やはり父は変な人であった。(だからその息子も?)
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思い出せる一番古い記憶は、たぶん3歳位だったろうか?座っていた座布団の柄。青地に黄色い卵が横に縦に並んでいるのだ。近所の池。緑色の藻が多く中を見通すことは出来ない。
田舎で、お菓子もなく、白い温かいご飯にお砂糖をかけて食べるのが好きだった。だが、お砂糖をかけてもらったのが、ご飯の熱で溶けてしまう。
「お母さん、お砂糖がかかっていないよ」
「お砂糖は、ご飯にかけると、融けてしまうのよ、甘くて美味しいから食べてみなさい」
「パク、あ、本当だ、甘い」
この会話はいまでも良く思い出す。(3歳くらい)
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父は工作が得意で、電気もない山奥の営林署官舎で、僕と弟(4歳と2歳くらい
?)のために、材木で車を作ってくれて、良くそれを引いて遊んだものだ。
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父が営林署職員を辞めて、雑貨商に転身、超山奥から、秋田県鷹巣町という超都会に出てきた僕は、5歳にして初めてお金を言うものを使う経験をした。
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小学4年生位だったな?父の真似をして、のこぎり、かんな、鑿(のみ)金槌などの使い方を会得した僕は、仲間で流行っていた、模型飛行機を20台以上製作した。
これは5メートル位の針金を付けてぶんぶん回して遊ぶもので、主翼、水平尾翼、垂直尾翼はベニヤ板、胴体は角材を切り出して製作、ポスターカラーで色を塗ったり、そのころ愛読していた少年サンデーの情報を元に、紫電改、雷電、ハヤブサなどと名前を付けて・・・
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そのころ、海水浴に行ったときの思い出だが、場所は、五能線の八森海岸、岩がごつごつしていて絶好の遊び場である。海で家族で遊んでいると、風が強く波が高くなってきた。
ついに遊泳禁止のアナウンスが流れるが、父は指導員と交渉に入る。
「私は、車に荷物の梱包用の太いロープを持っている。子供(つまり4年生の僕のこと)をロープで縛って、陸で引っ張っているので、それで泳がせてもらえませんか?」
父はマジで相談していた。(笑)もし許可されていたら、海難事故だったかも?
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父は、事業家であるので、常に勉強を怠らなかった。最新のビジネス書や色々な書籍をものすごい量の本棚に並べていた。
60代を過ぎ、ベッドから本棚が見渡せるようになっており、本を探すときは望遠鏡を使用していた。(爆)
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父と母と僕の息子たちが小学生くらいの時、温泉に行ったことがある。プールで泳ごうと言うことになり、息子たちとパチャパチャと遊んでいたら、息子が言うことには、おじいちゃんが居ない!
流れる丸いプールがあるので、そちらに行くと、足ひれフィンとシュノーケルで潜水している人がいるではないか?
指導員に止めてくださいと注意されてるのは父その人であった。
「前の日から、道具を揃えて楽しみにしていたのに・・・」と父の弁。
「お父さん、それは海に行ってやろうね?」(笑)
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昨年、最後のチャンスと思い、81歳の父と僕と弟で沖縄、宮古島旅行に出かけた。父は行きの飛行機で、スチュワーデスに、「この飛行機は何人乗りですか?」と聞いたら、答えられなくて、勉強不足だと言っていた。
グラスボートと言って、底がガラスになっている船で珊瑚礁を見学するツァーに参加したが、父の質問は「この海底は、何万年くらい前の地層ですか?」(笑)
ツァーガイドが答えられなかったのは言うまでもない。こういう科学的発想の父は、神や仏、生まれ変わりは一切認めず、正月、神社、等も行きたい人は行けばいい。自分には関係ないという人ではあったが、そういう分析主義的な傾向は私にも引き継がれている。ただ違いは、神や仏、生まれ変わりは何の疑いもなく信じているところは、母の血をもらったからだろう。その父も最後の数ヶ月には、色即是空とか言い出したのはびくりした。
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父はケチでお金を貯めた人だが、母にいつも「着物の一枚も指輪の一個も買って貰ったことがない」と言われていた。
最後の最後で、亡くなる数日前に、母に百万円相当の着物と指輪を母にプレゼントした。「有り難う、お父さん」という母の言葉には、感激していたようだ。
思い残すところ無く、するべき事は全部やり遂げて、見事な一生だったよ、お父さん、どうぞあの世でもお元気で暮らしてください?
写真は沖縄旅行で、左から、弟、僕、父。