先日、ある講演会に参加しました。中学生向けの講演会です。それが保護者や、地域の人たちにも公開されていました。もともと参加するつもりはなかったのですが、参観日でしたから周りにいた人に誘われ、別に拒否する理由もないので、そのまま流れにのって講堂に…
講演をするのは、車椅子に乗った人でした。テレビの障害者番組の司会をされていたこともあり、巧みな話術で聴衆を飽きさせません。
話のメインは、ほとんど体を動かすことのできない青年が家を離れ、いろんな人に支えられながら一人暮らしをし、伴侶も得て、短いながらも充実した人生を送った話…講演した人自身がこの話を漫画に描いたり、それをもとに別の人が児童書にしたりしたようですので、ご存知の方も多いかもしれません。
「障害」への理解を訴える話かと思って参加しましたが、そうではなく、もっと一般論として、「人は人の助けなしには生きていけない」こと(障害を持つ場合には、人の助けを多く必要とするだけ)、そのうえで「自立する」とはどういうことかを説くものでした。
まだまだ半人前、だけど、親にはあれこれ干渉されたくない、でも、自分は一人では生きていけない…そんなことで葛藤している中学生に「自立と孤立は違うんだ」「迷惑には、かけてはいけない迷惑、かけてもいい迷惑、そして、かけたほうがいい迷惑があるんだよ」
というメッセージは、どのように届いたでしょう。
親である私は、講演を聴いて、「失敗や危険を敢えて見守る」ことの大切さと難しさを感じました。
身動きさえ満足にできない青年の一人暮らし…普通では、考えられないことです。どこかに出かけるとき、青年は通り掛かりの人に車椅子を押してもらいます、その人の目的地への道と自分の目的地への道が重なっているところまで…まるで、ヒッチハイクのように、いろんな人に押してもらいながら、自分の目的地までたどり着くのです。途中、用を足すにも、見ず知らずの人の力を借ります。
そんな暮らしを認めることができるでしょうか。けれども、もし青年の家族が「危険だから」と家に連れ戻したら、青年は多くの人と出会うことも、様々な体験をすることもなく、一生を過ごすことになったでしょう。もしかしたら、そのほうが長生きできたかもしれませんが、人生のほとんどを自分の部屋で過ごし、気候のよいとき、家族に付き添われて近所を散歩する程度…本人にとってどちらが幸せかは一概に言えませんが、その青年には耐え難かったでしょうね。
さて…
子どもたちは事前学習をしていたようですが、私は初めて聴いた話でした。児童書のタイトルは知っていましたが、漫画のほうは不勉強なことに、存在すら知りませんでした。
早速、書店で注文したところ、昨日、児童書が届きました。『口で歩く』という本です。
ベッド型の車椅子に乗って、町に出る青年が出会うのは、落ち込んでいる浪人生だったり、家族から疎外されている(と本人は思っている)おじいさんだったり、仕事一筋で生きてきた元キャリアウーマンだったり…「他人に車椅子を押させて散歩するなんて何事か」と怒るおじさんもいます。「絶対よくなるから」と宗教を勧めてくるおばさんもいます。
中でも、不登校児とのやりとりは秀逸です。
車椅子に棒を見つけた少年が「これは何?」と質問し、「なまけん棒」と青年が答えると、「ぼくも、なまけんぼっていわれるよ。学校に行っていないから」と少年。青年は言います、「その棒は役に立つんだよ」。寝たままの状態で、遠くにある物を引き寄せたりできるんですからね。
それを聞いて、「ぼくも役に立つのかな」と少年は大好きな生物の話を語り始めます。学校には行っていないけれど、図書館で勉強しているのだ、と…青年は、少年の話を聞きながら、今日は特別に家まで押してもらおうかな(普段は目的地までの道が重なるところまで、というルールですからね)、そうすれば、少年が遊びに来てくれるかもしれない、と考えます。
傍目から見れば、助けてもらっているのは青年ですが、青年は少年の孤独を感じ、手を差し延べようとしているのですね。
読んでいて、思わず涙ぐんでしまったのは、少年と誰かさんの姿が重なったせいでしょうか。

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