2009/7/31

対等な関係での支援  発達障害者の支援

satosho先生から職場に郵便物が届きました。『その人らしく生きる』というご著書とコミュニティーフレンドに関する資料が入っていました。
ご著書の中でも、成年後見でもなく、ヘルパーでもない、「対等な関係」での支援スタイルとしてのコミュニティーフレンドが紹介されていました。
以前にも紹介しましたが、コミュニティーフレンドとは、障害のある人の「友だち」として、「できない」ことを助けたり、アドバイスしたりする人です。
報酬が支払われるわけではありません、「友だち」ですから。都合が悪くなっても、代わりの人が対応するわけではありません、「友だち」ですから。お互い、会って楽しく過ごすことが目的です、「友だち」ですからね。

「友だち」として、「対等な関係」での支援、か…従来にない、画期的な支援の形です。

常々思っていることなのですが、保育所や学校の先生は、どうしてあんなに、「子ども同士の助け合い」という言葉が好きなのでしょう。
そして、手をさしのべる子の「やさしさ」ばかりに目がいき、さしのべられる側の子の複雑な気持ちには、なかなか気づかない…

今も忘れられないのは、保育所のお迎えのとき、机に置かれた日誌に、「今日は、公園で〇〇をして遊びました。なかなかできないNANAくんに、みんなが手を貸してあげました」風の記述を見つけた瞬間の、微妙な違和感。
違和感の正体は何なのか、「我が子の成長が他の子より遅れている」ことを示されての焦りか、人とは比べてはいけないと分かっているはずなのに…などと、当時の私はひそかに葛藤していたわけですが、いつだったか、「みんな、エラソーに言わはるねん。俺、やりたくないのに、やれ、やれ、がんばれ、言わはるねん。腕引っ張りはるねん」というNANAの言葉に、ハッとしたことがあります。
これが違和感の正体なのかもしれない、と。

学校に上がってからは、一層、クラスでの「助け合い」「教え合い」が重んじられます。
言葉の上では「合い」となっていますが、現実は双方向ではなく、助ける・教える側と助けられる・教えられる側は固定化しています。そうなると、どうしても助ける・教える側は、優位に立ちます。時に、相手を「できない子」として見下げたり、そうでなくても、「小さな親」「小さな先生」のように、相手の行動にあれこれ口出しします。
その行き着く先は…
先日、ダウン症児を育てている知り合いが「どうも最近、幼稚園で、いつもお世話してくれてる女の子たちに泣かされてるみたいなんだ」とこぼしていました。「『〇ちゃんダメでしょ、ここは来たらダメ』とか言って仲間に入れてくれない時があるみたい」。
やさしい支援者が、いつしか横暴な支配者になる…私が恐れるのは、そういう事態です。

こんなことを言えば、多分、「悲観的すぎる」と非難されるでしょう。「見方が偏っている。事例も極端なものばかり」と叱られそうです。
確かに、子どもによる支援が上手くいく場合もあります。けれど、私の経験上、子どもたちに「友情」がある場合です。「かわいそうだから、やさしくしてあげる」のでも、「先生や親が『あの子には親切にしてあげなさい』というから言い付けを守っている」でもなく、その子のことが好きだから、いいやつだって気にいっているから、手を貸す…それが自然な形なのだと思います。そして、昨日は自分が泣いているときに慰めてもらった、今日は相手が縄跳びに苦戦しているようだったからコツを教えてあげた、というように、ある程度、相互支援でなくては「対等」でなくなってしまいます。

それだけに、「子どもの、子どもに対する支援」には、もう少し慎重でなければなりません。たとえ子どもが「お世話係」に名乗り出たとしても、その後、対等な関係が維持されているかを見守らなければなりません。
理想は、「支援」のために友だちになる(ならせる)、のではなく、友だち関係が確立したうえでの「支援」です。でも、それは逆であっても構わない…あくまでも「対等な関係」でさえあれば。
さらに、「相互」性が理想だけれど、これは、必ずしも「同質の支援の交換」である必要はありません。一方が物理的に支援をし、片方が笑顔を見せ、それによって気持ちが癒される…そんなこともあるわけです。

クラスでも部活でも、周りから「助けられ」、あれこれ「助言される」ことの多いNANA。
「そりゃまぁ、みんな、いろいろ言うてくれますよ。中には正しいこともあるけどねぇ…」とため息、「ちょっと、うるさいし、エラソー…」。
そうだよね…
たとえ「しっかりしている」子どもでも、子どもはあくまでも子ども…大人の便宜のために、「先生もどき」「親もどき」にさせてはならないと思います。
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2009/8/25  23:05

投稿者:GAMI

さっそくにご訪問いただき、ありがとうございました。やや無理にお願いしてしまったかと少し反省しております。
「友だちとしての配慮や工夫」…全くおっしゃるとおりです。それなら私もたくさんしています。
「対等な立場」の意味を理解してもらえれば、もうそれでOKなのですが。難しいけど伝えていきたいですね。
お返事不要です。ありがとうございました。

http://gami.at.webry.info/

2009/8/25  11:48

投稿者:MOMO

GAMIさん、コメントありがとうございます。
GAMIさんと荒木さん(仮名)との関わり、少し読ませていただきました。荒木さんのほうから誘ってくださるというのは、少なくとも荒木さんは楽しみにされているのですよね。そして、GAMIさんも楽しそうです。
この関係において、もし何か「支援」的なものがあるとすれば、、8月20日の記事で触れた息子の感想文ではありませんが、「友だちとしての配慮や工夫」ですよね。私がこの記事で取り上げたかったのも、そうした「友だちとしての、ごく普通の配慮や工夫」としての「支援」(この言葉自体、適切かどうかが問題ですが)です。そこでは一方が他方に何かをしてあげる関係ではない・・・これはあらゆる場面で必要な視点であり、たとえ重度の障害者との間で、物理的には一方的に何かをしてあげる関係でしかなくても、やはり対等な関係を意識しなければならない、と常々思っています。理想論なのかもしれませんが・・・。また、いろいろご教示ください。

2009/8/24  21:31

投稿者:GAMI

久しぶりにご訪問させていただきました。satoshologのトラックバックから参りました。2年前にコミュニティフレンドの記事を書いていただいたとき以来のコメントで失礼いたします。
「対等な関係」の支援の重要性について、興味深く読ませていただきました。「子どもによる支援」の危うさ、大人の便宜のための「先生もどき」…。「対等な関係」は簡単ではないのでしょうね。
私はコミュニティフレンドを続けて2年半になりま。私は「対等」のつもりですが、パートナーの彼はどう感じているのか、いまいちわかりません。ただひとつ言えるのは、私は「支援」しているつもりはないということです。
もしお時間がありましたら、弊ブログのテーマ「コミュニティフレンド」の記事を覗いてみてください。私たちの関係をご理解いただけるかと思います。突然お邪魔して勝手なコメントで失礼いたしました。

http://gami.at.webry.info/

2009/8/3  1:34

投稿者:MOMO

satosho先生、拝読していて、先生ご自身の「楽しさ」が伝わってきましたよ。先生らしい、というか、先生にしか書けない本ですね。
こんな秘境サイトで宣伝してもあまり効果がありませんが、ぜひ、一度、手にとっていただきたい本だなぁと思っています。そういう意味では、一般書店に置いていないのは、辛いですね。

教師や親には、また別の役割がありますね。後見人また然りです。NANAも思春期、そろそろ親ではなく、友だちとの関係が中心になっていくでしょうから、親は少し離れた場所で見守りたいと思っています。
先日、「部活の帰りにな、先輩や友だちと帰るから、ちょっと遠回りしてるねん。2分ぐらい遠くなるんやけどな、この道通るんやで」と教えてくれました。こういう「秘密」を親に教えてしまうところが、まだ可愛いというか、幼いところですが(笑)、「あぁ、そんな友だちがいるんや。ええ感じやんか!」と内心うれしくなりました。

2009/8/3  0:06

投稿者:satosho

momo さん。取り上げてくださってありがとうございます。対等な関係・目線で付き合ってくれる人って、障害のあるなしに関わらずとても大切だと思います。親とか教師とかじゃだめなんですよね。
親であり教師でもある私が、こんな本を書くことは辛いことなのか、楽しいことなのか。・答えは、後者、楽しかったですよ。
ただ一般書店に並ばないので、売れないのが辛い(^_^;

2009/7/31  23:26

投稿者:MOMO

やっぱり、そういう風に感じますよね。苦い思い出を教えてくださってありがとう。
出生以来、何かにつけ、「平均」から外れ気味の息子でしたから、焦りはよく分かります(うちも、立ったり、しゃべったりは遅かったですし、語彙も「電車」系用語以外、増えませんでした)。今思えばね、不安があれば、専門機関でいろいろ尋ねればよかったのですが、変に利口な母親を気取って、「成長には個人差があるし・・・」と胸にしまいこみがちでした。でも、もちろん、解消されることなく、「もやもや」した気持ちを抱えていました。どこかで吐き出せば、楽になるのですけどね。
私は、時々、同僚のI先生やH先生に聞いてもらうようになって、少し楽になりましたよ。だから、K先生もね、吐き出しちゃって下さい。

2009/7/31  21:47

投稿者:N.K

今でこそ明るく見える私ですが、
昔は『NKちゃんは背が小さいんだから大事にしてあげなきゃだめよ。』とか、『NKちゃんは小さいから、○○くん物をとってあげて。助けてあげて。』などとよく言われて、『ごめんね〜』と言いつつ、心では不快でした。そして、いじめられないように、いじめられないように、と、さらに目立たなくしようと、小さくなっていた小学校の自分をなぜか思い出しました。日本の学校って、なんでこんなに『平均』がいいのでしょうね。
息子は保育園にもなかなか行けず、1歳になるのに、まだ一言も話せず、立ちもせず、平均から遅れつつあって焦りますが、1つの個性と思って見守ろうと思っています。
MOMO先生の日記は、私の感じていた学校への小さな疑問と重なっていて、つい自分の話をしてしまいました。長くなってすみません。

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