「小さな命をまもる会」の水谷先生のブログで、昨日から、「親のために生きるな!死ぬぞー!」というタイトルの記事連載が始まりました。
http://blog.chiisana.org/
「親に従うのではなく、神様に従う生き方が聖書的。その方がいきいきと生きられる。自立する事が大切。親は離れて愛するもの。」という事がテーマの記事らしいです。
夏のキャンプで会った学生クリスチャンに、親に縛られて生きてきた苦しみ、悩みを多く感じたと書いておられます。
水谷先生は、このように書いておられます。
この夏は数回、同じような言葉を聞きました。それらを最小公倍数的に表現すればこうなるでしょう。
「私は親のために生きてきました。いつも親に喜ばれるような判断をしてきました。
親の言うとおりでないと、安心できないのです。進路も結局、神様の御心や自分の決断ではなく、親の希望の進路。きっと結婚もきっとそうなるでしょう。
今回のキャンプでこのメッセージを聞かなかったら、これからも、ずっと神様ではなく親の喜ぶような決断をしていたかもしれません。」
私の拙いメッセージとその分かち合いの交わりの中で、何名かのキャンパーがこのことに気がつきました。親の喜ぶような生き方をしながら、結局、神様を除外していた自分に気がついたのです。
「私は神様のために生きようと願いながら、親のために生きてきたことが分かりました!
このキャンプでこれらは神様のために生きる決断をしました。」と公に証しをした学生もいました。
学生たちが「神様のために生きる事」に気づく事ができて、本当によかったと思います。
この「 」の中の「親」という言葉を、「虐待的牧師」に置き換えたら、カルト化被害者の多くが感じた事に当てはめられるのでは…と思いました。
「私は虐待的牧師のために生きてきました。
いつも虐待的牧師の喜ぶような判断をしてきました。
虐待的牧師の言うとおりでないと安心できないのです。
進路も結局神様の御心や自分の判断ではなく、虐待的牧師の希望の進路。
きっと結婚もきっとそうなるでしょう。」
「私は神様のために生きようと願いながら、虐待的牧師のために生きてきた事がわかりました。」
カルト化教会を脱会する事ができて、本当によかったと今さらながら、つくづくそう思います。
あんな所にいたら、神様の御心にかなう生き方ができないどころか、自分の判断力も奪われて、悲惨な人生を送ったと思います。
リハビリの中で、苦しいと思う事もあるけれど、脱会できた事を本当に感謝しています!
子は親に依存するのではなく、ある時期が来たら自立して、愛する事が大切です。
しかし、虐待的牧師に対しては、気づいたらさっさと逃げましょう。
脱会した後で、リハビリをしながら今後の事を考えましょう。
「ここはカルト化教会だ。」「牧師が権威を持っていて、支配的だ!」と気づいたら、迷わずさっさと逃げましょう。