2009/3/12
バリアフリーの社会 発達障害者の支援
一昨日の午前中は、NANAの総合学習の発表会でした。
今年の総合学習は「バリアフリー」・・・一時期までは「躓き」の原因になっていた総合学習ですが、すんなり取り組んでいる様子でした。テーマ的に興味を持ちそうな感じではありませんが、「やるべき」ことや目指す方向がはっきりしていることと、NANAの「正義感」に合致するものであったことによるのでしょう。
もっとも、私からすれば、取り組み方や進め方には大いに疑問があります。それは、私の要求レベルが高いのではありません。NANAがしばしばぼやいたり、怒ったりしていたのも、私が疑問視している部分に関連しているからです。
具体的には、テーマのたて方・・・「バリアフリー」という大きなテーマの下、各クラスが個別テーマに取り組むのですが、「子ども」「障害者」「高齢者」とここまではいいとして、もう一つが「環境」!?
かぶるんです、他のところと。「子どものための環境」とか「障害者のための環境」とか・・・
いや、いろんな角度からスポットを当てるのは物事を立体的に見るためにはいいことだと思うんですけどね、どうも、そうでもなく・・・案の定、「視覚障害者のための環境づくり」について取り組んだNANAは、「どうも、『障害者』のテーマで調べてる組が同じことを発表するらしいんや」とイライラ。
「でもさ、その組は『障害者』という視点から取り組むわけで、NANAは『環境』という視点から取り組むんだから・・・」と苦しい説明をしてみても、「どう違うんさぁ・・・ホンマに同じこと調べてるみたいやし・・・」。
確かに、実際の発表を見ても、同じような内容のものがたくさんありました。それが悪いわけじゃありません。けれど、何というか、そのままでは収まりが悪い・・・総括する何かがないと、単に、「みんなで同じことを調べてしまいました」で終わってしまいます。
今ひとつは−こちらはより深刻なのですが−、班での取り組みになると、「一生懸命やる」人とフリーライダーとに分かれてしまうことです。これは、小学生に限ったことではありませんが、問題は、成果発表においては皆が平等に扱われること・・・均等に担当していたのであれば、自分が直接担当したところを報告しなくても納得できるでしょうが、一部の人だけが作業に従事し、発表のときだけ皆が公平に分担となると、納得できないでしょう。
今回は、もともと1つの班で取り組んでいたものを、発表会の数日前になって、先生が「2つに分かれて、もう少し別のことも調べたほうがいい」とおっしゃったのだそうです。このアドバイス自体、「言うなら、もっと早く」という気がしますが(NANAも、「中間報告のときには何も言わなかったのに、今頃になって・・・」と怒っていました)、ひどいのは、班員6名のうち、これまでの作業に全くタッチしていなかった人たちが、これまでのデータを全て持っていってしまったことです。つまり、3人ずつ2つの班になる際、データを分割するのではなく、「これまでの分」と「これから調べる分」とで分かれ、さらに、「これまでの分」は何故かフリーライダー2人を含むグループのほうへ割り振られた、というわけで・・・
「なんで、そんなことになったん?」と聞くと、「だって、何か分からんけど、持っていってしまったんやもん」とNANA。「あっちの班には1人だけ、一生懸命やってたヤツが入ってるからまだいいけど、これが全員そうじゃなかったら、オレ、許されへんわ」。いや、もうこの状況でも十分、怒っていいと思いますが・・・。「あと3日ほどで、一から調べ直すなんて、絶対無理やし」と頭を抱えるNANA。自分の班のフリーライダー君が「まぁ、オレら、もっといいもん作ったらええやん」と言ったことにも腹を立て、「自分は何もせえへんくせに!!」。
いやはや、確かに、何もかもが理不尽です。
とまぁ、そんなふうに直前まですったもんだしましたから、私も少し気になりまして、仕事前に、NANAの発表の部分だけ10分ほどのぞきにいきました。
NANAの班の報告のテーマは「視覚障害者のスポーツ」と「弱視」・・・バラバラの話題が2つ並んでいるだけ、これも相変わらずです。NANAは「弱視」について報告していました。少し前、NANAはコンビニで視覚障害のある人から「値札を読んで欲しい」と声をかけられました。全く見えないわけじゃないけれど、小さな値札は読みにくい、と・・・てっきり、そのエピソードを交えて話すのかと思いきや、いつになく形式的で、抽象的な話にとどまっていて残念でした。
少し気になったのは班の感想とそれに続く質疑応答・・・「私たちも、突然、全盲や弱視になったら、大変だなぁと思いました」という感想に引きずられたのか、子どもたちの関心は専ら「なぜ弱視になるのか」「全盲や弱視になったら、元には戻れないのか」。
以前、NANAが口にした「障害になったらどうしよう!障害になったら嫌だ!」という不安を思い出しました。
総合学習のテーマは「バリアフリー」・・・子どもたちの率直な「不安」から、もう一歩先に進める何かがあれば、と思いましたが、結局、そのままで終わってしまうのが小学校教育の限界です。それでは、「バリアフリー」ではなく、むしろ、「自分は障害を持っていなくてよかった」という「バリア」を築くだけになってしまう気がするのですけれどね。
総合学習の発表会をのぞいた後、私は、ある研究会に参加しました。
「自立支援と権利擁護」というテーマの研究会です。私は、NANAのことがきっかけで発達障害をめぐる法的問題につき研究をするようになりましたが、まだまだスタートラインに立ったかどうかという状態で、なかなか先に進むことができません。ですから、全く専門外の研究会ではあるのですが、私たちの町で開催されるということで、satosho先生が誘ってくださいました。
元来「授業を受ける」のが好きな私は、「それなら、話だけ聞かせてもらおう!」と参加することにしたのですが、少しずつ「そんなに気楽な気分で参加できる研究会ではない」こと、「私も何か報告しなければならない」ことが分かってきました。そもそも、satosho先生にもまだお会いしたことがありませんし、全員が初対面の方ばかり、ほとんどが専門の異なる方ばかり、しかも、その道のプロばかり・・・「行っていいのかなぁ」という気分になってきました。
でも、行ってみると・・・
福祉や医療の分野からの報告は、確かに、全く異なる視点や知らなかった情報が満載だったのですが、同時に、今まで自分が考えてきたこと、特に、NANAや学校との関わりの中で漠然と浮かんでいた疑問(「診断の有無で線引きすることが適切なのか」「NANAの気持ちを汲み取り、望みを叶えてやること(その結果、NANAにとっては心地よい、しかし、社会的には受け容れがたい状態が生じる可能性がある)はよいことなんだろうか、それとも、NANAの意思に反してでも、社会的に『是』とするようなものに矯正していくべきなんだろうか」)、不満(「どうして、学校という組織では『引継ぎ』が行われないのだろう、あるいは、『引継ぎ』があっても必要な情報が伝わっていないのだろう」「特別支援のシステムが出来ても、結局は、担任の力量やセンス次第なのかもしれない」)、もどかしさ(「画一的処理を前提とする法のもとで、個別事情や特性をどのように考慮していけばよいのか」)が、別の場面、別の言葉で語られることに新鮮な驚きを覚えました。
あぁ、そうか、そういう問題に結びついていくのだ、と・・・暗いトンネルを闇雲に掘っていく中で、別の道に出てきたような気分になりました。もっとも、そこからどう進めばよいのかは、まだ全くわかりません。
「権利擁護」「自立支援」が何を意味するのかは専門家の間でさえ、まだはっきりとしない・・・だから、「そうか、みんな、そういうところで道に迷っているんだな」ということを確認したにすぎません。
ただ、決して絶望しているわけではありません。
まだまだ、やるべきことがあるのだな、と。宝の地図を手にしたような気持ちになりました。
探すべき道は、「障害の有無に関わらず、どうすれば、ありのままで生きられる社会にすることができるか」です。
かつて、「障害は嫌だ」というNANAに対し、TOTOが言いました。
「障害のある人にとっては、障害のあることが普通、でけへんことが当たり前なんや。いいとか、嫌とかなしに…」
そう、いいとか嫌とかでなく、それぞれの人が「ありのまま」で生きても、軽んじられたり、騙されたり、傷つけられたり、疎外されたりしない社会こそ、「バリアフリー」ではないか、と思います。
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今年の総合学習は「バリアフリー」・・・一時期までは「躓き」の原因になっていた総合学習ですが、すんなり取り組んでいる様子でした。テーマ的に興味を持ちそうな感じではありませんが、「やるべき」ことや目指す方向がはっきりしていることと、NANAの「正義感」に合致するものであったことによるのでしょう。
もっとも、私からすれば、取り組み方や進め方には大いに疑問があります。それは、私の要求レベルが高いのではありません。NANAがしばしばぼやいたり、怒ったりしていたのも、私が疑問視している部分に関連しているからです。
具体的には、テーマのたて方・・・「バリアフリー」という大きなテーマの下、各クラスが個別テーマに取り組むのですが、「子ども」「障害者」「高齢者」とここまではいいとして、もう一つが「環境」!?
かぶるんです、他のところと。「子どものための環境」とか「障害者のための環境」とか・・・
いや、いろんな角度からスポットを当てるのは物事を立体的に見るためにはいいことだと思うんですけどね、どうも、そうでもなく・・・案の定、「視覚障害者のための環境づくり」について取り組んだNANAは、「どうも、『障害者』のテーマで調べてる組が同じことを発表するらしいんや」とイライラ。
「でもさ、その組は『障害者』という視点から取り組むわけで、NANAは『環境』という視点から取り組むんだから・・・」と苦しい説明をしてみても、「どう違うんさぁ・・・ホンマに同じこと調べてるみたいやし・・・」。
確かに、実際の発表を見ても、同じような内容のものがたくさんありました。それが悪いわけじゃありません。けれど、何というか、そのままでは収まりが悪い・・・総括する何かがないと、単に、「みんなで同じことを調べてしまいました」で終わってしまいます。
今ひとつは−こちらはより深刻なのですが−、班での取り組みになると、「一生懸命やる」人とフリーライダーとに分かれてしまうことです。これは、小学生に限ったことではありませんが、問題は、成果発表においては皆が平等に扱われること・・・均等に担当していたのであれば、自分が直接担当したところを報告しなくても納得できるでしょうが、一部の人だけが作業に従事し、発表のときだけ皆が公平に分担となると、納得できないでしょう。
今回は、もともと1つの班で取り組んでいたものを、発表会の数日前になって、先生が「2つに分かれて、もう少し別のことも調べたほうがいい」とおっしゃったのだそうです。このアドバイス自体、「言うなら、もっと早く」という気がしますが(NANAも、「中間報告のときには何も言わなかったのに、今頃になって・・・」と怒っていました)、ひどいのは、班員6名のうち、これまでの作業に全くタッチしていなかった人たちが、これまでのデータを全て持っていってしまったことです。つまり、3人ずつ2つの班になる際、データを分割するのではなく、「これまでの分」と「これから調べる分」とで分かれ、さらに、「これまでの分」は何故かフリーライダー2人を含むグループのほうへ割り振られた、というわけで・・・
「なんで、そんなことになったん?」と聞くと、「だって、何か分からんけど、持っていってしまったんやもん」とNANA。「あっちの班には1人だけ、一生懸命やってたヤツが入ってるからまだいいけど、これが全員そうじゃなかったら、オレ、許されへんわ」。いや、もうこの状況でも十分、怒っていいと思いますが・・・。「あと3日ほどで、一から調べ直すなんて、絶対無理やし」と頭を抱えるNANA。自分の班のフリーライダー君が「まぁ、オレら、もっといいもん作ったらええやん」と言ったことにも腹を立て、「自分は何もせえへんくせに!!」。
いやはや、確かに、何もかもが理不尽です。
とまぁ、そんなふうに直前まですったもんだしましたから、私も少し気になりまして、仕事前に、NANAの発表の部分だけ10分ほどのぞきにいきました。
NANAの班の報告のテーマは「視覚障害者のスポーツ」と「弱視」・・・バラバラの話題が2つ並んでいるだけ、これも相変わらずです。NANAは「弱視」について報告していました。少し前、NANAはコンビニで視覚障害のある人から「値札を読んで欲しい」と声をかけられました。全く見えないわけじゃないけれど、小さな値札は読みにくい、と・・・てっきり、そのエピソードを交えて話すのかと思いきや、いつになく形式的で、抽象的な話にとどまっていて残念でした。
少し気になったのは班の感想とそれに続く質疑応答・・・「私たちも、突然、全盲や弱視になったら、大変だなぁと思いました」という感想に引きずられたのか、子どもたちの関心は専ら「なぜ弱視になるのか」「全盲や弱視になったら、元には戻れないのか」。
以前、NANAが口にした「障害になったらどうしよう!障害になったら嫌だ!」という不安を思い出しました。
総合学習のテーマは「バリアフリー」・・・子どもたちの率直な「不安」から、もう一歩先に進める何かがあれば、と思いましたが、結局、そのままで終わってしまうのが小学校教育の限界です。それでは、「バリアフリー」ではなく、むしろ、「自分は障害を持っていなくてよかった」という「バリア」を築くだけになってしまう気がするのですけれどね。
総合学習の発表会をのぞいた後、私は、ある研究会に参加しました。
「自立支援と権利擁護」というテーマの研究会です。私は、NANAのことがきっかけで発達障害をめぐる法的問題につき研究をするようになりましたが、まだまだスタートラインに立ったかどうかという状態で、なかなか先に進むことができません。ですから、全く専門外の研究会ではあるのですが、私たちの町で開催されるということで、satosho先生が誘ってくださいました。
元来「授業を受ける」のが好きな私は、「それなら、話だけ聞かせてもらおう!」と参加することにしたのですが、少しずつ「そんなに気楽な気分で参加できる研究会ではない」こと、「私も何か報告しなければならない」ことが分かってきました。そもそも、satosho先生にもまだお会いしたことがありませんし、全員が初対面の方ばかり、ほとんどが専門の異なる方ばかり、しかも、その道のプロばかり・・・「行っていいのかなぁ」という気分になってきました。
でも、行ってみると・・・
福祉や医療の分野からの報告は、確かに、全く異なる視点や知らなかった情報が満載だったのですが、同時に、今まで自分が考えてきたこと、特に、NANAや学校との関わりの中で漠然と浮かんでいた疑問(「診断の有無で線引きすることが適切なのか」「NANAの気持ちを汲み取り、望みを叶えてやること(その結果、NANAにとっては心地よい、しかし、社会的には受け容れがたい状態が生じる可能性がある)はよいことなんだろうか、それとも、NANAの意思に反してでも、社会的に『是』とするようなものに矯正していくべきなんだろうか」)、不満(「どうして、学校という組織では『引継ぎ』が行われないのだろう、あるいは、『引継ぎ』があっても必要な情報が伝わっていないのだろう」「特別支援のシステムが出来ても、結局は、担任の力量やセンス次第なのかもしれない」)、もどかしさ(「画一的処理を前提とする法のもとで、個別事情や特性をどのように考慮していけばよいのか」)が、別の場面、別の言葉で語られることに新鮮な驚きを覚えました。
あぁ、そうか、そういう問題に結びついていくのだ、と・・・暗いトンネルを闇雲に掘っていく中で、別の道に出てきたような気分になりました。もっとも、そこからどう進めばよいのかは、まだ全くわかりません。
「権利擁護」「自立支援」が何を意味するのかは専門家の間でさえ、まだはっきりとしない・・・だから、「そうか、みんな、そういうところで道に迷っているんだな」ということを確認したにすぎません。
ただ、決して絶望しているわけではありません。
まだまだ、やるべきことがあるのだな、と。宝の地図を手にしたような気持ちになりました。
探すべき道は、「障害の有無に関わらず、どうすれば、ありのままで生きられる社会にすることができるか」です。
かつて、「障害は嫌だ」というNANAに対し、TOTOが言いました。
「障害のある人にとっては、障害のあることが普通、でけへんことが当たり前なんや。いいとか、嫌とかなしに…」
そう、いいとか嫌とかでなく、それぞれの人が「ありのまま」で生きても、軽んじられたり、騙されたり、傷つけられたり、疎外されたりしない社会こそ、「バリアフリー」ではないか、と思います。
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2009/3/12 23:52
投稿者:MOMO
2009/3/12 23:19
投稿者:satosho
satosho です。お忙しい中、ご参加いただいていたのですねえ。ありがとうございます。個性を活かした法律学の構築は、みなさん興味深く聞いていたと思います。道はまだまだ遠いですけどねえ。でも、この努力が障害のある人だけでなく、障害のない人にとっても暮らしやすい社会をつくるのではないかと思っています。
あ、でも気楽にやりましょうね。あんまり重い議論は、長続きしないっすから。
追伸:コメント・TBありがとうございました。
あ、でも気楽にやりましょうね。あんまり重い議論は、長続きしないっすから。
追伸:コメント・TBありがとうございました。
はい、気楽にやりましょう(笑)。5時間に及ぶ研究会のあとは、さらに5時間ほどの飲み会・・・で、安心しました(何を!?!)。また、飲むほうのお伴をいたしますので、お声をかけてください。