2009/5/31
メダカ中のメダカ TOTOとMOMOの仕事・子育て
数ヶ月前、一冊の文庫本を手にしました。『お母さんは勉強を教えないで』(見尾三保子著、新潮文庫)という本です。
この本のタイトルは知っていましたが、よくある「こうすれば、東大に入れる」とか、「頭のよい子はこう育てる」式の本かと思っていました。著者が学習塾の経営者と知り、その思いを一層強くしていました。
しかし、書店でこの本を見かけ、その裏表紙の短い紹介文に興味を持ちました。紹介文には「『やり方』だけ教えて意味を考えさせない教育の現状を警告する。正解の出し方を覚えるのが勉強ではない。理解できたときの感動が大切なのだ」とありました。これは、まさに、私が常日頃、職場で学生に話していることです。
早速、読んでみると、期待どおりの内容でした。
本には、筆者の40年余の教育経験から、様々なエピソードが紹介されています。
たとえば、母親の熱心な教育により早々に筆算のやり方を覚え、難しい計算も難なくこなせる子ども、しかし、「100より2つ小さい数は?」の問には答えられない・・・筆者は、子どもの母親に、「算数は、頭を能率のよい電卓にすることではない」と諭しますが、母親には通じません。「これか暗算の練習をさせます」という母親・・・
定期テスト前に行う模擬テスト、「先生の模試の問題、一題も出なかった」という入塾間もない生徒と、同じテストを受けながら、「先生の模試の問題、全部出たんですよ」と興奮気味に話す、入塾半年の生徒・・・
笑い話のようなエピソードですが、考えさせられる問題を含んでいます。
学校のテストでよい点をとることは、実はたやすいのです。その都度、先生に教えられたことをとりあえず丸覚えし、意味は分からなくても、「答えの出し方」だけをマスターすれば、よほど記憶力が悪くない限り、それなりの点数はとれるでしょう。むしろ、「それって、どういうことなのかな」と考えこむ子どもは、納得できるまで先に進めず、テストの点数も伸びません。
正確にいうと、納得さえできれば、「丸覚え」組よりもはるかに応用力があり、テストでも高得点がとれるようになり、しかも、覚えたことは「丸覚え」組と違って、一時的な記憶ではなく、知識として定着するのですが、大抵、そうした子は、学校の「早いペース」の中で置き去りにされ、周囲はもちろん、本人でさえ、「あぁ、できない自分が悪いのだ」と思い込んでしまいます。
ジブリの映画、「おもひでぽろぽろ」では、主人公が、自分の不器用さを象徴するエピソードとして、「分数の割り算が理解できなかった」と語るシーンがあります。姉には、「とにかく、割る側の分子と分母をひっくり返してかけるだけ」と言われたけれど、そもそも「分数を分数で割る」ことがイメージできなかった、と・・・本来、学校は(小学校から大学に至るまで)、受験予備校とは違って、そうした「物の考え方」を丁寧に教えるところだと思いますし、NANAが受ける授業を見る限り、そうした教育を目指しているようにも見えますが、現実には、限られた時間内で「やり方」を教えるのに精一杯です。なぜなら、「やり方」を覚えさせるだけなら比較的簡単です(それでも、「覚え方」には個性があります!)が、「納得」の仕方は、児童生徒1人1人異なるからです。
教育とは、その子の個性、才能を「引き出す」ことという筆者の主張には、共感します。そういう点からすれば、ここで繰り返し述べているように、「特別支援教育」は教育の原点であって、決して「特別」ではないのです。
以上の教育論だけで十分面白かったのですが、もう一つ、この本には、「私が出会った不登校児たち」という章がありました。
最初のタイトルが「学校に行けないわけは本人にもわからない」・・・そのうえで、「就学拒否児が拒否しているのは、本人は意識していないにしても、学校教育そのものである」「平等の名のもとに個を押しつぶすシステムへの無言のレジスタンスである」「レジスタンスというより、一種の防衛本能がはたらいたと言ったほうがよいだろう。人間らしい豊かさやユニークな感性がつぶされるのを、無意識のうちに、本能的に防衛していたのではあるまいか」(同書180頁)と筆者は訴えます。
「不登校児はメダカである」ともありました(同書188頁)。水質汚染のバロメーターである「メダカ」・・・子どもは皆、「メダカ」であり、不登校児は「メダカ中のメダカ」である、と。
「就学拒否」「登校拒否」という「アクション」を示す表現が、「不登校」という状態を示す表現に変わったのは、いつのころからでしょう。筆者は、「拒否」という表現のほうが合っている、と言いますし、NANAを見る限り、私もそう思います。
学校という空間に身を置くことへの「拒否」、
納得できないまま、流れへ身を委ねることの「拒否」・・・
先週は、中学に入って4回目、初の2日連続の「拒否」で終わりました。担任からの電話に出て、「クラスが嫌だ」とはっきり言いました。
週末の部活動だけは「拒否」せずに出かけました。部活動は、比較的住みやすい空間のようです。NANAの動物談義に興味を持ち、あれこれ質問してくれる先輩もいたそうで、「あんなに興味を持ってもらえたのは初めて」とうれしそうに話していました。
わが家の「メダカ」にとって、住みやすい環境とはどのようなものか、公立中学校でそれが得られるのか、「メダカ」自らの適応力も育てるべきではないか・・・思案する毎日です。
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この本のタイトルは知っていましたが、よくある「こうすれば、東大に入れる」とか、「頭のよい子はこう育てる」式の本かと思っていました。著者が学習塾の経営者と知り、その思いを一層強くしていました。
しかし、書店でこの本を見かけ、その裏表紙の短い紹介文に興味を持ちました。紹介文には「『やり方』だけ教えて意味を考えさせない教育の現状を警告する。正解の出し方を覚えるのが勉強ではない。理解できたときの感動が大切なのだ」とありました。これは、まさに、私が常日頃、職場で学生に話していることです。
早速、読んでみると、期待どおりの内容でした。
本には、筆者の40年余の教育経験から、様々なエピソードが紹介されています。
たとえば、母親の熱心な教育により早々に筆算のやり方を覚え、難しい計算も難なくこなせる子ども、しかし、「100より2つ小さい数は?」の問には答えられない・・・筆者は、子どもの母親に、「算数は、頭を能率のよい電卓にすることではない」と諭しますが、母親には通じません。「これか暗算の練習をさせます」という母親・・・
定期テスト前に行う模擬テスト、「先生の模試の問題、一題も出なかった」という入塾間もない生徒と、同じテストを受けながら、「先生の模試の問題、全部出たんですよ」と興奮気味に話す、入塾半年の生徒・・・
笑い話のようなエピソードですが、考えさせられる問題を含んでいます。
学校のテストでよい点をとることは、実はたやすいのです。その都度、先生に教えられたことをとりあえず丸覚えし、意味は分からなくても、「答えの出し方」だけをマスターすれば、よほど記憶力が悪くない限り、それなりの点数はとれるでしょう。むしろ、「それって、どういうことなのかな」と考えこむ子どもは、納得できるまで先に進めず、テストの点数も伸びません。
正確にいうと、納得さえできれば、「丸覚え」組よりもはるかに応用力があり、テストでも高得点がとれるようになり、しかも、覚えたことは「丸覚え」組と違って、一時的な記憶ではなく、知識として定着するのですが、大抵、そうした子は、学校の「早いペース」の中で置き去りにされ、周囲はもちろん、本人でさえ、「あぁ、できない自分が悪いのだ」と思い込んでしまいます。
ジブリの映画、「おもひでぽろぽろ」では、主人公が、自分の不器用さを象徴するエピソードとして、「分数の割り算が理解できなかった」と語るシーンがあります。姉には、「とにかく、割る側の分子と分母をひっくり返してかけるだけ」と言われたけれど、そもそも「分数を分数で割る」ことがイメージできなかった、と・・・本来、学校は(小学校から大学に至るまで)、受験予備校とは違って、そうした「物の考え方」を丁寧に教えるところだと思いますし、NANAが受ける授業を見る限り、そうした教育を目指しているようにも見えますが、現実には、限られた時間内で「やり方」を教えるのに精一杯です。なぜなら、「やり方」を覚えさせるだけなら比較的簡単です(それでも、「覚え方」には個性があります!)が、「納得」の仕方は、児童生徒1人1人異なるからです。
教育とは、その子の個性、才能を「引き出す」ことという筆者の主張には、共感します。そういう点からすれば、ここで繰り返し述べているように、「特別支援教育」は教育の原点であって、決して「特別」ではないのです。
以上の教育論だけで十分面白かったのですが、もう一つ、この本には、「私が出会った不登校児たち」という章がありました。
最初のタイトルが「学校に行けないわけは本人にもわからない」・・・そのうえで、「就学拒否児が拒否しているのは、本人は意識していないにしても、学校教育そのものである」「平等の名のもとに個を押しつぶすシステムへの無言のレジスタンスである」「レジスタンスというより、一種の防衛本能がはたらいたと言ったほうがよいだろう。人間らしい豊かさやユニークな感性がつぶされるのを、無意識のうちに、本能的に防衛していたのではあるまいか」(同書180頁)と筆者は訴えます。
「不登校児はメダカである」ともありました(同書188頁)。水質汚染のバロメーターである「メダカ」・・・子どもは皆、「メダカ」であり、不登校児は「メダカ中のメダカ」である、と。
「就学拒否」「登校拒否」という「アクション」を示す表現が、「不登校」という状態を示す表現に変わったのは、いつのころからでしょう。筆者は、「拒否」という表現のほうが合っている、と言いますし、NANAを見る限り、私もそう思います。
学校という空間に身を置くことへの「拒否」、
納得できないまま、流れへ身を委ねることの「拒否」・・・
先週は、中学に入って4回目、初の2日連続の「拒否」で終わりました。担任からの電話に出て、「クラスが嫌だ」とはっきり言いました。
週末の部活動だけは「拒否」せずに出かけました。部活動は、比較的住みやすい空間のようです。NANAの動物談義に興味を持ち、あれこれ質問してくれる先輩もいたそうで、「あんなに興味を持ってもらえたのは初めて」とうれしそうに話していました。
わが家の「メダカ」にとって、住みやすい環境とはどのようなものか、公立中学校でそれが得られるのか、「メダカ」自らの適応力も育てるべきではないか・・・思案する毎日です。
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2009/6/4 12:02
投稿者:MOMO
実に、不遜な生徒です。でもまぁ、しょんぼりしているよりは、「不登校」を笑いとばせるぐらいのほうが、親としても楽です。
2009/6/4 8:31
投稿者:pega
「まだ2日しか休んでないし、こんなんで泣きそうになってたらアカンわ。オレ、もっと休むで」とNANA。
↑
ここのところに反応してしまいました^^;
NANAくん強いね〜〜〜。先生の上をいっている感じがします。
↑
ここのところに反応してしまいました^^;
NANAくん強いね〜〜〜。先生の上をいっている感じがします。
2009/6/3 15:28
投稿者:MOMO
ありがとうございます。
本当に、自分の気持ちに正直すぎるぐらい、正直に動いています。それでも、「これ以上休むとテストが大変」と思ったか、あるいは、「先生が『必ず来てね』と強く言った」からか、「我慢できなくなったら、また休めるし」と思ったのか、月曜日から3日連続、登校しています。
「学校行ったら、担任の先生が門のところにいて、オレを見つけて泣きそうな顔してた」と教えてくれました。担任の若い先生は、連日、電話をかけてくださり、不在の折には留守電にメッセージを吹き込んでくださり・・・週末、部活動の際に少しお会いした折も、今にも泣きそうな表情でした。ちょっと申し訳ないのですが、「まだ2日しか休んでないし、こんなんで泣きそうになってたらアカンわ。オレ、もっと休むで」とNANA。まぁ、こんな生徒の担任になったことも試練だと思って耐えてもらいます(笑)。
本当に、自分の気持ちに正直すぎるぐらい、正直に動いています。それでも、「これ以上休むとテストが大変」と思ったか、あるいは、「先生が『必ず来てね』と強く言った」からか、「我慢できなくなったら、また休めるし」と思ったのか、月曜日から3日連続、登校しています。
「学校行ったら、担任の先生が門のところにいて、オレを見つけて泣きそうな顔してた」と教えてくれました。担任の若い先生は、連日、電話をかけてくださり、不在の折には留守電にメッセージを吹き込んでくださり・・・週末、部活動の際に少しお会いした折も、今にも泣きそうな表情でした。ちょっと申し訳ないのですが、「まだ2日しか休んでないし、こんなんで泣きそうになってたらアカンわ。オレ、もっと休むで」とNANA。まぁ、こんな生徒の担任になったことも試練だと思って耐えてもらいます(笑)。
2009/6/3 12:59
投稿者:ナゴエ・チャウ
部活動には行ってはるし、「クラスが嫌だ」とはっきり自分で言えている。休む事を自ら選択して、行きたい所には行けている。自分の気持ちに正直に動けていますよね。5月、6月は大人も疲れが出てきてしんどい時期。
十分頑張ってはるように思います。NANA君、ボチボチ行きましょう。
十分頑張ってはるように思います。NANA君、ボチボチ行きましょう。
2009/6/2 17:19
投稿者:MOMO
はじめまして。そうですか。義務教育ということもあるでしょうが、最近、教育機関には、特に「(児童生徒・学生を)放置しない」ことが求められているのかもしれません。それが効果的なこともありますが、逆に、本人を追い詰めてしまうこともあって、難しいところだと思います。うちは、来られると困るタイプです。
2009/6/2 11:47
投稿者:mi-ip
はじめまして。中学のとき30日くらい休んでいると担任が家に来ました。自分は行かずに相手に来させるっていう…ああんざーまーそーではでは。