「男」とか「女」とか「人間」であることまでも含めて。
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番組セットの中だけが、彼の世界のすべて。
現実の世界と現実の自分を受け入れていくボルトのコミカルで感動的なプロセスは、
実は、私たちの世界そのものなのだろう。
ボルトは虚構であることを受け入れていくことが出来たが、
私たちの多くは、虚構の人生を現実だと思い込んだままかもしれない。
ボルトの「勘違い」は、分かりやすいが、私たちの世界の「勘違い」は
あまりにも大きすぎて、あまりにも複雑で、あまりにも強固で、
虚構であることがわからない。
虚構であることがわかった後も、その虚構の中で生き続けなければならないなら、
それはカリカチュアでしかない。
いや、そもそも虚構の外に「現実」なんてものは、はじめからない。
「男」とか「女」とか「人間」であることまでも含めて。
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2010/1/22
光ふたたび 日記
今日の午前中に、ADSLから光に戻った。
ふー。これで、ようやく普通のネット環境に戻った。
NTTが速い回線とやらを世に出すたびに、
実は新しい回線を速くしているのではなく、
今までの回線を遅くしているのではないかと常々疑っている。
それにしても、それまで当たり前だと思っていたことが
一度失われたことで、それまでの状況が、ものすごく恵まれたことなのだと
気づくわけなのである。
今にしてみれば、結構早い結婚をして、子どもも産んで、庭付きの家も買って、
というごく普通の人生を歩みながら、10年前の私は、これで人生が
決まってしまったのだ、という贅沢な不安や不満を抱えていた。
それを全て自ら手放してから10年が経ち、私が今、理想と思える人生は、
以前の生活そのものだったのだなぁと気がついたりする。
一度失われたものが再び戻ったときには、
その幸運な状況を、心の底からしみじみと感謝することができるだろう。
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ふー。これで、ようやく普通のネット環境に戻った。
NTTが速い回線とやらを世に出すたびに、
実は新しい回線を速くしているのではなく、
今までの回線を遅くしているのではないかと常々疑っている。
それにしても、それまで当たり前だと思っていたことが
一度失われたことで、それまでの状況が、ものすごく恵まれたことなのだと
気づくわけなのである。
今にしてみれば、結構早い結婚をして、子どもも産んで、庭付きの家も買って、
というごく普通の人生を歩みながら、10年前の私は、これで人生が
決まってしまったのだ、という贅沢な不安や不満を抱えていた。
それを全て自ら手放してから10年が経ち、私が今、理想と思える人生は、
以前の生活そのものだったのだなぁと気がついたりする。
一度失われたものが再び戻ったときには、
その幸運な状況を、心の底からしみじみと感謝することができるだろう。
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2010/1/20
狂詩曲
言われたことを、何の疑問も持たず、粛々と遂行できる人間だけが
センター入試をやればいい。
せめて、リスニング試験さえ廃止されれば、百歩も千歩も万歩も譲っていい。
こんなことに関わって何の疑問も持たない大学教員がいるとしたら、
その人はもう何かを考える人ではない。
多くは疑問や批判をかかえながら、しぶしぶ従っていると思いたい。
でも、もしそうではないとしたら。。。
この狂気の全体主義を支えるものは、
単に無知で非人間的な人々の愚行なのではなく、
権力に管理され支配されることを、
むしろ積極的に望む伝統的な気質なのだろうか。
そして、入試そのものも耐え難いことだが、さらに不愉快なことのおまけつきである。
税金なのか、受験生の受験料なのかわからないけれど、
センター入試費用として大学に配給される資金は、
どうも相当なもののようである。
入試に携わり、準備や当日二日間を肉体的にも精神的にも消耗した
教員や職員に賃金も支払われるようだが、そのうちの数十万円を、
全く無意味な「反省会」と称した飲み食いに費やしているのも実態だ。
センター入試業務にほとんど関わらない学長や学部長や事務長などが
その日だけ来て、飲み食いするのも、なんだか不愉快だ。
通常でも、奇妙なことに、イレギュラーな講義に対して
枠がないからという理由で、お金が支払われないのに、
会議費という枠で講義費の代わりに飲み食いにはお金が出るというのも、
なんだか納得いかない話だ。
学問・教育の場であるにもかかわらず。。。
人の金を使って飲み食いしたい人たちだらけなのだ。
飲み食いしたいなら、自分で払って行けばいいだけのこと。
同席などしたくもないおじさんたちと飲み食いするのは、苦痛なだけだ。
そんな宴会のためにセンター入試費用を充てるなら、二日間の業務の
日当を頭割りにして配給してほしい。そのうえで、飲み食いしたい人たちが
自分で金を出して自由に行けばいいだけの話である。
しかし、こういうことは、全国的にどこでも行われていることなのかねぇ。
そして、どこの大学でも教員もここまで事務的作業に動員されているのだろうか。
それとも、この大学だけなのだろうか。。
ここに、驚くべき大学の実態もあった。。
http://www.cypress.ne.jp/wakumi/kurenaihp/kurenai06/kurenai0629.html
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センター入試をやればいい。
せめて、リスニング試験さえ廃止されれば、百歩も千歩も万歩も譲っていい。
こんなことに関わって何の疑問も持たない大学教員がいるとしたら、
その人はもう何かを考える人ではない。
多くは疑問や批判をかかえながら、しぶしぶ従っていると思いたい。
でも、もしそうではないとしたら。。。
この狂気の全体主義を支えるものは、
単に無知で非人間的な人々の愚行なのではなく、
権力に管理され支配されることを、
むしろ積極的に望む伝統的な気質なのだろうか。
そして、入試そのものも耐え難いことだが、さらに不愉快なことのおまけつきである。
税金なのか、受験生の受験料なのかわからないけれど、
センター入試費用として大学に配給される資金は、
どうも相当なもののようである。
入試に携わり、準備や当日二日間を肉体的にも精神的にも消耗した
教員や職員に賃金も支払われるようだが、そのうちの数十万円を、
全く無意味な「反省会」と称した飲み食いに費やしているのも実態だ。
センター入試業務にほとんど関わらない学長や学部長や事務長などが
その日だけ来て、飲み食いするのも、なんだか不愉快だ。
通常でも、奇妙なことに、イレギュラーな講義に対して
枠がないからという理由で、お金が支払われないのに、
会議費という枠で講義費の代わりに飲み食いにはお金が出るというのも、
なんだか納得いかない話だ。
学問・教育の場であるにもかかわらず。。。
人の金を使って飲み食いしたい人たちだらけなのだ。
飲み食いしたいなら、自分で払って行けばいいだけのこと。
同席などしたくもないおじさんたちと飲み食いするのは、苦痛なだけだ。
そんな宴会のためにセンター入試費用を充てるなら、二日間の業務の
日当を頭割りにして配給してほしい。そのうえで、飲み食いしたい人たちが
自分で金を出して自由に行けばいいだけの話である。
しかし、こういうことは、全国的にどこでも行われていることなのかねぇ。
そして、どこの大学でも教員もここまで事務的作業に動員されているのだろうか。
それとも、この大学だけなのだろうか。。
ここに、驚くべき大学の実態もあった。。
http://www.cypress.ne.jp/wakumi/kurenaihp/kurenai06/kurenai0629.html
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2010/1/19
がんばらない人が好き 心と体
がんばってる人って、なんだか、どうしてだか、あまり好きになれない私。
好きで夢中で何かやってることが、結果としてスバラシイなら
それはそれでいいことだろうけども、
やりたくもないことを、ただひたすら、命をすり減らしてがんばる人は
見ていて悲しい。
特にそれが世間体とか、認証評価のためにしているのだとしたら、
もう、目も当てられないほど悲惨なのさ。
センター入試が、この世からなくなれば、それは最もスバラシイことに違いない。
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好きで夢中で何かやってることが、結果としてスバラシイなら
それはそれでいいことだろうけども、
やりたくもないことを、ただひたすら、命をすり減らしてがんばる人は
見ていて悲しい。
特にそれが世間体とか、認証評価のためにしているのだとしたら、
もう、目も当てられないほど悲惨なのさ。
センター入試が、この世からなくなれば、それは最もスバラシイことに違いない。
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2010/1/2
コルシカ島 日記
2010年の始まり。
今年もたくさんいいことが、あなたにあるように。
いつも。いつも。
年が明けてのジョーとの部屋での佇まい。
穏やかでなんともしあわせ。
年賀状の返信を投函しに、ポストまでジョーとお散歩。
ついでに、今年初めての海。
この世の果ての光景のような、海辺の廃墟。
アキ・カウリスマキの映画の一場面のような風景。
最近見かけた前田美波里の資生堂のCMのような暮らしが理想。
森のなかの一軒家。緑に溢れたウッドデッキで食事。
セピア色のワイマラナーとの森の散歩。ああ、いいな。
でも、ジョーとの海辺の散歩もいつだって、至福のとき。
いっそのこと、あの廃墟を改造して、などと一瞬考える。
謎の廃墟には、中庭があり、大きいガラス窓のサンテラスっぽいスペースとか、
古いバスタブもあった。
昔、誰かが私みたいなことを考えて、海を眺望する露天風呂を楽しんでいたのかな。


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今年もたくさんいいことが、あなたにあるように。
いつも。いつも。
年が明けてのジョーとの部屋での佇まい。
穏やかでなんともしあわせ。
年賀状の返信を投函しに、ポストまでジョーとお散歩。
ついでに、今年初めての海。
この世の果ての光景のような、海辺の廃墟。
アキ・カウリスマキの映画の一場面のような風景。
最近見かけた前田美波里の資生堂のCMのような暮らしが理想。
森のなかの一軒家。緑に溢れたウッドデッキで食事。
セピア色のワイマラナーとの森の散歩。ああ、いいな。
でも、ジョーとの海辺の散歩もいつだって、至福のとき。
いっそのこと、あの廃墟を改造して、などと一瞬考える。
謎の廃墟には、中庭があり、大きいガラス窓のサンテラスっぽいスペースとか、
古いバスタブもあった。
昔、誰かが私みたいなことを考えて、海を眺望する露天風呂を楽しんでいたのかな。



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2009/12/30
在住外国人の参政権 ニュース
「在日特権を許さない市民の会」とかいうのがあるらしい、のは知っていた。
最も悪質な右翼団体が、「市民」と称して民族差別主義を煽り、
卑劣な暴力行為を重ねているのだが、それが報道されないのも、
報道したメディアに脅迫行為が及ぶからである。
12月はじめの京都の朝鮮学校への襲撃は、記憶に新しい。
しかし、在特会のような外国人差別、とりわけ旧植民地出身者に対する
歴史認識の歪曲と、差別意識を放置し看過している国の政策や歴史教育は、
一般の人々の意識をも麻痺させている。
あまり新しいことではないが、北欧での外国人政策がどのようなものかを
少し調べてみたのだが、単なる政策要綱を読んでいただけで、涙が溢れてきた。
日本とは全く違う人権感覚。
もちろん、それは全世界的に行われた非人道的な様々な醜悪な歴史への
深い反省と、それを決して繰り返さない決意のもとに生まれたものだとわかる。
つまり、それは概ねヨーロッパの、長年に渡る血で血を洗う侵略の歴史がある
という事実ではある。
しかし、それに対する反省が、憎悪や殺戮の反復や増幅を繰り返さないための
深い叡智としてはぐくまれていること、これが日本とは全く違うのだと改めて思った。
自国の恥ずべき過去に対してそれを隠蔽し、隠蔽が出来なくなると、
正当化しようとし、正当化もできなくなると、他でもやっているだろうと開き直る。
どこまでも醜悪で卑劣で惨めな人間性を晒しているということに、無自覚なのである。
スウェーデンでは、外国人も3年以上の居住があれば、
地方自治体の参政権・被参政権を有する。
国民投票に対しては個別案件で、国政に関しては検討中であったが、
二重国籍取得により、どちらも可能になった。
二重国籍であれば、外国籍を有しながら、スウェーデンの市民権も持てる。
どちらかを自主的に放棄するまで、それは維持される。
どうして、二重国籍を認めるかといえば、
移住者がスウェーデンでのあらゆる市民的権利を行使できると共に、
将来的に本国に帰国する場合や、
本国の親戚や知人を訪ねることなどにも便利だからだという。
つまり、国や行政の便宜ではなく、ましてや治安の対象などではなく、
外国人であっても、その人にとって何がいちばん人間として自然で、
市民としての権利を行使できるか、ということで政策が決定されているのだ。
そして、5歳未満の児童に対して、本国の言葉や文化などを学ぶことや、
5歳以上の人々に対しても言語や本国の文化や教育を受ける権利が保証されている。
それは、5歳未満の児童は自分で出生国を選べなかったのだから、
本人が成長して、もしも本国への帰国を望んだとき、本国での言語・文化的障害を
少しでも緩和できるように、という、本当に人間本位の政策理念なのだ。
もちろん、本国へ帰ることを奨励しているのではなく、スウェーデンでの
速やかかつ円滑な居住が最優先されていることはいうまでもないが、
それだけでなく、どこまでも移住を余儀なくされた移住者たちの
選択肢を広げ、多様性に対応できることが最優先されている。
外国人でも自国民でも、等しく人間である、という本当に普遍的な理念があってこそ、
このような政策が遂行されているわけである。
もちろん、こうしたすべての政策に税金が使われており、それに対する不満も
あるのだろうが、スウェーデンの国民・市民はそのようなコストは、人間として
必要なものとして認めているので、維持されているのである。
朝鮮学校であっても、日本がスウェーデンのような普遍的人権の理念に立っていれば、
日本の学校と同等の権利が付与されているだろうし、むしろスウェーデンでは
優遇さえされているだろう。
参政権・被参政権の問題しかり。
しかし、石原のように朝鮮学校の立退きを知事の立場で訴訟を行うような日本。
民族の言葉や文化を学ぶことを奨励どころか、弾圧してきた日本。
在特会のような、破廉恥な連中の行為を黙認する日本。
それが、一部の心ない、無知な人間たちの行為であったとしても、
それを容認している政府やメディアや「国民」たちがいるということ。
その悪質な右翼団体に知識人も関与しているという不名誉な事実。
しかも、その学問的実証のいい加減さ。
看過することは出来ないものである。
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最も悪質な右翼団体が、「市民」と称して民族差別主義を煽り、
卑劣な暴力行為を重ねているのだが、それが報道されないのも、
報道したメディアに脅迫行為が及ぶからである。
12月はじめの京都の朝鮮学校への襲撃は、記憶に新しい。
しかし、在特会のような外国人差別、とりわけ旧植民地出身者に対する
歴史認識の歪曲と、差別意識を放置し看過している国の政策や歴史教育は、
一般の人々の意識をも麻痺させている。
あまり新しいことではないが、北欧での外国人政策がどのようなものかを
少し調べてみたのだが、単なる政策要綱を読んでいただけで、涙が溢れてきた。
日本とは全く違う人権感覚。
もちろん、それは全世界的に行われた非人道的な様々な醜悪な歴史への
深い反省と、それを決して繰り返さない決意のもとに生まれたものだとわかる。
つまり、それは概ねヨーロッパの、長年に渡る血で血を洗う侵略の歴史がある
という事実ではある。
しかし、それに対する反省が、憎悪や殺戮の反復や増幅を繰り返さないための
深い叡智としてはぐくまれていること、これが日本とは全く違うのだと改めて思った。
自国の恥ずべき過去に対してそれを隠蔽し、隠蔽が出来なくなると、
正当化しようとし、正当化もできなくなると、他でもやっているだろうと開き直る。
どこまでも醜悪で卑劣で惨めな人間性を晒しているということに、無自覚なのである。
スウェーデンでは、外国人も3年以上の居住があれば、
地方自治体の参政権・被参政権を有する。
国民投票に対しては個別案件で、国政に関しては検討中であったが、
二重国籍取得により、どちらも可能になった。
二重国籍であれば、外国籍を有しながら、スウェーデンの市民権も持てる。
どちらかを自主的に放棄するまで、それは維持される。
どうして、二重国籍を認めるかといえば、
移住者がスウェーデンでのあらゆる市民的権利を行使できると共に、
将来的に本国に帰国する場合や、
本国の親戚や知人を訪ねることなどにも便利だからだという。
つまり、国や行政の便宜ではなく、ましてや治安の対象などではなく、
外国人であっても、その人にとって何がいちばん人間として自然で、
市民としての権利を行使できるか、ということで政策が決定されているのだ。
そして、5歳未満の児童に対して、本国の言葉や文化などを学ぶことや、
5歳以上の人々に対しても言語や本国の文化や教育を受ける権利が保証されている。
それは、5歳未満の児童は自分で出生国を選べなかったのだから、
本人が成長して、もしも本国への帰国を望んだとき、本国での言語・文化的障害を
少しでも緩和できるように、という、本当に人間本位の政策理念なのだ。
もちろん、本国へ帰ることを奨励しているのではなく、スウェーデンでの
速やかかつ円滑な居住が最優先されていることはいうまでもないが、
それだけでなく、どこまでも移住を余儀なくされた移住者たちの
選択肢を広げ、多様性に対応できることが最優先されている。
外国人でも自国民でも、等しく人間である、という本当に普遍的な理念があってこそ、
このような政策が遂行されているわけである。
もちろん、こうしたすべての政策に税金が使われており、それに対する不満も
あるのだろうが、スウェーデンの国民・市民はそのようなコストは、人間として
必要なものとして認めているので、維持されているのである。
朝鮮学校であっても、日本がスウェーデンのような普遍的人権の理念に立っていれば、
日本の学校と同等の権利が付与されているだろうし、むしろスウェーデンでは
優遇さえされているだろう。
参政権・被参政権の問題しかり。
しかし、石原のように朝鮮学校の立退きを知事の立場で訴訟を行うような日本。
民族の言葉や文化を学ぶことを奨励どころか、弾圧してきた日本。
在特会のような、破廉恥な連中の行為を黙認する日本。
それが、一部の心ない、無知な人間たちの行為であったとしても、
それを容認している政府やメディアや「国民」たちがいるということ。
その悪質な右翼団体に知識人も関与しているという不名誉な事実。
しかも、その学問的実証のいい加減さ。
看過することは出来ないものである。
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