2009/5/28
閉じられた空間 最近の報道から思うこと
先日、新聞を読んでいたTOTOが「広島の少年院の話…インフルエンザ騒ぎで目立たないけど、大変な話やで」と言いました。
一瞬、何の話かピンと来ませんでしたが、すぐに分かりました。少年院で複数の教官による暴行が繰り返されていた事件です。
ピンと来なかったのは、インフルエンザに気をとられていたせいではありません。似たような事件が多く、「あぁ、またか…」という印象しか受けなかったからです。しかし、TOTOの言うとおり、これは大変な事件です。
少年院に限らず、高齢者施設、障害者施設、児童施設、病院、そして、学校…第三者の目が入りにくく、様々な理由から当事者の声があがりにくい「閉じられた空間」では、しばしば、このように、「人を人として扱わない」事件が起こります。
一方が他方に対して権力を持ち、あるいは、事実上他方に身を委ねるしかない状態で一種の「支配関係」が生じるとき、支配側の人間は、支配下にある人間に対し優越感を持ち、「何をしても構わない」という錯覚に陥るのかもしれません。あるいは、そうした支配が脅かされそうになると、力で押さえ込もうと思うのかもしれません。いや、もしかしたら、不合理な要求ばかりの中でやり場のないストレスを抱え込み、それをぶつけてしまうのかもしれません。
もちろん、そのような過ちをおかすのはごく少数の人であって、大多数の施設では職員が真面目に働いているのです。こうした事件に憤りを感じているのは、そうした同業者であるはずです。
けれど、憤りの中味は「そんなことをするなんて、信じられない」というもののほか、「それは踏み越えてはならない一線だろう」というものも含まれているのではないか、とも思います。つまり、そうした悪魔の誘惑は誰にでもあり、自制心を働かせなければ、無意識のうちに、過ちをおかしてしまうのではないか、と…
思えば…
大学に入学したとき、先生が学生に丁寧語で話すこと、名前を呼び捨てにしないことに驚きました。
小学校の低学年まではともかく、高学年から高校まで、名前は呼び捨て、「おまえ」呼ばわりも珍しくなく、体罰もありました。「連帯責任」の名のもとに不合理な叱責を受け、何かトラブルが起こると、先生の過失その他の原因ではなく、まず児童生徒が疑われる…
長い学校生活の中で、自分の心と身体が「踏みにじられる」ことにどれだけ麻痺していたかに気づき、感動すら覚えたのでした。
NANAの学校を見る限り、小学校、中学校ともに、私が通っていたころの不条理は感じません。
先生は「比較的」紳士的であり、高圧的な態度はとらず、呼び捨ても「おまえ」呼ばわりもあまり見かけません。それでも、NANAは何かを感じ、それが何かもわからないまま、抵抗しているのではないかと思います。
家庭もまた「閉じられた空間」です。虐待のニュースが報じられるたび、何ともいえない気分になります。
私もかつては、癇癪を起こして駄々をこねるNANAに対し、手をあげていました。今の状況を力づくでも押さえ込みたいという気持ち、他の人に「甘い親」と思われたくない、何よりNANAに舐められたくない、「親の威厳」を示したい、という気持ち、思うようにならないイライラと「親」という立場と…
だからこそ、思うのです。力のある者が自覚し、自制しなければ、弱者は守られません。
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一瞬、何の話かピンと来ませんでしたが、すぐに分かりました。少年院で複数の教官による暴行が繰り返されていた事件です。
ピンと来なかったのは、インフルエンザに気をとられていたせいではありません。似たような事件が多く、「あぁ、またか…」という印象しか受けなかったからです。しかし、TOTOの言うとおり、これは大変な事件です。
少年院に限らず、高齢者施設、障害者施設、児童施設、病院、そして、学校…第三者の目が入りにくく、様々な理由から当事者の声があがりにくい「閉じられた空間」では、しばしば、このように、「人を人として扱わない」事件が起こります。
一方が他方に対して権力を持ち、あるいは、事実上他方に身を委ねるしかない状態で一種の「支配関係」が生じるとき、支配側の人間は、支配下にある人間に対し優越感を持ち、「何をしても構わない」という錯覚に陥るのかもしれません。あるいは、そうした支配が脅かされそうになると、力で押さえ込もうと思うのかもしれません。いや、もしかしたら、不合理な要求ばかりの中でやり場のないストレスを抱え込み、それをぶつけてしまうのかもしれません。
もちろん、そのような過ちをおかすのはごく少数の人であって、大多数の施設では職員が真面目に働いているのです。こうした事件に憤りを感じているのは、そうした同業者であるはずです。
けれど、憤りの中味は「そんなことをするなんて、信じられない」というもののほか、「それは踏み越えてはならない一線だろう」というものも含まれているのではないか、とも思います。つまり、そうした悪魔の誘惑は誰にでもあり、自制心を働かせなければ、無意識のうちに、過ちをおかしてしまうのではないか、と…
思えば…
大学に入学したとき、先生が学生に丁寧語で話すこと、名前を呼び捨てにしないことに驚きました。
小学校の低学年まではともかく、高学年から高校まで、名前は呼び捨て、「おまえ」呼ばわりも珍しくなく、体罰もありました。「連帯責任」の名のもとに不合理な叱責を受け、何かトラブルが起こると、先生の過失その他の原因ではなく、まず児童生徒が疑われる…
長い学校生活の中で、自分の心と身体が「踏みにじられる」ことにどれだけ麻痺していたかに気づき、感動すら覚えたのでした。
NANAの学校を見る限り、小学校、中学校ともに、私が通っていたころの不条理は感じません。
先生は「比較的」紳士的であり、高圧的な態度はとらず、呼び捨ても「おまえ」呼ばわりもあまり見かけません。それでも、NANAは何かを感じ、それが何かもわからないまま、抵抗しているのではないかと思います。
家庭もまた「閉じられた空間」です。虐待のニュースが報じられるたび、何ともいえない気分になります。
私もかつては、癇癪を起こして駄々をこねるNANAに対し、手をあげていました。今の状況を力づくでも押さえ込みたいという気持ち、他の人に「甘い親」と思われたくない、何よりNANAに舐められたくない、「親の威厳」を示したい、という気持ち、思うようにならないイライラと「親」という立場と…
だからこそ、思うのです。力のある者が自覚し、自制しなければ、弱者は守られません。
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2009/5/29 0:45
投稿者:MOMO
最近のニュースを契機に、少し考えてみました。暴力事件はあってはならないことですが、「それはダメだ」というだけでは治まらない・・・もっと、その根底にある「何か」を見据えなければならないだろうと思っています。それは、ドロドロしていて、決して美しくはなく、けれど、人間誰しも持っている業ともいえる「何か」です。私は、学校に勤めていますが、家でも職場でも、自分の行動を客観視して抑制しなければならない、と常に思っています(思ってはいますが・・・!?)
2009/5/28 22:32
投稿者:サク
そういった施設に身を置く者として身につまされるお話でした。ネットでの陰口を尻目に
抑えこんだ偏見を相手への慮りと葛藤させる日々です。自分のみじくさやセンスが問われる毎日です。
抑えこんだ偏見を相手への慮りと葛藤させる日々です。自分のみじくさやセンスが問われる毎日です。