不完全な教会として召された理由 B <以前の続き>
7.共同体としての集いがなく、放送だけで礼拝を
捧げると言うならば何を忘れてしまうことでしょうか?
一人で信仰生活をしても良いでしょうか?NO.
なぜ、教会共同体として我々を召されたでしょうか?主は
ぶつかり合いの中で私が鍛錬されて整えられることを願って
おられます。性格などお互いに違う人が出会ってキリストに
似ていき、成長して働ける大人の信仰者をつくるために我々
を共同体として召されたのです。一人でいると手入れされ、
鍛えられる成長の訓練ができません。
神様が我らを聖徒として召された目的は奉仕の働きをさせる
ためです。エペソ4:11-13 “11 こうして、キリストご自身が、ある人を使徒、ある人を預言者、ある人を伝道者、ある人を牧師また教師として、お立てになったのです。12
それは、聖徒たちを整えて奉仕の働きをさせ、キリストのからだを建て上げるためであり、13 ついに、私たちがみな、信仰の一致と神の御子に関する知識の一致とに達し、完全におとなになって、キリストの満ち満ちた身たけにまで達するためです。”
主は聖徒たちが成長して奉仕の働きをもって、キリストのからだを建て上げる働き人になることを願っておられます。
教会共同体の中でキリストのからだを建て上げる働きをし、お互いに仕える場を提供するのです。
ひとりぼっちの信仰で満足してはいけません。
8.出会いを通して主が期待されるものは何でしょうか?
(ヘブル10:24-25)
“24 また、互いに勧め合って、愛と善行を促すように注意し合おうではありませんか。25 ある人々のように、いっしょに集まることをやめたりしないで、かえって励まし合い、かの日が近づいているのを見て、ますますそうしようではありませんか。”
いっしょに集まることをやめたりしてはいけません。できるだ
けしょっちゅう集まって祈り、愛の交わりを持ち、御ことばを学び、互いに励まし合い、助け合わなければなりません。主はこれらを願っておられます。
9.‘教会’と読んでいる理由をもう一回考えて見ましょう。
最初に“一つの体だ”と言いながら重要単語が結合、結び合
いであったことを覚えましょう。神の家族、御国の家族なので
す。一つの体として痛みも喜びも共に分かち合うのです。
このことのためには「礼拝+交わり(コイノニア)」が必要です。
使徒2:42“そして、彼らは使徒たちの教えを堅く守り、交わり
をし、パンを裂き、祈りをしていた。”
10.父なる神様が私たちに期待される姿は何でしょうか?
(ピリピ2:2-5)“2 どうか同じ思いとなり、同じ愛の心を持ち、心を合わせ、一つ思いになって、わたしの喜びを満たしてほしい。3 何事も党派心や虚栄からするのでなく、へりくだった心をもって互いに人を自分よりすぐれた者としなさい。4 おのおの、自分のことばかりでなく、他人のことも考えなさい。5
キリスト・イエスにあっていだいているのと同じ思いを、あなたがたの間でも互いに生かしなさい。”
父なる神様が私たちに期待される姿は、教会を通して「
キリスト・イエスの思い(心)をいだきなさい」です。
不完全な教会で天の父が私たちを溶鉱炉へ入れて純金の信仰をつくっていくのです。
(エペソ4:13) “ついに、私たちがみな、信仰の一致と神の御子に関する知識の一致とに達し、完全におとなになって、キリストの満ち満ちた身たけにまで達するためです。”
神様は私をキリスト・イエスの満ち満ちた身たけにまで達した聖なるイエスの弟子につくるために不完全な教会共同体に召してくださったのです。