いつからジェットストリームのナレーションは伊武雅刀なのだろう。
今夜はスティーリー・ダン特集だ。15の頃は必死にAORをダビングしていた。
15で暗い青春を田舎で送る私の望みはラジオと本だった。広大な田んぼを見下ろす眺めのいい二階の部屋から、密教信者の様に出ることができずに、微かな希望を過ぎる飛行機のランプに託した。私の代わりに飛んでゆけよ、いっそブラジルあたりまで。
深夜にぼそぼそと聴こえる、城達也のジェットストリームが至福だった。エアチェックしたテープを獲り憑かれた様に編集した。夢ばかり見て、そこに住んでいるつもりでいたのだ。
17、8で脱走して、散々放浪したあげくに琵琶湖のほとりに部屋を見つけた。毎日図書館とCDレンタル屋を往復して、夜はCDダビング、気に入った本を全て写す作業に明け暮れ、やっと一人の空間を持ち得た私の生活は、一層宗教めいてゆく。ただ、その頃になると週一で大阪や京都に繰り出し、知人の家を泊まり歩いて5日後やっと部屋に戻る繰り返しも始まっていたから極端ながらも人付き合いはできる様にはなっていた。緊張のあまりアルコールを常備する癖も同時に始まってはいたけれど。
こんなトコにいては何もできないとそこも数ヶ月で脱出して、暗い、おんぼろの現マンションに移ったのは18の7月の終わり。はっぴいえんどがマイ・ブームだった私にとっては、シャワーの無いそんな長屋めいた空間も、天国に思えたモノだ。
初めてこの部屋で迎えた夏の暑さと冬の寒さに辟易し、転居してすぐ、「ここも引っ越すわ!」とさんざ豪語したものの、結局資金のアテなどなくずるずるずると、早7年。
やっとこの度出る事となった。ここも出るわと豪語していた19の頃、私の夢は西区だった。単車にはまだ乗っておらずチャリで市内駆け巡る生活の中で、最も気に入った土地が西区。川や科学館やプラネタリウムや図書館や、もすすぐいけば海がある。西区から、○路までは電車では少し、遠すぎた。叶わずのまま、大阪も離れる事になろうかとほぼ諦めてはいたが、忘れた頃に、叶うモノだ。私はもうすぐここを捨てる。西区に住めば、もう大阪に未練は無い。
会社の転勤、実家の都合、全くもって関係の無い暮らしを送る身分の私にとって転居とは、まさしくその地を捨てる事に他ならない。本当に嫌悪して堪らないから出るだけだった。18の時、大阪転居のテーマは淺川マキ「夜が明けたら」だった。割といい街だったけどね、のフレーズの直後、唾を吐く!!そんで大阪出て来る!!直前のある夜泥酔しながら大阪在住の友人にまくしたてた。「大阪来たら、こっちのモンやで。」「何がやねん?」「おう。もうな、酒とバラの日々よ。」「有閑マダムやんけ!!」・・・・・ああ18の頃の淡き夢とまぼろし。夢ばかり見て、信じ込もうとしてばかりいた。酒とバラの日々は送れたのかどうか、確かに酒には明け暮れたが、その実生活は一向に苦しく、部屋の雰囲気と相まって、私に独特の貫禄を与えはしたが。
「何でこんな大変な時に、あなたが大阪で暮らす必要があるのか。親の傍にいてあげなさい。」新居の保証人になってくれと頭を下げた親戚から言われた。当然そう思いもしよう。父が重態なのだ。がしかし、田舎の事情など知る由も無い都会暮らしの親族に知った様な事、言われてたまるものか、見舞い位、来たらどうだ。それとも金を出してくれるのか。今は私が稼ぎ頭だ。「いえ、仕事、辞めたくはありませんから。極力休みには帰ってますし、送金もできるだけ続けます。」
父は一度退院したものの、脳と骨の間より出血し再入院、又退院して出血し再々入院。半ば自棄な発言が目立つ。母に自立せよと、今更の様に言うらしい。そんな女に誰がした。
「マキ、もうこっち戻る気なかろ?」当然だと言う口調で母は聞く。「昔から言う様に、もちろん無いよ。」「おかーさんもね、もうここ嫌やし。もうどっか出ようと思とーと。」これ程プライドの高い女が、たとえ父と一緒だとしても、故郷の博多に帰る訳が無かった。
母も、私と同じく土地を捨てる。転居とは、その地を捨てる為にするものだ。だからもう、捨てた土地には戻らない。
捨てて流れて捨てて流れて、まるで寺山修司だが、転居のたび、よみがへりくるはその地への、復讐心ばかり。たまには意味の無い転居をしてみたいけれど。
復讐心ばかり募り原動力となりしもやポエジーとは解放されてこそ
ルサンチマンなどを表現に使用してはならぬと思えども、それが根底にあるのは否めない。そんな所から放たれてこその詩心なれど、原動力とある内は、いっそ都合良く使いこなそうと思う。いっそ中上健次「路地」の様に「淡路」とか三部作にしてしまおうかしらん。
さらば糞○路。伊武雅刀のジェットストリームをテーマとし、軽快なAORでもってこの地に唾棄をする。 また夢ばかり見て信じ込もうとするような・・・・。