2010/3/6
執着
22・3・6
4日前から、事務所の荷物や、倉庫に置いて有る私物を整理しながら運び出しているが、5年間で様々な物が集まっており、整理に時間が掛かっている。
おまけに、昨日は右手に怪我をしてしまい、重い物が持てなく成ったので、少し落ち込んでしまった。
其の怪我の原因は、4日の夜から始まっている、左側の頭痛にも関係が有るのかも知れないが、直接の原因は昨日新しく設置したコンテナに荷物を運び込んだ時に、履物の裏に土が着いていて、事務所の中に帰って来て足を滑らせたからである。其の時、床に置いていたお酒のビンが倒れて割れた。そして、お酒が零れ出したので、其の白い紙で包装されている酒ビンを起こそうとしたら、包み紙の中でビンが割れていて、ビンの欠片で親指の内側が切れ、親指の付け根から赤い血が噴出して来た。
私は、何故、其の様な結末に成ったかを考えていて、お酒に執着が有ったので、咄嗟に酒ビンに手を出してしまったのだと考えたのである。其のお酒は、レッテルの貼られていない数少ない日本酒で、自然栽培のお米で特別に造られ、フランスの日本料理店に1升瓶1本が1万円で売られている。私は、其のお酒をお金を出して買ったわけではなく、神戸の金城さんからの贈り物であるのだが、パワーが有るので夕食時の食前酒として、湯飲み茶碗に軽く一杯飲んでいた。すると満足して幸せに成るので、そのお酒をとても大事にして居た。大事にして居たからこそ、咄嗟に手が出てしまったのであろう。
其れは、私に執着心が有った結果として、起きた現象であると謂えるだろう。其れに、小雨の中、荷物を運ばなければ成らないのも、荷物を抱え込んでいるからこそ、遣らなければ成らない行動である。
18年間全国を廻る時は、車1台で積める程の量であったのだが、安房の自宅を壊した事と、屋久島自適塾を始めて、PC機器類や、記録保持の為のCDやDVDの量が増え、送られて来た書籍などで、随分と荷物が増えてしまっているのである。だからと言って、其れらの物を、今更捨ててしまう譯・わけには行かない。何故なら、其れ等を必要とする事柄が、既に始まっているからである。
考えて見れば、仏教の教祖であるインドの「釈迦牟尼仏陀」が手にしている物は托鉢の器1つであり、ナザレの「イエスキリスト」は下着1枚と杖だけであり、老子は牛の背中に乗せられる荷物だけで、国外に出て行ってしまっている。
其れ等の聖者の姿と比べると、土地や自宅を失った私でも、携帯電話や車を持ち、カメラやビデオやITの為の電話機やPC機器を管理する為に、建物を必要とするのである。其れ等を捨ててしまえば、神の役に立たなく成ってしまうのである。其れが、昔の聖者と私の違いである。しかし、やはり其れ等の物に、意識が執着するのは良くないのである。
今朝のメッセージの映像は、先ず私が自分の事務所で会議をする為に、机や椅子を並べて居ると、其処に母親を伴って弟と妹が遣って来た。そして、母親は、私の机の引き出しから、私の実印と通帳を取り出して帰って行った。
私が、母親に「何故・・・・」と云って、母親を追い掛け様としたら、弟が私の前に立ち塞がって動かないのである。其の弟の顔を見ると、不動明王の様な顔をしながら、薄桃色のオーラを立ち上らせて居るので、私は、其のまま動けないでいた。
其の映像の意味は、私自身が事務所を構えたり、実印や通帳が必要な行為を、しては成らない理・ことを示唆しているのであろう。其れも、此の神の道には、物に対しての執着が有っては成らない理・ことを、意味しているのであろう。
そして、今朝現れた母親や弟妹の姿は、26年前の姿であった。何故、26年前、私が全てを捨てて修行を始めた頃の姿で、母親や弟妹が現れたかを考えると、私が実印や通帳が必要な事を再び始めれば、是までの家族の犠牲が、水の泡に成ってしまう理・ことを意味しているのかも知れない。
其れを考えると、もう私は、自分で事務所を持つ事や、実印や通帳が必要な事をしては成らないのであろう。其れを考えると、私が自分で何かを遣らなくても、全て準備が整っていると謂う理・ことに成る。
今朝の次の映像は、屋久島に来て住んでいる片山君が、海に潜って、四角な石版の上に、4つの物が四方に配置されている物を拾って来て、私に見せた。其の4つの物は、灯りを燈す灯台の形と、足が八本有る蛸・タコと、他の2つであるが、他の2つは写真に収め様としたが、何なのかが判らなかった。
片山君は30歳の男性で、現在村造りが進んでいる薬草園の薬草係りに、私が任命した人物である。何故、其の片山君が、海の中から石版を拾い上げて来たのだろうか。海は、海神の世界であり、住吉三神の働きの場である。
其の、海神の世界から授かった4つの働きとは、一体何を意味しているのであろうか。
灯りを燈す灯台の意味は、屋久島の薬草園が、新しい未来社会の灯台の役割に成るとの理・ことであろう。そして、8本の足の生えたタコの姿は、八幡神社の八幡・やはたを意味する纏・まといの形であり、薬草園で八幡様の祭りが行われる理・ことを、意味しているのではないだろうか。
他の2つの物が、何なのかは、今朝の処は確かめられなかった。
次の映像は、防水の黒いマントを羽織った男性が、南米のインディオ達が頭に被っている様な、大きな白い帽子を被って立って居た。其れは、雨が降っても身体が濡れない様な服装である。其の黒いマントは、踵まで届く長い物だったので、防寒用にも成るし、毛布の代わりにも成り、寒い夜を過ごすのに役に立つ物である。
次の映像は、地下室か蔵の様な施設が出て来て、其の棚には現在屋久島から発送している、水が入れられた茶色の1升ビンが、棚の上に数本並べられていた。私の意識は、其の水を見て、是で何日かは大丈夫だと感じて居た。
そして、他に食料を置いて於かなければ成らないと想い、出雲の安部忠宏氏より一昨日送られて来た、五穀米のお粥の缶詰の事を考えていた。
「時間表を取れ」
http://green.ap.teacup.com/20060818/1149.html
「固定した水と動く水」
http://green.ap.teacup.com/20060818/1186html
其の映像の意味は、農村に住んで居る人々は良いが、都会に住んで居る人々は、防寒の服装と、飲料水と、火が無くても食べられる食べ物を、準備して置く必要が有る理・ことを、示唆して来ているのではないだろうか。
今日は、26年前に全てから開放されて、自由に成った時(解脱の状態)を思い出し、現在の自分の意識との差を改めて感じた。26年前は、自分の柵・しがらみから解放されて自由と成ったのだが、現在では神の計画の為に、再び人間世界にがんじがらめに成ってしまっている。
今朝のメッセージは、私が26年前に体験する事に成った世界を、人類全体が体験しなければ成らない時節が、迫って来ているとの事ではないだろうか。
不思議な事に、現在私の周りに繋がって来ている人達は、藤田さんを始めとして、武富勝彦氏、李夫妻、アルクトゥルス氏、あかるさん等、皆、神様離婚かマクロビ離婚をした人々である。其れは、新しい時代に向けて旅立つ人々は、其れまでとは価値観が替わるので、夫婦の仲が不調和を起こしてしまう為である。其れ等の試練を超えた者こそ、新しい世の中の役に立つのであろう。
今朝のメッセージで私が感じた理・ことは、仏教の四天王や、諏訪大社の社の四方に立てられている神柱などに意識を執着させるのではなく、自然の中にこそ神の働きが隠されているので、其れを見詰めろとの理・ことではないだろうか。其れが、本来の釈迦牟尼仏陀の教えであり、日本の神惟らの道の本質であり、イエスキリストの謂う「神とは 此の大自然である」との訓えの意味なのであろう。
平成22年3月6日
礒邉自適

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